9.ありがとう

葉月を家に送り届け、自分の家に戻ると、オレは玄関のドアを、音を出さずに静かに開けて、中に入った。



なんとなく、いつものように帰り辛かった。



リビングから父さんと母さんの話し声が聞こえた。



「まさかリクがなぁ、想像できん事をしでかすとは」



「タクが高校2年になって直ぐに髪を赤くしたじゃない? あの時、なんて子なのかしらって思ったわ、そんな頭、不良じゃないのって注意したら、不良ってなんだよって親をバカにしたように笑うし、つい最近まで勉強もしないでバイトばかりして、何買ったのか知らないけど、タクは駄目ねぇって、その点、リクは成績もいいし、イイコに育ってくれたと思ってたのよ。でもそれが蓋を開けたら、タクの方がまだマシ・・・・・・」



「頑張って育ててきて、こんな事になるとはな」



「リクが20歳も過ぎて、仕事もしてる大人なら、喜んだ事だったかもしれないのにね」



「あぁ、そうだな」



「あの子達、本当にわかっているのかしら、子供を生んで育てるって事」



「今更どうこう言っても仕方ない、味方だと言ってしまったからな」



「タクもタクよね、おにいちゃんとしては、よくやってくれてると思ってたら、弟の事、ちゃんと考えもしないで、無責任だわ」



「・・・・・・そうだな」



「まさかタクもメイちゃんと健全な付き合いをしてないんじゃないかしら」



「・・・・・・そうだな、タクは高校生だしな」



「そうよね・・・・・・リクは学校の方はどうなるのかしら?」



「退学かもな」



「向こうのご両親とも、ちゃんとお話しなきゃならないわよね」



「あぁ、リクが挨拶に行った後の状況を聞いてからだな」



想像していたが、想像以上に、両親は思い悩んでいて、オレは胸が苦しくなる。



余り深く考えないようにしてほしいと思う。



なるようにしかならない。



悪い事ばかりじゃないと前向きに思ってほしい。だから、



「ただいま」



何も考えてないように、普通にいつも通りに、リビングのドアを開けた。



「リク、葉月ちゃん、ちゃんと送ってあげたの?」



「うん」



と、頷きながら、冷蔵庫のドアを開けて覗き見る。



兄貴の彼女が買ってきたケーキの箱が入っている。



まだ食べないで置いてあったんだと思いながら、ふと、見ると、麦茶しかなかったのに、



「コーラ、買ってきたんだ? もらっていい?」



と、コーラを見つけたので、そう聞くと、



「いいわよ。あ、そうそう、今日の夕飯はね、ピザでも頼もうかって事になったのよ、リク、何がいい?」



余りに母さんが普通にするので、オレは缶コーラを2本、手に持つと、



「エビマヨ」



と、普通に応えたが、でも込み上げてくる気持ちが、オレを普通にさせてくれなくて、



「ごめんね、父さん、母さん、思うように育たなくて。でもオレ、感謝してるよ、生まれて来れた事。オレに、光を見せてくれた事、ホント、感謝してる」



自分でも自分を抑えられず、そんな台詞を吐いてしまった。



父さんと母さんが何か言う前に、オレは走り出し、階段を駆け上がった。



少し自分の部屋で深呼吸をし、気分を落ち着かせた後、兄貴の部屋へ向かった。



ノックして、ドアを開けると、兄貴はベッドに寝転がって、パンフレットを見ていた。



「兄貴、コーラ飲む?」



「あぁ、サンキュー」



と、起き上がり、手を伸ばすから、オレは兄貴の部屋に入り、コーラを手渡した。



机の上に広げて置いてある幾つかのパンフレット。



「どこ行くか決まった?」



「伊豆かな」



言いながら、プシュッと音をたて、コーラを開けて、兄貴は飲み始める。



「兄貴、スマホ返すよ、それから翔太さんの500円も」



「あぁ、うん、そうだな、そうか、トッポとファンタオレンジだったっけ?」



と、兄貴は笑いながら、スマホと500円を受け取ったので、



「ありがとう」



そう言うと、兄貴は、



「別にスマホくらいで、そんな改まって礼なんて言うなよ」



と——。



だからそうじゃなくてと、



「今日、ありがとう、加勢してくれて」



そう言った。



「あぁ、別に、気にすんな。加勢したのは、本当に、お前の一生の愛を誇りに思ったからだ。お前がもし中絶したいからって話してたら、オレは加勢しなかったよ」



「兄貴って、昔からだっけ? 変わらない愛情みたいなもんに、憧れてるのって?」



「・・・・・・違うよ、だっておれ、最初はメイの事、なんとなくで付き合ったし」



「そうだったの?」



「エロい事ばっか考えてさ、メイをなんとかしたくて、家に泊めようとしたら、メイの奴、父さんと母さんに泊まっていいですかって変な挨拶し出して、客間で寝かされてたし」



そういえば、そんな事があったなぁと、オレは笑いながら、



「そりゃ兄貴が悪いよ、泊めるにしても、親がいない時にしなきゃ」



変なアドバイスみたいな台詞を言うと、兄貴はそうかと考え込むようにし、だが、直ぐに、



「でも良かったんだ、結果的に」



我に返るように、考えるのをやめて、真面目な顔でそう言った。



「結果的に?」



「今は、おれ、メイを大事にしたいからさ、メイの気持ち優先で考えたいと思うから。あの頃は、おれ、焦って、大事な事、見失ってたんだ」



「フーン・・・・・・兄貴をそう思わせたのは、何かあったから?」



「ある出会いが、おれを変えたんだ」



「出会い?」



「もう二度と会う事もない人で、もう絶対に会えない人だけど、その人さ、かっこいいんだよ、一途に一人を真剣に愛し続けててさ、おれが知ってる世界で一番切ない恋をしてるんだよ」



「その人の影響を受けたって事?」



「あぁ、そうだな、おれ、影響受けやすいからさぁ」



と、笑う兄貴。



オレはフーンと頷きながら、コーラを飲む。



「ありがとうって言いたいよ、その人に。だって、おれ、今の自分、結構好きだから」



本当に感謝してるんだなぁと、兄貴の顔を見て思う。



「リクもさ、自分を好きになれる自分になれよ」



「・・・・・・」



「あぁ、でもリクはおれと違って、容姿端麗で頭も良くて、スポーツもできて、その上、男気あるよなぁ。ホント、びっくりしてるけど、お前の選択は正しいって思うよ、そんな自分を大好きだろ?」



「オレ、別に容姿端麗じゃないし、頭も良くないし、スポーツもできないよ、それにオレはナルシストじゃないから自分を大好きに思えない」



「そりゃ、お前の自分への評価だろ、周りの評価はおれと同じように思ってる奴が殆どだと思うぞ、つまり、お前はナルシストになっても許されるって訳だ」



「・・・・・・オレ、兄貴の弟で良かった」



「は?」



「父さんと母さんの子供で良かった、生まれて来て良かった、これから先で待ってる出会いにも、きっと良かったって思える出会いが沢山あるんだろうなぁって思う。ありがとうって感謝したいよ、沢山の良かったに出会える事に」



