第5話 空の地 1

 僕は川沿いの砂利道をひたすら歩いた。シュン君のことを誰かに助けてもらいたい。それだけだった。

 

 いっぱい汗をかいたのといっぱい泣いたせいで、喉がカラカラに渇いていた。川のほうへ近づき見てみると水はとても澄んでいて、魚が手に取るように泳いでいるのが見えた。飲んで大丈夫なのかわからなかったが、それよりも喉が渇きが我慢できず川の水を飲んだ。とても冷たく、たまらず顔も洗った。それからまた足の痛みを我慢して川沿いを歩いた。

 何分か川沿いを下ると、川にかかる大きな橋が見えた。汽車が通れるくらいの広さの舗装された道だった。川からのわき道から上に登ることができた。

 

 この道はどっちに行けばいいのだろう。降りてきた崖が右側だったのでおそらくこっちだろうと思い左に曲がり進んだ。

 この道は木々に覆われていてやたらとグネグネ曲がる下り道だった。曲がり角には灰色に汚れた鏡が所々あったが鏡の向こうから何か来ることはなかった。

 また20分くらいか。道に沿って歩くと、覆われていた木々が少なくなり視界が開けてきた。辺りには平地が見え、畑や田んぼ、小さな家のようなものがいくつか見えた。誰かいて動いているのも見えた。僕は急いで走り始めた。

 

 来た道からさっき見えた家のほうへ向かう曲り道を見つけた。その道もまた汽車が通れるくらいの砂利と土の道で曲がると左右には田畑が広がっていた。スクールでよく食べたボウルやその他の野菜が育てられている。

 周りの景色は少し寂し気に薄い群青色を帯びてきた。遠くの空ほうは薄いピンク色がかっており遠くで鳥が鳴いているのが聞こえた。この日、昼間は曇っていてお日様も見なかったが今は雲も薄くなり天気になっていた。静かに湿った風も吹いていた。

 

 右奥のほうを見ると誰かいるのが見えた。畑でなにやら作業しているようだ。急いで近づき話しかけようと思ったがその瞬間目を疑う。人?人間じゃない。犬か。でも2本足で立っていて作業している。

 それは遠目でみると人と同じような形をしており、人と同じくらいか人よりも少しばかり背が高く少しばかり猫背で二本足で立っていた。上半身は裸で藁のようなものでできた半ズボンのようなものだけを身に着け、その体は人とは違い全身からきれいな茶色の短い毛が生えていた。髪の毛も茶色く短い。横顔を見た感じは人とそっくり、いや目、鼻、口、耳など人とまったく同じだ。あのきれいな茶色の毛、前に見たことがある気がする。確か、前にミサトちゃんが見せてくれた。

 

 「見て、かわいい人がいる。」

 不意に別の2匹のそれが僕を見つけ僕の後ろで話し始めた。僕はびっくりして少し距離を取った。男女のように見えた。

 「かわいい。まだ小さい。」

 「人がこんなところにいるなんて珍しいなあ。あれ、意外ときれいな服を着ている。野良じゃなさそうだ。」

 2匹は座って、ちっちっちっ、と口を鳴らしながら、乾燥肉を持った手を僕に差し出してきた。くれるのか?とても怖かったが敵意は感じらず本能的に大丈夫そうなことを悟った。勇気を振り絞って話してみることにした。

 「こ、こんにちわ。」

 小さな声で言うとその2匹は

 「うわあ、喋った。すごい。喋ったぞ。人って本当にしゃべるんだ。」

 「やっぱり野良じゃないんじゃない。ねえ僕、どこから来たの。私たちの言っていることわかる。」

 などと盛り上がり始めた。喋って当然じゃないか。

 「スクールから来たの。」

 と僕が答えると

 「え、スクール?あ、あの上にある、ぼ・・・。いや、あの山の上の施設のことね。へえーそうなんだぁ。」

 女のほうが急に焦った様子で言った。僕は怖くて震えが止まらなかったがすぐにシュン君のことを思い出し人を探さないとと思った。でも、人が珍しい?意味がまったくわからなかった。こちらからしてみればこの犬みたいな動物が人と同じように喋っているのが不思議だった。

