第4話 中高クラス 2

 燃えるような熱い夏も、季節は秋を迎え木々も様々な色で覆われ始めた。乾いた優しい風に少しの肌寒さを覚える秋の終わり。アキヒトは中高クラスに来て3年目を迎えていた。

 

 このころになると中高クラスの高学年、中高クラスに移動して5年以上の子達は性教育の勉強をすることになっていた。

 アキヒトやエリナにとってはまだ先の話であったが、この刺激的で面白い内容を先輩方が内緒にしているはずもなく、先輩とつながりのある後輩たちはその内容を否が応でも教わることになった。アキヒト、エリナも朝にジョギングをしている関係で夕方のジョギングクラブに誘われることがあり、週に2回ほど顔を出し一緒に活動していたので、自然とそのことを教えられた。

 アキヒトやその同学年の男にとってはたまらない内容で、男だけで集まって話すときは大いに盛り上がった。そのうち壁に女の子の一部を絵に書いてみたり、卑猥な冗談を言い合っては友達同士で変態呼ばわりしあったり、男同士で部屋に集まっては性行為の練習を枕や布団でしてみたりとおかしな行動をするようになった。いっぽうエリナやエリナと同学年の女の子たちはそんな男たちを見て恥ずかしがったり軽蔑した目で見たりしていたが、エリナの話だと女の子達だけで話しているときは男と同様に盛り上がっていたようだった。

 

 中高クラスの中には、性行為するための専用の「ホテル」と呼ばれてている建物があり、カップルは自由に入ってよかった。でも、みんな恥ずかしがり、たまにこそこそ入っていったところを見つかったりすると後でさんざん冷やかされるので誰もが利用には慎重になっていた。冷やかされるのが怖いため、自分の部屋にこっそり連れ込む者も多かった。性教育の勉強会では先生から「皆が通る道で何も恥ずかしいことではない。愛とはそういうものだから、からかわないこと。」などと教わるらしいのだが、恥ずかしさ隠しのためか、カップルを見ては冷やかしたり、いじったりすることが良くあった。


 アキヒト、エリナは1年経った今も仲良く付き合っていた。共に多くを求めず癖のないやさしい性格だったのが長く続いている要因だとアキヒトは思っていた。アキヒトがエリナと一緒にジョギングしているのは他のみんなも知っていて、同様によくからかわれたりした。なんだか自然にこの形になっただけなのにからかわれることがアキヒトにとっては歯がゆかった。

 

 エリナもジョギングを続けていたせいで、出会ったときと比べてずっとスリムできれいな体つきになっていた。本人は自分が生まれ変わったかのような気持ちのようでとても満足していた。しかしながらアキヒトは、昔のぽっちゃりしてたエリナのほうが良かったなと思う今日この頃であった。少し太っていたころのほうが優しさを感じられたせいか、動物味を感じられたせいか、はたまた単純な好みのせいなのか。もちろんその事をエリナには言えるはずもなかった。


 この年も秋の初めころから、いわゆる素行不良の人達は徐々に姿を消していった。

 

 ある日エリナとジョギングをしてた時、エリナはある女の子について話し始めた。

 「サーシャって知ってる。勉強タイムで隣の部屋にいる子。」

 「あの、すこしぽっちゃりとした大きな女の子かい。」

 「ぽっちゃりというかデブよ。あの子も、最近居なくなったの。知ってた?」

 「いや知らなかった。そういえばあまり見かけない気がするなあ。」

 最近、痩せてきてからエリナも少し毒づくようになったなあと思った。

 「ここだけの話ね。」

 と言ってエリナは喋り始めた。女の子はここだけの話、内緒話が好きだなあと思いながら僕は聞いた。

 「ほら、私、自分で言うのもなんだけどジョギングして結構痩せたでしょ。ちょっと前にそのサーシャとたまたま廊下で2人になったとき私を見て『エリナちゃん痩せたね、かわいくなった。どうやったら痩せれるのか教えて』って話しかけれたの。その時は少しうれしくて、朝、少しジョギングしていることを話したの。その時はサーシャも『いいなあ、うらやましい』とか言ってたんだけど、何日か経って他の友達と少し話したら、サーシャが、私が痩せたことを嫌みたらしく自慢してきたみたいなことを言ってたって。」

