空っぽの『玉座』

兎角@電子回遊魚

一話『出会い』

 12月1日。寝室にて。

 昼食を終えてすぐの昼下がり。刺すような冷たい空気に、立ち込める暗雲。窓から眺める景色は灰色一色。憂鬱極まりない一日を、一層鬱々とさせる出来事が起きることとなった。

「今日から貴女に仕えさせることになったメイドよ」

 いつものように、ノックもせず寝室の扉が開かれ、一人の少女を伴いながらお母様は現れた。

 視線を遣った先、同伴の少女。その顔は綺麗に整い、まだ幼さは残るものの、磨けば光る。まるでダイヤモンドの原石のような彼女は然して、何を考えているのかを悟らせない無表情。愛想が無いと言い換えても良いかもしれない。

 一瞥するも、返礼はなかった。平民である彼女に礼儀を求めても仕方がない話だが。

―――なんて礼儀知らずな娘なの?

 尤も、王宮を出ることなく暮らしてきた私にとって、その振る舞いは異質そのもの。心中不満を吐露するのは避けられないことだった。

 そもそも、今になって突然、私に誰かを仕えさせるというのが理解できなかった。小間使いならば、それなりに気を許しているメイドの『ユリ』で事足りる話。

「要らないわ、今さら専属のメイドなんて。一体何処から連れてこられたんですか、お母様?」

「そんなことはどうでも良いのよ。とにかく、今日から貴女に仕えさせることになったから。いい加減表舞台に立ちなさいな。いつもいつも部屋に籠ってばかり。それでは『ライラック』も悲しみますよ」

 スノーフレーク王国第一皇子、ライラック。私が敬愛して止まない、大切なお兄様。今この瞬間も、表舞台でその責務を全うされているであろう、お兄様。対して私にできることと言えば、お兄様の無事祈るのみ。それを歯がゆくも思うが、お兄様がそれを望まれないのだから、私は今日も、ただ孤独に耐えながら祈りを捧げていた。

―――嗚呼、お兄様。どうしてお戻りになられないのですか?

 そんな私の胸中など知ることのないお母様は、少女に何か囁くと、すぐに寝室を去ってしまった。私の事情を欠片も配慮しない振る舞いに、溜め息が零れそうになる。

 私の視線に今更気が付いたのか、初めて少女が一礼をした。

 華奢な体躯は私より頭二つ程小さい。それなのにピンと張り詰めた雰囲気が、あまりにミスマッチだ。メイド服より鎧でも纏った方が似合いそうな雰囲気に気圧されそうになり、思わず視線を逸らしてしまった。

 それにしても、見たことのない顔だ。世間知らずと言っても差し支えない私に、面識のある人間など多くはないのだが、少なくとも宮中で見かけたことはないはずだ。本当に、一体何処から連れてきたと言うのだろうか。

「貴女、名前は?」

「フリージアです、お嬢様」

「わかったわ」

 訊ねられる前に名乗りなさい、と心の中で思うが、言っても余計な波風が立つだけだ。従者に対して高圧的に振る舞う趣味もない。

 それにしても、面倒なことになった。お母様の言い付けとあらば、無碍にすることもできない。例え家族であろうと、王妃に逆らうことなど許されないのだ。

 フリージアと名乗った少女は、寝室の扉のすぐ横で直立不動の姿勢を崩さず、私を見ていた。それがなんだか、落ち着かない。そもそも、私に専属のメイドが仕えていなかったのだって、一人の時間を奪われたくないからであり、このように自室で他人と空気を共にすることなど殆んどなかった。それが急にこれだ。今までは私の我儘を通してくれていたお母様の突然の裏切り。きっと何か理由はあるのだろう。

 件の少女はと言えば、突然連れて来られたわりに落ち着いた様子。これで所在なさげな空気でも出していれば、少しは可愛げもあるのだが、まるで気にしていないようだった。所在なさげなのは寧ろ、私の方。何故、この部屋の主である私がソワソワしなければならないのだ、と愚痴が募る。

 しかし、これは私がどうこうできる問題ではない。ならば少しでも、この空気を緩和させる必要があるだろう。とは言え、対人スキルに疎い私は当然、どのように交流すれば良いのかもわからない。共通の話題があるわけでもないのだ。せめてお母様が居れば、話の取っ掛かりは掴めたかもしれないのに。

