第4話 スポーツテスト

 新学期始まって早々おこなわれるのが、スポーツテストである。

 50メートル走やら、走り幅跳びやら、ハンドボール投げやらをやらされるダルいイベントだ。


 青春の象徴である、汗をかくことが何より嫌いな俺は、当然毎回手を抜いている。

 特に50メートル走は、徹底的に手を抜く。

 なぜなら、これでいい結果を残してしまうと、体育祭のリレーの選手に選ばれてしまうからだ。それだけは絶対に避けなくてはならない。



「ストレッチするから、2人組組んで」


 桜子先生の号令で、クラスのみんなが一斉にペアを組み始めた。

 ボッチの公開処刑の始まりである。


 だが俺は慣れっこだ。いつもどおり1人余ったので、みんなにニヤニヤと笑われながら桜子先生の元へと向かう。


「先生……奇数人数のクラスで、このシステムはやめませんか?」


 いつものセリフを吐きながら、背中合わせをおこなうため、彼女に背中を向けた。

 こうやって先生とペアを組むのは、いつものお約束である。


「ん……う、うん……」


 なんだ? 今日はずいぶん歯切れが悪いな。

 いつもなら、良い感じの毒が効いたセリフを吐いてくるのだが。


 俺は首を傾げながら、背中合わせになった彼女の手を握った。


「あ……」

「どうしました?」


「ん……なんでもない……」

「そうですか? じゃあいきますよ?」


 俺は前屈みになり、桜子先生を背中に乗せた。


「ねえ……この前のこと……」

「この前……? はっ……!」


 しまった! すっかり忘れていた!

 俺は桜子先生を激怒させてしまったのだ。しかも、まったく謝罪をしていない!


「す、すみません先生! あの時は本当に失礼しました!」


 先生の背中に乗せられながら、俺は誠意を込めて謝罪する。


「う、うん……べつにいいけど……あれって冗談だよね?」


「冗談っていうか、呪いです」とは言えない。

 俺は呪いのことを、他人に伝えることができないのだ。


 ――あ、くそ! 脳内に……! ここで選択肢か……!



[1、「冗談な訳ねえだろ? お前の処女膜、俺が予約済みだからな?」]

[2、「は? 本気だし。先生の赤ちゃんルーム、俺が満たしてあげますよ」]

[3、「ハハッ、本気に決まってるじゃないか(浦安の黒ネズミ風に)」]



 これまでで、最低最悪の選択肢だ。特に上二つはキモすぎる。エロゲ主人公でも、こんなこと言わねえぞ。当然3一択だ。


「ハハッ、本気に決まってるじゃないか」


 俺は浦安黒ネズミランドのマスコットキャラ風に喋る。

 ひどいクオリティだ。完全に滑っている。


「むー? 何、その言い方。私のことからかってる?」



[1、「グワッグワッ。そのとおり。(浦安のプリケツアヒル風に)」]

[2、「アッヒョ。だーいせーかい。(浦安のノッポ犬風に)」]



「アッヒョ。だーいせーかい」


 俺はおとぼけた感じで喋った。


 ズダーンッ!


「ぐええっ!」


 桜子先生の背中に乗せられていた俺は、そのまま前へとぶん投げられた。


「内申点マイナス1万点だから!」


 桜子先生はぷくーっと頬を膨らませ、涙目になりながら体育倉庫へと行ってしまった。



「くそ、さらに怒らせてしまった……このままでは俺の公務員への道が……」


 クラスのみんなにクスクスと笑われながら、俺は惨めにのそりと立ち上がる。


「八神の奴、何やったんだ?」

「あの変態野郎のことだろうから、先生のお尻でも触ったんじゃない?」

「えー!? マジキモーい!」


 そんな声を聞きながら、俺は元の場所へと戻った。



 俺は謝罪のチャンスをうかがいながら、各種目を良い感じに手を抜いてこなしていく。

 正直本気を出したところで、たいした結果は出ないと思うのだが、念には念をというやつだ。


 そして、残すところは持久走のみとなった。


 持久力系競技は、俺の最も嫌いな種目だ。

 つらい、しんどい、長い。この競技に打ち込んでいる連中の気が知れない。おそらく全員頭がおかしいのだろう。

 当然俺は全力で手を抜くつもりだ。ジョギングの速度で走れば、それほど息も切れないし、汗もかかない。


 俺は配置につく前に、再び先生の元へと向かう。

 あの怒り方を見て、今日中にしっかり謝っておいた方が良いと判断したからだ。


「……先生、先程はすみませんでした」


 桜子先生は小さな溜息をつく。


「大人をからかっちゃダメ」

「はい、気を付けます」


 まあ、正直なところ気を付けようなどない。

 変な選択肢が出現しないことを、祈ることしかできないのだ。


「じゃあ反省の証として、次の持久走は本気でやって。――手を抜いてること、分かってるから」


 クソッ! バレていたのか!

 ――しかも、選択肢が出てきやがった……!



