5.独りぼっち

死神は、またふわりと宙に浮くと、



「とは言うものの、望まれない命もあるしね。生きていても役に立たない連中が殆どの世の中だし、どうでもいい奴ばっかの連中が自殺や事故で死んでも、そういう奴等は世の中をどうでもよく見てる訳だから、留まる事なんてないだろうし、死ななきゃならない命もあるって訳だ。それに生まれないで良かったって思う世の中だしね」



まるで冗談でも言うように、笑いながらそう言った。



オレ達は、何も反論できず、只、死神を見上げていた。



「生きてみたいと思う程、この世界は綺麗じゃない」



それは死神の意見だろうか、それとも誰が見ても思う真実だろうか。



シーンと静まり返ったが、さんちゃんが、



「あそこに体育館がある。確か、体育館の鏡って不思議があったよな、行こうぜ」



と、気分を変えるような明るい声で、そう言って、オレ達を見た。



オレ達は頷き、再び、武器を持って、体育館へ向けて歩き出す。



「それにしても、アタシだけ武器つかってないねー!」



「しーちゃんはボクシングって言っても、ダイエットでやってただけなんでしょ? それに幾らクラブしてるって言っても直接攻撃は怖いよね」



「うん、近寄らないと駄目だしね、怖いよ」



「武器なんて使わないで済むなら、それが一番だよ」



ふーちゃんとしーちゃんが、そんな会話をしながら歩いている。



さんちゃんは、バットを右肩の上に乗せ、ふらふらと歩いている。



「体育館の鏡って、あの幕で閉じてある鏡の事か?」



オレは皆の背中に、そう問いかけると、皆、振り向いて、オレを見た。



オレも自分に驚いている。



そういう記憶はあるようだと。



「バレリーナーの話よね?」



と、ふーちゃん。



「そうそう、バレエ部って今はないけど、昔はあったんだよね」



と、しーちゃん。



「なんだっけ? 確か病気で死んだバレリーナーだったよな?」



と、さんちゃん。



「今度は病気で死んだ幽霊か」



そう呟いて溜息を吐き、俯くオレ。



体育館には壁一面に大きな鏡があって、それは常に幕が下りていて、鏡が姿を現す事はないが、たまに幕を捲り上げ、女子が身形を映し見たりしている。



本当に不思議だと思う、体育館の鏡なんて不思議は知らないのに、そういう事は記憶にある。



つまり、オレは本当にこの学校の生徒なんだな。



薄々、自覚していたけども。



「そのバレリーナー、公演でもアイドル並に大人気だったらしいの、でも病気で踊れなくなって、やがて学校へも来れなくなって、そしてベッドから起き上がれなくなるのよね。で、ベッドの中で夢を見るの。まだ踊れていたあの頃の夢を。観衆の中、彼女はスポットライトを浴びて、とても美しく舞って、拍手が鳴り止まないの。もう一度、踊りたい、もう一度、舞台に上がりたい、もう一度、見てほしい、そう夢を見ながら死んで行ったそうよ。それから、体育館の鏡の中で、バレリーナーが踊っているのを見たと言う人が多くなって、幕を閉じて、鏡に何も映さないよう仕舞ってしまったの」



しーちゃんの話を聞きながら、オレはフーンと頷いた。



何故か、さんちゃんもフーンと頷いている。さては詳しくは知らなかったな!?



