夜闇の影
日が暮れた。あたりは闇に包まれ松明と月明かりだけが道しるべとなり、人の時間ではない夜が来たのだ。昼間の活気ある景色は失われ、どこか異界に迷い込んだような印象を与える。
街の住人たちの避難は日が完全に暮れる少し前に完了した。そして現在、フウリたち特殊警備隊白虎軍はそれぞれの持ち場につき、警戒態勢をとっていた。
未だどこの軍からも『ロの326番』の連絡がない。長期戦になることが予想されていた。
「...ねえ、フウリ」
隣にいたアイジュが言った。
「どうかした?」
「いや、ちょっと疑問なんだけどさ...」
アイジュは難しい表情を浮かべながらそこで言葉を区切った。彼女がこのような顔をするのは珍しいことだ。何か普通ではない。
「その、『ロの326番』って報告では街中で姿をくらましたって言ってたよね?」
「ああ、確かそうだった」
アイジュは顔を一層険しくさせて、隣にいたタイトの方に顔を向けた。
「ねえタイト、『ロの326番』を最初に追ってたのはどこの軍かわかる?」
「確か朱雀軍じゃなかったかな。さっき避難誘導してた時に聞いた気がする」
アイジュはそれに答えることもなくまた思案にふけった。一体それがどうしたのだろうか。
少しの沈黙の後、アイジュが口を開いた。
「ねえ、特徴を明記するくらいの距離で朱雀が追っていて、街中で見失う事なんてあると思う?」
フウリは思わずえ、と声を漏らしてしまった。
「私たちみたいな新兵だったとしても、そのくらいの距離で追っていたならそう簡単には見失わないはず。それが朱雀なら尚更だと思わない?」
「言ってることはわかるが、だとしたら何なんだ?」
「....街中?」
キイノが呟いた。アイジュはそれを見て頷いた。
「街中で見失った。街に紛れた。街にあるものに紛れたって考えられない?」
「それってつまり...」
『ロの326番』は姿を変える妖。
「でも、姿を変えるってことは相当力が強い。そのレベルなら昼だって動けるだろ?何も警戒の厚い夜にでてくる必要もないんじゃないか?」
タイトの言う通り、妖は力が強ければ昼間も動くことが可能だ。わざわざ夜にだけ動く理由にはならない。
何かが少しずつおかしい。
もしかするとこの妖は思っているよりもずっと。
思い立った時には動き出していた。
「キイノ!長官に報告してくれ!」
「わかってる!」
キイノはすぐに走り出し長官の方向へ向かった。その間に残った三人も周りの隊士たちに事情の説明を試みる。
しかし隊士たちは怪訝な顔をした。それもそのはずだ、入隊して間もない新人達にこんなことを言われたところで信用に値する訳も無い。
「わかったわかった。だから持ち場を離れるな」
「でも、早く連絡しないと!」
「いいからいいから。大体、根拠がないじゃないか。そんな曖昧なものに左右されて、隊列が崩れた途端に襲われたらどうする」
フウリは言葉に詰まった。それはそうだ。根拠なんてないし、ただの思いつきなことに変わりはなかった。
だが、それでも引き下がれなかった。
もし、本当にこの思い込みが的中したのなら。
その一パーセントがある限りは。
引き下がれない。
フウリは相手に掴みかかる勢いで詰め寄る。
「お願いします、自分でも身勝手なことは十分わかっています。でも、でももしものことが起こらない可能性はない。思い込みだと思うなら、その思い込みをかき消すためにも確認したいんです!」
一瞬だけ表情を変えた隊士だったが、それでもすぐに表情を戻し、そして怒りの表情を示した。
まずい。
そう思ったとき、肩をポンと誰かが叩いた。
「僕も彼に賛成です。ですから、持ち場を任せていただいてもよろしいですか」
肩を叩いたその人はそのままフウリと先輩の間に入った。
ホウカだった。
「改めて見回りに行くだけですよ。すぐに戻ってきます。同期のよしみで僕たちが同行します。なのでその間だけ、僕たちの持ち場も担当しておいていただけないですか。幸いにも僕たち白虎は人が多いですから、支障はないと思いますが」
フウリはその背中を見ながら強く憧れを覚えた。
怒りを見せていた先輩は、ゼロとまではいかないが、なんとかその怒りを落ち着かせ、彼の交渉に応じた。そして彼の仲間達にも報告し、場は完全に治った。
すごい。指導者としての素質を持ち、そして円滑に進めるその姿に素直に憧れた。
いつか、彼のようになれるだろうか。
「じゃあフウリ、行こうか」
「あ、ああ、うん!」
彼が歩んだ先を慌てて追った。
道中でタイトとアイジュをピックアップした。彼らもまたフウリ同様に説得に失敗したらしい。しかし、それもホウカの仲間達が気づいて助けてくれたのだという。
「で、キイノはどうだった?」
「長官のところに行ったけど、そもそも会えなかった。周りにいた人たちに止められちゃって。遠巻きに叫ぶことしかできなかったよ」
流石に長官のところに行くことはできなかった。冷静に考えてみればそれもそのはずだ。
しかしこうして全員揃ったことには意味がある。まずはそれが第一だ。加えて54班も一緒だ。百人力である。
「それじゃあパトロール、行こうか」
「おうよ」
道中は信じられないほど暗かった。いつもならば、人の気配があって、街灯があるだろうところに、今日は誰もいないし何もない。自分たちが持つ松明とランプの明かりだけが頼りだった。
ジメッとした黒いものが広がっている。ものの境界線もわからない。足が着いている場所が地面なのかどうかも自信がない。ぼんやり見える仲間の顔だけが信じられる存在だった。
「とはいえ、街中の何に紛れてるんだろうね。ていうか、どうやって見つけるの?」
ウルが聞いた。フウリは答えた。
「わかんない。でも、活動が本格的になる夜にわずかに人の気配があったら出てきそうなものじゃない?」
「ってことは、今めちゃくちゃ危険じゃない」
言われて初めて気づいた。その通りである。だがフウリ自身も半信半疑だった。どこかにいて、いつか出てきて、誰かが対峙と退治をして。
多分、そうなるのだとなんとなく思っている。
「じゃあとりあえず、その辺のものを照らしながら進んでみるか。もし本当に出てきたら大変だし」
ホウカが言った。異論は誰もなかった。
暗闇の中を手元の灯りで切り開いていく。ぼんやりと照らされていた場所が徐々にその姿をかたどっていく。
正直安心した。何もないとわかって、とても安心していた。
同時に、油断していた。
農家の家だったのだろう。納屋に収穫された作物が入れられたカゴがあった。それを確認しに火を近づけた時、何かがゆらりと揺れた。
影だと思った。油断していたのだ。
影だと思ったその黒い何かがフウリに覆いかぶさった。
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