 「僕、人を探しているの。僕のママとか、他の人でもいいのですが居そうなところは知りませんか?」

 「え、ママ?人?ええっと・・。」

 2匹はお互い見つめあって困惑した顔をしながら僕に背を向けコソコソと何やら話し始めた。この犬のような動物、いったい何なのだろう。少しすると男のほうが僕をみて言った。

 「あのさ、ぼく。あの、あっちの遠くに見える家があるだろ。あそこにこの村じゃとても物知りで知らないことはないって言われているトルストロさんていうこの辺りじゃ有名なおじいさんがいんだ。昔、技術者をやっていたおじいさんさ。大きい体で全身真っ白で、長くて白い髭をつけているからすぐにわかると思う。たいてい夕方はあそこで座って食事しているから今日もいると思う。その人に聞けばなんでも教えてくれると思うよ。よかったら行ってごらん。」

 と、遠くに見える小さなオレンジ色の明かりのついた小屋のほうを指さして教えてくれた。何やら男は困惑した雰囲気であった。

 「じゃあねー。」

 「元気でなあー。」

 そういうと2匹はなにやらコソコソ話したまに僕のほうをちらっと見ながら逃げるように去っていった。


 それから言われた家のほうに向かって歩いたが、その間もその犬みたいな動物はところどころにおり、僕を見ては「あ、人だ。」とか「人がいるー。」などとびっくりしていたし、距離を取っり後ずさりして逃げていくものもいれば、近づいてきて話しかけてきては僕の頭をなでたり、首をくすぐったり、例の乾燥肉を差し出してくるものもいた。少し言葉を発するとみんなさっきの2匹のように驚いた様子だった。遠くでは4つ足で追いかけっこしている小さなその動物もいた。子供だろうか。

 

 日が陰ってきていた。もう辺りは薄暗い。周りには明かりらしいものはなく、ところどころにある小屋にはスクールにもあったあのランプが灯されて辺りをやさしく照らしていた。

 さっきの2匹に言われた通り、その家まで来た。見てすぐにあの人(?)であることはわかった。近くにおばさんのようなその動物もいた。共に、人のようで人ではないさっきの動物だ。同じく上半身は何も服を着てなくズボンのようなものだけ穿いている。おばさんがこっちに気が付いた。