体育館の扉を開けると、シーンと静まった広いフロアは、なんとなく独特な空気が流れ、だが、電気は点いていたから、怖さも不安もなく、中へ入れた。



バスケのゴールを見ながら、オレは、体育館の中央辺りまで歩いてくると、



『リク』



その声に振り向いた。



よく脳裏に浮かび、見てしまう映像の世界で、ヒカルは、オレをリクと呼んでいる。



でもこれは現実だろうか、直ぐそこにヒカルが立っていて、オレに、



『パス!』



と、バスケットボールを投げてくるから、それを受け取ろうとするが、そのボールは途中で消えた——。



笑顔でそこに立っていた筈のヒカルもいない。



「いっちゃん?」



ふーちゃんがオレを呼ぶから、オレはまた脳裏に浮かんだ映像だったかと、ふーちゃんに振り向いて、



「なに?」



何食わぬ顔で返事をした。



「鏡の幕を捲ろうかって話してたでしょ? 誰が捲る?」



「・・・・・・オレが捲るよ」



そう言ったオレに、さんちゃんが、



「ずっとさ、お前ばかりにやらせてる気がする。罰ゲームでもないんだし、お前もさ、もう少し拒否れよ」



と、そう言うと、壁一面に垂れ下がった幕の場所まで歩き出す。



どうやら、さんちゃんが幕を捲ってくれるようだ。



罰ゲームかと、オレはそれもそうだなと思う。



別に悪い事をした訳でもないんだから、嫌な事を進んでやる必要はない。



さんちゃんは、カーテンのような幕を捲り上げ、鏡全体を露わにする。



鏡の中に、オレ達は映っていない。



不思議はない。



ここは最早、オレ達がいた世界とは少し違う。



オレ達の存在そのものが、この世界では、存在しないのかもしれないのだから。



そして鏡の中に映る一人の女の子——。



「細っ」



さんちゃんが、その女の子のプロポーションに、思わず、口を吐いた。



キャミレオタードを着た女の子は、スカートをヒラリと翻し、くるりと舞いながら、爪先立ちでポーズを決める。



思わず、その綺麗な立ち姿に、おおおっと声を上げるオレ達。



だが、女の子は、納得いかなかったのか、バレエシューズを脱ぎ、足首をくるくる回して、溜息を吐いている。



そして、またバレエシューズを履いて、駆け出すように手を広げ、高くジャンプして、爪先立ちで着地し、ポーズを決め、オレ達は、すげぇなと、魅入ってしまう。



だが、女の子は、再び溜息。



「そうだ、ピアノ!」



と、しーちゃんは、何か思い立ったように、突然クラブを脱ぎ捨て、舞台へあがると、置いてあるピアノの所へ行き、



「白鳥の湖、弾きます!」



そう言い出した。



おいおい、大丈夫か?と思ったのも束の間、美しいピアノの音色が体育館に響いた。



鏡の中の女の子も、音に気付いたようだ、少し驚いた顔で、辺りを見回し、そして、首を傾げたが、ピアノの音色に耳を澄ませ、踊り出した。



独りぼっちのバレリーナーの舞台が始まる——。



「・・・・・・鏡の世界に音が届いているんだ」



オレがそう呟く横で、ふーちゃんが、



「綺麗ね」



うっとりして、バレリーナーに見惚れた台詞を吐いた。



女の子は憧れるのかもしれない。



細くスレンダーな体を滑らかに動かし、綺麗な美しい立ち姿で、凛とした表情の女の子に。



確かに憧れるのもわかるが、オレは、鏡の中のバレリーナーより、隣にいるふーちゃんの方が可愛いと思った。



この子が葉月と言う子なら、ヒカルが好きな子と言う事だ。



無論、オレが見ている映像が正しい記憶ならばの話だが——。



でもヒカルが好きになるのもわかる気がする。



見た目がタイプって事は大きいだろうが、オレが化学室の幽霊に掴まれている時、一番最初に幽霊に攻撃をしたのは、この子だ。



正直、武器として渡されたモノは、武器として使うには勇気がいる。



幽霊とは言っても、人のカタチをしているのだ、つまり人を攻撃するなど、普通はできやしない。



簡単な事じゃないんだ、人に武器を向けるなんて。



世の中、ニュースで流れている程、人は人に攻撃的な訳じゃない。



でもオレを助ける為に攻撃してくれたんだ。



多分、オレじゃなくても、この子は攻撃しただろう。



この子は、そういう子なのかなと思えば思う程、もっとこの子を知ってみたくて、そう思ったら、引き返せない程、この子を好きになっている——。



今、ピアノの音が終わり、ふーちゃんがパチパチと拍手をして、さんちゃんも拍手をしているから、オレは急いで拍手をしながら、鏡を見る。



鏡の中で、少女は、どこからか聞こえる拍手に辺りを見回しながら、恐らく聞こえてくる方向はこちらからだと、こちらをジッと見つめ、そして、綺麗な姿勢でバレエ特有のようなお辞儀をすると、フッと鏡の中から少女の姿が消えた。



