最終章 そして最強へ

第54話 忘れられた男

 正確に言えば、笑顔を見せてくれないというより、明らかに俺を嫌っている。

 俺が話しかけると、辛そうな顔をするのだ。

 ひどい時は布団にくるまって、俺をシャットアウトする時もある。

 これはマジでへこむ。


「おはよう、ひまり」


 子供用知育玩具で遊んでいたひまりは、手を止めて俺を睨んだ。


「そんなに睨まないでくれよ。――俺が嫌いか?」


 ひまりは、こくこくとうなずく。へこむわー。

 まあ以前のひまりも、最初は俺のことを嫌っていた。振り出しに戻っただけと思うとしよう。


「あんなに先輩のこと好きだったのに、全部忘れちゃうなんて、本当お馬鹿さんですね。ひまりちゃんは」

「お、紫乃。来たのか」


 ひまりは紫乃を睨んでいる。

 馬鹿と言われたことに怒っているのだろう。


「デートの待ち合わせ時間、9時間前に出発しちゃうほど、先輩のことが好きだったんですよ?」


 紫乃の話を聞いたひまりは、じっと俺を見た後、ぷいっと顔を背けた。


「ふふっ、嫌われたもんだな。1回目の家庭教師を思い出すよ。――なあひまり、俺はお前の家庭教師だったんだぞ?」


 ひまりは一旦俺を見た後、紫乃をじっと見る。

 こいつの言ってることは本当か? と確認しているのだろう。


「本当です。小学生レベルから教えてくれたんですよ? こないだのテストで満点とれたのも、先輩のおかげです」


 知能レベルを検査するため、ひまりは様々なテストを受けている。

 その結果、計算能力や知識は、特に問題無いことが分かった。


「だから、ちゃんとお礼をしましょうね。ひまりちゃん」


 ひまりは俺にぺこりと頭を下げた。

 初めて見せてくれた好意的な反応だ。これは嬉しい。


「偉い偉い、よくできましたね。じゃあ、これをあげましょう」


 紫乃は鞄から本屋の袋を取り出すと、中から一冊の絵本を手に取り、サイドテーブルの上に置いた。


 ひまりは笑顔を見せ、絵本を手に取ろうとしたが、ボトッと落としてしまう。まだ満足に手足を使えないのだ。



「ひまり、私が読んであげるから」

「――あ、先生」


 桜子先生も来た。

 先生は絵本を拾うと、ひまりの隣に座り、絵本を読み聞かせる。


 今のひまりは、ほとんど何もできない。

 食事を一人でとることはできないし、トイレもできない。移動はすべて車いすだ。


 俺はひまりから視線を逸らし、紫乃の持っている本屋の袋に目を移した。


「紫乃、他にも本を買ったのか?」

「うふふ、ゲーム雑誌です。【黒鉄の武士】の特集があったので」


「すっかりゲーマーになったな。――ちょっと見せてもらってもいいか?」

「はい、どうぞ」


 雑誌を受け取り、【黒鉄の武士】の特集ページを開く。


「お、【クッキー・マジシャンズ】が紹介されてるじゃないか」

「あ、私にも見せてください!」


 紫乃が俺の隣に来て、のぞきこんでくる。

 そして、さらにもう一つ影が……。


「――おおっ。――興味あるのか、ひまり?」


 俺の持っている雑誌を、じっとのぞきこんでいる。

 俺はサイドテーブルの上に、雑誌を乗せた。



「すごい真剣に見てるね」

「きっと、メモに書いたことを憶えているんですよ……! そうですよね、ひまりちゃん?」


 ひまりは完全に紫乃を無視して、【クッキー・マジシャンズ】の情報を食い入るように読んでいる。

 もしかして、本当に紫乃の言うとおり、憶えているのだろうか?

 確かにひまりの意識が目覚めた時も、【黒鉄の武士】の話題を出した時だったが。


「ひまり。お前の家には【黒鉄の武士】の筐体が2台もあるんだぞ? 退院したら、一緒にプレイしような」


 ひまりは俺を一瞥すると、すぐに雑誌に目を戻す。

 そこは、うなずいて欲しかったなあ。



「あ、そうだ! 今日はこれも持って来たんです!」


 紫乃は缶箱をサイドテーブルの上に置き、蓋を開けた。

 ひまりは興味深そうに、中をのぞく。


「これはひまりちゃんの宝箱です。――はい、まずはこれ」


 紫乃は石ころを取り出し、ひまりに手渡した。



「――お、見てる見てる」

「うふふ、裏側には顔が描いてあるんですよ」


 紫乃は石を裏返す。


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 気色悪い笑顔を見たひまりは、ニコッと八重歯を見せて微笑んだ。


「嬉しそう! じゃあ次はこれです!」


 紫乃は、メモをサイドテーブルの上に置いた。

 ひまりはメモの内容を上から順に目で追っていき、一番下までいくと、また上に戻る。それを何度も何度も繰り返した。


「まだ達成できてないことが、いっぱい残っています。全部できるように頑張りましょうね?」


 ひまりは、うんうんとうなずく。


「じゃあ、これは大切にしまっておきましょう」


 紫乃は石ころを手に取り、箱の中に入れようとした。


「うー……」

「お、怒ってるぞ」

「石を渡してあげた方がいいんじゃない?」

「こんなに怒ったのは初めてですね。はいどうぞ」


 紫乃は再び、ひまりに石ころを手渡した。

 ひまりはニコリと笑う。



「とっても大事なものなんですね……ひまりちゃん……」

「良かったね、八神君……。ひまり、忘れてないよ?」


「はい……本当に……本当に、良かったです……」


 目から涙が溢れ出すのを、俺はこらえることができなかった。

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