 「へえ。何か自慢したのかい?」

 「してないわよ。なんかふっくらした子に痩せたことをいろいろ話すと確かに自慢しているようで悪いかと思ってあまりしゃべらないようにしてたの。サーシャ、私がアキヒトと朝、ジョギングしていることも誰かから聞いたみたいでそのことも妬ましいみたいなことを言ってたみたい。私も前は太ってたから、なんだか、勝手に痩せて彼氏までできてずるいみたいなことになってて。裏切って抜け駆けしたみたいな感じになったみたいなの。」

 「ははは、サーシャさんはエリナのこと仲間だと思っていたのかなあ。」

 「困るわよ。デブはデブ仲間に勝手に入れられて痩せると裏切りだなんて。私、言ってなかったけど隣の勉強部屋の子とも仲の良い子が数人いたんだけど、なんかそのことを聞いて以来、仲間外れにされたみたいでその子達ともあまり話さなくなっちゃったの。」

 「気のせいだろ?部屋が違うからちょっとだけ疎遠になっただけじゃないの。」

 「ううん。サーシャもそれ以来話しかけてこなかったし、たまに見かけると無視して逃げていくし。でね、私、それが結構ショックでちょっと落ち込んでたの。」

 「え、ぜんぜん気が付かなかった。」

 少しエリナの口が尖った気がした。

 

 「数日前、私が元気なかったことにユキ先生が気が付いてくれて心配してくれたみたいで。でもこんなこと先生に言うとまた告げ口したとか思われるの嫌だったから最初は話さなかったんだけど、何度か話しかけてくれたからそのことを話したの。ここだけの話にしてねってことで。」

 「ユキ先生って、あの背の高い女の先生だよね。」

 「そう。私もあまりユキ先生とは話す機会なかったんだけど、しょんぼりしてた私が心配だったみたい。話したらユキ先生、『このくらいのあなたたちには、良くあることよ。』って言ってた。気にしないで、他にもいっぱい友達いるじゃないって言ってくれて。

 それで、私がユキ先生にそのことを話してから、1ヵ月くらいしたとき、サーシャ、特別クラスに行ったぽいの。」

 「え、そうなの?」

 「確かに女の子なんて、他の子の噂話ばっかりして、ちょっと下手なこと言うとすぐ悪口言ったとか、自慢してきて妬ましいみたいなことになってこういうこと良くあるんだよね。だからなんでもかわいい、かわいいって言わなきゃいけないし。でもそれだけで特別クラスって不思議じゃない?」

 「サーシャが他にもいろいろと嫌がらせとかしてたんじゃない。」

 「わからない。なんか頭がそんなに良くないみたいで、勉強中、一人でぶつぶつ愚痴を言っててうるさいってことは聞いたことあるけど。」

 「ははは、イカレミヨみたいだ。嫌がらせするのもサトシみたいだし。それが原因じゃない?」

 「他の子だって、勉強中に勉強しないでコソコソ話してたり、どの部屋だって仲間外れにしたりされたりする子はいるし。私がユキ先生に言ったからかなあ。」

 「いや、偶然だよ。」

 そういいながら、僕は確かに不思議だなと思った。男からみていると女の子なんて全員仲良さそうにしているし、目立ったトラブルもごくわずかしか見たことがない。もしかしたら裏でいろいろとあるのかもしれないが、それが中高クラスの生活に影響あるかというとないように思える。暴れて物を壊したりするミキみたいなのに比べたらたわいもないことだ。エリナの言う通り先生に知られたからか。サーシャのような女の子を特別クラスでどう教育するというのだろう。サーシャのような女の子が、ミキ、イカレミヨみたいなのと同じクラスでどう生活していくのだろうと想像するとかわいそうにも思えた。

