第8話 実戦

 今日も俺は、ひまりへの怒りをサンドバッグにぶつけていた。


「シュシュッ!」


 パパパパパンッ!

 この音を聞くと、なんだかスッキリする。


「今日も良い調子だな八神。じゃあ、おつかれさま」

「おつかれさまです迫田さん!」


 荒暮会長も先ほど帰っているので、ジム内には経験の浅いメンバーばかりになった。

 緊張感が一気に緩む。


 俺はサンドバッグを叩くのを止め、スポーツドリンクをゴクゴクと飲むだけのトレーニングに切り替える。



「おーい、誰かスパーリングやろうぜー」


 リングに上がった中堅メンバーの古賀さんが、他のメンバーをスパーリングに誘う。


「古賀さん、トレーナーか上級者がいない時は、スパーリング禁止ですよ」

「そだっけ? じゃあマスボクシングにしようや。それならいいべ?」


 マスボクシングとは、寸止めのパンチでおこなうスパーリングのことである。

 当たっても、ダメージが小さいので危険性が低い。


「いや、でも……」

「おいおい金子君、チキンだなー! 寸止めなんだから心配ないっしょ!」


「そう言って、いつもガチで殴ってくるじゃないですか!」

「あれはたまたまだって! 今日は大丈夫だからさ! ね?」


「分かりました……」


 初心者メンバーの金子さんがリングに上がる。



 カーン! ゴングが鳴った。

 2人がパンチを打ち合い始めたが、ちゃんと寸止めにしているようだ。これなら安心である。


 ――と、思いきや。


「ぶっ!」

「おっとわりい! へへっ!」


 拳を引くタイミングを誤ったのか、古賀さんのジャブが、金子さんの顔面に入ってしまった。


「気を付けてくださいよ!」

「へいへい」


 再び2人が打ち合うが、また古賀さんのボディブローが入ってしまう。


「うごっ……いい加減にしろよ、この野郎!」


 金子さんが寸止めをやめ、普通にパンチを放った。相当頭に来てしまったのだろう。


「おい金子、やめとけ!」


 他のメンバーから止めが入るも、金子さんはパンチを乱打する。


「お、金子君やる気だねー! じゃあ、こっちも寸止めなしでいくぜー!」


 古賀さんは中級者。初級の金子さんでは相手にならない。

 金子さんはボコボコにされ、ダウンした。



「よーし、次!」


 残酷な笑みを浮かべた古賀さんが、俺達を見回す。


「よっしゃ、座間さんやろうや」

「いや、私はちょっと……」


「大丈夫大丈夫、寸止めだから……ね?」


 古賀さんに睨まれた座間のオッサンは、黙ってリングに上がる。

 そして挑発するためなのだろう。何度も顔面を殴られた。

 だがオッサンは挑発には乗らず、最後まで手を出さなかった。



「古賀の野郎は、会長や先輩方がいなくなると、ああやって後輩をいびるんだ。本当最悪だよ……」


 俺の隣に立っていた関本さんが、ボソッとつぶやく。

 なるほど、今までもこんなことをやっていたんだな。


「会長は、なんで古賀さんを注意しないんですか? あの人のせいで辞めた人がいたかと思うんですが?」

「もちろんいたさ。でも、うちのジムはスパルタだからね。それくらいで辞める根性無しはいらないって方針みたい」


 根性論か。俺の大嫌いな考え方だ。


 と言うか、このジムってマジで厳しかったのか。

 他のジムがどんなものか知らないから、分からなかったな。今のところ、そこまで地獄とは思わないのだが。



「座間のオッサン、大丈夫ですか?」


 鼻血を出しながらリングを降りた座間のオッサンに、俺はタオルを手渡した。


「うん、心配ないよ。ありがとう。――ねえ、八神君。私の仇を……いや、いいや」


 オッサンは俺に「仇を取ってくれ」と言おうとしたのだろう。

 何故言葉を引っ込めた? もしかして、自分の力でやり返そうと思ったのか? だとしたら、このオッサン、ちょっとカッコいいぞ。



「あーあ、つまらなかったな……よし、次! えーと……八神君、おいでよ」


 やはりきてしまったか……で、選択肢が出て、強制的に戦うはめになる訳だ。



 ――が、意外にも選択肢は出てこない。

 つまり俺は、普通に古賀さんとのマススパを断れるということだ。

 であれば、当然やる訳がない。痛い思いは勘弁だ。


「結構です。お断りします」

「八神君まだ若いのにチキンだなあ。……じゃあ、座間さん。もう一回いこうか?」


「え? また私?」


 こいつ……本当最悪な奴だな。


「くそ……俺がやりますよ」

「よしよし、そうこなくっちゃ」


 古賀はニヤリと笑った。


 断ると、オッサンがいたぶられてしまう。さすがにそれは許せることではない。

 俺はリングに上がり、古賀のクソ野郎と向かい合う。



 カーン! ゴングが鳴った。

 俺は寸止めのジャブを打ち、古賀を牽制する。


 奴はそれを上手く避けながら、俺の顔面にジャブを入れてきた。


「ぶっ!」

「おっと、わりぃわりぃ!」


 クッソ……! めちゃくちゃいてえ……!

 顔面を殴られたのは生まれて初めてだ。こんなに痛いものなのか!


 俺はガードをしっかりと固める。

 とりあえず頭さえ守れれば、それでいい。あとは時間切れになるまで耐え忍ぶ。


「腹がガラ空きだぜい!」

「うごっ……」


 古賀の野郎、遠慮なくみぞおちに入れてきやがった。

 呼吸困難と激痛で、俺はその場にうずくまる。


「大丈夫かい! 八神君!」

「まだ時間あるぞ。いけるよな?」


 古賀がニヤケづらで俺を見下ろしてくる。

 いける訳ねえだろ……もうギブアップだ……。

 でもどうせ、選択肢が出てくるんだろ?



