五話『奇跡』

レルム歴2015年。11月1日。

「同じなんだ」

「そのようね」

 カキツバタの過去は、少女の過去と重なるものだった。

「フリージア」

「え?」

 唐突な名乗りに、カキツバタは目を丸くする。つい先程まで殺すか殺されるかの瀬戸際だったのだ。当然の反応だろう。

「自己紹介、まだだったから。ボクはフリージア。アンタは?」

「……カキツバタ」

 悠長に自己紹介を始める二人。カキツバタを狙う視線は既に霧散むさんしていた。殺すことに手慣れたとおぼしきフリージアが傍に居るのだ。見た目だけで判断すれば幼い子ども。それなのに老婆すらをも容赦なく踏み台にするというのは、普通ではない何かを感じさせたことだろう。

 そんな彼女が自ら自己紹介を持ちかけたのは、互いに得体の知れない力を手にしてしまったことに対するシンパシーからか。二人の間にただよっていた争いの芽も、摘まれていた。

「『幸せは必ず来る』、ね」

「えぇ。その通り、幸せは必ず訪れるの。他者の幸せを踏み台にしてね」

「懺悔のつもり?」

 その言葉は、こうしている間にも止まない祈りに対して。

「私には、もう、わからない」

 カキツバタの顔は疲れの色が濃かった。手を組み、天を仰ぎ見、涙を流しながら笑う姿は、一種の狂気をはらんでいる。きっと、殺すことに疲れてしまったのだ。

「神の御業に、その奇跡に、私は救われた。神は居るのだと、思い知らされた」

「奇跡、ね」

「そう、奇跡。神は祈りを聞き届けたのだと、私は思ったわ」

 目を瞑り、続ける。

「でも、救いはなかった」

―――

―――

―――

 教会を、あの区域を、抜け出すことに成功したカキツバタは、精一杯の感謝と祈りを天に捧げた。与えられた試練を乗り越えたのだと、錯覚した。

 しかし、人々の間に蔓延まんえんした欲望は、常に弱者を求め続け、留まることを知らなかった。何も知らなければ弱者に他ならない彼女のことを、害そうとする輩は大勢居た。

 だから、カキツバタは彼女を害する者全て、『神』の名の下、殺してきた。

 カキツバタは弁明する。

 悪いのは私ではない。私を害そうとする者が悪いのだと。

 神の裁きがくだされただけなのだと。

 それでも、繰り返される『魔法』の行使は、心に恐怖を刻み込む。死体と成り果てた者の顔に浮かぶ恐怖は、己の手によってもたらされたのだ。

 悪鬼羅刹と成ったのは誰か、その現実を突き付けられる。

 徐々に心が壊れていくことに、気が付いた。

 死体が一つ増える度、笑うようになる。

 笑いながら、涙が流れ始めた。

 笑い、涙し、それでも祈り続け。

 神の正義を、その代行者である己を、信じ。

 これも試練なのだと。

 乗り越えた先に、救いがあるのだと。

 何人目だったかは、思い出せない。

 ただ。

 血で穢れた手に、差し伸べられる救いはないことに、気が付いた。

 だから、今度は殺されるために。

 再び、手を血に染めた。

―――

―――

―――

「だから、これ見よがしに無防備な姿をさらしてたってわけ?」

「そのつもりだったわ。本能が、ソレを許してはくれないのだけれども」

 ソレとは無論、『殺されること』に他ならない。

 『魔法』の発現は、本能に従ってのこと。本能的に死を避けようとしてしまうのだから、いくら無防備であろうと、死を避ける『力』があれば、退しりぞけてしまう。

「わざわざ過去を明かしてくれてありがとう。手を出さない理由が出来たよ」

「それは残念」

 心底残念そうに、カキツバタは言った。彼女は『殺し合い』を望んでいる。殺されるために『殺し合う』のだ。

「道理で、今まで生きながらえて来たわけだ」

「本当はもう、第一皇子や神のことなんてどうでも良いの。それでも、弱者を演じるに相応ふさわしいでしょう?」

「危うくボクも殺されるところだったよ」

「どうかしらね。貴女なら、私を殺せると思うのだけれど」

「どうしてそう言える?」

 カキツバタは視線をフリージアへ向けた。その瞳に浮かぶ色は、恐怖だ。

「言ったじゃない。貴女からは濃密な死の臭いがするって」

「……」

「『普通』の人からは感じ取れないモノを、持っている。だって、『奇跡』を手にしたんですもの」