 「女の子なんて、ほとんど嫉妬でできているのよ。嫌になっちゃう。」

 エリナはボソっと言った。



 素行不良が減ってきて、比較的平和なある日、ちょっとした事件が起きた。

 

 朝、朝食を食べ少し部屋でくつろいだ後、いつものように勉強部屋に行くと、僕がいつも入る部屋の2つ隣の部屋の入り口付近に人が集まっていた。部屋から目を背けて泣いている女の子の姿も見られた。何事かと思い興味本位で部屋を覗きに行くと、全部の椅子、机が倒されていて、教室前の黒板の片一方が落ち、黒板用のチョークの粉が部屋の前方にまかれたようで白く汚れていた。またゴミが床一面にまき散らされていて、壁に貼られた絵も一部破られてたり、飾ってあった花がひっくり返っていたりとひどい状態だった。

 

 後から来た先生はびっくりしていたが、すぐに「これから片付けるので、本日のこの部屋のお勉強はなしね。」と言って他の先生たちと一緒に淡々と片づけ始めた。その姿を見て数人の生徒は一緒に片づけを手伝い始めた。

 

 誰がこんなことをしたのだろう。おそらく昨日の夜に忍び込んでしたに違いない。しかし教室でこれだけ荒らせば音で気が付いてもおかしくないのに誰も気が付かなかった。教室の状態とは裏腹になるべく音をたてないように静かに荒らしたのだろう。


 槍玉に挙がったのが、マサト、マサキの双子だった。別の部屋の子なので僕はあまり知らないが、彼らは非常におとなしい性格で、あまり友達もいない感じだったようだ。勉強タイムが終わっても、あまり誰かと遊ぶことなくそれぞれ一人で絵をかいたり、工作したり、本を読んだりしていたとのことだった。双子だがあまり双子で一緒に居ることはなく生活している部屋も別々であったが二人とも勉強タイムの時はこの部屋だった。おとなしい性格で、ずっとそれぞれ机で何かをしているので、それを奇妙に思う同級生がたまにからかうとのことで、それを根に持って犯行に及んだのではという噂となった。僕も最初はそうなのかと思っていたが、ある時、他の同級生がマサキに「お前がやったんだろ。謝れよ。」と詰め寄った時にマサキは小さな声でおびえながら「僕じゃないよ。」と答えていたし、同じく、別の日にマサトが詰め寄られた時も、マサトは同じように「僕じゃない。」と答えているのを見て、この二人ではなさそうだなと思った。もし一人でやったのであればあの部屋の汚れ具合からして相当な重労働であったし、それをあの小さい二人のどちらかが一人でやったとは思えなかった。またもし二人で共同でやったのであれば、どちらかが質問された時にボロが出て「僕たちじゃない。」って答えそうなものだ。僕は、おそらく、計画的に複数人でやった不良共のいたずらじゃないかと勝手に結論付けていた。


 僕の名推理を誰かに披露したかったが、その頃にはすでに数人が二人を犯人と決めつけ嫌がらせを始めていた。

 目に余る酷さだった。二人の部屋の入り口には犯人扱いする張り紙のようなものが張られたり、直接黒いペンで「馬鹿」だの「死ね」だのなどと書かれたりした。誰がが叩いたり、石をぶつけたりしたのだろう。入り口のドアの端が一部壊れていた。二人が廊下を歩いているときも唾を吐きかける者がいたり、罵声を浴びせる者もいた。ある人の提案から、みんなで署名を集めて先生に直訴し特別クラスに移動させようという運動まで起きた。二人は「僕じゃないからやめて。」と声を荒立て泣きながら訴えているのを見たことがあったが、またそれを面白がって真似してからかう者もいた。二人は次第に部屋から出てこなくなってしまった。心配した先生がたまに訪れては話を聞いたりしていたようだ。


