三話『フリージア』

 『玉座』とは、神より授かり、『恩寵』を機能させる聖遺物。

 歴史書を辿っても、その起源について記されてはいない。

 いつから存在し、本当に神が与えたモノなのか。しかし、そのことに言及することは禁忌とされている。誰が、というわけではない。『玉座』の下に在る者は皆、原初的な恐怖から、言及を避けているのだ。

 そして、連綿と受け継がれてきた、選ばれし血筋。すなわち、王家の者が『玉座』に座すことで、恩寵は力を発揮する。王家の血筋は、わば燃料のようなものだ。

 『結界』。『玉座』よりもたらされる恩寵。それは外部からの害意を排除する能力に加え、結界の下に置かれた土地の肥沃化。また、それらの土地に住まう人間の力を増幅し、士気を高める。

 恩寵により、平和は恒常玉座』とは、神より授かり、『恩寵』を機能させる聖遺物。

 恩寵により、平和は恒常かと思われていた。否、思い込んで居たのかもしれない。

 国王『カルミア』の裏切りにより、『玉座』は空っぽとなった。

 間諜『ダチュラ』の謀り事により引き起こされた、歴史上初、『空っぽの「玉座」』。

 疑問に思う者も居るかもしれない。何故、『結界』の下にありながら間諜、つまりは害意を排除することができなかったのか、と。

 さらに言えば、同じく『玉座』を有しているはずの隣国、マリーゴールド王国は何故、荒廃の一途を辿ることになったのか。

 ところで、『玉座』の『恩寵』は、『結界』だけではない。厳に秘匿とされるモノがある。

 人知を超えた力。それは、『魔法』。

 平和の世に在っては発現することもない、奇跡。

 しかし、奇跡は必ずしも希望の象徴とはなり得ないのだ。

 奇跡は確かに、強力な武器である。その武器は、誰に対して向けられるのか?

 無論、敵に対してである。

 平和の象徴たる『玉座』を有しているのならば、必要のない存在。

 敵の存在を前提とした奇跡。それが『魔法』である。

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レルム歴2015年。11月1日。

 大きな通りを脇に少し逸れた、路地。

 少女と思しき人物の眼差しに、光はない。その手には血濡れの短刀。正面には、少女の背丈の倍はあるであろう人間が一人、腹に手を当てたまま倒れていた。しかし、往来する人々はそれを見ても反応しない。ただ、足早に立ち去るだけだ。関わらなければ、今すぐ死ぬことはないのだから。

「……ふぅ」

 彼女は小さく溜め息をつき、膝を突いた。手にした短刀が滑り落ち、乾いた金属音を立てる。その肩は、震えていた。否、全身か。そのまま己を掻き抱く。まるで何かに耐えるように。数秒そうした後、落とした短刀を拾い上げ、懐から取り出した布で血を拭う。その布が使われるのは今回が初めてではないようで、何かが黒くこびりついていた。恐らくそれは血なのだろう。丁寧に短刀を拭い、腰の鞘に収める。

 次に、倒れている人物へと近寄り、その懐を漁り始めた。最初からそれが目的だったのか、結果的になのか、判断することはできないが。

「……ま、こんなもんだよね」

 一通り漁り終えたのだろうか。少女は大袈裟に肩を竦めながら消沈した様子を見せる。碌な成果をあげられなかったのだろうか。数枚の銅貨に一枚の銀貨。それから、一切れのパン。まるで誰かに盗られるのを恐れるかのように、すぐさまパンを口に含む。

 そのまま、天を仰ぎ見た。ポツポツと、雨が降り始めている。

「これで何人目だっけ?」

 誰にともなく訊ねて、軽くかぶりを振った。そのまま立ち去ろうと歩き始め、

「誰だ?!」

 誰何すいかと共に鋭い視線を向け、そのまま固まってしまった。視線の先、割れたショーケース。僅かに残った破片が少女の姿を映しているだけだ。

「誰だ?!」

 頬はこけ、泥に汚れ、返り血と思しきモノが点々と衣服に付着していた。ただでさえ華奢な体躯は、碌に食事を摂っていないのか、一層細い手足が伸びる。鎖骨が浮かび上がり、少し叩いただけでも脆く崩れ落ちそうだ。

