第6話 空の地 2

 朝、扉の隙間から差し込むまぶしい光で目が覚めた。脇には昨日持ち歩いていたあのランプがまだ燃え続けていた。

 

 最近、昼に寝たりするせいで夜寝るのが遅くなることが度々あり、そのせいで朝起きるのも遅くなりがちだった。この日起きた時もすでに朝を迎え数時間は経過しているのではと思うような明るさだった。起きて部屋の周りをみるとスクールでは見たことのない機械があった。スイッチらしいものを押してみるが一切動かなかった。不思議に思いながら家を出て、また昨日の道を歩き始めた。結局、この家には誰もいなかったようだ。周りの家やその近辺にも人の気配はまったくしなかった。昨日は暗かったせいで良く見えなかったが、家の隣には見たことない乗り物のような機械が置いてあった。白く、正面にガラスと、その両脇に目のような濁ったガラスが付いている。後ろは荷台になっていてまるで汽車の牽引車のようだ。

 

 外はもう暑かった。歩くのが厳しいほどではなかったが汗ばむ陽気だ。木々に囲われたグネグネと曲がる硬い道をひたすら下った。気持ちの良い朝だった。


 僕は昨日のロージ先生の最後の言葉がずっと気がかりだった。妄想のとおりなのか。まさか本当に先生たちは人ではないのではないか。

 ロージ先生に触れた時の手の感触は、裏地が毛皮の服だったのではなく体毛のように感じた。もちろん人の体はあんなに体毛に覆われていない。その感触は猫やウサギを触ったときのそれに近いように思える。あといくらなんだって人はあんなに早く走れるはずがない。ざっと概算してジョギングクラブで一番早い先輩の全力のスピードの2倍くらいの速さで息も切らさず走るなんて不可能だ。スカー先生ならまだしもユキ先生までもそんなに早く走れるなんて考えられない。先生たちは人ではない何か別の動物。そう考えれば、それを隠すためにいつもあんな全身を覆い隠す服装をしていることだって理屈に合う。

 

 でも、なぜ人じゃない何かが僕たちをこんなに面倒見てくれているのか。勉強、運動、食事を含む生活そのものの面倒だって全部見てくれる。お願いすればなんでも聞いてくれる。洋服だって、生活必需品だって、部屋そのものだって準備されている。部屋も理由もなくあっちの部屋にして欲しいと願えば変更してくれるということも聞いたことがある。そんなに手厚くする面倒を見る理由がどこにあるのか。お母さん、お父さんが裏でスクールに多大な寄付をしているのか。それが重要な仕事だと言うのか。ではなぜ両親と会わせてくれないのか。

 あと特別クラスとは何なのだろう。そんなクラスに移動しなくても中高クラスにいる時に先生がその場で普通に指導すれば良いではないか。それに、なぜ特別クラスのことを秘密にするのだろう。僕たちが大人になってから就く重要な仕事についてだって秘密だ。そもそも人ではない何かが、僕たちの将来の仕事のためになぜこんなに手厚く面倒をみるのだ。仕事とは何かの奴隷にでもされるのか。ならば、なぜ先生たちはあんなに優しいんだ。奴隷ならもっと厳しくしてよいではないか。なぜ勉強さぼっても、自由に悪いことをしても何も言わないほどまで優しいのだ。

 

 何度考えても、この妄想は延々に繰り返される。そして先生が人じゃないという妄想は、妄想に過ぎないと心の中に封じ込める。そんなことありえない。だってスカー先生だって僕は君たちと同じだと言っていた。

 

 妄想しながら歩いていると時が進むのが早く、ふと前を見ると橋がかかっていた。下には幅数メートルの川と砂利の河原が見える。橋の脇にはスクールにあるのと同じような形の汽車が一台停まっていた。誰かいるのか?あたりを見渡したが誰も見当たらない。汽車は先ほどまで動いていた様子で上から煙がでており、車体を触ると熱かった。誰かいるはずと思い近辺を探そうか悩んだが、先に進むことにした。ここに汽車があるのだからこの道を下った先にも誰かいるはずだ。

 