 「あら、人よ。ちいさいくてかわいい。」

 「なんだって?」

 トルストロおじいさんの顔は少し怖かった。僕は少し後ずさりした。少しの間僕をみると、トルストロおじいさんは少し笑って言った。

 「怖がらなくてもいいんだよ。こっちにおいで。」

 と手招きした。

 「トルストロさんですか?」

 「なぜ、わしの名前を?誰かに聞いたのかね。そして言葉が話せるんだな。びっくりしたよ。野良じゃなさそうだね。もしかしてあの上の施設から逃げてきたのかね。」

 「はい。上のスクールから友達と外に出たんです。でも友達、途中で崖から落ちて死んじゃって・・。ママ。僕のママ知りませんか。」

 「ママ?君のママかい。」

 「はい。僕のじゃなくても、誰かのママでも良いんです。」

 少しの間があった。

 「気の毒だがもういないだろう。」

 「え?」

 平然と答えられたあまりにもショックな返事に、僕はまた顔中、水で満たされていく感覚を覚えた。


 「なんで、なんでそんなことが簡単に言えるの。どこかで仕事をしてるんでしょ。パパは。パパはどこなの。他の人達はどこにいるの。」

 横で聞いていたおばさんが、何かを悟り険しい顔をし困ったかのように家の奥のほうへと引っ込んだ。

 「ぼうや。あまり知らなくてもよいことがこの世には沢山ある。それでも知りたいかい?」

 トルストロおじさんはひと呼吸おいた後冷静に言った。

 「教えて。教えてよ。ママもパパも他の人もどこにいるの。どうしてママはもういないなんて言えるの。」

 トルストロおじいさんはもう大きなため息をつき、何やら飲み物を一口飲んだ。

 「本当に知りたいかい。まあ、外にいれば否が応でも知ることになるとは思うが。」

 「教えてよ。」

 泣きながら話す僕を見ると、トルストロおじいさんはもう一度大きなため息をついた。ひと呼吸し、ゆっくりと答えた。

 「あの、ぼうやが居たスクールと呼ばれている上の施設は食用の人を飼育している牧場じゃよ。ママもパパも他の人もおそらくもう誰かに食べられた後じゃよ。」



 周りが真っ黒になった。何を言っているのか全く理解できなかった。あまりにも信じられない回答に体が数秒動かなくなり、口からは「え、」の言葉すら発することができない。なんとか「うそでしょ?」と聞いても、トルストロおじいさんの回答は同じだった。全身の震え強まり動けない。またどっと涙があふれてきた。今日は昼過ぎからずっと泣いている。あれだけ泣いたのに、どれだけ人は泣けるんだろう。


 「食用って。ぼ、僕たち食べられちゃうの。」

 「そうさ。大きくなって食べごろになったら、あの牧場に隣接している屠畜場で解体、加工し我々のもとに食用として届く。我々は焼いたり保存用に乾燥して食べているよ。まあ、その、野良や君のように道を歩いている人を急に殺して食べるようなことは誰も絶対にせん。安心しなさい。」

 信じられない。人を食べるのか。安心しろって言われても。


 「君のママも、パパももうとっくに20は過ぎとるだろう。大体17歳、18歳くらいになると人の体は成長しきって食べごろになる。そのころを見計らって出荷されるんじゃよ。早いと最近は12歳くらいでも出荷される場合があるなあ。若い肉のほうがすこしばかり小さいが、臭みが少なくおいしいからのう。でもたいていは17、18歳くらいじゃ。オスは数人のメスに子供を植え付けたらその後すぐに出荷対象に、メスは子を産み子育てがひと段落すると出荷対象になる。おそらく君のママ、パパもそうじゃろう。」

 いったい何を言っているんだ?涙と震えが止まらない。声も必死にならないと出ない。そんなこと信じたくない。だって、だって・・。

 「だって、将来、僕たちは重要な仕事に就くって。そのためにみんなで生活して、いっぱい勉強だってしているし、そして卒業して、将来外で、ママと会えるって。先生だってそう言ってたし、そんなのって。」

 「家畜に重要な仕事なんぞないよ。美味しく育つのが仕事なのかのう。牧場でストレスなく自由に育てているのは、そのほうがのびのびと育ち美味しくなるからじゃ。だからあの牧場は自由にしておるじゃろ。あと、勉強はのう、その、人の脳みそが大きく育ち身が引き締まり美味しくなるんじゃよ。我々、ポオは人の脳みそが大好物でなあ。」

 「ポ、オ?」

 「そう。数十年前から、この星に移り住んでおる。」

 もう、これは夢だろう。早く覚めてほしい。この犬みたいなのがこの星に移り住んで、人が美味いから人を牧場で家畜として育て、その脳みそを食して生活しているだって?

 「じゃあ。先生は、みんな人じゃないの?トクマ先生も、サエ先生も・・」

 「先生?ああ、あそこの飼育員のことじゃな。あそこの飼育員はみんなポオじゃよ。」

 「だって、先生たち、自分たちも僕たちと同じ人間だって言ってた・・・。」

 言いかけて悟った。嘘だったのか。姿見られるとばれちゃうから暑い時も全身を覆い隠すような服をずっと着ていたのか。


 「でも、でも。僕、スクールから外に人がいるの見たことあるよ。」

 そうだ。外に人がいるの見たことがある。外にだって人がいるんじゃないのか。

 「人ものう、まれにしぶとく野生で生活しているのがおるよ。大体はこの星の環境に対応できず死んでいったがのう。たまに汚い野人を森の奥で見かけることがある。空き家などから生活物資を手に入れて生活しているようじゃのう。」

