幸せと想いの花束を
詠月
第一章
――薫風の候 皆様にはますますご清祥のこととお慶び申し上げます
このたび 私達は結婚式を挙げることになりました
つきましては 日ごろお世話になっている皆様――
そんな手紙が届いたのはもう三ヶ月も前のこと。
月日が流れるのは早いもので、心の準備なんて全くできずに迎えた当日。
「……はぁ」
机の上に無造作に置かれた招待状。その横にあるクローゼットにかけられたハンガーには、クリーニングから返ってきたばかりの制服。
それらを見つめて奏斗はため息をついた。
支度をする気力が湧かない。やっぱり行かなくてもいいだろうかと、うだうだ悩み続ける。返事はとっくに出席で出されてしまっているというのに。
「あーもう」
こんなキャラじゃないのに、と奏斗は髪をガシガシと掻いた。
そのままドサッとベッドに仰向けに倒れ込めば視界いっぱいに広がる無機質な天井。奏斗の心中とは裏腹に、早朝とは思えないほどの明るい光がカーテンの隙間から溢れていた。
「本当にどうしよ……」
いつまでもこうしてはいられない。行くなら支度を、行かないのなら連絡をしなくては……
「そうだ、連絡すればいいんだ」
名案を思いついたとばかりに、奏斗はヘッドボードへと手を伸ばし充電していたスマホを引き寄せた。
メッセージアプリを立ち上げ、今頃忙しくしているであろう今日の主役の名前を探す。なかなか見つからず黙々と液晶に指を滑らせていれば、それは1番下にあった。
表示されている最後の日付は2年前のもの。
「あ……」
それを見た瞬間ドクンと奏斗の心臓が脈打った。
タップしかけた指が止まる。この先は見てはいけないと、脳内で警鐘が鳴る。
思わず奏斗は画面を真っ暗にしてスマホを置いた。
「……まだだ」
きっと、まだその時じゃない。
まだ会うことはできない。
「やっぱり行けないなぁ……」
呟いたことでいっそう罪悪感と申し訳なさで胸がいっぱいになってきた。
重い腕を持ち上げて顔を覆う。何も考えたくないのに余計なことまで思い出してしまって。どうしよう、と再びそこへ戻ってしまった。
どうしよう。行きたいけど行きたくない……でも行かないと。でも会いたくない……
ループする思考にふけっていると突然大音量で音楽が鳴り響いた。
「うわっ!? はっ、え、何っ!?」
ビクッと飛び起きて音源を探る。いったい何事だよ。
手離したばかりのスマホを再び手に取り画面を明るくする。ディスプレイに表示されている名前はよく見馴れたものだった。
「樹?」
どうしたんだろう。
不思議に思いつつも耳元へと持っていく。
「もしもし?」
『あ、奏斗。起きてたのか』
奏斗よりも少し低いテノール。電話越しに聞くのは久しぶりだなと考えながらも、呑気な樹の言葉に奏斗は苦笑した。
「かけてきておいて、それ? 起きてるに決まってるじゃん」
『おっ、今言ったな? お前寝坊は理由に使えなくなったからな?』
「え……は?」
ポカンとする奏斗。スマホの向こうで樹が笑う気配がした。
『どうせお前のことだから、今日になって行くか迷ってんだろ』
え、なんでわかるの。
「樹……いつから超能力者になったの?」
『なってねぇわ、ふざけんな』
テンポよく返ってきた突っ込みに奏斗は笑った。
そのままごめんごめんと続ける。
「樹は朝から元気だね」
『お前、誰のせいだと……ちゃんと起きれないかもしれないからって、波瑠さんにお前を起こすように頼まれたんだよ』
「母さんに?」
『ああ。結婚式の準備だなんだで朝早くから集まってるだろ』
感謝しろよ、と樹が上から言う。樹の方こそ朝苦手なくせに。母さんも僕を何歳だと思ってるんだろ。1人でくらい起きれるし。
それに、と奏斗は少し気分を落とした。
……起きたくなくても起きるに決まってるじゃん。
『で、何時に待ち合わせる?』
「あー、そのことなんだけどさ」
自然を装って奏斗は切り出す。
「やっぱりさ、僕今日……」
『出席な』
「はえ?」
言おうとしていたことと真逆のことを言われ奏斗は動きを止めた。
『欠席は俺が許さねぇぞ』
「え、何で!?」
過去を振り返っても、樹が何も聞かずに否定したことなんて一度も無かったのに。
『何でって、お前……』
耳に届いたのは滅多に出さない、樹の真剣な声色。
