第ニ章
無事、待ち合わせ時間前に駅に到着。
「あっつ……」
思わず奏斗はネクタイを緩めた。ブレザーはとっくの昔に腕の中へと移動している。暑さでどうにかなってしまいそうだ。
ちょうど傍にあった自販機でペットボトルの水を買いキャップを捻る。一口飲めば心地よい冷たさが火照った体を癒した。
ホッと息をついてから辺りを見渡せば、駅の周りは昼間の賑わいを見せていた。仕事中なのだろうサラリーマンの姿も多い。スーツは暑そうで見ているだけで苦しくなる。
「大人って夏休みないのかな」
そりゃあ、学生みたいに一ヶ月も休める訳ではないだろうけど。平日の昼間に仕事なんて大変だな。
奏斗も今年受験生。来年には大学生としてこの世界で過ごしているのかと想像してみるけれど、あまりまだピンと来ない。大学生ですら想像できないのだから社会人なんてもっとわからない。ましてや結婚なんて。
「美玲さんは、もう奥さんなんだ……」
昔とは違う。彼女は今日、社会人も飛び越してもっと遠くに行くのだ。
奏斗には想像もできない世界だった。
手の中のペットボトルをぼうっと眺めていると、隣に誰かが立つ気配がして。
「なに水と見つめあってんの?」
振り向けば怪訝そうな樹の姿があった。
見つめあうってなにさ、と奏斗は苦笑する。
「変な言い方やめてよ」
「じゃあ何してたんだよ?」
「大人って大変だなあって考えてた」
「は? 急に?」
何言ってんだという目で見てくる。ひどい。
「だってスーツとか絶対暑いじゃん。制服でもこんなに暑いのにさ」
「まあそりゃ暑いだろうけど。今日式に来る人だってスーツの人多いだろ。正装だし」
それにしても暑いなと、樹はシャツにパタパタと空気を送っていた。一番上のボタンは外されている。
それを奏斗は恨めしく思った。
「ネクタイない分そっちの方が涼しそうだけど?」
「お前も外せばいいじゃん」
「……正装だし」
「変なとこで意地張んなよ」
こつんと頭を小突かれる。痛い。
「そろそろ行くか」
腕時計に視線を落とした樹が言う。
「電車来んのにちょうどいい時間だし」
「涼しいかな」
「お前ついに暑さしか気にしなくなったな」
改札を通り、学校に行くのとは別のホームに下りる。それだけでちょっとした旅行気分だ。
そういえば最近は全く外に出ていなかった気がする。
久しぶりの外出が結婚式って……と奏斗は少し虚しくなった。
タイミング良く滑り込んできた電車に乗る。中は冷房が効きすぎていて今度は寒かった。
「暑がったり寒がったり忙しいやつだな」
「うるさい」
ふるっと震えた奏斗を樹が笑ったので、奏斗はパンチをお見舞いしておいた。
他愛もない話をしながらガタゴトと揺られること数十分。降りた瞬間もわっと漂ってくる熱気に奏斗はうんざりとした。冷やされた体が再び燃やされているかのようだ。
本当に、この時期は疲れる。
降りた駅は大きかった。人も店も多くてはぐれてしまいそうだ。
樹の方が数センチ高いため、奏斗は密かに樹を目印にして歩いた。
「ふぅ……やっと落ち着けるな」
人混みを抜けたのはしばらくしてからだった。
「結構遠かった……」
奏斗はぐったりと項垂れる。長時間電車に乗っていたし人混みで気を使っていたしで疲労度はもうMAXだ。運動部とはいえ引退した運動不足の身にはハードルが高い。
そんな奏斗とは対称的に、まだ引退していないらしい樹は元気だ。
「おい、なに休憩しようとしてんだ。行くぞ」
「ちょっ、待って待って。水だけ」