 それからしばらく進むと木々がなくなり、下の景色が見わたせるようになった。家らしきものがぽつぽつ見える。よく見ると茶色の毛で覆われた見たことない大きな動物がぽつぽつ動いている。しかも2本足で立って、人のほうに動いているではないか。まさか。

 

 急いで走り、道から見た家のほうに向かった。やがて田畑が見えてきた。田畑のほうに向かう道へと入る。

 やはりだ。きれいな茶色に覆われた動物が、田畑で作業している。周りに人は一切見当たらない。胸に大きな鼓動を、全身に大きな震えを覚えた。

 「あら、人じゃない。こんなところに珍しいわねえ。」

 その動物が僕に気が付き話しかけてきた。喋ったことにびっくりした。その動物は顔は人そっくりで、見た感じ長老のおばさんに見えた。少し僕に近づくと続けた。

 「あら、きれいな服を着ているのね。野良じゃないの?どこから来たの?」

 「上の、上のスクールからです。」

 少し恐怖を感じながら僕は答えた。

 「あら、しゃべるのねえ。私の言っている事もわかっているの?賢いわねえ。上のスクール?あそこの牧場のことかしら。」

 牧場?なんだって?

 「す、すみません。牧場って。」

 「あら、ごめんなさい。なんでもないの。」

 そのおばさんは少しばかり焦った様子を見せた。ふと手元を見ると、このおばさんは小さなスプレーを持って隠すように構えていた。僕に何かしようというのか。

 「あの、すみません。この辺に誰か人っていませんか。」

 「人はいないけど、あっちの小屋でみんなよく集まって朝ご飯を食べているよ。」

 何も言わず、指がさされた方向の小屋へ走った。



 小屋に向かう途中にも例の動物が見られた。草むらの中で丸くなって寝そべっているもの、4匹くらいで遊んでいる小さいもの、畑で作業しているもの。その動物は僕をみて、珍しいだの、かわいいだのと喋っている。妄想が現実と化して圧し掛かる感触を覚える。


 その小屋に近づいた。小屋には、3匹で机を囲み座って話をしながら食事をしている例の動物がいた。別に誰でも良かった。いったいどういうことなのか説明してほしかった。息を整えながらゆっくりと歩きその3匹に近づいた。そのうちのこちら向きに座っている1匹が僕に気が付いた。

 「あれ、人がいるぞ。なんか昨日も小さな人を見たって噂になっていたが、それか。」

 「なんだって。」

 と横を向いていた1匹がこちらを向いた。その瞬間、全身がしびれ凍てついた。姿かたちは違えどその顔には見覚えがあった。特にその透き通る空のような水色の目。

 「スカー、先生・・・」

 「ア、アキヒトか?なぜここに。」

 少しの間二人は硬直した。やがてスカー先生が驚いた様子で話始めた。

 「驚いた。スクールから抜け出してきたのか。」

 また2人とも硬直した。止まったかのような時が過ぎる。スカー先生の対面に座っている動物が少し様子を見たのち話し始めた。

 「なんだ。スミス。知っているのか。上の牧場で飼育していた人か。」

 

 その言葉を聞いた次の瞬間、目の前が真っ暗になった。今まで歩んできた昔の記憶が写真、映像となり次々に目の前を奥から流れてくると同時に頭の中で回り続けていた疑問・妄想が一つ一つ残酷にも解決していく。一つ解決するたびに今までの思い出は、偽り、裏切り、まやかしであると気付かされる。それが体全身の震えを加速させ、同時に首から上に熱い液体があふれ出す。その液体は頭の熱で更に温められているかのような感触を覚え、目からは煮えたぎった涙が流れはじめる。全身の震えは、腕の先に力となり集まり、指全部が折れるかと思うほどの握りこぶしとなる。

 

 なんだと。牧場、飼育だと。ずっとずっと騙されていたのか。

 