『いつまで引きずってる気だよ』
「っ……」
まるで、ぎゅっと心臓を掴まれたような気分だった。
『そうやって逃げて、もう結構経つだろ。いい加減向き合えよ』
「……」
『おい奏斗』
奏斗は何も言えなかった。
あまりにも正論すぎて、何も言えない。
黙り込んだままの奏斗に樹がはあっと息をついたのがわかった。
『何がそんなに不安なんだよ?』
……わからない。
わからないんだよ。
自分でもよくわからないんだ。
奏斗はグッと拳に力を込めた。
この長いようで短かったニ年間。
変えたくて、何も考えないようにしていたニ年間。
「……僕、変われたのかわからないんだ」
床に下ろしていた足を引き寄せ顔をうずめる。
『何を変えたかったんだよ?』
「……気持ち」
彼女への、想い。
奏斗と樹は従兄弟同士だ。家も近所だし親の仲も良好だしで幼い頃からよく一緒に遊んでいた。高校は分かれてしまったがそれは今でも変わらない。樹は奏斗にとって従兄弟というよりも親友といった表現の方がしっくりくる。それほどの深く長い付き合いだから、きっと全てバレているのだろう。
「僕ね……美玲さんのこと好きだったんだ」
美玲は年の離れたもう一人の従姉。
そして今日の主役。
樹と比べれば会う機会は当然少なかったけど。優しくて、年上には見えないほど可愛らしくて。部活で初めて入賞した時だってすごく誉めてくれて。
「……ずっと」
幼い頃から、ずっと。
「好きだった」
好きだったんだ。
『……伝えたのか?』
「ちゃんとは言ってない。そんな簡単に言ったら気まずくなるだろうし」
ニ年前に一度自然を装って聞いてみたことがある。どんな人がタイプなのか、どうしても気になったから。
彼女は答えてくれた。
年下は考えてないかな、って。
今の彼氏が一番って。
そういう対象として見られていないのはわかっていたつもりだったんだ。でもいざ言われた時、奏斗は想像以上にショックを受けた。
「だから、離れたんだよ」
この想いは忘れなきゃって。想い人がいるなら、しかも付き合っているなら勝ち目なんてないから。
「今ならまだ、忘れられるって。美玲さんを困らせたくなかったから」
これからも親戚の集まりとかでいろいろと会う機会は多いだろう。気まずい思いをしてほしくないし、奏斗だってしたくない。
忘れるのが一番。
そう思って奏斗は美玲と距離を置いた。長年抱えてきた想いに終止符を打つために。
それがニ年前だ。
「……でも、わからない」
『何が?』
「気持ち」
今の、気持ち。
「ずっと忘れなきゃってなってたから……美玲さんのこと考えないようにしてたし。今自分がどう思ってるのかもわからなくて……」
まだ好きなのかもわからない。
そう言えば樹は納得がいっていないような声で唸った。
『じゃあ別に行ってもいいんじゃねぇの?』
「それは……」
『消えてるかもしんねぇんだろ? 想い』
「……そう、だけど」
おろおろと視線を泳がせる。
『なに、他にも何かあるのか?』
さすが、樹は鋭い。お見通しみたいだ。
奏斗は苦笑して頬をかく。
「消えてくれてたらいいけど……もし、もしもだよ?」
『ん』
「もしさ、消えてなかったら……会っちゃダメじゃん。会ったらまた自覚しちゃうじゃん。そうしたら、」
想像してみれば、自分の手が冷たくなっていくのを奏斗は感じた。
ウェディングドレスを見に纏った彼女はきっとすごく綺麗だろう。きっと昔みたいに笑いかけてくれる。鈴を転がすようなコロコロとした可愛らしい声で話しかけてくれる。
でもその隣には知らない男性がいるのだ。彼女と一生を共に過ごすパートナーが。
「そうしたら……もう、立ち直れない、と思う……」
今までとは違う。想うだけでもダメなのだと、現実を突き付けられて終わり。せっかく忘れかけていたのに、やっぱり会わなければよかった、なんてことになる未来しか奏斗には思い描けなかった。立ち直れる自信がない。
だから行かない方がいいんだ。
「ごめん樹。だからさ、僕の分もおめでとうって言っておいて?」
しんみりとした空気を変えるために奏斗はあえて明るい声を出した。
「体調崩したって母さんたちには連絡するからさ」
『……それでいいのかよ』
静かに樹が聞いてくる。
『お前はそれでいいのか?』
