二話『魔法』
12月2日。執務室。
「どう?フリージアちゃん。デイジーの周りは」
「今のところ、異常はございません」
「それなら良いのだけれども……」
未明と思しき刻限に交わされる、妙齢の女性と少女の会話。前者は王妃である『ヘリコニア』。相対するは、昨日より『第一皇女デイジー』付のメイドとなった『フリージア』。
「本当に誰かしらね、こんなことをしているのは」
そう言ってヘリコニアが視線を向けた先、二人の男が倒れ伏している。その装いには、隣国マリーゴールド王国を示す紋章が縫い込まれていた。要するに賊だ。
王家の身辺は最も警護が厳重な領域。そこに易々と侵入されていることになるのだが……。
「でも、貴女が来てくれて良かったわ。私一人じゃ手が回りませんもの」
「恐縮です」
交わされる会話内容に反し、ヘリコニアの表情は穏やかそのもの。賊を睨み付けることもなく、ただ淡々と語るのみ。相対するフリージア、こちらもやはり、無表情そのもの。賊の侵入に対する驚きが見て取れない。
デイジーの知らないところで、話は進む。
「この者たちは如何なされますか?」
「そうねぇ……どうするべきだと思う?」
「処分するべきかと。万が一にでもデイジー様の目に付かないように。ボクが代わりに、」
「その必要はないわ」
フリージアの言葉を遮りながら、ヘリコニアは表情を変えぬまま指先を賊へと向け、瞬間。二人の人間は何処からともなく顕れた炎に包まれ、容易にその存在を抹消された。遺った灰は流れる空気により霧散する。
『発火呪文』。『玉座』の齎す恩恵の一つ。人知を超えた力。それは『魔法』と呼ばれている。
「ヘリコニア様……」
「良いのよ。この程度の行使じゃ、大した影響はないのだから」
涼しい顔で、フリージアの懸念を孕んだ言葉を流し、続ける。
「それにしても、本当に誰かしらね、こんなことをしているのは」
繰り返される問。
「ボクには把握しかねます」
「それもそうね。フリージアちゃん、貴女は引き続き、デイジーの傍に居てあげて」
「畏まりました」
「でも、ごめんなさい。私たちの都合に付き合わせてしまって」
「ボクのような存在には、適切なことかと」
「……本当に、ごめんなさい」
「……」
フリージアは得も言われぬ表情を浮かべるが、その真意を確かめる人間は今、この場には居なかった。いつもの無表情に戻すと、ヘリコニアに一礼をし、その場を立ち去る。ヘリコニアはと言えば、慈しむように優しく手を振るだけ。とても王妃がメイドに対してする行為ではないかもしれないが。
場面は転じ、執務室を出てすぐの廊下。フリージアは、執務室に音が届かぬ程度に距離が離れた場所でふと立ち止まり、己の掌をじっと見つめた。無意識に念じたそれは、ぽぅ、と青白い炎が浮かび上がらせるが、まるでそれを隠すように握り潰して、再び歩みを再開する。
魔法。それは『玉座』より与えられた、人ならざる力。その存在に彼女が気付いたのは、戦争が始まって一年が経過しようとしていた時期。切っ掛けは、両親との出先で襲われたときの話だ。
戦争は何も、国同士だけのモノではなかった。
半年も経つ頃には、数少なくなった資源を巡り、民同士の争いが勃発することとなる。
強者たらんとする者たちは弱者を屠り、持つ者に。
弱者は命すらをも奪われ、文字通り持たざる者に。
フリージアの両親は、優しすぎた。隣人を、良き隣人だと、信じていた。内紛が始まってもなお、人間の善性を信じ、神に祈りを捧げて。それは、この情勢において、弱者と言っても過言ではないだろう。
治安が著しく悪化した中でさえ、争いに対する心構えもなく、商業区へと赴いた。
嗅覚とでも言うのだろうか。弱者を嗅ぎ分ける力に長けた者が居る。不運にも、そんな輩の目に付いてしまった。真っ先に狙われたのは当然、両親だ。子どもなど放っておいてもなんら脅威はないのだから。
