第9話 三女紫乃
夜。瑠璃川邸にて。
「――つまりこの場合は、この公式を当てはめ…………はあ……」
俺は大きなため息をつき、独り言をやめた。
ひまりは教科書すら開いておらず、普通にファッション雑誌を読みふけっている。
今日は研修があるとかで、桜子先生の帰宅が遅い。
見張り役がいないと、ひまりは俺の授業を完全に放棄する。
大抵は自室にこもってしまうので、こうしてリビングにいるだけでもまだマシな方だ。おそらく今日は機嫌がいいのだろう。
ひまりが不意にスマホを見た。
「やっばー! もうこんな時間! じゃあ行ってくるからー!」
ひまりはテーブルの上に5千円札を置いて、外に出掛けようとする。
「おいおい、どこに行く?」
「
将吾? ああ、鬼頭省吾か。ちょいワル気取りの、なんちゃって不良だな。
進学校であるうちの学校には、ガチのワルなどいない。ただのカッコつけである。
それでもなんとなく強そうに見えるせいか、クラス内のカーストは上位だ。
取り巻きも多く、ひまりもその中の一人……と言うか、付き合っているという噂を聞いたことがある。
まあ実際お似合いの2人だ。さっさと子供をこさえて中退して欲しいものである……が、俺の授業は受けろ。
「せめて家の中には居ろって。先生が帰ってきたらどうすんだよ?」
「うっさいわよ! ――いい? 女はね、アンタみたいに根暗で、キモくて、弱い男の言うことなんて絶対聞かないの! よく憶えときなさい!」
ひまりはそう捨て台詞を吐くと、玄関のドアを勢いよく開けて外に飛び出してしまった。
「うふふ、今日もダメみたいですね先輩」
背後から声を掛けられた俺は、ビクっと振り返る。
茶髪ショートの可愛い女の子、
俺と同じ毛輝毛路須高校に通っており、年は俺の1個下の1年生。瑠璃川三姉妹の末っ子である。
彼女は入学早々、サッカー部のマネージャーとなった。どうも爽やかイケメン一条狙いで入部したらしい。
その容姿と愛らしい性格(俺の前では凶悪だが)のため、入部してから2週間足らずで、上級生3名から告白されたと聞いている。
全員見事に玉砕したそうで、ウチのクラスの吉田もその一人だ。
「紫乃か……どうすればいいと思う?」
「ちょっと、やだやだ! 名前で呼ばないでください! 私との距離を縮めようとしてますよね!? ごめんなさい! キモいんで無理です!」
紫乃は深々と頭を下げる。
もしかして今俺は振られたのか?
だとしたら人生初振られになる。告白してないのに……何だか、すごく損した気分だ。
「じゃあ何て呼べばいいんだよ? 瑠璃川じゃ区別できないだろ?」
「三女でいいです! 三女で!」
そんな呼び方する奴いるか? まあいいか、本人がそれで良いと言うのだから。
「おっけー、三女な。――なあ三女、どうやったらひまりは授業を聞いてくれると思う?」
「ひまりちゃんは面食いなので、イケメンに生まれ変われば、いけると思いますよ!」
「暗に死ねと言うなよ……お前、ひまりより性格悪いな……」
「ちょっと、やだやだ! 私のこと分析してる!? つまり興味があるってことですよね!? 本当ごめんなさい! キモいんで無理です!」
再び紫乃は頭を下げてくる。
これで、振られた回数が2回になってしまった。
「じゃあひまりもいなくなっちゃったし、帰るから。少し黙っててな」
「はい! お早目にお願いしますね! 先輩と家で2人きりっていう状況が、本当にキモいんで!」
「分かった分かった!」
瑠璃川三姉妹のうち、俺をまともに扱ってくれるのは先生だけだ。
桜子、マジ天使である。
ガチャン。玄関のドアが開いた。
「ただいま」
「桜子ちゃん、おかえりなさい!」
噂をすればなんとやら。先生が帰って来た。
彼女はリビングを見渡すと、俺に目を向けた。
「ひまりは?」
「鬼頭達と遊ぶと言って、出て行ってしまいました」
「授業の途中で?」
「ええ……まあ……」
桜子先生は、ため息をついた。
「連れ帰って。じゃないとバイト代は支払えない」
[1、ひまりを連れて帰る]
[2、「そんなことより、スケベしようや?」桜子を部屋に連れて行く]
[3、「そんなことより、スケベしようや?」紫乃を部屋に連れて行く]
ふざけんな……!
