3.アドラスヘルム王国女学院

 入学式の当日になった。

 昨日、セリス大聖堂で祈ったおかげか非常に気分がいい。

(時計魔法──うん、そろそろ時間だね……)

 王都の景色を眺めていた窓から身体からだを離し、姿見の前に立った。

 魔法科はローブを象徴とした制服である。

 黒いローブ、白のシャツ、白のラインが入った紺色ジャンパースカート。腰のベルトにはつえを入れるホルスターと、魔法袋をぶら下げる留め金がついている。シャツの第一ボタンの部分にリボンを結ぶのだが、クラス分け後に配付されるため空いていた。

「大丈夫だね」

 ミーリアは鏡に向かってうなずいた。

 日本人であったときと顔の造形が変わっていないので、今でもほとんど違和感は覚えない。異世界に転生したと気づいて四年っている。自分の見た目には慣れた。

(勲章としようもオッケー……めちゃくちゃ目立つね、これ)

 ジャンパースカートの左胸部分に、少女の装飾品らしからぬ龍撃章ドラゴンスレイヤーが輝いている。スターは入学式で1つもらえるのだが、ミーリアは入学前から1つつけていた。

(朝日が染みるぜ……へへっ……さて、行きますか)

 緊張のせいか一人でボケてはそれを放置し、歩き出すミーリア。

 高級宿をチェックアウトすると、ロビーの玄関先でアムネシアが待っていた。

 ごうしやな金髪に、女騎士の象徴であるドレスアーマーを装備している。

 アトウッド家から王都までの二ヶ月間、アムネシアと旅をしてきたおかげで寂しくなかった。彼女との旅は忘れたくない思い出だ。

「ミーリア、また学院で会いましょう。先に行って待っているわ」

 アムネシアが晴れやかな顔で言う。

「はい! 何から何までありがとうございました!」

 深々と頭を下げてミーリアはお礼を伝えた。

 アムネシアは小さな魔法使いを見て、微笑ほほえみを浮かべた。

「ふふ……名残惜しいものね。またすぐ会えるのに」

「学院の職員室へ遊びに行きますね!」

「いつでも来てちょうだい」

 アムネシアは最後に笑うと、表情を引き締めてかかとを鳴らし、胸に手を当てて敬礼のポーズを取った。

「魔古龍ジルニトラの討伐、感謝申し上げます。また、入学誠におめでとうございます。ミーリア・ド・ラ・アトウッド嬢に、セリス神のご加護があらんことを──」

(カッコいい……! アムネシアさんに憧れる人、多いんだろうなぁ!)

「ありがとうございます! アムネシアさんにもご加護があらんことを!」

 ミーリアはアムネシアと満面の笑みを交換した。



 アドラスヘルム王国女学院は王都の東側に校舎を構えている。

 元は百年前にしゆうしゆう家デモンズが設計をし、私財をなげうって作られた出城だ。

 東門を魔物から守護する役割を担っていたのだが、人口増加に伴い人間領域が拡大したため、王都に魔物が現れることはなくなった。

 建築後、蒐集家デモンズは出城を魔改造した。出城を一つの作品として見ていたのか、魔道具の使い方が常軌を逸していたらしい。魔物の脅威がなくなってからは魔改造ぶりがよりひどくなった。

 その結果、ゴーストやらピクシーやら、わけのわからない魔法生物が住み着く城になってしまい、彼が死んでから十年間、誰も近寄れない最悪の物件と化した。

 近年になって浄化や解析が進み、女王が一族から権利を買い取って、女学院として利用する流れとなった。

 出城は千人が住んでも部屋が余る広さだ。

 人口が日に日に増えている王都で、クシャナ女王がこの物件を無視するはずもなかった。

(すごいすごい! ファンタジーだよ!)

 ミーリアが馬車から顔を出した。

 女学院は魔法街と呼ばれる変わり者の集まる区画を見下ろしている。

(赤、黄、白、水色の屋根が見えるね。塔なのかな?)