 少女は苛立ったように足元の石を拾い上げ、投擲。ガラスの割れる音が響き渡り、少しして、静寂が訪れる。疑心暗鬼にでも陥っているのだろうか。それも仕方がない話かもしれないが。

「……お腹、空いたなぁ」

 空腹を訴えながら、止めた足を再び動かす。

 少女は何処へ向かおうとしているのだろうか。それは何も彼女に限った話ではない。今やこの国の民全てが、迷える子羊だ。救いを求め、それでも何も与えられず、ただ生きることに必死で。

 原初的な『死』への恐怖に突き動かされ、そのために今日も他者の命を喰らった。いつ終わるとも知れぬ狂乱の只中、幼い少女はどのようにして生き延びてきたのか。

 『神』に見放されたこの国は、かつての姿を失った。

 かつての平和に縋り付き、想いを馳せ、再び回復し得る平和のために祈りを捧げる者も居ただろう。しかしそれは、他者に隙を見せる行為。弱者は喰われ、強者だけが立つ。そんな原始的な情勢において、倫理など意味を持たないのだ。

 誰だって死にたくはない。だから殺すしかないのだ。そうしなければ、次に死ぬのは自分だ。

 少女は、今日も生きながらえた。きっと明日も、生きるために誰かを殺すのだろう。いつからそうして、いつまでそうしなければならないのか。

 それは誰にもわからないことだった。

―――

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 空っぽの『玉座』に第一皇子が座した。故に隣国『マリーゴールド王国』の者が闊歩するなどということにはならずに済んでいる。無論、王都を守るため皇子が、軍が、血と泥に塗れて戦っているからなのだが。

 王都は最終防衛ラインだ。王都を、否、『玉座』を失えば、未来は無い。例えそれ以外の領土を奪われ、生活に必要不可欠な『生産』の停止と『供給』の廃絶により、国力が枯渇してでも。

 それでも、押し寄せる貧困に人々は怯え、狂乱し、第二の戦争を引き起こす。内紛だ。

 豊かな国力は衰退の一途を辿り、ただでさえ限られた資源も、その大半を武力に還元し、民へ渡る物資は極限まで切り詰められた。

 故に。

 強者たらんとする者たちは弱者を屠り、持つ者に。

 弱者は命すらをも奪われ、文字通り持たざる者に。

 終わりのない、二つの戦争が、スノーフレーク王国を包む。

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 路傍で、名も知らぬ遺体に祈りを捧げる少女。その装いは修道女と呼ばれるものだ。小さな声で何かを囁いている。それはきっと、死者のための祈り。狂乱の只中に在ってなお、他者を想う、稀少な存在。だが言い換えれば、恰好の的。今の情勢ならば、その修道服ですら金になることだろう。無防備に祈っていては、喰うのも容易い。

 彼女の名は、『カキツバタ』。花言葉は『幸せは必ず来る』。修道女にお似合いの名前だが、もはや皮肉でしかない。その幸せとやらを運ぶ『神』はこの国を去ったのだから。

 第一皇子では平和を取り戻すことなぞできない。無論、そのことを知っているわけではないのだから、ただの民である彼女が第一皇子に期待を寄せるのも無理ない話だが。

  今も剥き出しの悪意がカキツバタに向けられている。彼女は気が付いていない。こうやって人生の幕を閉じるのが、スノーフレーク王国の実情だ。

 ただの布切れを纏った、か細った老婆が、包丁と思しき物を手に、力ない足取りでフラフラとカキツバタの元へ歩み寄る。見るからに『弱者』だが、それでも無防備な背中を刺し、一時の生を享受することはできるだろう。弱弱しくかざされた包丁が振り下ろされようとしたそのとき。突如老婆の表情が絶望色に染まる。振り上げた腕が弱々しく己の身体を掻き抱き、そのまま地に倒れ伏す。

