第56話 おかえり

「うがー!」


 ゲーム機を貰った時は、目を輝かせていたひまりだが、いざプレイし始めると、それはもう狂ったように怒り出す。自分の思うように動かせないからだろう。


 ひまりは、やっとスプーンを握れるようになったばかりなので、複雑な操作などできる訳がない。タイトル画面から次に進むだけでも一苦労といった有様だ。


「ひまり! 投げちゃダメ!」

「びー!」


 先生にデコピンされ、ひまりが泣いてしまった。


「ひまり、リハビリと一緒だ。少しずつできるようになっていこうな?」

「うー」


 俺は毛布の上に落ちているゲーム機を拾い、ひまりに手渡した。


「でもまあこれって、いいリハビリになりそうですよね?」

「うん。指先の運動にもなるし、脳にも刺激がいくだろうしね」



 二人の言ったとおり、【黒鉄の武士】で遊び出してから、ひまりの運動機能は目覚ましい向上を見せ始めた。

 スプーンを使って食事ができるようになり、自分でお尻も拭けるようになった。

 担当医もこれには驚きだ。


「やっと、ひまりちゃんのお下の世話から解放されました」

「あれで、一気に老けたよね。私達」


 大笑いする俺達を、ひまりが睨んでくる。

 言語機能は、まだ回復があまり見られない。




「あとは自力で車いすに移れるようになれば、退院できるかと思います」


 担当医からそう言われ、俺達は大喜びだ。


「良かったですね、ひまりちゃん! もうすぐおうちに帰れますよ」

「あー!」


 それを聞いて、ひまりも燃えてしまったようだ。

 翌日から、ますます懸命にリハビリを励むようになった。





 そして、ひまりの意識が回復してから3か月。ついに退院が決まる。

 時はすでにもう11月。夏はとっくの前に過ぎ去り、もうすぐ冬が来ようとしていた。


「ただいまですよー、ひまりちゃん」

「ああいまー」


 紫乃に車いすを押されながら、実に5か月ぶり以上の、笑顔での帰宅だ。


「ひまり嬢、お帰りなさいませです!」

「つむぎ!」

「お、よく言えたな。偉いぞ」


 ひまりの言語能力もだいぶ回復し、コミュニケーションをとりやすくなった。

 まあ、その分「あなた、きらい」と、はっきり言われてしまうのではあるが。


「退院祝いということで、御馳走を用意しましたです!」

「くっきー、たべたい!」

「安心してください。ちゃんとありますからね?」



 瑠璃川家の食卓に活気が戻る。

 ひまりのいないこの家は、なんだかとても寂しかった。


「やっぱり5人で食事するのは、いいですね!」

「ああ、俺達は基本無口だからな。ひまりがいないと、会話があまりないんだよな」


 特に俺と桜子先生は、黙々と飯を食うタイプ。

 ほとんど紫乃と紬しか喋っていなかった。


「おいしい!」

「それはよかったでございますです」


 ひまりは口の周りをベッタベタにしながら、御馳走を頬張る。

 紬はそれを見て「うぴぴぴぴ」と笑いながら、口を拭ってやるのだ。本当に微笑ましい。




 食事が終わった後は、ひまりを自分の部屋へと連れて行く。


 ひまりは、壁に貼ってある写真をじっと眺めている。

 特に気になっているのは、俺がインターハイの代表選手に選ばれ、お祝いしてもらった時の写真だ。


 写真の中のひまりは、俺のすぐ隣に立っている。飛び切りの笑顔で。


「――これ、あたし?」


 ひまりは後ろに振り返り、紫乃に聞いた。


「そうですよ。前にも見せたじゃないですか? ひまりちゃんは、ずっと金髪だったんです」

「また染める? やってあげるよ」

「んー……」


 ひまりは少し考え込む。


「くろがいい」

「どうしてですか?」


「わかんない」

「じゃあ黒のままにしよう」


 先生は俺に微笑むと、ひまりの頭を撫でた。


「あのひとがうつってうの、はがして」

「もう! あの人じゃなくて、八神さんですよ!」


「はがして! いやなの!」


 ひまりは俺のことを名前で呼んでくれない。

 でもまあ、いいさ。