 だから、さっき会った二人、野良がどうこうと言っていたのか。

 「だって、トクマ先生、将来僕に飛行機乗りになれるって・・・。」

 トルストロおじいさんは、また大きなため息をついた。それ以上何も言わなかった。


 もう何も言い返すことができなかった。これが真実なんだ。

 顔にどんどん力が入らなくなりぐちゃぐちゃに崩れていく。我慢できない。僕はトルストロおじいさんの座っていた机の近くの地面にそのままうつ伏せになり、両手に顔をうずめ大声で泣いた。

 奥からさっきのおばさんが出てきた。

 「あらあら、教えてあげたの。気の毒に。おじいさん。ちょっとこれで落ち着かせたら・・。」

 と手に小さなスプレーを持って言った。

 「そうじゃのう。」

 2匹の会話を聞きふと見ると、僕の顔に向けられたスプレーが涙の中に浮かんで見えた。もしかしてそれって、スクールでサエ先生が持っていたって言っていたスプレーか?

 「それって・・。」

 と言っているうちに、トルストロおじいさんに顔にスプレーをシュッと吹きかけられた。

 次の瞬間、目の前が真っ白になり、気を失った。

 


 「・・・・・」

 何分か寝ていたようだ。いや起きていた気もする。まったく記憶がない。

 気が付くと、まだトルストロおじいさんとあのおばさんがいて、2匹で食事をしていた。あたりはすっかり暗くなっていた。ところどころにあのランプが灯されていてオレンジ色の優しい光で照らされている。2匹が僕に気が付いたようだ。

 「ああ、起きたかい。少しは落ち着いたかい。」

 おばさんポオがほっとした様子で僕に話しかけた。確かに全身が震えて動かしたくても自由に動ないような感じ、顔に力が入らず止めたくても止まらない涙がずっと出続けるような感じはなく、不思議と落ち着いた気持ちだった。まるであれから何日も経ったかのような気分だ。目の下は涙の乾いたあとでところどころ白くなっていた。

 「ねえ。そのスプレーって。」

 僕はおばさんに尋ねた。

 「ああ、これかい。これはMrBというスプレーで、吹きかけられた動物はなんでも気持ちが落ち着くのよ。ねえおじいさん。」

 「ああ。これこそポオ史上最高の発明品じゃ。まあ、わしらが自分に使っても落ち着かんがな。ははは。」

 トルストロおじいさんは、急に誇らしげに自慢げに胸を張ってそう言った。

 「坊や、今日は疲れたろう。私が良く寝床にしている場所の近くに誰も使ってない空いている小屋があるから今日はそこでお休み。ショック受けたろうに。おなかも空いているだろう。食事も作って持ってってあげるからお食べ。あら、大丈夫よ。人肉は使わないから。」


 確かにこれからどうして良いかわからなかった。おなかも減ってたし、いっぱい泣いたせいでものすごく喉も乾いていた。

 おばさんの名前はナナさんと言った。ナナさんは僕の手を握って、一緒に小屋まで連れてってくれた。とても柔らかくそれでいて弾力がありとてもやさしく温かい手だった。小屋と言っていたが、昔、誰かが使っていた家の一部のようで、スクールにあった部屋よりは狭かったが個室になっており、一人で寝るには十分すぎるほど広かった。布団、机、戸棚、あとあまりスクールでは見たことのない機械が置いてあった。部屋の中は例のランプで照らされていた。

 「そこにあるよくわからない機械は、私たちも使い方わからないのよね。人が作ったものらしんだけど。いじっても動かないと思うけどいじらないでね。変にいじってまた事故にでもなると大変だからねえ。」

 そう言って少し待っているよう僕に伝えるとナナさんは部屋から去っていった。そして数分後、料理を持ってきてくれた。スクールで良く出るような料理だった。スクールでも良く見たあの大きな丸いボウルという果物も一緒にあった。

