十パーセントの半分と

 荷馬車を降りるとあたりはすっかり暗くなっていた。昼間の暖かな風が冷え、肌を撫でていく感覚がより鮮明だ。

「報告されたのはこの辺りなんですか?」

 アイジュが聞くと、ヒサメが夜目を働かすようにじっとりと見回す。

「報告自体はもう少し先。でも、想定される行動範囲を考えればこの辺りも十分可能性はある」

 パチリとその瞼が動く。まるで夜へのスイッチが入ったかのようだった。

「はぐれないようについてきてください。単独行動は許されませんが……」

 ヒサメは冷たい瞳で言った。

「死にたいのなら、お好きにどうぞ」

 ぞくっとしたものが背中に走る。

 その瞳はもはや日中までの頼りになる親切な先輩ではなく、朱雀軍副官のものだった。覚悟と責任を抱いた、どこか冷たい瞳。

 ヒサメの後を追うように朱雀の二人とフウリたちがついていく。夜の闇が視界をぼやけさせて、心臓がどくどくと鼓動を早めた。

 闇の中を躊躇いもなく進んでいく朱雀の三人は、やはり場慣れしている感じが知った。フウリたちが木の葉の音にさえ過剰に反応するのに対し、朱雀は反応こそするが、いたって冷静に対処している感じがする。

 必要な情報を取捨選択している感じだ。余分な動きや判断が一切ない。

 これが経験の差か、と思う。

 鬼という強大なものであっても、過剰に動かないその姿は、憧れる。

 今はただそれだけしかできない自分が、少し、不甲斐ない。

 多少の劣等感と無力感を抱きながら調査を進めること約二時間。行動範囲と思われる場所は見回ったわけだが、それらしきものは発見できなかった。

「妙ね」

 ヒサメがつぶやく。

「なんの痕跡も残されていないというのは……少し疑問だわ」

「確かに、ここまでなんの痕跡もないっていうのは珍しいですね」

 言ったヒノにキイノが問うた。

「そうなんですか?」

「うん。まあ、中にはなんの手がかりもない場合もなくはないけど、でも、そんなの数年に一回あるかないかなんだよ」

 キヨネも付け加えた。

「痕跡がないってことは、向こうも相当の手練れってことだ。最悪、部隊全員全滅か、もしくは未解決で任務が継続することになる」

 キヨネの高圧的でありながらも正論を受けてタイトが言った。

「特殊警備隊といえども、全ての任務を完了することはできない、か……」

 弱々しいタイトの言葉に、ヒサメが静かに告げた。

「年間の退治依頼のうち、約九十パーセントは問題なく解決される。それは私たちの努力と、市民の協力によるもの。でも、残り十パーセントのうち半分以上は部隊が全滅したことによる再任務。残りの半分は、未解決」

 体が固まるような事実だった。

「それも何年後に解決することがあるけどね。でも、完全な未解決の任務は今もそれぞれの軍の資料庫に保管されて、ずっと追い続けてる人もいるの」

 何年も何年も。日に日になくなっていく物証と現場の情報を掬い上げながら。

「だから」

 ヒサメが言った。言い聞かせるように、正すように。

「それを少しでも増やさないようにするのが、私たち現役の、現場の人間の役目。未解決を増やさないことが特殊警備隊のためであり、隊員のためなの。そして何より、被害者のためだから」

 無念なんて言葉は、解決したところで残るのだから。

 フウリは胸に熱いものを感じた。内側から湧き上がるマグマのようなものが流れ出した。

「あ、あの!俺、頑張ります!絶対、鬼を退治しましょう。それで、みんなで帰りましょう!だ、だって、俺たちが死んでも悲しむ人がいるでしょう?だから、みんなで生きて、それで帰りましょう!」

 フウリの言葉にキヨネが言った。

「はあ?そんな甘っちょろいこと言ってる奴からなあ……」

「いいですね!はい、俺もそう思います!」

「おい!俺の言葉を遮るな!」

 もめ始める二人をアイジュたち白虎がなだめる。それをため息をつきながら見守るヒサメと目が合った。

「あの……えっと、すいません。楽観的で」

 それにヒサメは首を横に振った。

「いいえ。素敵な目的だと思うわ。それに、その目的は朱雀が何よりも大切にしてることだから」

「え?」

 ヒサメは夜の中を見つめる。その先にある場所を見つめているような気がした。

「朱雀は、死なない部隊だから」

 言ってヒサメはわずかに、微笑んだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る