 「アキヒト。いや、騙したとかそういうんじゃないんだ。まあおちつけ。」

 そういうと、スカー先生は履いているズボンから何やら小さなスプレーのようなものを手に取った。他の2匹も、僕の様子を見てスプレーのようなものを手に持っているようだ。

 「僕たちを、家畜のように育てて食べるとでも言うのか?」

 「いや、まあ落ち着け、アキヒト。そりゃ、お前たちからしたら悲しいことだけどなぁ・・・。」

 何からぶつければよいか整理などつくはずがない。今までの僕の行い、思想すべてが今ここで否定されたのだ。何から説明してもらおう。何からぶつけていこうなどと考えているうちに、ふと、エリナのことが頭をよぎった。

 「待ってくれ。エリナは。研究室って何なんだ。エリナはどうなったんだ。」

 スカー先生は眉間に皺を寄せながらこめかみのあたりを掻き始めた。答えに迷っている様子だ。すると対面にいたもう1匹が話し始めた。

 「研究室って牧場の研究室のことか。研究って今度は何をするんだ?また五つ子チャレンジでもしようっていうのか。ありゃ、前にやったときメスの負担が大きすぎて親も子も途中で死んじまったって言ってたじゃないか。」

 「馬鹿、よせ、パトリック。」

 慌ててスカー先生が言う。

 さらに血が上る。なんだと。家畜を効率よく殖やすための実験にエリナを利用しようというのか。五つ子だと。

 「ふざけるな。」

 近くにあった、木の皿を持ち構わず投げつけ、机を蹴飛ばした。3匹ともびっくりして後ずさりする。机はそのまま食事毎横に倒れた。

 「おいおい、落ち着けって。」

 「おい、スミス。スプレーしろよ。」

 スカー先生は、スプレーのようなものを手に取りこっちに向けてきた。

 

 エリナを、みんなを助けなければ。

 そう思うとアキヒトは振り返り来た道を戻り走った。



 僕はアレックスさんと一緒に、奥で何やら揉めているのを遠目で見ていた。かと思うと、突然カシャーンという音が小さく鳴り響いた。僕もアレックスさんも人らしきものが急に暴れだし、机がひっくり返るその様を口を開けて見ていた。そのうち、その人らしき動物が小屋からこっちに向かってきた。

 「あれ、やっぱり人なんじゃないか。なんか人を良く見る日だなあ。」

 などとアレックスさんがぼやいていると、その人がこっちをちらっと見た。歯を食いしばり、すごい形相で泣いているように見えた。少しすると走るのをやめ、こっちに向かって歩いてきた。

 「人か?」

 僕の姿を見てその人は言った。

 「そうです。お兄さんは。」

 「そうか、もしかして昨日脱走したって噂になっていた幼少クラスの子か。俺も昨日、あの家畜の飼育場を脱走してきたんだ。聞いたか?俺らずっとずっと騙されて続けていたんだ。あんなところに閉じ込められて。絶対に許せない。俺はこれからあそこにみんなを助けに行く。お前も来い。一緒に。」

 「え、いや・・・。」

 僕は戸惑った。助けにって言ったってどうやって。

 「なんだ嫌なのか。なんとも思わないのか。みんな食われちまうんだぞ。俺たちの母親も父親もみんなこいつらよくわからない動物に騙され食べられちまったんだ。悔しくないのか?」

 じろっと睨まれ急に指をさされたアレックスさんはひどく驚き、数歩後ろに下がるとくるっと後ろを向き全力で走り汽車の後ろに隠れてしまった。

 「それは悲しいけど、でも・・。」

 それを聞いたこのお兄さんはすごい形相で怒り始めた。

 「なにが、でもだ。悔しくないのか?この意気地なしめ。」

 左の横顔のあたりを平手で殴られ横向きに倒れた。さらには足で蹴飛ばされそうになった。その後、その人は僕を軽蔑したような目で睨みつけたかと思うとスクールのほうへ続く道へと向きを変え、そのまま走って行ってしまった。

 痛くて僕は少しうずくまった。また泣きたくなった。昨日から何度泣けばいいのだろう。横目で汽車のほうに目を向けると、汽車の脇から覗くようにアレックスさんが見ていた。お兄さんが居なくなるのを確認し少ししてからアレックスさんが心配そうに僕のほうに近寄ってきた。