「行っちゃったね、彼女のもう一度、踊りたい、もう一度、舞台に上がりたい、もう一度、見てほしいって言う願いが叶ったのかもね」



と、舞台から下りて来るしーちゃんは、クラブを持って、



「ピアノが役に立って良かった、私だけ武器を使わずで、役立たずかもって思ってたから」



と、笑いながら、オレ達の傍に来た。



「その武器、もう使わないだろ」



と、笑うのはさんちゃん。



「でも、まだわからないよ、だって、開かずのトイレ・・・・・・一番怖そうな不思議がまだ残ってるもん」



と、ふーちゃんも笑っている。



「開かずのトイレって、どんな不思議?」



オレがそう尋ねると、



「東通路の開かずのトイレに入ると、知らない女子生徒が血塗れの手で助けてって言って、その手を伸ばしてくるのよね。でもその女子生徒が、どうして血塗れなのか、どうして助けてって言うのか、全然わかんない」



ふーちゃんが、そう話し、オレはフーンと頷く。



「女子トイレだよな? 俺は入った事ないから知らないけど、東通路の女子トイレで、本当に開かない個室があるんだろ? そこの事なんだよな?」



さんちゃんが、そう言って、ふーちゃんとしーちゃんを見ると、二人共、頷いた。



「トイレの花子さん的なもんかな? 特に意味はないけど、現れるみたいな」



そのさんちゃんの意見に、



「確か花子さんも現れる理由があったと思うよ?」



と、しーちゃん。その時、



「ヒカルはそういう話好きでしょ? 詳しいんじゃないの?」



と、ふーちゃんが、そう言って振り向いたから、オレは驚く。



だが、ふーちゃんは、我に返るように、ハッとして、



「ごめん、そんな人、いなかったよね」



と——。



もしかして、オレだけじゃない?



ヒカルの映像が脳裏に浮かんで、鮮明に見えているのは——。



「何か思い出したの?」



ふわふわと宙を漂いながら問う死神に、オレ達は無言だった。



「後一体だからね、徐々に記憶も戻りつつあるのかな」



死神がそう言うと、オレ達はお互いを見合い、そして、お互い、目を逸らした。



何故だろう、何故か、皆、記憶が戻る事は嬉しいが、その嬉しい感情の裏に、酷く不安を抱えている。



オレは早くヒカルを思い出したいのに、やはり、不安に思うのは、ここにヒカルがいないからだろう。



どうして、ここにヒカルはいないんだろう。



「行くか! 後一体だしな!」



さんちゃんが言う。



「でもその一体を成仏させたら、死神のお願いを聞き入れた事になって、私達も成仏させられちゃうんじゃないの?」



しーちゃんが言う。さんちゃんが頷きながら、



「あぁ、そうだな、そういやぁ、あの死神、ホント何もしねぇから」



そこまで言うと、今度は小声で、オレに向かって、



「只、見てるだけの奴に油断させて欺くって無理じゃねぇかよ」



と、そう言うから、そんな事言われてもと、オレは無言で歩き出す。



「おいコラ! お前が言い出したんだぞ!」



と、オレを追って来るさんちゃん。



ふーちゃんとしーちゃんも、オレを追うようにして、体育館を出た。



また校舎の中に戻り、迷路のような入りくねったローカを歩きながら、とりあえず東通路のトイレに出る事を祈る。



ウロウロウロウロとあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、だが、なかなか辿り着けず、オレ達は1−Dと書かれた教室に入って、暫く休憩する事にした。



オレはローカ側の入り口近くの椅子に座り、ふーちゃんはグラウンドが見える窓際の席へ座り、さんちゃんは後ろの中央の席へ座り、しーちゃんはど真ん中の席へ座る。



それぞれ何を思ってか、座る場所もバラバラ。



「私達、何年生かな?」



窓から見える歪んだグラウンドの景色を見ながら、ふーちゃんが誰に問うでもないが、呟いた。



「1年って感じしないよね」



しーちゃんが言う。



「3年って感じもねぇな」



さんちゃんが言う。



「じゃあ、2年?」



と、ふーちゃんが、オレ達を見ながら、そう聞くと、皆、うーんと首を傾げる。



「友達はいるのかな?」



またふーちゃんが誰に問う訳でもないが、そう呟く。



「そりゃいるだろ」



と、さんちゃん。



「アタシ達、友達なんじゃない?」



と、しーちゃん。



「だといいね」



ふーちゃんが笑顔でそう言うと、さんちゃんが、



「記憶戻って、友達じゃなかったら、友達になりゃいいじゃん」



と、爽やかなスポーツ少年らしい笑顔で言う。



友達って、そんな簡単なもの?