 なお、集めていた署名もまあまあ集まったようだった。僕は署名には参加しなかった。犯人は彼らではないと確信していたし、何の証拠もないのに二人を犯人と決めつけてこんなものに署名する奴らもどうかと思ったからだ。僕は怒りで少し心が高ぶり真犯人でも捕まえるために捜査でもしようかと思ったが、何をすればよいのか見当もつかなかったのでやめた。なおこの事件が起きて数日後にスカー先生に会う機会があったので署名について聞いてみたが先生達はみんな受け取らなかったようだ。その時のスカー先生は非常に険しい顔をしていた。僕はあのスカー先生でもこんなふうに嫌悪感を表に出すことがあるのだなと驚いたことを覚えている。

 

 そして数日後に署名を率先して集めた二人が特別クラスへ移動になったようだ。他にもマサト、マサキにあからさまに嫌がらせをしていた数人について特別クラス行きとなったようだ。それから数日が経ち、この事件についてもあまり話題にならなくなった。数ヵ月過ぎた頃、マサト、マサキの二人は一つ下の学年の部屋で勉強をしていたようだ。もともとあまり勉強についていけてなく、一つ下でも良いと二人が言ったためとのことだった。結局犯人は誰だったのかわからず、終息した。



 やがて色づいた木々たちも葉を落とし、鮮やかだった緑も静かに沈黙し、凍てつく乾いた冬を迎えた。

 

 このスクールがある地方では毎日のように雪が降ることはなかったが、時折寒く雲がかかる日には雪が降りそそいだ。この年は2月に大雪が降り、あたり一面を真っ白に染めた。翌日は、みんな、先生も含めて雪で大はしゃぎして遊んだ。生徒たちは楽しみながらも寒そうにしていたが先生たちはそんなに寒そうにはしておらず、このスクールの先生たちは強いなあと感心させられるほどだった。スクールの中には大きな暖炉がいくつもあり、建物の中は全館とても暖かかった。その暖炉はずっと中で真っ赤な塊が燃え続けている不思議な暖炉だった。

 

 やがて凍てつく冬が過ぎ春を迎えた。冬の間は億劫に感じたジョギングも気持ちよくできる季節になった。

 そして春が過ぎるのも早く、いつのまにか暑さを感じる時期を迎えた。また木々が燃えるような緑をまとい生き生きと活気づく。

 

 この日の朝もエリナとジョギングしていた。朝でもまだ涼しい日々が続いていたが、この日は朝から少し暑さを感じた。

 ジョギングクラブでも思うが、エリナは運動の才能に恵まれているのだろう。ずっと走り続けられるし、少しスピードを上げたランニングでも淡々と走ることができる。ジョギングクラブではただ走っているだけではもの足らず、たまに仲間内で競争したり、短い距離を早く走るスピード練習のようなことをする。その練習で無理をした子は足を痛め怪我をすることがある。股関節、膝、脛の内側などに痛みを感じしばらく走れなくなるがエリナにはいっさいそういうことがなかった。

 

 この日は建物の入り口を出て右手奥にある池のほうへ向かって走っていた。この日もたわいもない会話をしながらゆっくりと走っていた。

 

 グラウンドから、雑草に囲まれた緩やかな下り小道を行くと大きな池がある。池の周りは雑草が生い茂っている個所が多いが手入れされている個所もところどころあり見晴らしが良く池を泳いでいるカモなどの鳥の様子を眺めながらジョギングすることができる。池の周りには砂利や芝のほとりが広がっているところもあり、天気の良い日はここに座ってピクニックしたり、釣りを楽しむ人もいる。その反対側は柵や森林が見え、池沿いに走っていくとその道を通ることになる。

 

