第55話 リハビリ

「はい、頑張ってください!」

「しっかり膝に力入れて」

「そうだ、いいぞいいぞ」


 ひまりは、紫乃に介助されながら、車いすに移る練習をしている。

 いざという時に力がいるので、本当は俺がやった方がいい。

 だが、俺に介助されるのを嫌がるので、応援してやることしかできないのだ。


「はい、頑張りましたー」

「よくできたね」

「偉いぞひまり」

「うー」


 無事車いすにうつる。

 最近は声を出すことも増えてきた。良い兆しだ。早くあのやかましい声を聞きたいものである。



「じゃあ、今度はベッドに戻りましょうねー」


 紫乃はひまりを立たせようとする。

 この瞬間が一番危ない。俺はいつでも助けられるよう、そばに寄る。


「――あっ!」


 ひまりがバランスを崩し、倒れかける。

 俺は急いで彼女を支えた。


「――悪いなひまり。でも転ぶよりはマシだろ?」

「うー……!」


 やっぱり怒ってるな。アタシに触るなってか?

 俺は一旦、ひまりを車いすに座らせる。


「もー、ひまりちゃん! 助けてもらったのに、そんな顔しちゃダメです!」

「ひまり、ありがとうでしょ?」

「うー!」

「ははは! すっげー、怒ってる!」


「どうして先輩にだけ怒るんでしょうね? 理学療法士の男の人に触れられても、全然怒らないんですよ?」

「俺がキモいからじゃないか?」

「八神君はキモくないから。照れてるだけなんじゃない? この子、素直じゃないとこあるから」


 それだったらいいのだが、おそらく違うだろう。

 瑠璃川三姉妹は照れると、すぐ顔が赤くなるという特徴があるからだ。

 と言うか、目つきで、明らかに俺を嫌悪しているのが分かる。


「ひまり、俺のどこが嫌なんだ? 顔か?」


 ひまりはぶんぶんと首を横に振る。

「性格か?」「声か?」と色々と聞いてみたのだが、どれも違うらしい。


「じゃあ、なんなんですか?」


 ひまりは「うー……」と、しばらく唸った後、自分の胸を指し、手でバツを作った。


「胸がダメ? ひまりの?」


 ひまりは、うんうんと先生にうなずく。


「うーん、よく分からないな……」

「あー、あー」


 ひまりは「幼児用の絵本を取って」とジェスチャーで示す。

 俺は棚に置いてあった絵本を取り、ひまりに渡した。


「う」


 ひまりは自分で絵本を開き、悲しんで泣いている人の顔を指差した。


「悲しいの? 八神君がいると?」

「あー」


 ひまりはこくこくとうなずく。


 そうなのか……俺がそばにいると悲しくなってしまうのか……。

 だから避けているんだな。


「……俺って来ない方がいいのかな?」


 ひまりは、ブンブンと力強く首を縦に振った。


「もう! ひまりちゃん!」

「ん……ひまりにとって、良い刺激になってるかもしれないよ?」

「だと、いいんですが……」


 逆に俺の存在が、ひまりの回復を鈍らせているとしたらどうしよう?

 ちょっと、真剣に考えてみた方がいいか?


 俺の表情を見て、紫乃が何か察したようだ。

 手をぱんっと叩いた。


「そうだ! ちょうど車いすに乗せていますし、お散歩しましょう!」

「いいね。行こ行こ」



 俺達は屋外へと出て、中庭を散歩する。

 今は夏休み真っ盛り。暑い……。


「あっ、あっ」


 ひまりは蝶々を目で追いかけている。


「そういえば、お前って毒グモについてやたら詳しかったよな? 昆虫が好きなのか?」


 ひまりは俺の問い掛けを無視し、蝶を追いかけ続ける。


「……そういう訳ではないと思う。この子、いびつな知識を持つ子だから。特定のことだけ、変に詳しかったりするの」

「そうそう、アメリカの首都を知らないのに、オクラホマ州の歴代州知事は全員言えるんですよねー」


 なんだそりゃ。本当変な奴だな。


 ふとひまりを見ると、蝶を追うのをやめ、木陰で携帯ゲーム機で遊ぶ子供をじっと見ている。


「ゲームに興味があるのか?」

「あう」


 どうやらそうらしい。

 以前のひまりは、ゲームにまったく興味がなかったはず。趣味趣向が変化してしまったのだろうか?


「じゃあ、ちょっと近くまで行ってみましょうか」


 俺達は画面をのぞける位置まで近づく。



「――お、【黒鉄の武士】の携帯版じゃないか」


 俺や紬、紫乃も持っている。

 それにしても、あんな子供がプレイしているとは。将来有望だ。


「うー!」

「お、やりたいのか?」


「うー! うー!」


 どうやら、そのようだ。


「じゃあ買ってきてやるよ」

「待って八神君。いいこと考えた」




 俺達は病室に戻る。


「いいひまり? 八神君の介助を認めたら買ってあげる」

「うー!」


 なるほど……交渉材料にするのか。さすがは先生。大人の汚さを容赦なく使う。

 しっかしひまりの奴、本気で怒ってるな。こりゃ駄目か?


「どうするひまり? 私はどっちでもいいよ?」

「うー……」


 しばらく考え込んだ後、ひまりはあきらめたように首を縦に振った。


「やりましたね、桜子ちゃん!」

「じゃあお願いね、八神君」

「ありがとうございます。――じゃあ、ベッドに移ろうか。ひまり」


 俺はひまりに手を貸し、立ち上がらせる。

 そして、バランスを崩さないように気を付けながら、ベッドに腰掛けさせた。


「よくできたな、ひまり」

「う!」


 怒ったひまりは、布団にもぐりこむ。

 俺をシャットアウトしているのだ。


「じゃあ買いに行こうか、八神君」

「はい」

「私はここで待ってますね」



 俺は先生を連れ、バイク駐輪場に向かう。


「……私の嫉妬深さは分かってるでしょ? 本当はね、颯真にひまりの介助してほしくないの」

「先生……」


「でも、ひまりに良くなってもらいたい気持ちは本当。だから姉らしく頑張ってみた。――私って偉い?」

「はい、とっても」


「あはっ、嬉しい。――きっと、紫乃も同じ気持ちだと思う。私達って複雑な関係になっちゃったね」

「そう……ですね……」


 これが青春というやつなのだろうか……。



 俺は先生を後ろに乗せると、ゲームショップへと向かった。

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