オレにはわからない。



逆に記憶が戻って、友達になれない場合だってあるだろう。



嫌いな奴だったかもしれないのに——。



「じゃあさぁ、約束しない? この不思議な体験が夢じゃなくて、現実で、ちゃんと元の世界に戻れたら、アタシ達、ずっと仲良しの友達でいるの」



と、しーちゃんがそう言うから、オレは立ち上がり、



「そろそろ行こう」



と、一人、教室を出た。



そんな約束なんてできない。



オレは、みんながいる教室から急いで離れるように、足早になる。



オレの頭上で、



「何目指してんの?」



死神がそう聞くから、



「何って、トイレだろ、東通路にあるって言う——」



そう答えると、



「そうじゃなくて。孤独でも目指してんの?」



と、オレが約束しなかった事を問いただしているようだ。



足早に歩きながら、オレは、



「関係ないだろ、お前に」



と、冷たい返事を放つ。



「孤独なんて嫌だと思わない?」



「うるさい」



「幽霊を見てきて思わなかった? 孤独だなぁって」



「静かにしろ」



「それでも孤独がいい?」



「黙れ」



「ずっと独りぼっちでいいの?」



「なんなんだよ、お前っ!!!?」



オレは立ち止まり、振り向いて、上を見上げ、死神に怒鳴る。



「いいか、人間ってのはな、生まれてくる時も死ぬ時も独りなんだよ、そう言うだろ!!」



「へぇ? そう言うの?」



「そう言うんだよ! 独りぼっちが嫌だからって誰かに縋っても、誰も傍にいてくれない。だったら誰かに惨めに縋るより、独りに慣れる方がいい。いちいち面倒なんだよ!!」



「フーン? 何が面倒?」



「面倒だろ、傍にいてくれると期待したり、これから先も楽しい事が待ってると信じたり、悲しい事も分け合えると思ったり、そんなの、もう面倒なんだよ、結局はなにもかも独りで受け止めなきゃならないんだ、誰もオレの傍になんていないから!! ヒカルだって——!」



ヒカルだって?



ヒカルだってなんだ?



ヒカルも、オレから離れたのか?



急に黙り込むオレに、



「ここ東通路みたいだね」



と、死神。



え?と、死神を見ると、死神はオレの背後を指差して、



「トイレ見っけ」



と——。



ゆっくり振り向いて、トイレを目に映すオレに、



「東通路、目指してたんでしょ? 良かったね、辿り着けて。しかも独りで」



そう言うから、オレは死神をムカツク奴だと本気で思う。



女子トイレだが、この際、関係ないだろと、オレは一人で、トイレの中に入る。



個室が5つ並んでいる。



鏡が並び、洗面所が並び、その辺は男子トイレと変わらない。



古いトイレだと思うが、公衆トイレのような汚さはない。



電気も点いているので、暗い訳でもない。



ドキドキしながら、一番手前の個室のドアを押し、中を確認する。



和式の、特に変わりないトイレだ。



ドキドキしているのは、いろんな理由がある。



ここが女子トイレだと言う事、そして、個室を開けると言う行為、更に今、オレは一人だと言う事、なのに血塗れの手を伸ばし、助けてと言う知らない女子生徒が現れると言う恐怖の場所にいる。



だが、一番のドキドキはこの不思議が終われば、ヒカルに会えるかもしれないと言う事。



記憶が蘇れば、きっとヒカルの存在が明らかになる。



それはヒカルに、いつでも会えると言う事になるだろう。



オレは思い出した記憶の中で、ヒカルに会いに行き、この不思議な体験の話をするだろうか、それともヒカルには会いに行かず、何も伝えないまま、独り、この不思議な体験を思い返すのだろうか。



あぁ、その前に、あの忌々しい死神をどうにかしないとな。



本当に命を奪われ、あの世逝きなんて、冗談じゃない。



しかも、あんなオレ達と変わらない年齢に見えるクソガキ同然の死神なんかに!