 僕たちが池の周りの道を右回りにゆっくりと走り始めそれから10分ほどしたとき、ふと池のほとりほうを見ると誰かの足らしきものが見えた気がした。僕はエリナに声をかけて立ち止まり、Uターンし池のほとりのほうに走り見に行くと、そこには先生が仰向けで胸のあたりを抑え目を閉じて座っていた。ロージ先生だった。息はしている。顔から汗が流れている。慌てて近づき声をかけた。

 「先生。ロージ先生。大丈夫ですか。」

 「ああ、アキヒト君か。いや、大丈夫だ。」

 ロージ先生は、ハアハア呼吸しながら答えた。とても大丈夫に見えない。

 「大丈夫ですか。誰か呼んできましょうか。」

 「私、他の先生呼んでくる。アキヒトはここで待ってて。」

 エリナはそう言うと、サーっと走って行ってしまった。い、いや、僕が呼びに行くからエリナが待ってて、そっちのほうが早い、と言おうと思ったが、その声が届く間もなくエリナは消えていった。僕はどうしてよいかわからず、しばらくの間、声をかけることと、見ていることしかできなかった。

 

 ロージ先生が、少し体を左にくねらそうとしているのに気が付いた。苦しいのだろうと思い、僕はロージ先生の背中のほうに回り込み体を起こすのを手伝おうと背中のあたりに手をかけた。

 「えっ」

 あまりにも不自然な感触を手のひらに感じついつい声に出てしまった。毛皮の服か。もう初夏でこんなに暑いのに。

 「かまわん。大丈夫だから触らないでくれ。痛むから。大丈夫だ。」

 苦しそうな、弱弱しい掠れた声でロージ先生は言った。言われるがまま僕はすぐさま手を離した。

 

 それから間もなくして、先生たちが来た。走ってきたようだ。思ったよりも早かった。スカー先生、ユキ先生もいた。

 「あらら、無理しちゃって。大丈夫。」

 「もう年なんだからあまり無理しないで。さあ、建物のほうに戻ろう。」

 ユキ先生は、持ってきた水をロージ先生に飲ませた。ロージ先生は「ふう」っと息をついた。スカー先生とユキ先生でロージ先生を担ぎ上げた。そのまま一番体の大きい名前の知らない先生の背中にロージ先生を乗せ、他の先生はそれを後ろから支えるとそのままとことこと歩き出した。

 「アキヒト、ありがとう。いやあ、ロージ先生はたまにこうやって倒れてしまう時があるんだ。まあ大事には至らないよ。いつものことさ。ありがとう。」

 スカー先生はそう言うとほかの先生と一緒にロージ先生を連れて池を後にした。

 

 それからしばらくしてエリナが来た。思ったよりも待った。何をしていたんだろう。しかし、エリナはロージ先生が倒れているところにくると、ハアハア言って膝に手をついた。

 「先生たちものすごく早くって。ハアハア。信じられない。」

 おやっと思った。てっきり別の用事を頼まれたかトイレにでも行っているのだと思っていた。しかし直接先生たちと一緒に来たのだと言う。走るのならエリナだってまあまあ早い。スカー先生は僕もいまだにすごく早いって思う。でもユキ先生だって、ロージ先生を担いだ大きな先生だって一緒にいた。みんなもそんなに早いのか。あの体の大きな先生も。


 その日から、僕は何か心に引っかかるものを感じるようになった。



 それから数日後。エリナと5日間会わない日が続いた。

 とても寂しかった。今まで3日に一回は会っていたし、会わない日であっても遠くで見かけることはあった。5日間姿も見ないのは初めてだった。

 

 数日前、スカー先生、ロージ先生とほかの先生とで、なにやら揉めているのを見た。とても珍しい光景だった。先生が言い合いするなんて見たことがなかった。なんとなく近寄らないほうが良いと思い何かあったのかを聞くことはしなかった。

 

 珍しい光景、そしてエリナを見なくなったこと。まさか特別クラス。5日目には僕は半分おかしくなっていた。どうしてよいかわからず体全体がずっとムズムズしていた。そして信じられないことをスカー先生から聞くことになった。

