奇妙なお茶会

 にこりと笑みを携えた彼女はフウリ達の前でしっかり止まった。顔だけ見れば気軽に挨拶をしてしまいそうだが、その立ち姿からにじむ雰囲気は決して只者ではない。

「ちょっと、挨拶を返しなさい?そういうのが一番大事なんだよ?」

 ハクロウが顔を少し歪めて告げる。それに慌ててフウリ達は姿勢を正し声をあげた。

「お疲れ様です、ハクロウ長官!」

 あまりのオーラに圧倒されて、当たり前のことすらできなくなってしまっていたことに相手に指摘されて初めて気づいた。不甲斐ないことだが、それほどまでに特殊警備隊の『長官』とは特異な存在なのである。

 揃って頭を下げた新兵達を一通り眺めた後、ハクロウはもう一度笑みを口元に浮かべる。

「よろしい。頭をお上げ。堅苦しいのは好きじゃないからね。でもいいかい?いくら私が許してくれるからと言っても、私以外の人はどうかわからないし、そういう態度がいろんなところに現れてくるからね。気をつけて」

「はい!失礼しました!」

 軽く説教された後、ハクロウは物資の方へ目を向けた。新兵達もその目線を追う。

「もう終わりそうだね」

「は、はい!この物資で最後です」

「じゃあ、それが終わったらお話ししよう」

「はい!....はい?」

 受け答えをしたホウカをはじめ、全員が同じ顔をしてハクロウを見つめた。そのハクロウは、以前変わらず微笑んでいるままだった。

 少しの間の後、タイトが恐る恐るハクロウに尋ねた。

「あの...お話し、とは何でしょうか。僕たち、何かしでかしましたかね」

 タイトの質問にハクロウは一瞬キョトンとした後、笑みを一層深くしてひらひらと手を振りながら否定した。

「君は面白いこと言うね。そうだね、じゃあ君たち、何か悪いことをした自覚があるのかな?」

 そう言ったハクロウの目はいたずらっ子の少女のようで、その愛らしさに胸がむず痒くなる感覚をフウリは覚えた。あるいは、この場にいる男達全員、かもしれない。

「違うよ。お説教なんて趣味じゃないしね。ただ純粋に、君たち若い子達とお喋りしたいんだよ」

 そう言ったハクロウの顔は、変わらず笑みを携えてはいるもののどことなく雰囲気が違った。皮を剥いでその奥にあるのは単純な笑顔ではなく、飲み込まれるようなもっと恐ろしいもののような気がしてならない。

 そんな感情に襲われていたフウリの意識をかき消すように、ハクロウはパンと手を鳴らした。

「だから早くその荷物を置いてくるといい。手を止めさせてしまって悪かったね。そうだ、お詫びに私がお茶を用意してあげよう。お喋りにはお茶が必要だからね。せっかくだ、お茶会と行こうじゃないか」

 新兵達は、しばらく声が出なかった。


 荷物を運び終わり、ハクロウがいた場所に戻ったときフウリは自分の目を疑った。

 先ほど、たった数分前である。たった数分離れただけでそこには長机が置かれ、椅子が9脚並べられていた。その内の一席、ちょうど真ん中にはハクロウが座っていた。どこからか持ってきた急須からは湯気がふわりと上がっていた。

「お、帰ってきたー。おかえり。ちょっと待っててね、今お茶淹れるから。ほらほら、突っ立ってないでお座り?」

 そう言ってハクロウは机の上に並べられた竹製の湯のみにお茶を注いだ。

 おかしい。何もかもがおかしい。

 全員がそう思っていただろう。この瞬間だけは心が通じていた。

「と、とりあえず座ろう。せっかくだし」

 ショウナがやっとの思いで空気を破り言った。それに連れてなんとか全員机の方に向かっていった。

 席は左からチル、ウル、そしてハクロウ、フウリ、タイト。向かい側にホウカ、ショウナ、アイジュ、キイノの順で座った。

「もうちょっと待ってね。少し蒸らした方が美味しいんだ」

 ハクロウは笑っている。フウリ達は頑張ってはみたもののぎこちない笑顔が精一杯だった。

 お茶を蒸らしている間、ほぼ全員が今の状況のことを考えていた。この奇妙なお茶会のことである。

(このお茶会そのものの存在自体、何の目的があるのかが一向に読めない)