 ――が、俺の予想を裏切り選択肢は浮かんでこない。

 ギブアップ可能だ。




「ああ……いける……」


 自分でも理由はよく分からない。いつの間にかそう答えていた。

 俺は痛みをこらえながら、よろよろと立ち上がる。


「八神君! 無理しないで!」


 無理、無理か……たしかにそうだな。

 立ち上がっても、ひたすら殴られるだけだ。まったくもって賢い判断とは言えない。

 だが、こいつだけには、降参したくないという気持ちが沸き上がってしまっている。


「ぶっ!」


 古賀のジャブが顔面にはいった。

 さっきのボディを恐れて、ガードを下げていたのが仇になった。


「へへ、また入っちまった。わりぃな」


 いてえ、めちゃくちゃいてえ。

 こんな目に遭ったら、普通の奴は戦意喪失する。

 となれば、このタイミングで選択肢が出てくるはず。



 ――おかしい。出てこない。降参を認めてくれるのか?

 戦うかどうかは、俺の意思で決めろと?



「おもしれえ……!」


 闘志がメラメラと燃え上がる。


「座間のオッサン、俺が仇討っちゃっていいかな……?」


 オッサンの目が見開く。


「うん! 八神君、あいつをやっちゃってくれよ!」

「よっしゃ! やってやるぜ!」


 俺はグローブを打ち付ける。


「ひひゃひゃひゃ! 迫田さんをラッキーパンチでKOしたからって、調子のってんじゃねえぞ! 初心者のお前が、俺に勝てるわけねえっての!」


 古賀はニヤニヤ笑いながら、ステップで距離を詰めてくる。

 いいぞ、こい! 相打ち覚悟で、お前をマットに沈めてやる!

 そう覚悟した瞬間、古賀の動きがスローに見え始めた。


 左ジャブがくる。

 俺は左手でガードした。うん、良く見えている。


 右ストレートが放たれた。

 大丈夫。このスピードなら避けられる。

 古賀のストレートが当たる直前、俺は頭を左に動かしながら右ストレートを打った。互いの腕がクロスする。

 古賀のパンチが俺の右頬を掠った瞬間、俺は奴の顔面に怒りの鉄拳を叩き込んだ。


 奴はふらふらと2歩歩くと、そのまま後ろに倒れた。



 カンカンカンカンッ! ゴングが鳴る。


「やったー! 八神君お見事!」

「すげー! 一発KOじゃねえか! お前、なにもんだよ!?」

「初心者のくせに、クロスカウンターいれるなよ! 正直嫉妬するわ!」


 俺は右手を挙げ、勝利を喜ぶ。


 今ちょっとだけ、格闘技をやる連中の気持ちが分かってしまった。

 平穏をこよなく愛するこの俺に、こんな野蛮な血が流れていたとは……!



 それから古賀以外のジムメンバーで、火高屋で戦勝記念会をおこなう。

 俺はこの手のものが大嫌いなので断ろうとしたのだが、会に参加するか、ジムメンバーを全員ボコすかの選択肢が出てしまったので、参加するしかなかった。

 まあ、それなりに楽しめたので良かったが。




 そして翌日。


「八神君八神君、古賀君退会したってさ!」


 座間のオッサンが嬉しそうに声をかけてきた。


「ははは! 本当ですか! 根性ないですねあいつ」

「いやー、いいざまぁ見せてくれてありがとね! 何か困ったことがあったら、なんでも相談してよ。はいこれ!」


 オッサンは俺に名刺を手渡してきた。

 なになに? 「エーリッヒ・ソフトウェア プロデューサー 座間好夫」だと?


 エーリッヒ・ソフトウェアは知っている。

 俺がハマっているゲームの制作会社だ。


「……え? 座間のオッサンって、もしかして【黒鉄くろがねの武士】作ってたりします?」


 黒鉄の武士。

 2足歩行型のロボットを操って戦うアクションゲームだ。

 極めて高い難易度と、幅広いカスタマイズが、俺のようなコアゲーマーに大受けし、相当な評価と人気を誇っている。


 中でもオンライン対戦の、3VS3・チームデスマッチは、たびたびeスポーツ大会が開催されるほどの人気コンテンツだ。

 基本努力を嫌う俺だが、このゲームにだけは情熱を惜しみなく注いでいる。


「うん、黒鉄の武士は私の自慢の一作だよ。――もしかして、颯真君やったことある?」

「やったことあるも何も、世界一を狙うガチゲーマーですよ! 俺は【ゴッド・エイト・ブレス】のリーダーですから!」


「ああ! 決勝大会に出場したチームじゃないか! そうかー、まさか八神君がねー! 世界って狭いんだなー!」


 オッサンの顔がぱあっと明るくなる。


 俺の世界ランキングは現在16位。

 去年の決勝大会2回戦目で、世界1位のチーム【クッキー・マジシャンズ】に敗れ、この地位に甘んじている。

 今年こそは絶対に優勝し、世界1位となるのだ。



「よし! じゃあ、颯真君には良いざまぁを見せてもらったし、一つプレゼントしちゃおうかなあ!」

「マジっすかー! 限定版のコンプリートボックスとかですかね!?」


「ふふふ、それはお楽しみということで!」




 そして2日後。


「マ……マジかよ……」


 俺の家の前に停まった2tトラック。

 そこから運び出されたのは、黒鉄の武士の筐体(ゲーセン用)だった。

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