 複雑怪奇な構造をした出城の城壁の向こうに、鮮やかな色の屋根が見えた。

(上に行くにつれて大きくなってる建物とか……物理法則を無視してるね)

 色々と物申したくなる建物が見える。

 魔法街の大通りへ視線を移せば、学院生の制服を着た女の子がちらほら見えた。皆、胸にリボンをつけていない。新入生だ。

 あの中に未来の友達がいるかもしれない。

「どのスポーツでもデビュー戦は大事。それすなわち友達を作るなら……入学式が重要」

 ぼっち上級者のミーリアは緊張で胸が張り裂けそうである。不安を口に出して心を落ち着ける作戦だ。

 知らない子にどうやって話しかけるかシミュレーションしていると、女学院に到着した。

 女学院の前には新入生をひと目見ようと国民が集まっており、垂れ幕や横断幕に『アドラスヘルム王国女学院入学式』と書かれている。

 貴族も多く入学してくるため、入り口付近は馬車でごった返していた。

 ミーリアは校門の手前で馬車を下り、人混みを縫いながら進む。

 幸いにも人が多すぎて、背の低いミーリアは目立たずに済んでおり、胸についた勲章にも注目されていない。

(これが異世界の入学式。わりとカオス……!)

 ひいひい言いながら人混みをかき分けていると、校門からひときわ大きな声が聞こえた。

「──ミーリア?! ミーリア!」

 聞き覚えのある柔らかい声だ。

 ミーリアはバッと顔を上げて、校門の方向を見た。

 商業科の制服を着た、黒髪の美少女がこちらに駆けてくる。

 二年間、一日として忘れることのなかった、会いたくて会いたくて夢に何度も見ていた、自慢の姉だった。

「お姉ちゃん! クロエお姉ちゃぁぁん!」

 ミーリアは人混みを抜け出し、駆け出した。

 クロエが涙を流して両手を広げた。

 ミーリアはクロエの胸に飛び込んだ。懐かしいぬくもりに全身を包まれる。

「ああ、ああ、やっと会えたわ! 私のミーリア! 無事でよかった……元気でよかった……本当にあなたなのね……」

「お姉ちゃん……! お姉ちゃん……!」

 ミーリアもクロエも、お互いを離すまいとぎゅっと抱きしめ合う。

 黒髪とラベンダー色の髪が重なり合った。

 ミーリアは二年越しに、クロエとの再会を果たした。


 クロエはうれしさが爆発しているのか、ミーリアの頭を抱えて左右に振った。

「ミーリア……ミーリア……」

 はたから見ると可愛かわいらしい仕草であるが、ミーリアの顔はさらにクロエの胸に食い込んだ。

(ぐ、ぐるぢい……)

 やっと出会えた余韻もそこそこに、ミーリアは早くも窒息しそうになっていた。クロエが装着しているスターしようが頰に当たってチクチクと痛い。

「また一緒にいられるのね……お姉ちゃん嬉しいわ」

 周囲から拍手が送られる。

 ミーリアは必死に姉の肩をぽこぽこたたいた。

「よかったな!」「姉妹なのかい?」「わからんけどおめでとう!」「クロエお姉さまがあのような──」「ラベンダー髪の新入生がうらやましい」「その場所を私と代わって!」

 クロエを慕う学院生からはやっかみの声も聞こえる。

 ミーリアがギブアップといわんばかりに強めの一撃をぽこりと決め、クロエはようやく腕の力を緩めた。

「ぶはぁっ!」

(入学式で第二の人生が終わるところだったよ)

 クロエはミーリアの顔をのぞんで、両手を頰に添えた。

「ミーリア、大きくなったわね……」

「はぁ、ふぅ…………うん。五cmくらい背が伸びたよ」

 呼吸を整えてミーリアが言った。

 成長したと言っても、身長は百四十cmだ。

「お姉ちゃんも身長が伸びたね」

「ええ。百六十cmだったかしら?」

「まだ伸びそう。いいなぁ」

「あまり大きくてもね……あら?」

 クロエは周囲が自分たちに注目していることに気づいた。

「おほん」

 軽くせきばらいをすると、眉をぴくりと動かし、何事もなかったようにハンカチで涙を拭いた。

 ミーリアの目もとも、かいがいしく拭き取る。

「さ、ミーリア、行きましょう。しっかり手をつないでちょうだい。転んだら大変だわ」

「あ……」

(これ、いつも言ってた言葉だ。懐かしいなぁ……)

 ラベンダー畑から家に帰るときは、いつもこうしてクロエが手を差し出してくれたものだ。ミーリアはクロエがあの頃から変わっていないこと、本当に再会できたことを実感して、胸が温かくなった。

「はぁい」

 いい返事でクロエの長い指をぎゅっと握る。

「ふふっ」

 クロエは花が咲くような笑顔をミーリアに向けた。最愛の妹を確かめるように握り返し、丸みを帯びたミーリアの頰をつんとつついた。

「もちもちだわ……そう、まるで魔法街で売っている銅貨二枚の餅モッチ焼きのよう……いえ、私はいったい何を言っているの──ミーリアのほっぺたはお金では買えない──金貨を何枚出したって誰にも買うことができない──」