オレは次のドアに手を伸ばし、ゆっくりと押して、中を覗く。



誰もいない、普通の和式のトイレ。



そして次の真ん中のトイレの個室のドアに手を伸ばし、押してみるが、ピクリとも動かないので、オレの心臓は飛び跳ねる。



ここだ。



ここが開かずのトイレ——。



このドアの向こうに、血塗れの手を伸ばす女子生徒の幽霊がいる。



オレは少しばかり力を入れて、ドアを押してみると、ギッっと嫌な音を出して、ゆっくりとドアが動いたので、ゴクリと唾を飲み込み、少し離れて、ふわふわ宙に浮いている死神を上目遣いで見ると、



「やっぱ独りは怖い? みんなを呼びに戻る? そしてみんなに惨めに縋ってみる?」



にやにや笑いながら、嫌味な台詞を吐かれ、だが、オレは素直な性格ではない為、



「言ったろ、そんないちいち面倒な事はしねぇよ、それにオレは独りで平気だ」



と、強がった台詞を言うしかなかった。



死神は、フーンと頷き、やはり少し離れて、ふわふわ浮いているだけ。



くそっ! こうなったら勢いでいくしかねぇ!!



オレは力一杯、ドアを押し、ギギギッと嫌な音を出して開かれたドアの向こうを覗く。



「・・・・・・なんだ、誰もいねぇじゃん」



オレはホッとして、開かずのトイレって、ここじゃなかったのかなと、振り向いた瞬間、目の前に、血塗れの女が、血塗れの手の平を広げ、手を伸ばし、オレの顔に近づけて来て、



「助けて」



と、囁かれる。



その囁く声が、オレの耳元で聞こえるから、今にも失神しそうになる。



後ろへ一歩下がり、剣を握り締め、



「どうやって助けたらいい?」



一応、血塗れの女に聞いて見る。



そして、自分に言い聞かせる。



この女は怖いものではなく、普通の只の女で、怪我をしていて、血が出ているので、それを助けるのだと。



だが、女は血塗れの手を伸ばして、オレの顔に触ろうとするから、思わず避けてしまう。



逃げていては助けられない。



後ろへ後退する足を踏ん張るようにして、その場に立ち止まり、オレは歯を食いしばり、目をぎゅっと閉じて、女の手を受け入れようと思った。



女の手がオレの額辺りに振れた瞬間、目蓋の中に浮かぶ光景は、女がトイレに逃げ込む所から始まった。



女は個室に逃げ込む。



男がトイレに入って来た。



手前の個室を開け、女がいないと、次の個室を開け、そして次の個室で、ドアが開かないと、男は体当たりして、無理矢理、ドアを抉じ開けて、中にいる女を引っ張り出す。



乱暴される女は抵抗するが、男の腕力に敵わなくて、やがて、やられるがままになり、そして、最後は男の持っていた刃物で滅多刺しににあう——。



女の感情まではオレの中に入ってこなかったので、只のドラマのシーンのように、只、オレはその光景を見ていた。



殺された女は血塗れでトイレの個室に入れられた。



男は、その後、どうなったのだろう、捕まったのだろうか?



オレが目を開けると、そこにいる女は血塗れの手を伸ばすのをやめて、ダランと下に落とし、そして、只、そこに佇んでいた。



「・・・・・・ごめん、オレ、どうしてあげる事もできない」



この人は、自殺でもなく、病死でもなく、事故死でもなく、他殺で、その死はどうしたら、ここを去ってくれるのだろう。



「時間が・・・・・・あるんだよ・・・・・・オレ達が生きている世界では・・・・・・時間があるんだ。キミが殺された事件は・・・・・・学校の七不思議になるくらい遠い過去なんだよ・・・・・・」



しどろもどろ、オレは女に説明する。



「それに犯人は捕まったのかもしれないし、そのまま全うして生きたかもしれないし、わからないけど・・・・・・とっくにもうキミと同じで死んでると思うよ・・・・・・人間は永遠じゃないから・・・・・・いつか死ぬんだから・・・・・・」



