糸
ふう、と息を吐いた。
店から出ると自然とそんなことをしてしまった。フウリは店の前の行列を見ながら思った。
いや、決して飯がまずかったわけではない。むしろ評判に聞くとおりとても美味しかったのである。店の雰囲気自体もよかったし、飲食店としての居心地は良かったのだが、如何せん人が多すぎた。元々あまり人が多いところが得意ではないフウリにとっては少々落ち着く暇がなかった。
特殊警備隊の休日は世間一般の休日ではない。むしろ平日に取られることの方が自然だ。今日もまた平日であるが、それでも人が多いとは思わなかった。いやはや、流行りとは恐ろしいものである。
昼下がりだ。穏やかな光が心地よくて、食事処で疲れたフウリの心を落ち着かせた。
気をとりなおし、図書館に向かう。図書館はこの先の川沿いを歩いた先にある。街の陽気を辿りながら行くとしよう。
当然、街には人が多い。すれ違う人から視線を感じる。それはフウリの見た目があまりにも不思議だからだ。不思議、といえば聞こえがいいが、ようは奇妙なのである。雪国の兎のように白い見た目はこの地域、いや、この世界ではほとんどいない。しかもフウリの場合は瞳の色も薄い。色のある服を着ていなければ、雪に紛れる自信があるくらいだ。
今更のことだが、少々堪える。いつもなら側に一番の理解者たちがいてくれるが、一人というのはなんと心細いのだろうか。フウリは湿ったため息をつきながら進んだ。
しばらくすると図書館が前方に見えた。心が逸った。早く人通りの多い場所から離れたいと思ったからである。
しかし図書館があるのは対岸だった。フウリは川に架けられた橋を探した。すると前方、すぐ近くに見えた。
ラッキーだ、と思いつつ早足で進むと、フウリは意図せず足を止めた。
フウリは目を疑った。
川に架けられた小さな石橋。その上に人が佇んでいた。別にそれだけならば大した問題ではないのだが、フウリはその人物の見た目に目を瞠った。
真っ白な糸。そう思った。
その人物は真っ白な長髪を風になびかせ、黒い外套に身を包み橋の上から水面を眺めていた。後ろ姿しか見えないので顔はわからない。しかし、その絹糸のような髪にフウリは強く魅せられた。
なんだ、あの白さは。
まるで、自分と同じだ。
思った時にはすでに駆け足を踏んでいた。
石橋まで来ると、その人物の横顔が見えた。長い髪は後ろ髪だけでなく前髪も同様で、目元は見えない。しかし、輪郭だけでも非常に整った顔ということがわかる。そしてその肌の色にフウリは背筋が冷えるような気さえした。まるで死人のように白い。血が通っていることを疑うかのように白く、それは自分以外には見たことがないほどのものだった。
運命すら感じた。心臓が跳ねている。
自然と近づいていた。その人は気づき、顔をフウリの方へ向けた。
強い風が吹いた。風はその人物の髪を顔からはらった。
白髪の隙間から見えた目は、綺麗な翡翠の色をしていた。
「...何かご用ですか」
聞かれ、フウリは困惑した。何か考えて近づいたわけではなかった。
「ああ、えっと...」
適当な言い訳を、と思いフウリは慌てふためいた。その最中、その人の手元にあるものを見つけた。
「あ、それ...」
手元にあったのは今朝キイノと話していた短編集だった。
「...君も、これを知ってるの?」
人物が聞いた。後ろ姿だけを見たら女性かとも思っていたが、声を聞くと男性のようだった。
「うん。今朝、たまたまこの本の話になったんだ。それで、これから図書館に行こうと思ってて...」
そこでフウリは気づいた。初対面の相手にいきなりこんなことを話されても困るだろう。
「ああ、ごめんなさい。俺、変なこと話して」
「大丈夫。それより、君...」
青年はその顔をぐっとフウリに近づけた。整った顔立ちが目の前に現れ、フウリはどきりとした。
とても肌が白い。瞬きをするたびにその長い睫毛が白く輝きながら鼻先に触れそうになる。言われなければ女性と見間違うくらいだ。
距離に耐えきれなくなったフウリが目を逸らしながら言った。
「な、何か...?」
すると青年はぱっと離れ、両手を構えて言った。
「ああ、ごめん!なんだか珍しかったから」
すると青年は申し訳なさそうに笑った。随分と優しく笑うものだとフウリは思った。
「ああ、この見た目だよね。生まれつきなんだ」
フウリは頬をかきながら言った。複雑な心境である。
しかし青年はなおも困った顔で言った。
「ああ、ごめんね?そういう意味じゃなくて、ほら、僕もこういう見た目だから、自分と似てる人は初めてだから...」
すると青年は肩を落とした。それにはフウリがたじろぐ。
「ああ!そうだよね、ごめん!いや、実は俺もそう思ってさ、ほら、歩いてたらすごい綺麗な白髪の人がいるなーって思って、で、俺もそうだからさ、ちょっと気になった、みたいな!?」
自分で言っていて何がなんだかわからなくなった。けれど非はないんだということが伝わったのだろうか、彼はその顔を少し綻ばせた。それを見てフウリは安心し、言った。
「自分と同じような人に会えて、つい、嬉しくて」
フウリは自然に笑った。青年は少し驚いた顔をした後、わずかに唇の端を上にあげた。
これは早くもミッション達成できそうだ、なんてこの時は考えていなかった。それ以上に、この運命的な出会いに心が躍った。自分と同じような人を見つけられたことにもとても興奮した。
「あ、俺、フウリ!よ、よろしく!」
名乗り、手を差し出す。青年は一瞥し、それを握った。外で本を読んでいたからなのか、すっかり手が冷えきってしまっていた。
「僕はチハネ。よろしく」
チハネ、と小さく呟き、その名を刻み込んだ。美しい名前だと思った。
友達カウンターが、わずかに動きかけていた。
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