第64話 解呪
どこまでも続く、真っ白な空間に俺はいた。
そうか……やはり……俺は死んだか……。
俺はあてもなく白い空間をさまよう。
どれくらいの時間が経過しただろうか?
一生このままなのだろうかと不安になってきた頃、彼女が姿を現した。
「……なんだ、また会ったじゃないか」
「あはははー! 本当だねー!」
「ここは死後の世界か?」
「まあ、そんな感じかなー」
やっぱりそうなのか。退屈そうな場所だな。
「すごいな君はー。ひまりちゃんを助けるなんてー」
「……まあな」
良かった。ひまりは無事のようだ。
ならば悔いはない。
「ホテルのことだけを言っているんじゃないよ? 不良に襲われた時、鬼頭たちに拉致された時、植物状態になった時、そして人質にされた時、全部を助けてるねー。本当は不可能なはずなんだよー?」
「……なんだと?」
「あの子は、不幸の鎖につながれた子なのー。どうやってもバッドエンドになる呪いをかけられていたんだー。――でも君が、それをことごとく打ち破り、最終的に鎖を完全に断ち切った」
つまり俺がいなければ、ひまりは悲惨な最期を迎えていたと……。
で、さらには彼女が受けていた呪いを、俺が解いたということか。
「なぜ俺にそんなことができる?」
「君には運命を切り開く才があった。【強制青春選択肢の呪い】を乗り越えたことで、才能が開花したのー」
なるほど……ようやく、この占い師の目的が分かってきた。
「……ということは、お前はひまりを救うために俺に呪いを?」
「そういうことー。あの子を呪いから解き放つために、君の真の力を引き出そうと、試練を与えたのー。いっぱい迷惑かけちゃったねー。ごめんー」
占い師はぺこりと頭を下げる。
「いや、いいんだ……むしろ礼を言わなきゃな」
礼なんていらないと言わんばかりに、彼女は目を瞑って首を横に振る。
「しっかし、すごいねー。神の力に打ち勝つなんてー。まさに最強の男だねー」
「ははっ、最強の男か……そう言えば、『呪いに打ち勝てる最強の男になる』が、この【強制青春選択肢】の解呪条件だったよな?」
占い師はニカッと笑う。
「そのとおりー! 君の呪いも解けましたー!」
「死んでから解けてもなー……」
「あはははー! ……君の力、人々のために役立ててね」
「……え? なんだよ?」
「私のすべての力を使って、君を生き返らせるよー」
「マジか!? それはありがたい!」
喜んだ俺だが、占い師の暗い表情を見て、何かあるのだと察する。
「ううん、むしろ謝らなくちゃいけないことがあるの……もう呪いは解けたけど、選択肢を無視した分の災厄が君を待ってる。蘇生で力を使い果たしちゃうから、どうにもしてあげられない」
「そうか……」
どんな災厄なのだろうか?
また隕石が落ちて来なければいいが……。
「とても辛いだろうけど、君なら……いや、君達ならきっと乗り越えられると信じてる。……じゃあ今度こそ、本当にお別れ。――運命を切り開いてね」
「ああ、じゃあ――」
俺が言い終わる前に、すさまじい閃光が走る……!
「――先生! 八神さんが目を覚ましました!」
「よし! バイタルチェック!」
「はい!」
……ここはどこだ?
オペ室か? ICUか?
俺は本当に生き返ったのか……?
それを確認したかったが、すぐに眠たくなってきた。
ああ、瞼が重い……。
それから次に目を覚ました時は、俺の家族と瑠璃川三姉妹がそばにいた。
俺は何か声を掛けたかったのだが、またすぐに眠たくなってきてしまった。
その次に目を覚ました時に、ようやく俺はみんなと話をすることができた。
全員わんわんと泣いてしまっているので、話を聞くのに一苦労だ。
どうやら俺は、一度心肺停止状態に陥ったらしい。
あそこで占い師(いや、女神なのだろうか?)の力を受けなければ、そのまま死んでいたのだろう。
後遺症もほとんど無いようで、俺は自由に体を動かすことができた。
傷の状態が良好になり、検査で異常がなければ、すぐに退院できるとのことだ。良かった。
「八神君、今日はお土産があるの」
「お、なんですか?」
先生が、紙袋をサイドテーブルの上に置いた。
俺は紙袋の中身を取り出す。――クッキーとクレープだ。
「ひまりちゃんが頑張って作ったんですよ?」
「おお! ありがとな、ひまり!」
ひまりは、恥ずかしそうにモジモジとしている。
「じゃあ、さっそくいただくとしよう」
俺はクッキーを1枚、口の中に放る。
――うん! そんなに美味くない!
紫乃と紬のクッキーの方が、断然美味しい。
だが、俺のために作ってくれたという事実が、最高のクッキーへと押し上げる。
「とても美味しいよ」
「えへへ」
ひまりは照れくさそうに笑う。
先生と紫乃が「ぷっ」と噴き出した。このクッキーが、あんまり美味しくないのを知っているのだろう。
おそらく何度も試食させられたに違いない。
「じゃあ、クレープもいっちゃいますか!」
別に食事制限も受けていないし、まあいいだろ。
俺はクレープをつかみ、バクッとかじる。――おお?