「……『奇跡』、ね」

 フリージアは苦い顔をしながら眉をしかめる。

「私たちのような人間が生きていられるのは、奇跡に他ならない。それだけは信じているつもり」

「偽りの、その場凌しのぎの力が、『奇跡』か」

「それでも、生きているじゃない」

「……心が壊れて、それでも生きてるって言える?」

「あら、貴女でもそう感じるの」

 カキツバタは意外なモノを見る目で、そう言葉にした。

「心外だね。慣れているだけで、心がないわけじゃない」

「……強いのね」

「強いか弱いかなんて、どうでも良い。結局『生きるか死ぬか』なんだから」

「それを、強いって言うのだと思うわ」

「……この話は止めよう。いい加減目立ち始めて来た」

 かぶりを振り、周囲を一瞥しながらフリージアはカキツバタの手を取った。一瞬躊躇いっしゅんためらった後、カキツバタが差し伸ばされた手を握り返す。

 フリージアの言う通り、周囲には人が集まり始め、弱者を追い詰めるモノではなく、奇異なモノを見る視線が、向けられていた。

「行くアテはあるの?」

「ボクの家は安全だ。……アンタにとって良い気はしないだろうけど、『教会区』の先にある丘は、それなりに静かで、良いところだよ」

 教会区。カキツバタに『魔法』を発現させた、元凶の住まう区域。

 誰に話せば良いのかわからなかったし、そんな話を聞き入れる人間も居なかった。きっと、今でもあの『ビジネス』は続けられている。カキツバタの身体があのときの恐怖を思い出しそうになって、

「少し遠回りをするから安心しなよ。……ボクまで『出荷』されたら堪ったもんじゃないし」

 その言葉は、口調に反し、優しさを湛えていた。シンパシーが、そうさせたのだろうか。握り返したその手は温かく、とてもじゃないが『殺し合い』を続けて来た者のモノとは思えない。

 戦禍に置かれた国で、初めて触れた、他者の温もり。

「いざってときは、ボクが助ける。……それなら平気でしょ」

 フリージアが誰かを助ける、と明言したのは恐らくこれが初めてだろう。己を守ることで必死な人間に、誰かを助けることはできない。その言葉はただの気紛れか、それとも。

「ありがとう。貴女は本当に強いのね」

「……行くよ」

 彼女と一緒ならば、きっと怖くない。カキツバタはそう感じた。

 濃密な死の臭いが、刺すような怖気おぞけが、霧散していく。

 手を繋ぐ形で、二人は歩き始めた。

 商業区は王都の中心にあり、そのまま北に進めば王宮。

 王宮の周囲は城壁に囲まれ、入り口の門には屈強な衛兵が門番として立っている。戦禍に置かれた当初、少なくない民が王家に救いを求め、押し寄せた。しかし王宮には『玉座』が在る。それを失えば、斜陽の差す国に与えられる、わずかばかりの希望すら失うことになるのだ。故に、その門戸は堅く閉じられていた。

「誰かと連れ立って歩くなんて、いつぶりだろう」

「私は昨年の終わり以来の話。貴女は?」

「戦争が始まって一年。家族揃って出掛けたときに、ボクの両親は死んだよ」

「……それからずっと、独りで?」

「誰かを助ける余裕のある人間なんて居ないからね」

「それもそうね」

 王宮に視線を遣る、なんてことはしなかった。

 助けを求めても無駄だということを、知っていた。

 そのことについて、恨む人間も居るだろう。民同士の戦争が起きているとはいえ、少なくとも王都が無事なのは、第一皇子や軍の者が死守しているからだ。それを知っていたとして、納得出来る話ではないのかもしれないが。

 国王の裏切りについての情報は瞬く間に広がった。それに伴い、第一皇子が国王の代理を務めることになったということも。しかし、民に報じられたのはそれだけだ。王宮はそのままだんまりを決め込み、民に手を差し伸べることもなかった。

 商業区から左右に居住区。北西に向かうと、教会区がある。教会区の裏側に小高い丘があり、居住区に比べれば極少数だが、民家が存在していた。フリージアの家は、そこにある。

 教会区の外側を迂回するように歩けば、次第に深緑に彩られた森が姿を見せ始める。石で築かれた無機質な建物や舗装は、柔らかな土と、眩いばかりの陽に当たって命の息吹を感じさせる自然に。