「分かった分かった。じゃあ、俺が写ってるのを全部剥がしておくからな」


 俺は何枚かの写真を剥がした。


 そう言えば、俺とひまりのツーショット写真ってないんだなあ。

 俺と彼女の関係って、そんなもんだったんだなとしみじみ思う。


「写真は捨てちゃう?」

「んー……」


 ひまりが悩んでいる。――良かった。即答で「捨てる」と言われなくて。


「しまって!」

「そっか。じゃあ机の引き出しに入れておくね」


 先生は微笑むと、俺から写真を受け取り、上から2番目の引き出しにしまった。



「げーむやりたい!」

「じゃあリビングに行きましょうか」


 紫乃は【黒鉄の武士】の筐体まで、ひまりを連れて行く。


「すごい!」


 ひまりは、自分の力で車いすからコックピットに移る。


「じゃあ使い方を教えますね」

「わかる!」


 ひまりはシートベルトをし、ジェネレーターを起動させた。


「お、よく憶えていたな」


 確か1回しかプレイしていないはずだが?

 変なとこだけ、記憶力が良いからなのだろうか?


 ひまりはカイザーシュニット(笑)を呼び出し、トレーニングモードを始める。

 携帯ゲーム機でちまちま操作するより、レバーの方が扱いやすいようだ。そんなに動きは悪くない。


「へえ、たいしたもんだな。初心者相手なら、勝てるかもしれないぞ」

「はい……でも、世界大会は無理そうですね……」


 紫乃の言うとおりだ。

 今のひまりの腕前では、予選敗退確実である。

 正直、約束を果たすのは、不可能に近い。



「うー!」


 ひまりがバンバンとコックピットを叩く。

 上手くできないことへの苛立ちだろう。


「ひまりちゃん、壊れちゃうでしょ!」

「うえーん!」


 ひまりが泣いてしまった。


「大丈夫、すぐできるようになるさ」


 俺はひまりの頭を撫でた。


「うー!」


 ひまりは俺の手を払いのける。やれやれ。



「カイザーシュニット(笑)は、玄人向けの機体構成だ。もっと扱いやすい機体にしよう」


 俺はバランス型の機体を一つ作製し、それに切り替えてやった。


「動かしてみろ、ひまり」


 ひまりは、再びトレーニングモードを開始する。

 先ほどよりも、いい動きだ。


「きゃははは!」


 ひまりは楽しそうに笑う。

 それを見て、俺達は微笑んだ。




 ひとしきりゲームで遊んだ後、ひまりは紙に何かを書き始めた。

 のぞくとめちゃくちゃ怒るので、何を書いているかは不明だ。


「多分お手紙だと思います。ひまりちゃんは、文章の方が上手く自分の気持ちが伝えられるんです」


 ひまりは、言葉が浮かぶまでに時間がかかってしまうので、会話が上手くできない。

 だが、手紙ならじっくり時間をかけて、自分の気持ちを伝えることができる。



「書き終えたみたいだぞ」


 ひまりがチラチラと紫乃を見ている。


「終わったんですか、ひまりちゃん?」

「うん。おへやいきたい」


「分かりました」


 紫乃がひまりを部屋へ連れて行く。

 手紙は置きっぱなしだ。読んでいいのだろうか?


「読んでみる?」

「そうですね」


 紫乃も戻って来たので、3人でひまりの手紙を読む。




 みんなありがとう。

 ばかになっちゃった、あたしのめんどうをみてくれて。

 さくらこありがとう。

 しのありがとう。

 おとこのひとと、いもうともありがとう。


 でも、おとこのひとはきらいです。

 かおをみただけでかなしくなります。

 なんででしょう?

 なにか、たいせつなものをなくしたかんじがするのです。


 でも、あのひとと、げーむをやるために、めがさめたきがします。

 もっとじょうずになりたいです。




 俺達は一言も言葉を発することなく、手紙を繰り返し読んだ。

 最初に紫乃が泣き始め、その場を去る。

 その次は先生。



 最後まで残った俺は、一人でまた何度も読む。



「ひまり……絶対、世界大会に出ような……」

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