第四章


 式は無事に終わった。

 そのまま教会の前にある広場で披露宴をするらしく、参列者たちが外へと移動していく。

 奏斗は動かなかった。

 波瑠たちに先に行っててと伝え一人教会に残る。


「……はぁ」


 椅子の背にもたれかかり、天井を仰ぐ。

 脳裏に浮かぶのは先ほどの幸せそうに笑う彼女の姿ばかりだ。


 バージンロードを歩く彼女。

 新郎と見つめ合う彼女。

 誓いますと笑った彼女。

 誓いのキスに頬を染める彼女。

 薬指に輝く指輪に幸せそうにする彼女。


 どれも奏斗が知らないものばかりだった。

 奏斗には引き出せない表情。

 あの新郎にしか引き出せない彼女。


 奏斗はぎゅっと目を閉じた。


 ……苦しい。


 悔しい。

 羨ましい。


 いろいろな感情が織り混ぜって気持ちが悪い。

 吐きそうだった。


 俯いて右手で腕に爪を立てて。

 必死に想いを押し殺す。


 消えて。お願いだから。消えて。


 手に力を込めて奏斗は念じる。


 まだ披露宴が残っているんだ。まだ帰れないんだよ。


 だから消えて。

 頼むから。

 完全に手遅れになる前に。


「……奏斗?」


 消えてよ。消えて。


「おい、何してんだよ」


 こんなの。こんなの。


「いらないんだよっ……!」

「奏斗!」


 強引に右手を外される。

 驚いた奏斗の視界に映ったのは見馴れた顔で。


「……い、つき……?」

「何してんだよ一人で」


 なんで、と奏斗は呟いた。

 樹は母さんたちと行ったはずじゃ……


「なかなか来ねえから戻ってきたんだよ。式の最中からお前おかしかったろ」


 奏斗は何も言わない。

 グッと眉をひそめて樹は奏斗の顔を覗き込んだ。


「……ダメだったのか?」

「……」


 聞くまでもなく、答えは明らかだった。

 気まずくなって奏斗は目を逸らす。

 樹の目を見られなかった。


「帰るか?」


 ふるふると首を振る。

 帰るのはダメだ。

 おめでたい日、なんだから……

 そこまで自分で考えて、悲しくなってくる。


「……無理だったんだ」


 静かな空間に奏斗の声が落ちる。


「やっぱりさ……好きみたいなんだ……」


 奏斗は力なく笑った。


 好きだった。

 まだ消えていなかった。


「僕は……」


 言いかけて口をひき結ぶ。

 それを樹は許さなかった。


「お前は?」


 お前はなに? と聞き返してくる。


「吐けよ。減るもんじゃねぇし俺しかいねぇんだからさ」


 我慢する必要なんてねぇんだよ。

 その言葉に奏斗は顔を上げ、迷うように瞳を揺らした。

 これ以上樹に迷惑をかけられない。

 でも。


「なんで……さ……」


 気づけば奏斗は口を開いていた。


「……なんで……好きになっちゃったんだろ……」


 一度声に出してしまえば、もう止めようがなかった。

 勝手に言葉が溢れていく。


「気づかなければさ、ただの……仲の良い、従弟として、接することも……できた、のに……」


 苦しい。


「こんなの、辛いだけなのにっ……だったら初めから好きにならなければよかったのにっ……!」


 なんでなんで。


「なんで僕はもっと早く生まれなかったんだろ……同い年だったら、年下じゃなかったら、僕だって……僕にだって……」


 可能性はあったかもしれないのに。


「辛いよ……」


 やっぱり来なければよかった。

 家にいればよかった。


「わすれられなくて、辛いんだ……」


 縋るように樹の腕を掴んで。

 堪えきれなかったものが頬を伝っていった。

 体が震える。喉が張り付く。

 奏斗は何もできなかった。


「奏斗……」

「ごめん……連れてきてくれたのにほんとに……」

「そんなことどうでもいい」


 急かすこともなく、じっと黙って奏斗の言葉を待ってくれていた樹。

 彼は椅子に座る奏斗の前の床へ膝をつき、奏斗を見上げた。


「お前は忘れたいのか?」


 その想いを。


「消したいってことでいいのか?」

「……」


 消す。

 それができたらどんなにいいか。

 できないから苦しんでるんだよ。

 できないから悩んでるんだよ。


 奏斗は樹から目を逸らした。


「そんな簡単に……できなかったんだよ。ニ年、あって……無理だったんだからっ……」

「別にさ、無理に消さなくてもいいんじゃね?」

「……え?」


 想像していなかった言葉に思わず視線を戻す。

 樹の目は真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。


「割り切っちゃえばいいんだろ。好きだけどそれだけ、って。実際わすれるのが難しいならさ、わすれないでけじめつければいいんだよ」

「けじめ……」


 わすれなくても?

 わすれなくてもけじめはつけられるの?


「……わすれなくても、いいの?」

「ああ」


 気を張っていた心が緩んでいくのを奏斗は感じた。


 ……無理に、消さなくてもいいんだ。


 消さなきゃ、消さなきゃと思い込んでいたから。消さなきゃ進まないと思っていたから。

 そんなこと考えもしなかった。


 この想いを否定しなくても、いいんだ。


「……樹」


 名を呼べば、何だよと少しぶっきらぼうに返ってくる声。

 奏斗は深呼吸した。


 重くない。息が吸える。

 正解を、見つけた気がした。


「ありがと」


 別にと樹は素っ気なく言うが、瞳は優しくて。

 奏斗はそれがくすぐったかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る