刃を向けられてなお、笑顔を絶やさなかった両親のことを思い出す。殺されるということを考慮できずに居た両親を。
それは盲信だろうか。歴史に記される限り続いてきた、平和への盲信。
否。両親は戦禍に置かれ、狂ってしまったのだ。平和の崩壊を、受け入れられなかった。だから、深々と刃を突き立てられた瞬間ですら、笑顔を絶やさなかった。笑顔のまま、静かに息絶えた。
しかし、フリージアは違った。両親を失った瞬間、心に生まれたのは、生存本能。生きるために何を為すべきか、それを瞬間的に察知した。
襲い掛かってきた男が、両親の持ち物を物色するために手にした短刀を地面に置くのを見た彼女は、すかさずそれを拾い上げた。男の表情が驚愕に歪むのを無視して、男がそうしたように、刃を
非力な少女の力では、死に至らしめるには足りない。突き刺した刃を抜く速度も、足りない。このままでは抵抗され、死んでしまうかもしれない。だから念じた。一心に、
今でも覚えている。まるで強風が背中を打ち付けたような感覚を。常人では視認することの叶わない速度が、
少女の非力は、『加速』を以て増幅され、力の差を容易に覆した。
これが、『魔法』との出会い。
『玉座』の齎す、人ならざる力。
しかし、力の行使を思い出す度、
魔法は、非力な少女が戦禍を生き抜くため、大いに役立つこととなったが、その力は得も言われぬ恐怖を、心に刻む。
使えば使うだけ、己の心が恐怖に
魔法、その中でも特に『排除』を目的とした行使をする度、恐怖の度合いは強くなった。まるで、魔法の行使を目の当たりにした人間が味わった『恐怖』を投影するかの如く。
フリージアは、廊下を歩きながら震えていた。他人の前では決して見せない姿。
思わず己を
弱さを見せれば、容易に付け込まれる。
隙を見せてはならない。
五年目に突入しようとしている戦禍の中、彼女が学んだ、生きるための知恵。
―――
―――
―――
12月2日。寝室。
ふと眼を開けば、すっかり夜の帳が下りていた。ベッドサイドの机に置いてある時計の針は、午前2時半を示している。
昨日は、重い空気のまま夕刻を迎え、フリージアがお母様に呼ばれたとのことで部屋を出て行った。その後、一人になったことでそれまで張り詰めていた空気が霧散し、反動で気疲れが押し寄せたのか、そのまま眠ってしまったようだ。
フリージアは一度戻ってきたのか、それともまだ、戻ってきていないのか。どちらにせよこんな時間だ。さすがに同室で寝る、ということはしない。
だから今は一人。そのことに安堵しながら、半端な時間に目が覚めてしまったことを後悔する。
夜は、
―――お兄様に会いたい
だが、一人で良かったとも思う。夜は、心の境界線が曖昧になる。誰かが傍に居れば、ふとした弾みで胸中を吐露してしまうかもしれない。
ベッドから身を起こし、窓へ視線を遣る。
月明りだけが差す部屋の中、星に彩られた空を見上げる。
お兄様も今、この星空を見上げているのだろうか。
同じ空を、見ているのだろうか。
段々と、現実味を失っていく部屋の中。
ただ、お兄様への想いが募る。
嗚呼、誰か傍に居て欲しい。
誰でも良いから、傍に居て欲しい。でも、誰にも傍に居て欲しくない。
相反する感情を持て余しながら、星の瞬きを眺める。
星の輝きは、遠い遠い過去からの贈り物。
過去は今へ繋がっていると、証明する存在。けれど光が届く頃、その星はもう、存在しない。過去を変えることはできないのだ。
ならば、お兄様はもう、存在しない?
そんなことは無い、となぜか断言できない。この胸のわだかまりは一体、何なのだろう。
不明瞭な思惟。今の私もいずれ過去となり、居なくなってしまうのだろうか?