「……うん」
『後悔しねぇの?』
「……後悔……」
奏斗は力なく笑った。
「そんなの、もうしてるよ。ずっとね」
こんな想いなんて抱かなければよかったのに。何で気づいちゃったんだろう。何であんなこと聞いちゃったんだろう。
全部全部。後悔だらけだ。
『……奏斗』
ギシッと何かが軋む音がした。
なんだ、やっぱお前も起きたばっかだったんじゃん、なんて奏斗は思う。
『わかんねぇんだけどさ、お前はどうしたいんだ?』
「え……?」
予想外の言葉に奏斗は目を瞬いた。
『だってお前、忘れなきゃとかもしとか。そんなのばっかりで自分がどうしたいかについては全然話さねぇじゃん』
お前はどうしたいんだよ。
「僕、は……」
わからない。こうして話していても、やっぱりまだ好きなのかさえもわからない。何がしたいのか。どうしたいのか。
「……お祝いしたいよ。おめでたい日なんだから」
できることなら心からお祝いしたい。
『なら行けばいいんだよ』
「で、でも、できないかもしれないよ? まだ好きだったら……」
嫉妬するかもしれない。
心からなんて言えなくなるかもしれない。
『行かなきゃわかんねぇんだろ? じゃあ行こうぜ』
樹は真っ直ぐに言った。
『行ってみてもう大丈夫ってなったらそれでいいんだし。ニ年かかっても消えてないんだったら、荒療治にはなるけどボロボロになってきた方が効くだろ』
厳しいようにも聞こえる樹の言葉。
『俺がいるし。何かあったら即帰ればいいしさ』
けれど優しくて、温かい。
『だから行こうぜ』
なっ! と笑う樹の姿が目に浮かんだ。
……いつもそうだ。何もかも胸に溜め込んでしまう奏斗の限界にすぐに気づいてくれるのは、いつも樹だった。助けてくれるのは。支えてくれるのは。全部樹だった。話を聞いてくれるのも。一緒に解決策を考えてくれるのも。全部。
「……ごめん」
思わず呟けば、はっ? と樹がすっとんきょうな声を上げた。
『え、は? ここまで言ったのに行かねぇの? 今完全に行く流れじゃね?』
「あ、違う違う。ごめんそうじゃなくて」
勘違いさせてしまったみたいだ。奏斗は笑った。
「樹、やっぱ行くよ」
『お、マジ?』
「マジ。僕も行く」
ここで一人で考えていても何も変わらなかったんだ。樹が言った通り少し大胆になってみてもいいのかもしれない。もし最悪なことになったら樹に当たればいいんだから。
そう思える勇気を、彼に貰った。
『じゃ、さっさと準備して来いよ。迎えにはいってやらねぇからな』
「わかってるって。子供じゃないってば」
『お前変なとこ抜けてるから説得力ねぇぞ』
「抜けてるって、どこが? 僕は至って普通だよ?」
『……そう思っとけ』
何なんだ。
また後で、と切ったスマホを見つめて奏斗は首をかしげる。
「あ、そうだ、だからまだ準備してないんだった」
樹と待ち合わせた時間まではニ時間もない。普通に用意すれば余裕だけれど、あいにく奏斗は起きてからまだ着替えさえしていない状態。
とりあえずベッドから下りてカーテンと窓を開ける。思ったより長い時間話していたらしい。入ってきた風は、すっかり朝特有の賑やかさを纏っていた。
奏斗はその空気をスウッと肺いっぱいに吸い込む。ついさっきまでのもやもやが嘘のように消えていた。
もちろんまだ不安はあるけれど。それ以上に、素直に行きたいと思えるようになっていた。
着替えようと制服に手を掛けても嫌悪感は無くて。改めて樹の存在は大きいのだと実感した。
「大丈夫」
今日。ちゃんと確かめてこよう。
もし残っていたらけじめをつけてくるんだ。
距離を置くだけじゃなくて。
正面から向き合って。
ブレザーを羽織る。
よし、と気合いを入れてネクタイを締めた。
次は荷物だ。
「……あれ? 待って、何必要なんだっけ」
両親に昨日さんざん言われた気がするけど、行く気がなかったから全く覚えてない。というかなにで持っていけばいいんだろう? 学生鞄……は違う気がするしリュックも合わないだろう。普段用の肩掛けもダメだろうし。
奏斗は頬をひきつらせた。
これは……やばいかも?
『なに、』
「いつきぃー!」
『……お前なぁ……』
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