 「お、おい大丈夫か。」

 「う、うん。少し痛いけど大丈夫。」

 「そうか。しかし、人ってーのは怖いなあ。急に怒鳴り散らして暴力ふるってくるんだもんな。今日はスプレー持ってなかったから危うく殺されるかと思った。」

 アレックスさんは僕の横顔が少し赤くなっているのを見て、持っていた小さなタオルを田んぼの水に浸して濡らし僕の顔にあててくれた。

 

 さきほどの小屋から、3匹のポオがこちらに向かってきた。遠くから

 「おおい、アレックス。」

 と呼ぶ声がした。1匹が僕に気が付くと明るく声をかけてきた。

 「あれ、アレックス。それって人かあ?ペットでも飼い始めたのか?」

 


 アキヒトは来た道を懸命に走った。


 急な坂道で、何度も息が切れ、何度も立ち止まった。ジョギングで鍛えた体をうまく制御できない。こういう時こそ体をリラックスして慌てず走るのが一番早いのは脳が理解している。でも、煮えたぎった脳と震える体、そして焦りが冷静さを消し去りそれは不可能だった。みんなを、そしてなんとしてでもエリナを助けたい。何が5つ子の研究だ。エリナを食肉のための人体実験の材料になんて絶対に許されることではない。

 

 何度も止まっては走り続けた。止まるたびに自分の足や顔を叩き自分を奮い立たせた。

 何分走っただろうか。スクールの入り口らしきところに近づいた。近づくと、例の服装をして人に成りすまし監視をしているポオが数匹立っていた。その姿を見て、腸が煮えくり返る。

 

 アキヒトに気が付いたポオがここから先は立ち入り禁止だと手を軽く広げ道を遮るが、アキヒトは無視し突進する。驚いたポオはアキヒトの手や肩を掴み食い止めようとするがアキヒトは暴れ、手、足、肘を振り回し力ずくで振り払う。後から来た他のポオ達にも正面から体当たりし先に進もうとする。振り払われたポオ、倒れたポオは、またすぐに体制を整え、再度アキヒトの体を押さえつけ行かせまいとする。人にもこんな力があるのか?ポオ達は驚愕した。しかしやがてポオ達の強い力にアキヒトは抑え込まれる。それでもアキヒトは体をくねらせ罵声を叫び暴れる。


 次の瞬間、シュッとアキヒトの顔にミストがかけられた。それを吸ったアキヒトの体からは徐々に力が抜け、動きが鈍くなり、言葉もなくなり、白目になっていった。ポオ達はその様子を確認しアキヒトを抑え込むのを止め立ち上がり、上から見つめた。アキヒトは半開きの目のまま何かをぶつぶつとつぶやきながらうつ伏せのまま這って進もうとしていた。ポオたちは唖然としながら話し始めた。アキヒトは暗闇の遠くから来るその会話を聞きながらやがて眠りについた。

 

 「ああ、びっくりした。急に突っ込んできて暴れ始めてなんなんだこの人。野良じゃなさそうだ。昨日逃げ出したって言ってたやつか?」

 「たぶんそうだな。」

 「なあ、どうするんだ。これ。」

 「中には入れられないしなあ。見た感じきれいだし昨日逃げたのだったら病気の心配もないだろうし、まだいけるんじゃないか?」

 「うちの屠畜場じゃ衛生上ダメだって言うだろうよ。どうする。そうだ、あっちのスクールの近くにあるゴーンじいさんの屠畜場なら訳ありの肉でも扱ってくれるんじゃないか?」

 「あ、あそこか。そうだな。捨てるのも勿体ないしとりあえず持ってってみるか。俺ちょっと相談しに行ってくるよ。」

 「ああ。頼んだ。」

 「俺も一緒に行くよ。また暴れ出すと怖いし。見ろよ、まだ動いている。」

 「気をつけろよ。MrBあれば大丈夫だと思うけど急に起きて暴れるかも。首だけもう絞めとけばいいんじゃないか。」

 「首絞めなんて俺はやったことないよ。誰かできるか?」

 「いや・・・」

 「・・・・・」

 