急いで喉を水で潤して、空になったペットボトルを自販機横のゴミ箱に捨てる。ガコンという音が鳴った。
迷いなく歩き出す樹の横に並ぶ。
「すっごい進んでるけど、道わかるの?」
「朝見てきた」
「……出た、樹の記憶力おばけ」
「人を妖怪みたいに言うな」
「だって事実だもん」
それを勉強面に活かせられれば樹は最強になれると思うんだけどね。残念なことだ。
「……お前今失礼なこと考えただろ」
別にー? とかわして奏斗は周囲に視線を向けた。
大通りを歩いているからかいろいろな店がある。コンビニやファーストフード店はもちろん、アンティーク調の小物屋や大きめの本屋まで。あ、あれ家の近所にもある店だ。支店あったんだ……
「着いたぞ」
「ふぇ?」
不意に立ち止まった樹に奏斗はパチパチと瞬きした。
「着いたって……だってここ、」
花屋じゃん。
店先に並べられた植木鉢。ショーウィンドウに飾られた小物。店を華やかに彩るのは色とりどりの花だ。
「そうだけど?」
何か問題でも? と言いたげな表情の樹にいやいやと突っ込む。
「式場向かってたんじゃないの?」
「向かってるさ。こっちの方向であってるんだよ」
でもその前に、と呟いて樹はいきなり奏斗の背をバンと叩いた。
「っ、いっ!?」
「お前何も用意してねぇだろ」
「ったぁ……へ?」
用意って何を?
ポカンとする奏斗にはあっとため息をつく樹。
「やっぱりな。さっき持ち物聞いてきたあたりから確信はしてたけど」
「ん……?」
「お祝いの品! 結婚式なのに用意しないつもりか?」
「……あ、ああっ!」
やばい。
今さら思い出した昨日の母の言葉。
『お祝いは用意してるの? まあまだなんでしょうけど。ちゃんと行き道にでも買ってきなさいよ? お祝いなしなんて話にならないからね』
そして今奏斗は……何も持ってない。
「やっば!」
どうするんだ。
「まったく……この礼儀知らずめ」
完全に呆れ顔の樹に奏斗はうっと言葉に詰まった。
「ご、ごめん」
「別に。始めから期待してなかったからな」
「うっ……」
耳が痛いです。
「ほら、選んでこい」
え、と奏斗は驚く。
「花なら買えるだろ」
「で、でも僕センスないよ?」
「気に入った花を選べばいいんだよ。アレンジメントは店員に任せろ。おまかせした方が早いし綺麗だ」
なんかいろいろ失礼なことを言われた気もしなくもないけど。
ほら行けともう一度背中を押し出される。
「ボサッとしてっとほんとに時間なくなるぞ」
「う、うん」
やっぱ優しいんだよなぁ、樹は。
言葉は刺々しているから勘違いされやすいけど、すごく面倒身のいい奴なんだ。
奏斗はそっと店内に足を踏み入れた。
途端に濃くなる花の香り。苦ではなくむしろずっといたいくらいの良い香り。
「わ……」
意外と種類があった。当たり前のことだけれど、色も違えば匂いも違う。花びらの形も違う。こうして花を間近でちゃんと見たのは、なにげに初めてかもしれない。
そんなことを考えながら店内を見回す。
結婚式だから白色? それともピンク?
ニ色に絞ってみてもまだ花はたくさんある。全然決められない。
奏斗は困って頬をかいた。
こういう時皆はどうやって決めているんだろう。
花言葉とか? でもそんなの知らないし。
……贈り相手に似合う花、とか?
贈り相手、でドキッと胸が鳴った。
そうだ。これは彼女に渡すものなんだ。
結婚する、彼女に。
ぎゅっと心臓が掴まれたように痛んで奏斗は首を振った。
余計なことを考えるな。今は花を選ぶんだ。
思考を戻す。
彼女なら? 彼女なら何が一番似合う?