「お嬢様、何か気懸かりでも?」

 私があれこれ悩んでいるところに、声が掛かった。

「なんでもないわよ……」

「そうですか」

 愛想の無い返答で、再びの沈黙。見た目と雰囲気のギャップが著しく調子を狂わせる。

 そもそも、専属のメイドが付いたところで、何をさせれば良いのかがわからない。けれど、このまま沈黙を続けられては、私の方がどうにかなってしまいそうだ。さて、何を話そうかと思案していると、

「同室しない方がよろしいでしょうか?」

 再び、少女から声が掛かる。

「……そうね。少し、一人にして頂戴」

「畏まりました」

 渡りに船だった。気遣いを見せる彼女に対し、素っ気なくしてしまう自分が少し情けなかったけど、仕方がない。ここは一旦、一人になって、気を落ち着かせよう。

「外に出てすぐのところに待機しておりますので、何かご用命がございましたらお声掛けください」

「ありがとう。何かあったら呼ぶわ」

「では」

 一礼して、そのまま扉の向こうへ。扉が閉まり、その姿が完全に見えなくなったところで、深々と息を吐いた。窒息しそうな空気が霧散し、ようやく正常な呼吸を取り戻す。彼女の方から声を掛けてくれなければどうなっていたことか……。

 誰も居なくなった部屋で、私はいつものように、窓辺の椅子に腰かけて空を見上げる。お兄様と唯一、共有できる空を。今日は生憎の天気ではあるが、それでも身に染みて離れない習慣は、自然と空を仰ぐ。そのまま取り留めのない思惟は、事の発端へと向けられる。

―――

―――

―――

 スノーフレーク王国。辺境に在り、緑豊かな土地を持つ、平和な国。四季折々の花が特産品。辺境であるにも関わらず人の往来は多く、いつの時代も人々の心を惹きつけて離さないと言われる。そんな平和で、少し退屈な国の『第一皇女』として産まれた私、『デイジー』には、三つ歳を違えるお兄様が居る。彼の名は『ライラック』。私のお兄様であり、スノーフレーク王国『第一皇子』。謙虚を美徳とする彼は、いつも物柔らかな姿勢で、幼い頃から私を可愛がってくれた。何を考えているのかわからない、風変わりなお母様とは違って、真摯に私の話を聴いてくれる、唯一人の存在。

 平和な国であろうと、王家に授けられた役目は全うしなければならない。王家の者は、平和を享受する暇を与えられず、平和を恒常とするべく、日々その責務と向き合ってきた。故に、お母様もお父様も、私のことを『第一皇女』としか見てくれず、お兄様もまた、『第一皇子』としてでしか、見られることがなかった。

 連綿と受け継がれてきた役目を厭うのは罪なのだろうか。

 望んで王家に生まれたわけではない。

 望んで役目を受け継ぐわけではない。

 それを厭うことは罪なのだろうか。

 だから、私にとって、本当の意味で家族と言えるのは、お兄様だけだ。お兄様だけが、私にとって唯一の家族。

 お母様もお父様も、本当の私のことなんて、ちっとも見てくれない。『第一皇女』としてでしか、見てくれない。けれどお兄様だけは、私を『第一皇女』ではなく、一人の『女の子』として見てくれた。それがとても嬉しくて、いつもお兄様のお傍に居た。

 お兄様の居る日常はだけは、何よりも尊く、失い難いものだった。他に何も要らない。お兄様だけで良かった。

 何も知らない私は、それが限りある時間なぞとは微塵も思わず。

 平和の崩壊は唐突なものだった。原因は、国王であるお父様、『カルミア』の裏切り。もっと言えば、参謀本部指揮官、『ダチュラ』の謀り事。その美貌と敏腕で人心を掌握していたダチュラは、よりにもよって、自国の王を誑かすという愚行に奔ったのだ。その裏には、隣国との繋がり。

 豊な国力を持つスノーフレーク王国を妬んだ、隣国『マリーゴールド王国』。土は腐り、水も涸れ、荒廃の一途を辿ろうとしていたマリーゴールド王国は、その豊かな土地を奪わんと間諜を放っていたのだ。その間諜とは勿論、ダチュラのことである。マリーゴールド王国の思惑にまんまと陥れられたお父様は、国を裏切り、マリーゴールド王国の手に堕ちた。