 僕はそれから、アレックスさんと、3匹のポオと一緒に朝ご飯を食べることになった。倒れた机や椅子を元に戻し、僕とアレックスさんには新しい食事を準備してくれた。先ほどの騒動で机の下に転がってしまった食事も水で洗いもう一度そこに盛りつけられた。アレックスさんはまだ少し怖がっていて、下をうつむいては時折「クーン」という声を発していた。少し元気のない様子だった。

 

 スミスと呼ばれていたポオは確かではないがスクールで見たことがあった気がした。確か中高クラスの先生で幼少クラスの運動会の準備とかを手伝っているを見たことがある。スミスさんは僕を見て「君も逃げ出したのか。どこからどうやって。」と聞いてきた。僕は素直に逃げてから今日の朝までのいきさつを話した。それを聞いて責めることもなく

 「ショックだっただろう、気分は大丈夫かい。友達は残念だったな。」

 と僕のことを気にかけてくれた。僕がさっきのお兄さんとのやりとりの内容を伝えると、残念そうな顔をして水を飲みながら話し始めた。


 「悪気があり騙しているわけではないんだ。しかし事実を知れば、人は頭が良く感情的になりああやって抵抗してくる。最悪は人全員で抵抗され私たちの命も危なくなる。仕方のないことなんだ。

 君たちにとっては許せない事とは思うが、人だって豚や牛、鳥、魚を食べている。我々もその星にある資源を必要最低限食べて生きているだけなんだ。」

 僕は何も言えなかった。スミスさんは少し歯を噛みしめながら続けた。

 「確かに我々は家畜として人を飼育している。

 研究員の話ではこの星で初めて人と出会い人を飼育し始めた時は話さなかったし、他の動物たちと同じだった。しかし飼育していくうちに徐々に我々の会話を聞き覚え、理解し、会話までできるようになった。心が通じ合うようになったんだ。だから未来の運命のことを考えるととても悲しい気持ちになる。あそこで働いたことのあるポオは全員同じ気持ちさ。

 だからせめてそれまでの短い間、自由にのびのびと生活させてやりたいってみんな思っている。夢や希望を持ちそして必死に努力するやつだっている。結果無駄になってしまうことは知っている。だが、それを無駄だからやめろなんて言えない。やるだけやらせてあげたいと思うんだ。それもあって事実は隠している。本当は罪なことなのかもしれないが許して欲しい。」

 僕は複雑な気持ちになった。そして静かにうんと黙ってうなずいたがそれが無責任にも感じた。


 少しの間、みんなでしみじみと食事をしていたが、パトリックと呼ばれているポオがふとスミスさんに向かって話し始めた。

 「で、さっきの話だが、研究室でまた何を研究するって言うんだ。」

 「ああ、その話か。ここでその話はソウイチ君がかわいそうだろ。」

 「なんだ。またそんなに変なことするってのかい。」

 「いや、5つ子を作ろうなんてことはもうしないさ。人はせいぜい双子くらいまでだ。でないと母親が耐え切れず死んでしまうよ。人は大きく育つのに15年以上かかるだろう。今もう少し成長を早められないかっていう研究をしているんだ。それだけさ。」

 「それはあれかい。中高クラスになると他の人にストレスと与えたり、他の人の生活を妨げたりするのが出てくるからかい。そういう悪いのは若いうちからさっさと出荷して減らしていけば数年後には落ち着くようになるって話していたじゃないか。」

 「技術者がそう言っただけだ。人の中には競争心や独裁心が強いものがいるから、そういう不安材料の子孫は残さないようにしていけば環境も良くなるって。でも今もあまり変わってないよ。まあ、他の人にストレスをかけるようなのを早いうちに減らすと、子を産む率が高くなって一定の成果は出ているけどな。」