(ハクロウ長官はお喋りがしたいと言っていたが、ここは特殊警備隊である。そこの事実上のトップがそんなことを言うのだろうか)

(何か裏があるに決まっている、もしくは試されているの...?)

(そしてどうして白虎軍長官が俺たち新人のためにお茶を入れているのか。トップがなぜひよっこ程度の存在にお茶を注いでいる?)

(この時間は一体どういうこと?)

(読めない....)

(というかいつの間にこの机とか用意したの?十分な時間はなかったはずよ?)

 ほぼ全員が思考を巡らせていた。

 ほぼ全員。一人を除いて。

(お茶楽しみだなー)

 アイジュただ一人、特に何も考えていなかった。考えていたのは目の前のお茶が美味しいかどうか、ただそれだけだった。

 誤解のないように言っておくと、アイジュは超がつくほどの鈍感ではないし、度を超えて空気が読めないわけではない。

 むしろその逆である。気づき、読んだ上でリラックスしているのだ。

 アイジュも確かに突然のハクロウとの再会には驚いた。初対面の時とは違って仕事で会う独特の雰囲気に包まれたハクロウに圧倒されたのは紛れもない事実である。

 しかし、その30秒後には気づいた。今ここにいる仲間たち全員が自分と同じ状況にあると。自分と同じように、緊張で体が縛られ動けないのだ。ならば今、私がするべきことは、あるべき姿とは何だろうか。

 答えを出すのに時間なんて一瞬すら必要なかった。

「さ、みんなお茶は行き渡ったね?よーし、じゃあ乾杯と行こうかー!」

「お茶で乾杯って、初めて聞きましたよ、ハクロウ長官って冗談言うんですね!」

 にこやかに、アイジュは言った。その直後、隣のキイノが口を塞ぎ、フウリとタイトがハクロウに向かって頭を下げた。

「すみませんうちの班員が!」

「すみませんうちの親戚が!」

「申し訳ありません!」

「いやー、私のボケに気づくなんて、アイジュいいねー!」

「はい、すみませ....ん?」

 頭を上げ、隣にいるハクロウの顔をじっと見る。その視線はまだアイジュの方に向いている。

「光栄です。ところで、このお茶ってどこのですか?私、小さい頃から結構お茶は勉強してきましたけど、これは飲んだことないですね」

「ああ、これは少し貴重なものだからね。ほら、サイドル家ってあるだろう?そこの御用達のお茶なんだよ。出回ってる数も少ないらしくてさ」

「そうなんですか。じゃあ、長官はどうしてこれをお持ちに?」

「この前の仕事で頂いたんだ。ラッキーだったよ」

 目の前で繰り広げられていく順調な会話に呆気にとられていた。呆然とするしかなかった。あまりにもアイジュがいつも通りで自然すぎて、こちらまで気を抜いてしまいそうになる。