 「アキヒト。エリナ君なんだが、研究室に行くことになった。」

 研究室。特別クラスとともに噂になっている別のクラスだ。先生が明言するので間違えなく存在するクラスなのだろう。出来の良い生徒や模範となる生徒が選ばれ、ともに研究のための特別な勉強をするクラスと聞いている。噂ではほとんどが女が選ばれ男が選ばれることはあまりない。このクラスも中高クラスとは別のエリアにあり、このクラスも特別クラスと同じように移動すると、再度中高クラスに戻ってくることはほとんどない。エリナともしばらく、いやずっと会うことはできない。

 「すでに、行っている。」

 スカー先生は、僕の反応を少し確認して続けた。

 「僕とロージは反対したんだ。アキヒトがかわいそうだって。2人の仲を知っていたからね。」

 そんな。ショックで何も言えなかった。エリナに最後の挨拶もしていない。急だ。なぜ僕にも事前に教えてくれないんだ。

 「気の毒に思うよ。」

 スカー先生も僕の気持ちは察してくれたようで、悲しい顔をし、かける言葉も見つからなかったのだろう、それ以上は何も言わなかった。


 僕は、部屋に閉じこもり一晩中泣いた。あまりにも突然の別れだった。

 それでも翌々日の朝はジョギングに出た。何かをして、何もかもを忘れたかった。

 

 数日後ユキ先生にも会った。ユキ先生も事情を知っており僕を慰めてくれた。

 「ごめんね。少し寂しくなるけど。これも重要な仕事の為らしいの。」

 ユキ先生に、どうしてエリナなのか聞いてみてもユキ先生は私にはわからないとの回答だった。ユキ先生はサバサバした感じで、明言はしなかったが「ほら、他にも女の子はいるし・・・」って感じのノリのように見えた。


 重要な仕事。この重要な仕事とはいったい何なんだろう。僕たちが将来携わる仕事と聞いている。だが、中高クラスで3年も経つ今でもその内容について教わっていない。先輩たちだっていまだに誰も知らないし卒業の後に教えてもらうのだろうか。だいいち卒業まで秘密にしておくようなものなのか。そもそも僕たちは毎日勉強はしているが基本的な勉強をしているだけで、何のために勉強しているのかも教わっていない。ましてや、勉強が嫌いで勉強タイムにたまにしか出てこない奴だっている


 しばらく、心に大きな穴が開き何をやっても身が入らなかった。その穴の周りには虫でも這っているかのようなムズムズしたものをずっと感じた。何かが引っかかる。何か信じがたい妄想が僕を襲う。まさか、そんな・・・。でも、だとしたらなぜ・・・。

 

 そこにさらに僕をどん底に突き落とすようなニュースが流れ込んだ。スカー先生が突然、このスクールから退職することになったのだ。

 

 スカー先生が大好きな女の子たちは、思い思いの手紙を渡したり、花束やプレゼントを渡していた。泣いている子もいた。

 憧れの人だったし勝手に僕の人生の目標、師匠だと思っていた。僕も心の奥底で泣いた。スカー先生に今までの気持ちを伝えたかったが恥ずかしくそれができなかった。一言

 「今までありがとうございました。また一緒に走って下さい。」

 とだけ伝えた。スカー先生は「もちろん」と答えてくれた。

 スカー先生は、

 「お前たちはとても心が豊かで感動するよ。ありがとう。」

 とみんなに言っていた。

 

 そして数日後、スカー先生もこのスクールから居なくなった。



 それ以降も、僕は朝のジョギングは続けた。これを止めたら僕のすべてが駄目になると思った。

 勉強タイムでの勉強にも参加はしていたが、昼以降の自由時間は何もする気がせず、部屋に閉じこもりっきりのときもあった。しばらくジョギングクラブにも顔を出すことを止めた。みんなでワイワイする気になどならなかった。