 「なんだか、品種改良だの、遺伝子がどうこうだの良くわからないなあ。技術者の考えることは。」

 何の話だか僕にはよく理解できなかった。でも、人が死んでも腐らないような薬が食事に入っていたらしいし、聞いていると人が育ちやすいように変えようとしているのだけは理解できた。前にスクールの食堂の入り口に飾ってある金魚を見ていたミサトちゃんが「この魚って、本当は池とかに普通に住んでいる汚い魚を改造してこんなにきれいになったみたいだよ。」って教えてくれたことを思い出した。それと同じようなことなのだろう。そういえば、双子や三つ子の子が多かった気がするし、スクール内は女の子のほうが多かったなと思った。


 「まあ、人はとても感情的で、想像力豊かで、そしてとても獰猛な生き物だと思うよ。だから、スクールであんなに平和で不自由ない豊かな環境で育てていても人同士で勝手に喧嘩をしたり、嫌がらせしあったりし始める。幼少のころからそうで、中高になるとひどくなる。おそらく他の動物と同じで生命の繁殖のための本能と思うが、それだけではないように思える。わがままで食事を平気でまずいと言って残すし、意味もなく他の虫や動物を遊び半分で殺したりもする。なぜだか到底理解できない。」

 「さっきのも怖かったしなあ。」

 アレックスさんが少しだけ口を挟んだ。なんか食事をし始めたら少し元気になったようだ。

 「だから我々も常に警戒しているんだよ。」

 「それでみんなそのスプレーをもってるの。」

 「ああ、そうさ。ソウイチ君良く知っているな。このスプレーについても秘密にしてあるはずなんだけど誰から教えてもらったんだい。」

 「トルストロおじいさん。」

 「あのおじいさんに会ったのかい。そうか。じゃあいろいろ教えてもらっただろ。あのおじいさんはこの地球に初めて来たときに若くして技術者として働いていたポオだ。いろいろと知っているから興味があるなら教えてもらうといいよ。まあ、ソウイチ君にとっては少し抵抗のある話かもしれないけどね。」


 少しの間、みんな静かに食事をしていた。ボウルはほじって食べるので少し無言になる。ふと、ずっと黙々と聞いていたもう一匹のポオ、ユアンさんがしみじみと語り始めた。

 「スミスの話を聞くと、あの病気のことを思い出すよ。」

 「ああ、本当に嫌な出来事だった。」

 「ソウイチ君もあの牧場で昔、病気が流行ったことは聞いたことがあるかい?」

 確かに聞いたことがある。そのために衛生管理が厳しいとか。

 しみじみとユアンさんが話し始めた。彼も昔、牧場の飼育員をしていたとのことだった。


 数年前のある朝、ある飼育員が牧場の外の掃除をしていると、森の中に一人の人が歩いていた。服は比較的きれいな服を着ていて、3、4歳くらいか、まだ小さな子供だった。こんなところでどうしたのかと聞くが、言葉も通じず喋れもせず、反応がなかった。たまに「あーあー」とだけ話した。森に住んでいる野生の子供が道に迷ってここまで来てしまったのか。他の牧場から逃げた子供か。あるいは、誰かのペットとして飼われている人かわからなかった。その子はとても痩せこけていて元気がなかった。

 

 このままほおっておくべきか。その飼育員はその子が心配になり、元気になるまでの間、施設においてあげられないか牧場にお願いした。もしかすると村のポオ達の中でこの子のことを知っている者がいるかもしれず身元が分かるかもしれない。それまでの間という理由で保護することにした。ところが下の村の者や他の牧場の飼育員に聞いても誰もその子の事は知らなかった。他の飼育員にもお願いして幅広く聞いてもらったが誰も知るものはいなかった。

 

 そのまま野生へ戻すか。飼育員の間で悩んだあげくその子を牧場でしばらく飼うことに決めた。ただしこれは危険なことだった。もしかするとこの子は外界のことを知っているかもしれず、喋れるようになったとき他の人にそのことを知らせてしまうかもしれない。そう思った飼育員たちはこの子を別の部屋で個別に飼育し様子をみることにした。このことは牧場の秘密としたため他の人達には知られないはずだったが、誰かがしゃべったのか、幼少クラスでたちまち噂となった。別の部屋で特別に飼育すると言っても同じ建物内の一つの部屋で育てていたため、誰かがそれも見て不思議に思ったのかもしれない。知った人たちは先生が居なくなった隙をみてはその子の部屋に行き、会って遊んだりしたようだった。あいにく、その子は喋ることもできず、外界について他の子たちに知られることはなかった。