[1、「俺の全力、見せてやりますよ!」全力で走る]

[2、「これで許してくれないか?」桜子を抱きしめ、キスする]



 2は完全に事案だ。平穏な人生と一瞬でおさらばである。

 となれば、本気で持久走に挑むしかない。


「分かりました。俺の全力、見せてやりますよ!」

「うん、頑張ってね」


 先生はニコッと笑った。――可愛い。



 しかしよりによって、一番ハードな種目である持久走で本気を出さなくてはいけないとは。

 これが垂直跳びや、走り幅跳びだったら、たいしたことなかったのだが。


 俺は自分の不運さを嘆きつつ、スタート位置へと急ぐ。


「どうせ今年もお前がビリだろうな! ゴミ八神!」

「ぎゃはははは! お前、女子よりもおせえもんな!」


 サッカー部の吉田と、野球部の品川が俺を侮辱する。


「はいはい、そうだろうな」


 この手の台詞はもう聞き飽きた。

 初めの頃は本気でムカついたが、今ではちょっとムカつくくらいである。

 さすがに何も感じないという領域には、まだ至っていない。俺もまだまだ未熟なのだ。


「もし俺に勝ったら、豚のようにブヒブヒ鳴きながら四つん這いになって、お前を背中に乗せて校内を練り歩いてやるぜ!」

「ぎゃははははは! そりゃいいや!」

「いや、いいって……俺が得すること、何もねえじゃねえか」


 吉田だけでなく、俺まで恥を晒すことになる。損しかない。


「その代わり、俺が買ったらジュース10本おごれや。――いいな?」



[1、吉田との賭けに乗る。(敗者は必ず支払うこと)]

[2、全裸土下座]



 2は当然却下だ。賭けを無効とするだけに、これほどの代償を支払う訳にはいかない。

 当然1を選ぶのだが、確か吉田は去年、持久走の成績が学年3位だった。勝てるはずがない。つまり、ジュース10本奢るということだ。実に腹立たしい。



「……分かった。いいだろう」

「よっしゃ! ジュース10本ゲットだぜ!」

「お、いいなそれ! おう八神、俺ともジュース10本賭けようぜ?」



[1、品川との賭けに乗る。(敗者は必ず支払うこと)]

[2、全裸土下座]



 俺は品川にうなずく。

 こいつも、かなり持久走の成績は良かったはずだ。

 つまり、俺はジュース20本分の金を失ったということである。

 バイト代1回分の半額以上だ。マジで泣けてくる。




「それでは……位置について……よーい、ドン!」


 桜子先生の合図で、男子全員が一斉にスタートする。


「一条君頑張ってー!」

「絶対1位とってねー!」


 女子達の声援に爽やかな笑顔を返しながら、イケメン一条は颯爽とトップ集団へと躍り出る。

 あいつは持久走学年2位。本当いけ好かない奴だ。



「さて……どれくらいのペースで走ればいいんだ?」


 困ったことは二つある。


 まず一つ目。俺は本気で持久走に取り組んだことがないので、ペース配分がまったく分からない。


 二つ目は、本気を出すの定義がよく分からないということである。


「まさか、最初から全力疾走しなくちゃ駄目ってことはないよな?」


 このあたりは、俺に呪いをかけた、占い師の良心と常識を信じるしかないだろう。

 最速タイムを狙う走り方をすればOKと思いたい。


「となれば、とりあえず序盤は先頭集団にくっついておくか……」


 俺はペースを上げ、陸上部の木野村が率いる先頭集団の元へ駆けていく。


 木野村は陸上部の長距離選手だ。

 もちろん去年の持久走の成績は学年1位。今年もあいつが1位をとるのは間違いないだろう。



「――な!? 八神!?」

「マジかよ!?」

「おう」


 吉田と品川がビクリと俺を見る。

 ビリだと思っていた俺が、この位置に来たのだ。驚くのは当然と言えよう。


「へへ、無理すんなって! 大人しくケツを走っとけ!

「このペースじゃ、1分ももたねえだろ! ははっ!」


 ん? これくらいのキツさなら、まだまだ全然いけそうなのだが?

 というか、もっとペースを上げなくていいのだろうか?


 持久走はたった1,500メートルしかない。

 フルマラソンと違って、そこまで慎重にスタミナを温存させる必要はないと思うのだが?


「試しに仕掛けてみるか……」


 何か戦略があるのかもしれない。

 それを確かめるため、俺はペースを上げる。

 まず品川、吉田を抜かし、続いて一条、木野村を追い抜く。俺がトップだ。


「何だと!?」

「え!? 八神君!?」


 木野村と一条が、驚愕の表情を見せる。


 2人はペースを上げて、俺のすぐ後ろに迫った。

 吉田と品川は、ペースを上げずにそのまま取り残される。

 どういうつもりなのだろう? ラストで一気に捲るつもりなのだろうか? 奴等の戦略がよく分からない。



「――じゃあ、さらに仕掛けてみるとしよう」


 俺はさらにペースを上げた。

 ここまでくると、さすがにちょっとしんどい。

 1,500メートルくらいであれば余裕で走れるだろうが、さすがに息が切れ始める。


 俺は後ろを振り返った。

 ついてきているのは木野村だけだった。

 吉田や品川とは、もう大分差がついてしまっている。さすがにこの距離は、もう巻き返せないと思うのだが? ラストのスプリントに、絶対的な自信を持っているのだろうか?



「さて、残り1周か……多分限界まで追い込まないと、本気判定してもらえないだろうからな。全力で行くか……!」


 俺はさらにペースを上げた。


「おい!? 嘘だろ!?」


 木野村の声が聞こえた。

 俺ももう、後ろを振り返る余裕はない。



 走る。俺は全力で走る。

 そろそろ後続の4人がラストスパートをかけ、俺を追い抜くはずだ。


 残り約100メートル。

 俺は短距離走並のペースまで上げ、スプリントをかける。


 後続がまだ俺を抜かない。おかしい。

 と言うより、俺は周回遅れの集団を追い抜いている。一体どういうことだ?



 ゴール前に固まっている女子の集団が、唖然とした顔で俺を見ているのが目に入った。

 ああ、俺も驚いている。

 おいおい、このままじゃ俺、1位とっちまうぞ。いいのか運動部?

 俺は万年帰宅部なん――



「1位、八神君。わお」



 桜子先生の声が、そうはっきりと聞こえた。

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