 小言で早口に自問自答するクロエ。

 へへへ、とクロエの指をにぎにぎしていたミーリアが顔を上げた。

「お姉ちゃん?」

「あ……おほん……ごめんなさい。あなたに会えたのが嬉しくって色々考えてしまったわ」

「私もだよ?」

「そ、そうよね! 私も毎日あなたのことを考えていたのよ。さぁ、行きましょう、ミーリア。私が案内してあげる。ええ、そうなのよ、あなたが来るのを毎日待っていたの。誰かに案内係を渡すものですか。学院長にだって渡さないわよ」

(あ……いつものお姉ちゃんだ)

 早口でまくしたてるクロエを見て、ミーリアは姉が変わっていないことに安心した。

(身長も体形も成長して……着実にクロエロスお姉ちゃんになってるね……おとこけスプレーでも開発するか)

 クロエは十四歳、ミーリアは十二歳。ずいぶん成長したものだ。

 二人は校門をくぐった。

「ようこそ、アドラスヘルム王国女学院へ。あなたの入学を歓迎するわ」

 クロエが満ち足りた笑みを浮かべた。

「お姉ちゃん……ずっと王都に来るのを夢に見てたよ……。よろしくお願いします!」

「元気なお返事ね。ミーリアらしいわ」

「そうかな?」

「ええ、そうよ。ミーリアはいつでもミーリアね」

 二人は手を繫いだまま出城の校庭を歩く。

 入学式ということもあり、在院生が新入生を見ようと校庭をぶらぶらしたり、寮の窓から顔を出している。桜桃チエリーピーチが学院内でも咲き誇っていた。

 歩いていると誰かしらと目が合う。

 クロエは顔見知りが多いのか、挨拶をしてくる学院生が多かった。

「こんにちは」「ごきげんよう」「ええ、妹なの」「手を繫ぐこと? そんなに変かしら」

 クロエはそつなく返事をする。

 クールな優等生であるクロエが楽しそうに微笑んでいるのがめずらしいのか、注目度が高い。

 また、ドラゴンスレイヤーであるミーリアとも話したいのか、学院生が一緒に並んで歩こうとするが、クロエがやんわりと、しかし強固な眼力でもってそれを許さなかった。しばらくは愛する妹を独り占めしたいのだ。

「そういえばさ、女学院って何科があるの?」

「ミーリア……あなたそんなことも知らずによく合格できたわね……」

「アハハ……ごめんなさい」

「いいのよ。お姉ちゃんがなんでも教えてあげるから」

 クロエがミーリアの頭をでた。クロエプロの手付きだ。

「アドラスヘルム王国女学院は魔法科、騎士科、商業科、工業科の四科で構成されているわ。各科で制服が違うの。ほら、私はベレー帽、ミーリアはローブをつけているでしょう?」

「あ、そうだね」

「見てご覧なさい。あっちの子は騎士科だから剣を、向こうの子は工業科だから大きなポーチを腰につけているわ」

 魔法科はローブ。

 商業科はベレー帽。

 騎士科は剣。

 工業科はポーチ。

 各科を象徴するアイテムを装着している。

(制服の作りも全然ちがうね。騎士科は腰からマントみたいのをつけてるし、工業科はキュロットスカートに安全靴っぽいのを履いてるよ)

 ミーリアは好奇心があふれてきた。

 今まで暮らしていたど田舎は何も娯楽がなかったため、視覚刺激が強い。

「新入生はこちらでーす! もうすぐ式典が始まります! 集合してくださーい!」

 ひときわ大きな教会のような建物の前で、工業科らしき学院生が呼びかけている。女学院の中央ホールだ。普段なら入ることですら気後れするような、荘厳な建物だ。

「ミーリア」

 クロエが立ち止まって、ミーリアの両肩に手を置いた。

「なぁに?」

「これからクラス分けがあるわ。できれば……同じクラスになれることを祈っているわ」

「クラス? でもお姉ちゃんと私って違う科だよね……?」

(うん? どゆこと?)