 「このボウルは、ポオがよく食べる果物なの。みーんな大好き。この果物もポオが開発したものなのよ。大きくて栄養があって、おなか一杯になる。この果物どんな環境でも育って、数日でこの大きさになるの。だからこれさえあれば、私たちは食べ物に困ることはないのよ。美味しいしね。」

 友達の中にはボウルが嫌いであまり食べない人もいたが、僕は好きだった。これ、ポオの星から持ってきたものなのか。

 なんか本当にあのスプレーのせいで不思議と落ち着いた。今でも先ほどの現実は受け入れがたく悲しい気持ちには変わりないが、なんて不思議なのだろう。なるほど、赤ちゃんの面倒を見ている先生たちは、どうしても泣き止まない赤ちゃんをあやしたりするのに使っていたんだなってことが今わかった。

  

 「ナナさん。あのー。」

 「なんだい。」

 「あの、実は今日、僕と一緒にスクールから抜け出した友達がいて、シュン君、途中で崖から落ちちゃったんだ。僕が見たときはもう動かなくって、たぶん死んじゃって。明日見に行きたいんだ。良かったら、一緒に行ってくれないかなあ。」

 僕は自分でもわかるほど弱弱しい声で言った。

 「あらあら、そうなの。それは気の毒に。でも、あたしは一緒には無理だねえ。息子のアレックスにお願いしておいてあげるから朝一緒に行くといいよ。」

 「ありがとう。」

 「いいえ。ゆっくりお休みなさし。無理しないで、泣いてもいいのよ。」

 ナナさんはニコっと微笑んで言った。

 「ありがとう。ポオのみんなって優しいんだね。先生もみんな優しかった。」

 ナナさんは、ニコニコと笑いながら

 「ポオはもともと温厚な性格なのよ。みんな争いごとを好まないの。おやすみなさい。」

 と言って、部屋から出て行った。

 

 その日は疲れていたせいか、すぐに寝てしまった。

 

 

 朝、と言ってもまだ薄暗く朝になりかけの頃、外でダンダンと何度も扉をたたく音、ガタガタと扉をゆする音がした。次の瞬間、ガラガラっと横に扉が開いた。僕は音のしたほうを見た。薄暗い中真っ黒で大きな人の形をした陰が立っている。びっくりして布団にくるまりながら部屋の隅に逃げた。

 「やあ、脱走くん。おはよう。話は聞いたぞ。さあ行こう。」

 起きたばかりで何のことだかわからなかった。目にはいっぱいのヤニのせいで良く見えない。光が当たって痛い目をこすり、もう一度よく見た。背の高いポオだった。

 「行くぞ。汽車を用意した。道を案内せよ。」

 僕は恐る恐る上半身を布団から出し尋ねた。

 「もしかして、アレックスさん。」

 「おお、本当に人がしゃべった。しかも小さいなあ。こんなに小さな人を見るの始めだ。そうだ。アレックスだ。行くぞ。友達が死んだんだろ。早く埋葬してあげないとな。」

 アレックスさんは、とても体が大きく胸の筋肉がすごく肥大化している。体毛は昨日出会ったポウと同じくらいだが、髪の毛は長く足の毛も多かった。毛の色は同じ薄い茶色で、ところどころ白が混じっている。顔は人と造りは同じだが、目のホリが深く、眉毛が長くワイルドな感じで、鼻やその穴は大きく口は小さかった。最初、食べられてしまうのではないかと少し怖かったが、その不安は間もなく消し飛んだ。アレックスさんは汽車の運転席に座ると、

 「さあ乗れ。そこに紐があるだろ。それで体を固定するんだ。揺れるから落ちるんじゃないぞ。で、どっち行けばいいんだ?」

 と尋ねた。必死にここまで来たので道はうる覚えだったが、遠くに薄暗く上へ続く道が見え、あれに違いないと思い

 「あっちのほう。あの道を上に行って、そうすると大きな川があると思う。その川の上のほうに。」

 と伝えた。アレックスさんは

 「うぉぉん。ふぉいやーぁ。ふぁーあ。」

 と言うと、まだ暗い土の道を上の大きな道のほうに向かって進み始めた。この掛け声、どっかで聞いたことあるような。

 