 

 ところがこの子供を保護してから数日後、幼少クラスの一人の男の子が病気で高熱を出した。最初はただの風邪と判断し薬を飲ませ安静にしていたが熱は一向に下がる気配はなく発症し数日間ずっとうなされ続けた。それから三日後、別の男の子2名も同じ症状が出た。飼育員は病気などに詳しい技術者に連絡を取り病気の症状について相談したがその技術者もわからなかった。人にしか感染しないこの星特有の病気の可能性が高いとのことだった。ポオに同じような症状が出たときに処方する薬を与えても改善せず、やがて最初に症状が出た男の子は死んでしまった。

 

 保護していた子が病気を持っていた可能性が高くその病気が感染したのであろう、またこの病気は人の間で強い感染力があるのだろうとの技術者の見解から、保護した子供と病気が発症した子供達用に特別な部屋を割り当て、そこで隔離するようにした。やがて、隔離していた子のうち一人は症状が和らいできて熱も下がり始めた。技術者は、薬が少し効いたのではないか、また、その子が少し熱が出たくらいの軽い症状の時に薬を飲んでいた経緯から早めに治療すれば助かる可能性が高くなるのではないかとの見解を示した。飼育員はそれを受け、総動員で保護した子に接触した人、また症状が出始めた子の確認を急いだ。

 

 ところが、保護した子に接触したにもかかわらず知らないと嘘偽の報告をするもの、少し熱っぽいにも関わらず問題ないという子がいた。怒られるのが怖かったのだろうか、病気を楽観視していたのか。そのせいで隔離や早めの治療が完全にできず、それ以後も日に日にこの病気は拡大していった。隔離部屋も日に日に増えていった。症状が悪化した子の死者も増え続けた。幼少クラスのため、症状を正確に伝えられない、またはわからない可能性もあると考え、飼育員達はこの虚偽について責めることはせず、幼少クラスの全員について、額の熱っぽさ、息遣い、目の状態などを一人一人詳しく確認しなるべく発見することに努めた。とにかくこれ以上死者を出したくない。その一心だった。

 

 それでも死者は増え続けてしまった。5日間熱が下がらずうなされ続け疲労しきって生きる見込みがないと思われる人についてはスプレーで眠らせ安楽死させることもした。この時は技術者、飼育員は自分たちの無力さを責め涙した。なのに飼育員達にとっては信じられないようなことが人達の間では起き始めていた。

 

 回復して普段の生活に戻った者に対し、病原菌扱いしていじめが始まる。

 症状が全く出ていないにもかかわらず外見が少し変わった者を見つけては、病原菌扱いしいじめを始める。

 熱っぽく自分ももう死ぬと勝手に思い開き直った者が、道連れだと他の子にむかってわざと咳をしたり抱き着いたりする。

 隔離部屋に向かって石を投げつけ、保護した子に出てけ、死ねなどと叫ぶ。

 マスクをするよう、外のあまり出ないよう、外から帰ったときは手洗いをするよう伝えても自分は大丈夫と守らない。

 

 どれもショックだった。やるべきことは病気を終息させるだけのことではないか。しまいには、隔離部屋で面倒を見ている先生に対しても隔離部屋に一緒に居るからという理由で病気持ちだと噂し先生に向かって悪口を言い出す者まで現れた。

 

 この病気は中高クラスにまで感染した。理由は全くわからなかった。病気が発症してから飼育員は幼少クラスと中高クラスの行き来は禁止していたし、また全員消毒を徹底していた。またポオの感染者は全くいなかった。考えられるのは幼少クラスと中高クラスを行き来する鳥などの動物達か。