 自分の中の大きな何かを失った。何かをしようとしてもまるでやる気にならない。いや、何をしてよいのかもわからなかった。

 今朝のジョギングしたコース、食べた朝食、勉強タイムの内容を思い出せないときもあった。どうしても行く気になれず勉強タイムを休む日もあった。いろいろな先生達が心配して声を掛けてくれたが常に「大丈夫です。」とだけ答えた。先生達と会ったり、話したりするたびに妙な違和感を感じた。理由は分からなかったが何故か先生たちが信用できなかった。

 部屋の外から聞こえてくるみんなの声が僕に孤独を感じさせた。完全に一人になりたかった。周りに何も存在しない、何も感じさせない完全な一人。耳を閉じ、布団をかぶりじっとしている時間が次第に多くなった。

 

 昼ずっと寝ていることもあったせいで、夜眠れない日が続いた。


 寝ながら、あることにふと疑問を持った。スカー先生の女の子たちに言ったあの表現だ。他の先生たちも同じような表現をするのを前からずっと気になっていた。「お前たち」は僕たちくらいの年齢の子供たちのことを意味していると解釈していた。ユキ先生も「このくらいのあなたたち」と言っていたとエリナが言っていた。エリナがユキ先生の言ったことを正しく覚えていたかどうかはわからないが少し不自然な気がした。もしかすると違う意味なのではないか。

 何度となくある仮定が頭をかすめるが、なぜなのかが検討もつかないしそんなこと絶対にありえない。また顔を布団に埋め考えるのをやめた。

 

 そんなある日の夕方、外に出てみるとなにやらざわついていた。たまたま訪れた先生に聞くとどうやら幼少クラスで昼頃2人脱走したらしいとのことだった。このスクールから脱走だって。そんなことできるのか。僕は一人ぶつぶつ言いながらまた部屋に閉じこもった。

 

 その日も昼に寝たせいで眠れず、体のだるさと頭に痛みを感じたので少し頭を冷やそうと部屋の外に出た。

 昼、部屋から見た外の様子は曇っていて青空はなくじめっとした天気だったが、夕方から晴れたようで、青白い月が夜を照らしていた。

 優しい風を感じ、それに触れたく少しグラウンドのほうに散歩に出た。ジョギングをしたかったがグラウンドから先は明かりがなく暗いためできなかった。

 

 少し建物沿いを歩いていると、ロージ先生が一人で座って何か食べていた。先生がたがたまに食べている乾燥した肉だった。月のほうを見て何か思いにふけっているように見えた。ロージ先生は近くに行くと僕に気が付いてくれた。

 「アキヒト君か。あの時はありがとう。」

 「い、いいえ。」

 ロージ先生は、ふうっとため息を付き続けた。

 「エリナ君のことはすまなかった。私も止めたんだがな。アキヒト君があまりにもかわいそうだって。本当にすまなかった。」

 急に切り出され、僕はまたエリナのことを思い出し泣き出しそうになったがそれを抑えて聞いた。

 「なぜ、エリナだったのですか。」

 ロージ先生は、しばらく何も答えなかった。答えられない何かがあるのだろうか。

 「外の特別な仕事と何か関係があるのですか。」

 「いいや。単純な研究じゃよ。」

 「研究ですか?」

 ロージ先生はまた答えず、小さくため息をついた。

 また泣きたくなった。そして少しばかりの怒りも同時に覚えた。いったい何を隠しているというのか。


 気まずい雰囲気になったので話題を変えた。

 「なんだか、今日、幼少クラスで脱走者が出たとか。」

 「そうみたいだなあ。わしもさっき聞いたよ。男の子二人らしい。一緒に行った子達が、二人がなかなか帰ってこないって先生に伝えたようでそれでわかったようじゃ。その二人はもともと脱走するつもりで、他の子は遊び半分だったようで。まあ、外で生活するには困らないだろうし無事じゃろう。」

 また疑問に思った。僕たちは外に出たことがない。外は危険だと思い込んでいた。安全なのか?それに幼少クラスの人でも、重要な仕事とやらに就かなくても問題なく生活はできるのか。