 汽車はスクールのものよりも大きく早かった。そのため揺れが激しくうるさかった。道沿いの草むらに何匹かのポオが丸まってまだ寝ているのが見えた。

 「へい、脱走くん。名前は。」

 「え、ソウイチです。」

 「ソウイチ。俺はアレックス。クッチャリート、アレックスだ。よろしくなあ。いやあ友達は気の毒だったなあ。さあ、早く行ってやろう。」

 「よろしくお願いします。長い名前ですね。」

 「そうかい。普通だがなあ。ファーストネームがアレックス、ラストネームがクッチャリートだ。よろしくなあ。」

 何とかネームの意味は分からなかったが、そういえばスクールにいたみんなの名前は二つに分かれておらずみんな短かった。

 「で、ソウイチはなんだ。食べられることが怖くなって逃げてきたのか。そりゃ怖いよなあ。俺も、自分が食べられちまうってわかったら、そりゃ穴掘ってでも逃げるよ。やだもん。」

 「あ、いや。」

 なんか微妙な気持ちになった。

 「ねえ、アレックスさんにはパパはいるの。」

 「もちろんさ。あ、そうか、ソウイチのママ、パパはもう食われちまってるんだよな。気の毒に・・・。いや、俺じゃないからな、食ったの。確かにあの脳みそはたまに食べるとトロっとしてうまいし、人の肉は他のと比べて硬めで独特の味がしてうまい。骨のついた肉を手で持ってガブっとやると幸せになるよ。俺は特にもも肉が好きだなあ。皮をカラッと焼いて回りをパリパリの状態にして食うと外はこんがり香ばしく中はジューシーでうまいんだ。いや、でもソウイチのママ、パパ食ったのは俺じゃないからなあ。」

 アレックスさんは少しよだれを垂らしながら言った。このポオ、何の気づかいもなくべらべらと良くしゃべるなあ。だいたい食ったのは俺じゃないってなんでそんなこと言えるんだ。気が付かないうちに食ってるかもしれないじゃないか。でも明るくしゃべるアレックスさんを見て、責める気にはなれなかった。

 

 アレックスさん突如、まったく違う話をし始めた。

 「いやあなあ。この春、俺も別の男に負けまくってなあ。彼女できなかったんだ。あっちのほうが口が大きくってなあ。俺は筋肉には自信があるんだが、相手の口のデカさ見たらすこしびびっちまってなあ。」

 「はあ?」

 「口の大きさはあまり鍛えられないだろ。まあしょうがなくあきらめたよ。また来年の春、いい女見つけたらまたいっぱいアタックするんだ。一人くらい俺の彼女になってくれる女の子がいるはずだ。ま、そういうことで俺、最近少し凹んでいるんだ。なんか暗い空気になっちまったらごめんな。」

 「はあ。いや、暗い空気なんて全然。えっ、ポオは女の子のために勝負するんですか。」

 「あったりまえだ。生命の本能だ。人だってそうだろう。」

 「僕はしたことないです。」

 「まだ、チビだからなあ。そうか。」

 「勝負って、殴りあったりするんですか?」

 「いやあ、そりゃしないよ。うちらが本気で喧嘩すればどちらかが死んじまうか大怪我するさ。それをみんな知っているし、怪我をさせたほうだって悲しい気持ちになる。俺たちは体の大きさと口の大きさを比べ競い合うんだ。俺は体は大きいが、口が小っちゃくてなあ。でもってこう見えても小心者で。で、勝ったら、女の子にアピールする権利がもらえる。そしたら愛を伝えるのさ。」

 「そ、そうなんですね。」

 「俺もそうだけど、基本みんな争いごとが嫌いなんだ。根は臆病なんだなあ。ちなみに、腕力は女のほうが強いんだ。変なアピールして怒らすと、まったおっかない目見ることになるんだ。」

