第53話 インターハイ

 1学期の終業式と同時に、代表選手を激励するための壮行会が、体育館で開かれた。


 インターハイに出場できる者は、極めて少ない。

 今年毛輝毛路須高校から出場できたのは、俺と男子バドミントン部だけだ。

 市ヶ谷先輩もブロック大会で敗退した。


 代表選手と顧問が壇上に上がり、一人ずつ抱負を語っていく。



 バドミントン部が終わり、桜子先生がマイクを持った。

 俺は彼女の横顔をじっと見つめる。


 先生はおとなしくて、感情の変化に乏しく、俺と同じ不器用な人だと思っていた。

 だが、それはまったくもって誤りだったのだ。


 あのポーカーフェイスの下には、結構な感情が渦巻いている。よく言えば女っぽい、悪く言えば嫉妬深いといったところだろうか。

 それを一切感じさせないあたり、彼女はまさに女優である。



「――はい、八神君」

「あ、はい」


 いつの間にか、俺の順番が来ていたようだ。

 俺は先生からマイクを受け取る。


 話す内容は決めている。この手のものは長々と語るものじゃない。言葉が薄っぺらくなる。


「2年D組八神颯真、陸上部1,500m及び、5,000m走代表です。クラスメイトの瑠璃川ひまりとの約束を果たすため、必ず二つの競技で1位をとります」


 大きな拍手が鳴り響く中、生徒会の役員がマイクを受け取りに来る。


「素晴らしいスピーチでした。八神君」

「ありがとうございます」


 役員が司会者の立ち位置へと戻った。


「それでは生徒のみなさん、改めて大きな拍手を!」


 全校生徒の拍手を浴びながら、俺は壇上から下りる。



 ひまり、絶対に勝つからな。

 そしたら、目を覚ましてくれよ。




 インターハイ当日。


 観客席には大勢の応援団が集結していた。

 わざわざ、こんな辺鄙な場所まで来てくれたことに感謝だ。


「兄上ー! 紬に勝利を捧げてくださいですー!」

「せんぱーい! 絶対に勝ってくださーい!」

「八神ー! 負けたら承知しねーぞー!」

「圧勝しろ! 圧勝!」

「八神氏ー! ヴィクトリーロードを走り抜けて下さい! ソイヤソイヤ!」

「颯真ぁ! 男じゃあ! 男を見せい!」

「フレ! フレ! 颯真! フレ! フレ! 颯真!」



 俺は紬たちに手を挙げ、1,500m走のスタートラインにつく。


 俺は、この競技に出場するたび、スポーツテストの持久走を思い出す。

 なぜなら、あれが陸上部の入部のきっかけだったからだ。

 もしあそこで、桜子先生に「本気を出して」と言われなければ、俺はここに立っていない。


 俺は体をほぐしながら、他の選手を見る。

 本気でインターハイ優勝を狙ってからは、他校の選手もきっちり調べ始めた。

 彼等はみんな、地元で天才と呼ばれている者達だ。


 当然、俺もその一人である。

 だが――



「俺が一番の天才だ」


 誰にも負ける気がしない。



「オン・ユア・マークス」


 号砲が鳴り、一斉に選手が走り出す。

 俺は中盤よりやや前方をキープして走る。


 練習で色々試してみて分かったのだが、俺は終盤でスプリントをかけた方がタイムがいい。なので、体力を温存しておく。


 と言っても、速さがこれまでとは段違いだ。

 正直、現時点でもかなり全力に近く、温存できるほどの余裕はない。



 周を重ねるごとに集団は分裂し、列は伸びていく。

 俺は徐々にペースを上げ、トップ集団後方を維持した。



 そしてラスト100m。俺は全力スプリントを仕掛ける。

 だがトップ集団の選手たちも同じように、ペースを上げてきた。

 そのため、なかなか差が縮まらない。


 残り約50mの地点で、ようやく1人を抜かす。あと2人。


 残り20m、2人目を抜かす。あと1人!


 残り10m、まだ抜かせない。


 残り5m、やっと並んだ。

 だがスタミナに限界が来ている。これ以上このペースで走れない……!



 ――いや、走れる! 俺の本気はこんなもんじゃない!

 俺は最強の陰キャ、八神颯真だ!