「店で買ったのと同じくらいのレベルだぞ!」
「えへへ」
「うふふ、クレープはだいぶ私が手伝いましたからね」
「いわないで!」
ああ、なるほど。生地焼くの難しそうだもんな。
卵を割ることすらできなかったひまりが、こんな短期間でできる訳ないか。
「ありがとな、ひまり。おかげで元気になってきた」
「よかったです……」
ひまりが微笑む。――可愛い。
コンコン。部屋がノックされた。
「ああ、また警察かな……」
「ん……私が見てくる」
先生がドアへと向かう。
俺はもう、何度も警察の事情聴取を受けている。
最初は所轄署。次は神奈川県警、その次は警察庁と、だんだん規模が大きくなっている。
要するに、それだけの大事件ということだ。
新聞は毎日1面記事。ニュースでは連日、特集が組まれている。
有名な過激組織による犯行であったこと。
罪もない1名の人が亡くなってしまったこと。
グランドモールホテル展望台という、恋人たちのデートスポットが舞台だったこと。
大勢の民間人が人質にとられたこと。
そして……警察が介入する前に、たった一人の高校生が、事件を解決したこと。
これらの要素が、大きな話題とさせているのだ。
高校生の正体は一切明かされない。
刑事さんが言うには、厳重な報道規制が敷かれているらしい。
過激組織の残党が、俺や俺の家族を狙うおそれがあるからだ。
先生に案内され、二人のスーツの男が俺の元へやって来た。
これまでとは、また別の人達だ。
なんというか、刑事と言うよりは……服部先輩に近いものを感じる。
「……俺だけの方がいいですか?」
「お心遣いに感謝します。そうしていただけると幸いです」
俺は先生に目で合図を送る。
先生は黙ってうなずき、紫乃とひまりを連れ病室を出た。
「刑事さんではないですよね?」
「さすがですね。気配で分かりましたか?」
「はい。――名乗っていただいても?」
「申し訳ありません。それはできないのです」
それだけで俺は察した。
彼等は、公にはできない組織の人達だ。
「分かりました。では、ご用件をお伺いしてもよろしいですか?」
「八神颯真さん。あなたに、アメリカで特殊な訓練を受けていただきたいと思っています」
――なるほど。彼等のような人間になるための訓練ということだろう。
「俺は平穏を好む人間です。そういった世界とは関わりたくないです」
「知っています。でもあなたは断れないでしょう」
俺はピクリと反応する。――まさか、脅迫するつもりか?
「どういうことでしょう?」
「報道規制は敷かれていますが、過激組織の残党は、いずれ八神さんのことを突きとめるでしょう」
だろうな。
俺の顔を見た人は何十人もいるし、監視カメラの映像も残されている。
本気になれば、簡単に見つけられるだろう。
「そこで力になれるのが我々という訳です。八神さんのご家族や、瑠璃川家の方々を守ることができます」
「つまり護衛するから、組織に加われということでしょうか?」
「護衛……護衛ですか……我々にとって“守る”とは、脅威に対し、先手を打つことも含まれます。そこだけ訂正させていただきましょう。あとは八神さんのおっしゃるとおりに受け取っていただければと……」
つまり、国家の安全を脅かす者は、事件を起こす前に排除するということだろう。
この平和な国に、それほどの攻勢な組織があったとは驚きである。
「なるほど。話は理解しました。ですが、なぜ俺を組織に勧誘するんですか?」
「八神さんは、ご自分の能力を良く認識できていないようですね。あなたは特別な才能を持っているのです。その力をぜひ、国家の安全のために振るって欲しいと思っています」
「俺にしかできないことだと?」
「ええ。それだけの才を持つ者は、日本でも極わずかしかいません。そして、その全員が、この任務に従事しています」
「それはすごいですね。一つ聞いてもいいですか? あなたはなぜ、組織に加わったんですか?」
「初めは断りました。――しかし、その時の担当官に、『それだけの才能を腐らせようとするなど、お前は非国民だ!』と怒られてしまいましてね」
男は頭を掻きながら、笑みを浮かべる。
「……それは耳が痛いですね。……日本には戻って来れますか?」
「何とも言えません。アメリカで2年訓練を受けた後、どこかの部隊へと配属されます。そこから先はどうなるのか、まったく分かりません。2度と日本の地を踏めない可能性はあります」
それはあまりにも辛いな。
せっかくひまりの意識が戻り、呪いも解けたというのに、一緒にいることができないのだ。下手すれば、もう2度と会えないかもしれない。
「……これが災厄か」
「災厄……?」
「あ、いえ。お気になさらずに。――アメリカへは、いつ出発する予定ですか?」
「12月末です」
早い……! あと1か月ちょっとしかないのか……!
「すぐに決断できることではないでしょうから、今日はこの辺で失礼いたします。また後日、伺わせていただきますので」
男二人は、俺に頭を下げると静かに去って行った。
「さすがだな……足音がまったくしない……」
再び桜子先生たちが部屋に入って来る。
「また事情聴取?」
「いえ……就職の斡旋とでもいいましょうか」
「え? どういうことですか?」
俺は、彼女達を真剣な眼で見つめる。
3人の表情に緊張感が現れた。
「俺、アメリカに行こうかと思うんだ」
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