 弱肉強食に突き動かされる狂気を孕むモノは失われ、戦禍であることを忘れさせる、穏やで澄んだ空気。カキツバタはよどんだ空気を吐き出すように深く深呼吸をした。

「良いところね」

「住んでいる人も少ないからね。……『教会』のおかげで良くも悪くも、平和なんだ。アンタにとっては不満だろうけど、ボクたちは助かってる」

「……そうみたいね」

 フリージアは、慣れた足取りで木々を縫うように歩を進める。繋いだ手の先、カキツバタは複雑な表情で辺りを眺めながら。

「何も知らなければ、本当に良いところ」

「知ったからと言って、何も変わらないよ」

「……そうね」

「このルートなら教会付近を通らないから、誰かに見られることもない」

「わかってはいても、不安になるの」

「それなら、殺せば良い。それだけのことじゃない?」

「無理よ。……無理なの」

 あの日植え付けられた恐怖。それにより発現した『魔法』により、カキツバタは強くなった。しかしそれは、『力』だけの話。

 『魔法』の行使による副作用。恐怖を刻み込まれ続けた心は、恐怖への抵抗力が著しく低下する。恐怖を刻み込めば刻み込むほど、一層怯えるのだ。そして、カキツバタの『魔法』はもはや、防衛本能によってのみ行使されるのみとなっていた。自らの意志で『魔法』を行使することができないのだ。

 自身に対して『魔法』による攻撃を行うことはできない。

 だから。

 無防備な姿を晒し、誰かが殺してくれることを望み。

 それでも本能が『魔法』を行使し、一層の恐怖に怯える。

 死を望めば望むだけ、誰かの死がもたらされた。

「貴女はどうして平気なの?怖くないの?」

「……」

 フリージアは答えなかった。彼女だって恐怖を感じている。『魔法』を行使する度、震えていた。だが、それがどうしたと言うのだ。害意は排除しなければならない。

 現実逃避をして死んでいった両親のことを思い出す。

 あんな風にはなりたくないと、強く思う。

 だから、己を害する者であれば、自らの『意志』で『魔法』を行使する。

「あっ、建物!」

 気づけば、木々の先に民家が見える。

「ボクの家だよ。他に人も居ない。この辺りに今も住んでいるのはボクくらいじゃないかな。……みんな、死んだ」

「助けてあげられなかったの?貴女なら出来そうなのに……」

「無駄に消耗していたら、ボクだっていつ殺されるかわからない。そんなのは御免だよ」

「私のことは助けてくれるのに?」

「……どうだろうね」

 フリージアの言った通り、他に人気ひとけはない。促されるまま、木材で建てられた民家に足を踏み入れた。

 本当にこの辺りは平和なのだろう。少なくとも家の中を荒らされた様子はない。静寂だけがただ、った。

「靴は脱がなくて良いよ。いざってときに走れないと困るから」

「そうね。……お邪魔します」

 玄関を抜け、リビング。左手に部屋が二つ、奥に一つ。

 陽が差し込む東向きの窓、その向こうに、王都を一望出来た。

「ふぅ……」

 フリージアは軽く伸びをし、首と肩を回しながら、力が抜けたように窓際のソファに座り込んだ。そのまま目を瞑る。

「今日は疲れた。残念ながら食べるモノは品切れ。でも水は通じているから、飲み物には困らないしシャワーも浴びられる」

「良いところね。食事は構わないわ。あんまり、食欲ないの」

「なら良かった。とりあえずシャワーでも浴びてきなよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて。……ずっと路上生活をしてきたから、こうやって落ち着いた場所でシャワーを浴びられる日が来るなんて思わなかったわ」

「……この先は、どうするつもり?」

「どうしようかしら。……ずっと貴女のお世話になるわけにもいかないし、また『か弱い』修道女に戻るかもしれないわね」

「ボクが巻き込まれないなら、好きにこの家を使って良いよ」

「意外ね」

「何がだよ。……ボクだって、寂しいものは寂しいんだ」

 カキツバタのような存在を、フリージアは知らなかった。

 みんながみんな、己のために他者を害する世に身を置いて。

 こうして『会話』することを、忘れていた。

 だからだろうか。

 彼女と出会い、大した内容でないにせよ、『会話』をすることに、何処か喜びを感じている自分が居た。

 独りが平気な人間なんて、極少数だろう。環境がそれを許さなかったから独りで居たのだ。『殺し合い』に発展しない相手であれば、それが誰であろうと、居てくれるだけで寂寥は薄らぐ。

「それに」

 カキツバタの言葉に肩をすくめながら。

「アンタだって寂しいだろ」

「その通りね。……暫くお世話になるわ」

 あっさり返した彼女に若干呆れながら、それでも唇の端が緩むのを、フリージアは実感していた。

―――

―――

―――

 孤独な者同士が手を取り合い。

 互いの温もりを感じる。

 それはこの戦禍において、失い難いモノ。

 人々が失って久しい、尊くて儚い、些細な喜び。

 『恐怖』に刻まれ続けた心に、恐怖以外の感情が刻まれていく。

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空っぽの『玉座』 兎角@電子回遊魚 @Commie_Neko

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