 ゴール。

 俺は結果が表示されるモニターを見上げる。




『1 716 八神颯真 毛輝毛路須 3:44:87』




「っしゃああああああああ!」


 俺は応援団に向かって、右拳を突き上げた。




 2日後の5,000m走。

 もはやまったく負ける気はしない。


 俺は最後まで力を溜めに溜め、ラスト100mで一気に爆発させる。


『1 716 八神颯真 毛輝毛路須 13:37:52』


 こうして俺は、約束どおり2種目1位を達成した。



 閉会式終了後、即新幹線で帰り、ひまりの病室へと凱旋する。


「ひまり! 1,500mと5,000m両方で1位をとってきたぞ!」


 俺は彼女の手を握る。耳から伝わらくても、こうすれば心で伝わると思ったのだ。




 だがひまりは何も反応を示さない。


 そのことに、俺はショックを受ける。

 自分の中で勝手に、インターハイで優勝すれば、ひまりの目が覚めると思っていたのだ。


「そうだ……これをやるよ……」


 俺は2枚の金メダルを、ひまりに握らせた。


「1枚だけでも、お前の書道金賞よりすごいんだぞ。それが2枚なんだぜ?」


 ひまりの手からメダルが落ちる。


「ひまり……祝ってくれよ……お前のやかましい声でさ……」


 俺はひまりの頬を撫でた。




「ひまりちゃん、起きませんか?」


 俺は後ろを振り返る。――紫乃と桜子先生だ。


「ああ……」

「ひまりちゃんは欲張りだから、インターハイ優勝だけじゃ満足してくれないのかもしれませんよ?」


 紫乃は「うふっ」と笑う。

 ちょっと落ち込んでいた時に、この笑顔はありがたい。俺を励まそうとしてくれたのだろう。


「そうか……【黒鉄の武士】で、世界1位をとらなくちゃいけないんだったな……」


「そうなの?」

「『そうなの?』って、ここで見せたじゃないですか」


「イライラするから、ちゃんと見てない」

「もう、桜子ちゃんは……。ほら、これです」


 紫乃は先生に1枚の紙を手渡した。


「『【黒鉄の武士】の世界大会に●●と出場して、優勝する!』か……これは無理……」

「確かに……俺と一緒に参加しないと、駄目な感じですもんね」

「困りましたね……先輩だけで勝っても、約束を果たしたことにならない訳ですか……」



 俺はひまりの手を握ったまま、彼女に語り掛ける。


「……ひまり、お前が起きてくれないと約束が果たせないんだ。カイザーシュニット(笑)も、お前を待ってるぞ」


 俺がそう言葉を発した瞬間、先生と紫乃が噴き出した。

 ひまりの機体名は何回聞いても面白いのだ。正直、俺も自分で言ってて笑いそうになってしまった。



 ひまりが紫乃を睨んだ。


「……え?」

「ウソ……」

「にゃにゃにゃにゃにゃにゃー! 先生! 姉が! 姉がー!」


 紫乃が慌てて病室を飛び出す。


「ひまり! 目が覚めたのか!」

「大変! パパに電話しなくちゃ!」


 先生は急いでスマホを取り出した。

 ひまりは、そんな先生をぼーっと見ている。




 その後の検査で、ひまりは手足を満足に動かすことができず、言葉も話せないことが分かった。

 覚悟はしていたが、それがいざ現実となると、やはり辛いものがある。


 だが、リハビリである程度回復できるかもしれないとの話だし、そもそも意識が戻っただけでも奇跡的なのだ。ここは素直に喜ぶべきだろう。



「ひまり、私のこと分かる?」


 ひまりは、先生にふるふると首を横に振る。

 喋ることはできないが、こちらの言っていることは分かるのだ。


「じゃあ私のことは分かりますか?」


 再びひまりは、首を横に振った。


「じゃあ俺はどうだ?」


 ひまりはじっと俺を見ると、不機嫌そうな顔で首を横に振る。



 その後、親友の北原や小松、クラスメイトが試したが、結果は同じだった。

 どうやらひまりは、人物の記憶を失ってしまったようだ。


 だが、記憶の奥底に何かあったのだろう。

 まずは桜子先生と紫乃、次に両親、その次は北原と小松といった順に、少しずつ笑顔を見せるようになっていった。


 実に明るい話だが、一つだけ懸念がある。



 ひまりは、俺にまったく笑顔を見せてくれない。

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