 ポオ達にとって幼少クラスの一部の人たちの振る舞いには信じられないものがあったが、それにも増して中高クラスでの人の振る舞いには飼育員達も怒りを感じるほどであった。特にいじめや差別に関してはひどく、喧嘩になり大怪我するものが出る、いじめで自殺者が出るなどの事件が多発した。また卑劣にも幼少クラスが悪いと決めつけ抗議し幼少クラスの子供を全員殺せなどと言うものまでいたことには痛恨の極みであった。そんな状態もあり、症状が出ても言い出せないものもいたのであろう。中高クラスでも幼少クラスと同様に病気は急速に広まり、終息する気配もなく、死者も日に日に増していった。

 

 「そこで我々飼育員は話し合った。病気にかかっている人の区別もできず、終息する見込みがない。これでは健康なものでも出荷することもできない。病気が蔓延している牧場の肉を食べるなんていくらポオに感染しない病気とは言えど抵抗があるからな。このままでは牧場は終わりだ。そこで、まだ感染が確認されてなかった赤ちゃんクラスの赤ちゃんを別の牧場に移動、赤ちゃんクラスにいた母親は出荷し、他の人は全員殺処分することにした。病気の症状が出なかったもの、病気が改善したものも含めてすべてだ。人に他の人が殺処分されたことが知られたら、牧場のことを悟られてしまうからな。」

 「俺は実際に殺処分する係ではなかったが聞いただけで吐き気がしたよ。全員スプレーで眠らせ首を絞めたあとそのまま焼いたらしい。」

 パトリックさんはほんのり涙を浮かべていた。

 「スプレーを使って一人一人眠らせ検査することもできたかもしれないが、スプレーを使うことも人には知られないようにしている。多用すると悟られてしまい警戒される可能性がある。だからそれもできなかった。」

 「俺はあの時、本当に人が嫌いになったよ。あんな状況であっても協力もせず、なぜ、敵を見つけることとそれを責めることに没頭するのか。どんな状況でも、あんなに豊かで不自由ない環境であっても。それが人らの生きがいなのかもしれないが考えられないよ。」

 当時を思い出したかのように少し怒り気味にユアンさんは話した。ユアンさんはそのことがきっかけで飼育員をやめたそうだ。その事件までは、素行不良が少しいても別になんとも思わなく、スミスさんと同じく短い人生を自由に暮らして欲しいと願いながら仕事していたそうだ。しかしその時だけは許せなかった。今では、もう何とも思わないが、たまに野人を見かけると思い出し、恐怖を感じるとのことだった。そのためスプレーは肌身離さず持ち歩いているとのことだった。

 

 「俺もそう思ったさ。でもどうしようもないのは本当に一部の奴だけなんだよ。基本良い人のほうが多いしまるで家族のように感じるのも何人かいる。さっきの人はアキヒトって言うんだけど彼はまともな奴さ。」

 「でもソウイチ殴ってたよ。」

 何かもぐもぐ食べながらアレックスさんは言った。

 「でも、その一部の奴をさっさと出荷してもあまり改善しないんだろ。やっぱ基本駄目な奴のほうが多いんじゃないのか。」

 「それだけ頭がいいのさ。我々には考えられないくらいにな。ユアンも都市部には行ったことあるだろ。」

 「頭良けりゃ、病気のこともわかると思うけどなあ。」

 ポオの4匹は、また顔を見合わせ笑い始めた。

 「ちなみになソウイチくん。このスプレーうちらには効き目はないんだ。」

 「え、そうなの。」

 僕はとっさに聞いた。

 「ああ、そうさ。ポオは生まれて間もなくMrBの予防接種受けるのさ。自分にやると少しだけ落ち着いた気持ちになった気分にはなるけど。今の話ショックだったかい。MrBやってあげようか?」

 そういってスミスさんは自分に少しスプレーをかけたのち、スプレーの口を僕に向けてきた。僕はとっさに口を覆い隠し「いや、いいです。」と答えた。ポオ達は大声で笑い始めた。


 ポオ達は目の前にある食事を全部残さず皿まで舐めて食べていた。そういえば先生たちは全員こんな食べ方をしていて、みんなも真似していた。トクマ先生については他人の皿まで舐めて食べていて、シュン君はそれを真似していたなあ。思い出しながら僕も真似して残さず食べた。

 

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