「私のリボンの色、何色かしら?」

「水色だけど……」

「ええ、そうなのよ。色違いの塔の屋根が見えたと思うけど、赤、黄、白、水色に振り分けられるわ。クラス……つまり、どの寮に住むことになるか、この後の式典で決まるの」

「え? 科で分けられるんじゃないんだ」

「そうよ。そして一度決まると卒業まで変更はないわ。だから水色……アクアソフィアにミーリアが割り振られることを祈っているわ」

 クロエの目はこの上なく真剣だった。

 ミーリアとしてもクロエと同じ寮であることが望ましい。四色の塔はそれぞれで距離が離れており、クラスが違うと会いに行くのも大変そうだ。転移魔法も誰かに見られたくはないため、近いほうがいい。

「わかったよ!」

「そちらの新入生さん?! もうすぐ式典が始まりますよ~!」

 ミーリアを見て工業科の学院生が言った。気づけば校庭にはほとんどひとがなくなっている。

 クロエが名残惜しそうに手を離した。

「いってらっしゃい。またあとでね。色々話したいことがあるの。聞きたいこともあるし……ほら、魔古龍のこととかね」

「うん! またあとで会おうね。ソナー魔法で探すから待っててね」

「……そうだったわ。あなたってすごうでの魔法使いだったわね」

 クロエがクスクスと笑った。

 こんなに可愛い妹が規格外な魔法使いであることがちょっとしかったのだ。

 ミーリアは照れ笑いをして頭をかき、たっと駆け出した。

「またあとで!」

「前を見て! 転んでしまうわ」

「はぁい」

 ミーリアは入学生の式典会場へと足を踏み入れた。



 クロエはミーリアが中央ホールへ消えるのを見送り、アクアソフィア寮へ戻った。

 部屋には誰もいない。

『クロエへ 喫茶室にいるね』

 クロエは自分の机に置かれたメモを見た。

 同室の友人たちは喫茶室へ行っているようだ。

(ミーリア……ああ、よかったわ……あのどうしようもないアトウッド家から抜け出せて……また会えて……)

 クロエはベッドに寝転がり、ミーリアとの再会をめた。

 長かったのか、短かったのか、判断が難しい二年間だ。

 女学院で様々なことを経験した。友人ができ、同じ志を持つ仲間もでき、人生の素晴らしさを知った。閉鎖的なアトウッド家では体験できなかったことばかりだ。

(あの子……友達ができるかしらね……)

 素直で明るくて、ちょっと抜けているミーリアをクロエは心配に思う。

(変なことを言っていなければいいけど……)

 心配は尽きない。

 しばらく天井を見上げていると、部屋がノックされた。

「はい」

(こんなときに誰かしら?)

 ドアスコープをのぞくと、王宮の文官職が着る制服が見えた。

 クロエはすぐにドアを開いた。

 財務官らしき女性と、警護役の女性騎士が立っていた。

「失礼いたします。アトウッド家六女、クロエ・ド・ラ・アトウッド嬢はいらっしゃいますか?」

「……私ですが……何かありましたでしょうか?」

「おお、よかった。私は王宮財務官のケシャ・ラ・ティンバーと申します。女王陛下から送金の命を受け、参上いたしました」

 財務官、ケシャという女性があんした表情で、一礼した。

 クロエは「送金?」「女王陛下?」と疑問を膨らませつつ、黙って一礼した。

「妹君、ドラゴンスレイヤーであるミーリア・ド・ラ・アトウッド嬢が討伐した魔古龍ジルニトラを、女王陛下がお買い取りなされました。代金はクロエ嬢宛にお届けするはずになっております。こちらにサインを」

「え? 私ですの?」

 クロエの脳内に混乱が吹き荒れる。

 財務官が魔法ペンを差し出したので、クロエは躊躇ためらいながらもサインをした。

「どちらに置きましょう?」

「ええ……では、私の机にお願いしてもよろしいでしょうか?」

「かしこまりました」

 財務官が目配せをすると、女騎士が部屋に入り、両手で抱えていた箱をクロエの机に置いた。

「では、失礼いたします」

「恐縮でございます……お手数をおかけいたしました……」

(買い取り? 受け取り?)

 春風のように財務官と女騎士は去っていった。

 ぽつんと箱だけが残される。

 クロエは嫌な予感をビンビンに感じながら、添えられている書状を見た。

 そして、文章の最後を見て血の気が引いた。

『──金貨二千枚を送金する』

 王家の紋章印付きだ。

(にっ……にせんまいッ?!)

 クロエは素早い動きで箱を開けた。

「──ッ?!」

 中にはぎっちりと金貨が詰められていた。

 現金の威力はすさまじい。金貨二千枚が光り輝いている。

「ああっ! ミーリアッ!」

 美しい声色の叫びが寮にこだまし、クロエはその場にへたりこんだ。

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