 見れば、その背中に短刀が刺さっていた。『弱者』は獲物を喰らう『好機』など知らない。タイミングを誤れば、即座に喰われる。その背中を遠慮なく足蹴にして短刀を引き抜き、少女は薄らと歪んだ笑みを浮かべていた。その眼差しは、さらなる獲物を射貫く獣の様。そのまま引き抜いた短刀を慣れた手付きでカキツバタへ振り下ろそうとし、不意にカキツバタが振り向いた。

「……どうぞ、私を殺しなさい」

 カキツバタは、自身に向けられた刃を一瞥し、穏やかな表情で少女を見つめた。

「普通は『殺さないで』、とか言うところだと思うけど。ま、だからって躊躇するつもりもないよ」

 言葉ではそう言いながら、一瞬目を丸くし、すぐに細めた。短刀を握る手に力を籠めようとして、

「神に仕える者として、一人でも救えるのならば、私は殺されても良いのですよ」

「……可哀想な奴」

 憐憫れんびんあきれをい交ぜにしたような口調で呟いて、腰の鞘に短刀を仕舞った。興醒めしたような眼差しをカキツバタに向けながら、

「その神様とやらはもう居ないってのに、アンタは誰に祈ってんの?」

「これは神より与えられた試練なのです。そして今、此処で死ぬのならば、それは運命。ただそれだけの話です」

「神様とやらが本当に居るんなら、こんな醜い争いをさせる意味がわからないよ、ボクにはね」

 醜い争い。内紛の原因は何も、物資の不足だけではない。

 王家はともかくとして、貴族連中が己の財を奪われまいと、閉じこもっているからだ。もしくは高額な言い値を与え、貧困層を突き放す。こんな情勢の中でも『金』が意味を持つのは、高額でもなんとか食料を入手しようとしているからである。

 平和な時代においても貧富の差はあった。それでも、持つ者は持たざる者を助けるという、暗黙の義務が課せられていたことにより、生活が成立していた。平和が崩壊しては、意味のない話だが。

 誰もが生き抜くために必死だというのに、貴族連中はまるで戯れかのように庶民を弄ぶ。無理難題を突き付け、足掻く様を見て嘲笑う。スタート地点からして持つ者である彼ら・彼女らは、崩壊した秩序に歪んだ遊戯を見出していた。

 少女の言うことは間違っていない。それでも。

「第一皇子様が、神の御意志により、この国を再びの平和へと導いてくれることでしょう」

「……ま、良いけど。でもその前にアンタ、死ぬよ。誰かを救うなんて綺麗事言ってるけど、結局自分の存在に意味を見出したいだけにしか見えないな」

「修道女だって人間ですもの。それくらいのエゴはあります」

「ふぅん……ま、わかってるなら良いんだけどね。で、どうする?このまま祈り続けてみる?……ボク以外の誰かがすぐアンタを殺すと思うけど。さっきからみんな、アンタを見てるよ。見本のような『弱者』だね」

 その言葉の通り、ちらちらと視線を寄越す輩が少しずつ、周囲に集まりつつあった。連携しているわけではないし、獲物の取り合いとなったらまた、醜い争いが繰り広げられるのだろう。

 そもそも、こんな性格で今の今まで生きていること自体、不思議な話だった。

「そういう貴女はどうなのかしら?」

「必要であれば、躊躇するつもりはないよ」

「そう」

「……あーあ、本当に興醒めだなぁ。アンタみたいな人を見てると苛々する」

「なら殺せば良いじゃない。貴女にはソレができる。濃密な死の臭いが、そう囁いています」

「修道女でもわかるんだ、そういうこと」

「だって、私も同じですもの」

 ポツリ、とつぶやき、カキツバタは泣き笑いのような表情を浮かべて、その過去を語り始めた……。

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