「誰に感謝?」



「生れてこれた事に」



「成る程」



「うん、兄貴だって、その兄貴を変えた人に出会えたのは、兄貴が生れたからだよ」



「そうだな」



「オレに出会えて良かったって思ってくれる人もいるかなぁ」



「いるよ」



「そうかな? オレ、結構、嫌われてるよ?」



「これから生れてくる子供は思うよ、お前に出会えて良かったってさ」



「・・・・・・」



それはどうかなぁと、七不思議の世界で出会った未来の子供を思い出しながら苦笑いする。



「で、学校へ行って、日向って奴には会えたのか?」



そういえばと、思い出したように、兄貴が尋ねた。



オレは、コーラをコクンと飲み、



「うん、会えたよ」



そう答えると、玄関のチャイム音が聞こえ、



「あ、ピザだ。夕飯、ピザらしいよ、オレ、エビマヨって言っといた」



そう言った。



「エビマヨ? おれエビ嫌いなんですけど」



「知ってる」



「性格悪いな、お前っ!」



「兄貴程じゃないよ」



「おれはお前が嫌いなトマトの入っている奴を頼んだ事ねぇだろ」



「よく言うよ、こういうのは先に頼んだもん勝ちだって、そう言ってたじゃん」



「いつの話だよ」



「そういうムカツク事は、いつまでも覚えてんだよ、オレは」



「性格悪っ」



「兄貴のスマホの待ち受け程じゃないって。あれクソ悪いよ、マジ趣味疑うわ」



オレと兄貴は笑いながら、部屋を出て、2人で下におりると、ピザのニオイがした。



父さんがいて、母さんがいて、兄貴がいて、オレがいて。



この家族が増える事は嬉しい事なんだ。



ヒカル、お前の血を継いだ子だから、お前もオレの家族なんだと思っていいんだよな。



ヒカル、生まれて来てくれてありがとう。



オレの家族になる子を残してくれてありがとう。



全ての誕生に、ありがとう。



笑顔ある団欒があるのは、そこに生れた命があるからなんだと、オレは改めて思う。



それからは目まぐるしい日々だった。



葉月の両親からは、怒られたなんてものじゃなく、それはもう許されない事をした仕打ちは相当の怒りだった。



ヒカルの両親からは、何も反応がなく、多分、どうすればいいのか、わからないのだろう、無言のまま話を聞いてもらえたが、話終わった後も、無言のままだった。



オレは、何度となく、ヒカルの両親に会いに行ったが、チャイムを鳴らしても、ドアを叩いても、出て来てはくれなかった。



居留守なのか、本当に留守なのか、わからないが——。



二学期に入り、学校は退学にはならなかったが、葉月は休学し、オレは暫くの間、謹慎処分を受け、学校側はオレ達の事で、何度も話し合いの会議が開かれた。



オレの処分が解け、学校へ行くと、誰もオレと目を合わせようとはせず、3年の先輩からは、からかわれ、1年からは陰口を叩かれた。



オレの机の上は卑猥な落書きで一杯になり、コンドームを置かれたりもした。



だが、オレは動じなかった。



オレは頑張るとヒカルに約束したからだ。



父さんとも成績は下げないと約束をしたから、オレは休まずに学校へ通い、勉強も今迄以上に頑張った。



勿論、部活にも休まず出た。



試合には出させてもらえなかったが、それは多分、夏休みの間、さぼっていたのが原因だと思う。



葉月の親とは平行線が続いたが、もう堕ろせない段階に入ると、葉月と会う事は許され、オレは葉月が通う産婦人科に一緒に付き添った。



その頃にはマスコミも騒ぎ出し、オレ達は外に出るだけで注目の的だった。



お腹が大きくなる葉月を、通り縋る知らない人までが振り向いて見た。