きっと何でも似合う。けれどそれじゃダメだ。
最後に会ったニ年前の彼女を思い出してみる。
一番に思い浮かんだのは白だった。昔からよく白色の服を着ていることが多かった。そのせいかもしれないけれど彼女には白色が一番しっくりくる。それと、大きい花も何か違う気がする。
ふと、上の段に飾られている花が目に止まった。
あの花は……
「お気に召すものは見つかりましたか?」
奥から出てきた店員に話しかけられ奏斗はビクッと肩を揺らした。
「え、あ……」
「贈り物ですか?」
ニコニコと聞かれる。
「えっと、はい。そうです」
うわー、店員さんとの会話って苦手なんだよな···
奏斗はぐっと気合いを入れて、あの、と話しかけた。
「あそこにある花って……」
「ああ、あれはブライダルベールという花ですよ」
「ブライダル、ベール?」
「はい」
下ろしてくれた花は小さくて可愛らしかった。
「ブライダルベールという名前は、白いベールをまとった花嫁のような純白の花を咲かせることから来ているんですよ。結婚式に買われる方が多いですね」
結婚式。まさに今だ。
良いものを見つけたかもしれない、と奏斗は店員に向き直った。
「すみません、これください」
「かしこまりました」
アレンジメントはどうしますかと聞かれたから、樹のアドバイス通りおまかせでお願いしますと奏斗は答えた。
幸いちょうど他に客がいない時間帯だったため、すぐに取り掛かってくれるとのことだった。あまり時間もかからないと言う。
その言葉は正しかったようで、店内を眺めていればあっという間に完成した。
「こちらでいかがでしょうか」
「あ、すごい……ありがとうございます」
ピンクと白を貴重としたブーケ。
咲くのは鈴のような花嫁の花。
彼女の雰囲気にぴったりだと、奏斗は思わず微笑む。
その様子に気づいて店員がフフッと笑った。
「お好きなんですか?」
「え?」
「そちらを渡すお相手さんのことです。想い人さんなのかと」
見つめる瞳が温かかったので、と店員は言う。
……そうなのかな。
やはりまだ変わっていないのだろうか。
「いえ……親戚への贈り物です」
奏斗は静かに首を振り、“親戚”とあえて口にした。
店員はそうですかと微笑む。
少し寂しそうに見えた。
代金を支払ってブーケを受けとる。邪魔になるといけないからと、通常よりも小さめのサイズを選んだため持ち運びは楽そうだった。
会釈をして店を出ようとした奏斗を店員が呼び止める。
「その花なんですが」
振り返った奏斗の腕にあるブーケに視線を送り、店員は続けた。
「花言葉は幸福、そして願い続けるなんですよ」
幸福。願い続ける。
「あなたに幸せが訪れますように」
そう願っていますねと笑顔で見送られて。
店を出た奏斗は、なんだか不思議な人だったなぁとブーケを抱え直した。
「おまたせ、樹」
電柱にもたれてスマホに視線を落としていた樹に声をかければ、顔を上げた彼は奏斗の手元を見てニヤッとした。
「なんだ、ちゃんと買えたんじゃん」
「そりゃ買えるよ。選んだだけでほとんど何もしてないし」
「お前のことだからまたぐだぐだ悩んで決められないと思ってたけどな」
「うっ……決められなかったから、自分の直感を信じました!」
どうせ僕は花とか詳しくないし、と開き直る。
そうだ。直感だって大事だ。
ちゃんとそれらしいものだったし。
「まあでも」
いいんじゃねぇの、と樹は体を起こした。
「それ結婚式とかでよく見る花だし。お前の割には良いの選んだだろ。あいつにも似合うさ」
「……うん」
そうだねと奏斗は曖昧に笑った。
このブーケ、渡せるかな……
せっかく綺麗なんだし渡したいけど。
心情は複雑だ。
歩き出しながら奏斗は腕時計で時間を見る。
式が始まるまで、あと数十分。
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