過去は今の糧となって、その役目を果たし、無に還り。
今も未来の糧となって、同じく無に還るのだろうか。
自分という『存在』の揺らぎ。心の底が冷える感覚。唐突に、私はこのまま消えるのだと、確信する。確信したような気がした。
嗚呼、掻き抱く己が、その輪郭を失い、溶けてなくなる。そんな恐怖は。
扉を静かにノックする音によって、断ち切られた。
「……誰?」
「起こしてしまいましたか?失礼致しました。ボクです、フリージアです」
「気にしないで。今さっき目が覚めたところだから。でも、こんな時間にどうしたの?」
フリージアの声は不思議なことに、扉越しだというのに明瞭、それでいて煩わしくない声量で言葉を紡ぐ。
「夕刻よりお傍に居られなかったので、様子を確認しに参りました」
「様子を確認って……まぁ、良いわ。扉越しでは落ち着かないもの。入ってきて」
「……失礼致します」
微かに軋む音と共に、薄らと廊下の灯りが差し込み、途端に現実へと引き戻される。先程までの恐怖が嘘のように、消えてなくなる。
「……泣いておられるのですか?」
月明りと、廊下の灯りだけで、人の輪郭など曖昧なはずなのに、彼女はそんな言葉を口にした。私からはその姿を認識することができないというのに。
「泣いてないわよ」
本当は違う。私は泣いていた。気が付かない間に、雫が頬を伝わっていた。けれど、それを知られるのが怖くて、慌てて服の袖で拭う。
「そうですか」
それにしても、フリージアは何故、こんな時間に訪れたのだろうか。私の心の声が聞こえたとでも言うの?
薄く開いた扉が閉まり、再び、月明りだけに包まれる部屋の中。
フリージアは、ベッド脇の椅子に腰かけて、
「夜更かしをされるとお身体に障ります」
そんなことを言いながら、その手がそっと、私の頬に触れた。
「寂しいのですか?」
「……」
きっと、涙の跡が、フリージアにも伝わったに違いない。
誰でも良いから、傍に居て欲しい。もしかしたら、彼女には全部、お見通しなのかもしれない。何を見て汲み取っているのかはわからないが。
こんな風に沈黙しては、肯定しているようなものだ。それでも、事実を言い当てられて、返す言葉がなかった。せめてもの意地、言葉として認めまいとするだけで。
「この戦禍に置かれ、お嬢様のように孤独に
私の返答を待たず、フリージアは続けた。
「家族を、大切な人を、失った者も大勢居ます」
ぎこちない手付きが、そっと髪に触れる。
お兄様が傍に居ない、そのことだけを嘆く私と違って、フリージアはきっと、たくさんのことを見てきたのだろう。もしかしたら彼女自身、家族、或いは大切な人を、失ったのかもしれない。
「それは勿論、王家の血筋であるお嬢様も、同じこと」
私を恨んでもおかしくはないはずだ。それなのに。
「お嬢様だって、一人の人間です」
どうして、そんな言葉を紡げるのだろうか。
「お嬢様が不安や悲しみを抱いてはならない、などという道理はございません」
―――どうして、私を責めないの?
「確かに、お嬢様を責める者も居るでしょう」
まただ。心の声を、悟られた。
「しかし、真に責めるべき相手は、他に居ます」
月明りの下、フリージアは窓から天を仰ぎ見た。揺らぐ輪郭の中、確かな敵意を持って。何かを睨み付けていた。
「お嬢様。ボクが傍に居りますので、安心してお眠り下さい」
表情を見せぬまま、赤子をあやすような優しい口調で。
その言葉に、遠のいていた睡魔が、降ってくる。
「おやすみなさいませ、お嬢様」
軽く髪を梳かれる感触に身を任せ、私の意識は夢へと沈んでいった。
―――
―――
―――
『玉座』の齎す恩恵の一つ。
人知を超えた力。
それは『魔法』と呼ばれている。
誰でも使えるわけではない。
魔法の行使には、王家の血筋が大きく影響する。
血筋の中でもとりわけ、若い者ほど、その威力は絶大となる。
しかし、そのことを知る者は少ない。
そもそも平和において、魔法の行使を必要とする場面がないのだから、当然のことと言える。
だが、平和の崩壊と共に、魔法が表舞台に現れ始める。
今まで兆しを見せなかった者が突然、魔法の発現に至るケースが増えていった。
戦争において、『魔法』はその絶大なる力を以て、魔法を『持たざる者』に圧倒的『恐怖』を刻むことになるだろう。
それ故、王家に連なる者たちは。
その力を
前線へと赴くことになる。
第一皇子ライラックとて、例外ではなく。
第一皇女デイジーもまた、例外ではなく。
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