 間諜であるダチュラだけではなく、主だった指揮官の離反。これにより指揮系統は麻痺し、軍部は混乱の一途を辿ることになった。その隙に付け込まれるのも当然のことだ。

 そうして始まった、戦争。

 裏切者のお父様の代わりに、裏切者のダチュラの代わりに、お兄様は『玉座』へと座した。参謀本部指揮官となり、指揮系統の調整。それと併せ、隣国が差し向ける害意に対抗すべく、その知力を遺憾なく発揮。軍事衝突の中心に立ち、来る日も来る日も職務に務めた。

 それなのに、私はただ、お兄様に会えない日々を嘆くだけ。憂鬱極まる時代の到来に、一層お兄様への想いが募った。

―――

―――

―――

 ぼんやりと空を眺めているだけの生活では当然のことかもしれないが、時の移ろいは緩やかなものであり、時間を持て余し気味だった。

 何をするにしてもお兄様のことが忘れられず、手に付かない。本当は、話し相手の一人でも欲しいところだったが、胸中を、お兄様への想いを吐露してしまうことを恐れ、誰も近づけさせなかった。

 それに、例え誰と居ても、この孤独感が拭われることはない。

 お兄様が戻らない限り、この孤独は続くのだ。

 さて。あの少女、『フリージア』をどうしようか。流石に、部屋の外でずっと待機させているというのも悪いし、何か役割を与えなければ。ユリ相手ならば、こんなことを考える必要もなかったのだが(人懐っこい性格である彼女は、人見知りの激しい私であったとしても、コミュニケーションに支障を来すことはなかった)、あの不愛想を続けられても困る。何か良い手はないだろうか、と思案するのも束の間。扉をノックする音が耳に伝わってきた。

「お嬢様、お茶をご用意致しました。入ってもよろしいでしょうか?」

 フリージアの声だ。無愛想な様子に反し、気遣いらしいものを見せようとするその姿勢にしかし、余計な重圧が掛かるだけだった。せめて年相応の表情でも浮かべてくれれば、と心の中で愚痴を吐く。このままでは愚痴で胸が一杯になってしまいそうな予感が、さらなる憂鬱を齎す。

「どうぞ。両手が塞がっていては開けられないでしょう。今行くから」

「いえ、大丈夫です」

 私の言葉を聞くや否や、扉が静かに開かれ、その隙間をそっとすり抜けてフリージアが入ってきた。

 トレイを器用に片手で持ち、それでいて足取りからは重心の偏りが見られない。滑るように、という表現が適切な足運びで傍まで来て、紅茶らしきものが入ったピッチャーとティーカップ一つが乗せられたトレイを窓際の机に置く。何をどうしているのか、ほんの微かな音を立てるだけで。

 明るい赤紫色の水色に満たされたそれは、ローズピンクティーだろうか?今日みたいな憂鬱にはとっておきのチョイスだった。

「貴女が選んだの?」

「いえ、ユリさんに教わりました。お嬢様にお茶を、と相談したところ、丁度良いものがあるとのことでしたので」

「あの子らしいわね」

 それなら、ユリが運んできてくれた方がなおさら良かったのだが、専属メイドのフリージアが居る以上、それも叶わないのだろう。これからはこの少女と付き合っていかなければならない。頭の痛くなる話だ。

「貴女は飲まないの?」

「お嬢様と同席するのはよろしくないかと思いまして」

「一人で飲むのも寂しいのよ?」

「と、言われましても……」

「……じゃあ命令よ。次からは二人分用意しなさい」

「畏まりました」

 つい、こんなことを口走ってしまった。これでは彼女と過ごす時間が増えるだけではないか、と後悔しそうになる。しかし、円滑なコミュニケーションを築くためにはやむなし。そもそも、この少女にじっと見られたままでは、落ち着いてティータイムを楽しむこともできない。それならばいっそ、同席してもらった方が幾何かマシというものだ。

 ティーカップに注がれたローズピンクティーを一口含み、心の中で思案する。

―——話題が、ない……。

 フリージアはと言えば、トレイを持ったまま、私の顔を窺うように見ていた。それに気が付かないふりをしながら二口、三口と口に含む。甘く上品な風味が、すっと身体を駆け抜け、気だるい気持ちが鳴りを潜める。悪くない。

 それでも、居心地の悪さに変化はない。ちらと彼女へ視線を遣ると、変わらぬ無表情。やはり、メイドというより護衛のようだ。口調も、取り繕ってはいるものの、不慣れに見える。急場でメイドという立ち位置になったのだから当然と言えば当然の話だが。

 こうして、素性のわからぬ少女との生活が、幕を開けた。

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