 「殴られたりするんですか。」

 「いや、怒鳴られて手のひらとか足の裏とかをグネッてされるくらいかなあ。俺は母ちゃんにしかされたことないけどなあ。でもそれがすごく痛いんだ。」

 

 そんな話をしているうちに、やがて例の橋についた。この川の上流のほうだということを伝えると、汽車を道に止め、2人で川沿いを歩き始めた。アレックスさんは進むのがものすごく早かった。ゴロゴロ小さな石が転がってて歩きづらい道もかまわずピョンピョン跳ねるように進んだ。

 「待ってよ。アレックスさん。」

 「なんだ、人ってーのは歩くの下手だなあ。まあ、野良を見たことあるけどのっさり歩いてるもんなあ。まあ、ゆっくり行こう。」

 「ありがとう。」

 途中、僕をおんぶしてくれた。ふさふさの背中の毛が気持ちよかったが、毛の中から小さな虫が出てくるのが見えて少し気持ち悪くなった。


 数分後、シュン君のいる場所に着いた。もう1日経ってしまった。奇跡は起きないだろう。シュン君にかかっている葉や枝をゆっくりとどけた。姿と見るとまたあの時のことを思い出し涙が溢れてきた。声をかけ背中を少し揺するがもちろん反応はない。もう戻ることはない命。なぜこんなことになったのか、ならない方法はなかったのか再度自分に問いかけ、どんより黒い何かに胸のあたりを締め付けられた。。

 「これかい。気の毒になあ。さあ葬ってやろう。」

 そう言うとアレックスは、その近くに適当に穴を掘りだした。僕は泣きべそをかきながらシュン君に寄り添い、その姿をじっと見つめていた。

 「さあ、できたぞ。」

 というと、アレックスさんは近くあった細い棒を手に取りシュン君の脇腹あたりをつついた。それからシュン君が動かない事を確認すると左足を片手で握りそのままシュン君を逆さに持ち上げ、自分の腕とは逆の方向に首を傾け遠目でシュン君の様子を見た。シュン君の体は逆さになった反動で上着がめくれ背中がはだけた。それを見たアレックスさんは、

 「いやあ、死んだのにきれいなもんだなあ。ま、1日も経ってないしこんなもんか。おい、ソウイチ知ってるか。牧場の食事には防腐剤が入ってて人の肉は死んだ後でも何日も腐らないんだ。」

 まさか、シュン君食べるつもりでは、と思い止めさせようと思ったが、アレックスさんはそのまま穴にシュン君を投げ入れ足で石や土をかけ始めた。シュン君の体は頭から落ち、体がぐねっと折れて穴に納まった。

 「もう少しやさしくしてください。かわいそう・・・。」

 「あ、そうだな。悪かった。いや、人の死体ってあんまり見たことなくて怖くなっちまって。そうだよな。友達だもんな。悪かった。」

 きょとんとした。アレックスさんは穴に優しく土をかぶせ始めた。やがてシュン君が完全に土で覆われ姿が見えなくなると、僕は、シュン君と別れを告げるべく天に祈った。シュン君が真実を知ったらさぞかしショックだっただろう。誰よりもママ、パパに会いたがっていた。アレックスさんはその様子をしみじみと見つめていた。

 

 しばらくの間、僕とアレックスさんはシュン君のお墓の近くで焚火をしながら例の乾燥肉を食べ休んだ。この乾燥肉は人ではないから大丈夫なのだそうだ。人の物もあるらしい。

 焚火が消えるころになると2人すくっと立ち上がり来た道をゆっくり戻った。もうすっかり日は昇り辺りは明るくなっていた。ここ最近では暑く蒸す日で歩いていて少し汗ばんだ。帰りは二人ともそんなに会話せず、うるさい汽車に揺られながら昨日トルストロおじいさんとナナさんが食事をしていた小屋のほうへと向かった。

 途中、汽車から別の小屋が見えた。アレックスさんの知り合いの小屋のようで、汽車を止めてその小屋のほうを見た。奥のほうで数匹のポオが食事をしているのが見えたが、なにやら揉めているようで物々しい雰囲気を醸し出していた。

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