「それが正解だよ、少年」

 急に響いた声にフウリはどきりとした。声のした方にはハクロウがニヤリと笑ってこちらを見ていた。

「驚いたって顔してるね。心でも読まれたと思ったのかな。でも残念、私は超能力者ではないからね。心を読んだわけじゃないよ」

 そこでハクロウはフウリから目を離し、全員に向かってゆっくりと告げる。

「君たちは今、いつも通りに振る舞うアイジュに押されて年相応の君たちに戻りかけていたね?」

 たまたま目があったホウカは不甲斐ないと思いながらもコクリと頷いた。

 それを見たハクロウはまたもにこりと笑った。

「それでいいんだよ。それで正解さ。じゃあ、次。君たちが今いる場所はどんな場所かな」

 ハクロウは目線を右側に向ける。目があったのはウルだった。

「えっと...これから妖が出て、被害が出るかもしれない場所、です」

「そうだね、正解。でもね、それだけじゃないんだよ」

 そこでハクロウは一旦言葉を区切り、もう一度視線を全体に向ける。

「もちろん、緊張感があるのは良いことだ。特殊警備隊としてあるべき姿だと思うよ。でもね、この先君たちが歩いていく道は、そういう厳しいものなんだよ」

 ハクロウは全員を見渡しながら話していた。だが、フウリには隣から見えるハクロウの瞳は、どこか遠くを捉えているような気がした。

「辛くて、痛くて、苦しくて、悲しい道。経験を積めば積むほど、そういう場所は多くなっていく。特殊警備隊でいなければならない時間、極度の緊張感と集中力で飲み込まれてしまう人もいるんだよ。だからね、君たちにはこういう時間が必要なんだよ」

 ハクロウはゆっくり瞬きをした後、もう一度見渡す。その瞳には、光が強く滲んでいた。

「今の君たちは....まあ私の影響が強いのかもしれないけれど、緊張しているんだよ。だがね、いま言った通り君たちはこれから緊張っていうものを嫌っていうほど味わうことになる。その度に不安になって....って体がもたないだろ?だから、私がいてもいなくても平常心でいなさい。それから、まだ戦場にはならない昼間のうちは余裕を持っていていいからね。いいかい?」

 言い終わるとハクロウは手元のゆのみを口に運んだ。フウリはふわりと安らぎのある匂いを感じた。思えばここに到着して以降、ずっと茶の匂いが立ち込めていたことに気づきもしていなかったのだ。

 ハクロウはゆのみから唇を離し、これまでよりも落ち着いた声音で話し始める。

「等身大でいなさい。せっかく君たちは若いんだからね。嫌でも年は取るんだから、周りに大人がいるからといって、無理に大人にならなくたって良いんだよ」

 ハクロウはそう言って、言葉をやめた。

 しばらくの間、フウリ達はハクロウの言葉を反芻していた。正直、完璧にその言葉の真意を辿れた訳ではないし、わからないところもある。だが、なんとなく今はその答えを出すべきではないと、そんな気がした。

 等身大の自分たちであれ。

 特殊警備隊白虎軍の隊員ではなく、ただ一人の自分としてあれ。

 そのためには、この言葉を全て咀嚼するべきではないのだと、そう思ったのだ。

 ハクロウの言葉を信じるだけで良いのだ。

 だから。

「長官、まるで年寄りみたいな口ぶりですけど、そんなに年離れてないでしょう?」

 フウリは自分の口から出た言葉に少し驚きながらも、それを否定しようとはしなかった。

 だってそれは、間違いなく自分の言葉だったから。

 隣から声が聞こえたハクロウは口元に笑みを浮かべた。その表情がやけに優しくて、フウリは体が熱くなった。

 それで良い、そう言っているような気がした。

「いやいや、そんなことないって。もう25だよ。君たち15とかだろう?それから見れば年寄りよ」

 すかさずタイトが続いた。

「そんなことないです!お美しい!」

「ちょっとタイト、それはどうかと思うよ?」

 アイジュのツッコミにキイノも首を縦に振り、

「それはちょっとやりすぎ」

「....ないね」

 ホウカとショウナも続いた。

「なんかね、嘘くさいよね」

「うん。その流れの中で言うとね」

 双子からのクリティカルヒットでタイトの顔に一気に熱が上がってゆく。

「ええ!?俺そんなに変なこと言った?」

「ハハハ!まあ良いよ、お世辞でも嬉しいもんだから。ありがとねー」

「いやいや、お世辞じゃないですよ!」

「そのやり取りが嘘くさいのよ」

 お茶の匂いとともに笑い声が飽和していく。思えばこんな時間を過ごすのはかなり久々な気がして、心がじわりと溶けた。

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