だが、葉月もオレと同じで動じなかった。



お腹の子が順調と言うだけで、嬉しいんだと言って、笑顔を見せた。



兄貴も兄貴の友人も、オレ達を励ましてくれ、兄貴の彼女は葉月の相談相手にもなってくれた。



兎に角、一生懸命だった。



一日、一日を、兎に角、必死に生きた。



そんなオレ達を、最初に許したのは、光一だった。



オレが机の上に置かれたゴミを捨て、ジュースの残りが零れてベトベトになった机の上を雑巾で拭いていると、椅子もベトベトだと言いながら、雑巾を持って来て、拭いてくれた。



そして、葉月の体調はどう?と、聞いてくれた。



そろそろ予定日なんじゃないの?と、覚えていてくれた。



葉月の体調は、順調は順調だったが、やはり葉月のまだ幼い体での出産は無理があり、帝王切開する事になった。



分娩室へ行く葉月に、なんて声をかけていいか、わからず、それでも何か言わなければと葉月に寄り添っていたが、そんなオレを邪魔とばかりに、突き飛ばし、オレの母親と、葉月の母親が、何度も大丈夫だからねと、そう言って、葉月の手も握り締めてて。



オレの出番はないに等しかった。



オレは葉月が無事でいるように、子供が無事に生れてくるように、祈り続けた——。



赤ちゃんの泣き声が待合室に聞こえた時は、本当にドラマのように、オレは感動して、

涙を流した。

そこにヒカルの両親も駆けつけてくれて、赤ちゃんの泣き声に、皆が涙した。



オレはヒカルの親に、一番最初に、赤ちゃんを抱いてもらいたくて、そう願うと、ヒカルの両親は、快く赤ちゃんを抱っこしてくれた。



ヒカルにそっくりだと、涙をイッパイ流しながら、そして笑顔で、赤ちゃんを優しく包むように、抱っこしていた。



赤ちゃんは、オレが想像していたより、うんと小さくて、可愛くて、これがあのクソ生意気な死神と名乗った少年になるなんて信じられないと思った。



名前は予定通りサンと名付けた。



ヒカルの両親は、サンの為だから、ヒカルの事は全て内緒にと、今後も只の知り合いという立場で、サンを見守りたいと、そう言った。



だから、サンがヒカルの子である事は、オレの親も、葉月の親も知らない。



只、オレと葉月のかけがえのない一番の友人の両親だと認識している。



本当はサンを孫として、サンの祖父祖母として、ずっと傍にいたいだろう。



でも、只の知り合いという立場を選んだヒカルの両親は・・・・・・



ヒカルの両親は、あのヒカルを育てた親なんだなぁと、改めて、そう思わされた。



命名サンと書かれた紙を持ち、オレと葉月と葉月に抱かれたサンを、記念写真におさめたのは、遅れて来た葉月のお父さんだった。



出産後も、葉月の体調は順調で、サンも元気にすくすく育ち、そうなると、反対する人の方が少なくなり、通りすがりの見ず知らずの人までも、応援してると声をかけてくれた。



マスコミも静かになり、周囲から温かく見守ってもらって、オレ達は感謝しても感謝しきれない中で生きている。



伝えきれない程のありがとうと言う想いが溢れる程、オレ達は、幸せだと思った。



サンがヒカルと同じ障害を背負っていても、それが原因で、サンがヒカルに似てると噂され、葉月はオレの子供ではなく、ヒカルの子を生んだんだと言われても、親友の彼女を奪った結果、親友を死なせ、その子供の世話をする事になったバカな奴と、オレを笑う奴がいても、そんなの笑い飛ばせるくらい、オレ達は幸せだった。



それはヒカルがくれた奇跡で、サンがくれたものだった——。

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