2、3は問題外。1一択な訳だが、あいつを連れて帰るなんて、絶対無理だ。
……だがやらなければ、災いが降りかかってくる。
「分かりました。でも俺一人の力じゃ難しいかもしれません」
「じゃあ、紫乃を連れて行っていいよ」
「ちょっと、やだやだ! 八神先輩と2人きりなんて、キモすぎて無理です! 本当ごめんなさい!」
紫乃は桜子先生でなく、俺に頭を下げてくる。
これは、また振られたということになるんだろうか?
「……じゃあパパに、あのことチクるよ?」
「分かりました! 紫乃、頑張ります! さあ、先輩行きますよ!」
紫乃は俺の背中をグイグイ押す。
さてはこいつ、相当なことをやらかしたな……。
こうして俺は、紫乃と一緒にひまりを連れ戻すこととなった。
「ひまりちゃんは、ドンキー・ホーテイにいるそうです!」
紫乃が直接ひまりに電話してくれたおかげで、居場所をつかむことができた。
これだけでも、かなりありがたい。
「助かったよ三女。ありがとな」
「ひえっ! もしかして私を口説こうとしてますか!? 何度も言いますが、本当ムリですごめんなさい! でもその熱意だけは認めます!」
よく分からんが、勝手に認められてしまった……。
おかしな発言を繰り返す紫乃だが、ひまりと違って別に馬鹿ではないらしい。
それ相応の学力を持っているそうだ。桜子先生がそう言っていた。
俺達はドンキー・ホーテイに向かう。
「なんで世の不良どもはドンキーに集まるんだろうな? あそこには連中を惹きつける何かがあるのか?」
「キラキラしたものが売ってるからじゃないですか? ほら虫って、光に集まる習性があるじゃないですか?」
「本当お前、口悪いな……」
「ちょっと、やだやだ! 『口は悪いけど、そこが可愛いんだよな』って思ってますよね!? マジキモいです! でも確かにそこが、私の強力な武器だと思っています!」
「はいはい、そうだな」
俺は適当に返事しながら、ドンキー・ホーテイの駐車場を横切って行く。
「――ん? あれは?」
駐車場の隅に、複数人の若者がたむろっているのが見えた。
「あ! 多分あれじゃないですか! ひまりちゃんの、ウザくて癇に障る声が聞こえたような気がします!」
おお、さっそく見つけたようだ。ラッキーラッキー。
「なあ三女、アイス奢ってやるから、ひまりを説得してくれないか?」
「私、お金には困ってないです」
そうだった。
父親が名士で、タワーマンションの最上階に住み、1回5千円のバイト代をポンと払える瑠璃川家の人間が、アイスごときで動くはずがないのだ。
「でもまあ、さっさとおうちに帰りたいのでいいですよ。先輩と二人きりの時間を少しでも短くしたいので」
「おお、それは助かる」
もはやこの程度の悪口は、まったく意に介さない。
と言うより、期待値が低すぎるせいで、ちょっと素直な態度をとられただけで可愛く思えてくる。
俺と紫乃は、駐車場の隅に向かって歩みを進める。
そして彼等の顔が見えるくらいまで近づいた時、これがかなりマズい状況であることが分かった。
「――ちょっと、もうやめてよ! 将吾! 将吾! しっかりして!」
「うう……」
ひまりが涙を流しながら、地べたに倒れている鬼頭省吾を揺すっている。
鬼頭の友人である2人も、地面に座り込んでいた。
よく見ると、顔面を殴られた形跡がある。
どうやら、別のグループにボコされてしまったようだ。
「やっば! 警察に通報しますね!」
紫乃がバッグからスマホを取り出す。
その瞬間、スルッと誰かの手が伸び、紫乃のスマホを取り上げてしまう。
「あっ! 私のスマホ!」
「通報対策はバッチリ学習済みだぜ! ぎゃはははは!」
俺は紫乃のスマホを奪った男の顔を見た。
「お前は……!」
忘れもしない!
こいつは俺と座間のオッサンからカツアゲした奴だ!
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