只、佇んでいる女はオレの話を聞いているのか、聞いていないのか、わからない。



でもオレに、殺された事を知らせたかったと言う事は、きっと犯人を見つけてほしいんだろうと思った。



だから、オレは何度でも、



「人間は永遠じゃないから、キミを殺した人間も、もう死んでるんだよ」



そう話した。



泣きそうになるのは、多分、生きている人間が一番怖いと思うからだ。



幽霊が怖いと言う感情とは、また違う。



生きている人間は裏切るし、平気で人を傷付けるし、人を殺すし——。



女が消えていなくなっても、オレは、何度も何度も同じ台詞を吐いた。



人間は永遠じゃないと——。



手に持っていた筈の剣はなくなっていて、記憶は・・・・・・多分、戻っている。



オレは手の甲で涙を拭い、トイレを出ると、葉月と光一と朱莉が立っていた。



オレを追って、ここまで来たが、記憶が戻り、ここで立ち止まったと言う感じだろう。



「なんで榛葉がいるんだよ?」



光一が怒り露わの表情と声色で問う。



「今週は全部活、休みだろ、なのになんでいるんだって聞いてんだよ!?」



「なんでって、ならお前は?」



オレは、無感情の淡々とした口調だが、いつも通りの口調だろう。



「俺は部活休みって忘れてたんだよ」



言いながら、葉月を見て、



「でも来たついでに部室に忘れ物取りに行ったら、葉月が校舎に入って行くのを見たんだ」



と——。



すると、朱莉も、



「アタシも。アタシはたまたま葉月を見かけて、学校へ入って行くから、後を付けたの。校舎に入ってくし、夏休みなのに、なんだろう?って思ってたら・・・・・・」



突然、キッとオレを睨み、



「そしたら榛葉くんが現れたから」



憎しみたっぷりの口調でそう言うと、



「クラブ、どうして消えちゃったのかな、消えなかったら、やっと役に立てたのに。榛葉くんを思いっきり殴れたから」



と——。



「ハッ! 殴ってやれよ、素手で。そのお綺麗な顔を思う存分サンドバック状態にしてやりゃいいんだよ、こっちの気が済むまでな」



光一はそう言うと、オレを睨むから、オレは黙ったまま、葉月を見る。



葉月はどうして学校へ来たんだろう?



俯いている葉月。



「そうよね、殴ってもいいわよね、だって、まだ二人してコソコソ隠れて会ってたんだから。まさか学校で待ち合わせ!? 信じられない!」



朱莉がそう言うから、



「違う!」



オレは否定した。本当に違うからだ。



「オレはもう葉月に会ってないし、言っとくけど、葉月を本気で好きだった訳じゃない、只、からかっただけだ。もう二度と二人で会う気はないし、用がない限り話もしない」



「だったら、何しにお前は学校へ来たんだよ!?」



「オレが学校へ来たのは——」



あれ?



オレ、なんで学校へ来たんだ?



そうだ、ヒカルに呼ばれたんだ・・・・・・。



光一は忘れ物をして、朱莉は葉月を追って、そして葉月は何故、学校に?



オレはなんで?



もしかしてオレだけヒカルに呼ばれた?



だとしたら、ヒカルはオレを待ってる?



どこで?



そんなの決まってるじゃないか。



「おい!? どこ行くんだよ!? 榛葉!? 逃げるのか!?」



光一が吠えているのが聞こえたが、オレは独り、走り出していた。



七不思議の世界から、オレ達は抜け出せたのだろうか、それとも、今までの全ては夢だったのか、もう見えている世界は歪んでいない。



オレのよく知っている学校だ。



そして、オレは、ヒカルの居場所をよく知っている。



オレがよく独りでいる場所にいるんだ。



アイツは、オレが独りになると、どこだって来るんだよ、太陽が照りつける場所でも、アイツは、帽子を深く被り、笑顔で近寄って来るんだ。



階段を駆け上り、屋上の扉を開けた。



オレンジ色の空が広がり、ヒカルは、柔らかそうな細いサラサラの薄茶色の髪を風に揺らしながら、振り向いて、息を切らすオレを見た。



独りぼっち、ヒカルはずっとそこで待っていたんだ——。

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