 「僕も外に出れるのですか?」

 とっさに声に出していた。エリナもスカー先生も失ったし、今、何も楽しくない。やけになっていた。逃げ出したかった。何か救いが欲しかった。今の自分がダメなことに当然気が付いていた。何かを変えたかった。ジョギングだってつまらない。様々な思いからふと口に出たのだろう。

 

 それを聞いたロージ先生はしばらく何も言わなかったが、ふと立ち上がり言った。

 「出たいのかい?」

 「は、はい・・。」

 「君は私の命を救ってくれたし、恩がある。本当に望むなら外に行く手助けをしても良いぞ。」

 「えっ。」

 思いがけない回答だった。続けてロージ先生が言った。

 「外で生活に困ることはない。外もいたって平和だし、食事、住む場所に困ることもないだろう。誰かがたぶん面倒見てくれる。ただし、君らにとっては・・・。」

 そこでいったん言うのをやめた。君らにとって。この表現にまた違和感を覚える。

 

 「どうする。行きたいか?わしは行く道も知っているし、扉を開けることもできる。」

 「いいのですか。」

 「罰則が科せられるわけでもない。何も問題ない。ただしもうここに戻ってくることはできんぞ。」

 少しためらったが行こうと決心した。ここにいたって駄目になるだけだ。行かせてくださいと頼んだ。それを聞いたロージ先生は、ゆっくりと歩き出し「来なさい。」と言った。


 薄暗い建物の中に入る。

 中高クラスの建物は4棟に分かれていて、一番奥に3階建ての先生専用の建物がある。生徒はここに入ることは原則禁じられている。鍵を開けそこへと入っていく。

 部屋は静まり返っている。誰かいる気配もない。ここの2階、3階に泊まっている先生も居るらしいとのことだったが数人だけで、居ないときもあるとのことだった。そのまままっすぐ進むと、また扉があった。ロージ先生は部屋からランプを持ってくると、火をつけ明かりを灯しその鍵を開け外に出る。出ると正面は鉄の柵で覆われていた。すぐに左に曲がり柵伝いに進むと鉄の柵にまた鍵のかかった扉があった。その扉も開け、外に出て進む。まだスクールの敷地内のようだ。周りを見渡したが誰もここを監視している人はいないようだ。鍵の構造を見る限り外からは先生であっても入ってこれないようだ。

 登り道が続いている。木々で覆われた真っ暗な道をランプの明かりを灯しながらゆっくり進む。何があるかまったくわからない。少し行くとロージ先生は小道を右に曲がった。そのまままたしばらく木々に覆われた暗い下り道が続いた。ランプには小さな虫や蝶が寄ってきた。虫たちが頭や背中にとまるがロージ先生は気にすることなく歩き続けた。何分歩いたか、森林を抜けると正面には木の柵があった。そこを左に曲がり少し行ったところにまた鍵のかかった古い木の扉があった。

 「ここじゃ。」

 と言って扉を開けた。行けという意味なのか。

 「本当にいいのですか。」

 「ああ。ここを出て左に曲がりこの柵に沿って進むと、小さな道にでる。その道を左に曲がりしばらく進むと、大きな舗装された道に出る。汽車が問題なく通れるくらいの道だ。その道を左に曲がりずっと進めば村に出る。あとはそこにいる者たちに聞けば良い。」

 「わ、わかりました。」

 不安をいっぱいにゆっくりと扉を出た。

 「ありがとうございました。」

 ものすごい胸騒ぎが心の奥底から湧き上がってくる。確かにこれから行くところは未知の世界であろうがこの胸騒ぎは何なのだろう。ただ外に出るだけなのに。

 僕は行く前にもう一度ロージ先生にお礼を言った。するとロージ先生が言った。

 「最後に。これからお前は想像もしなかったような現実を見ることになるかもしれん。でも、受け入れ、落ち着いて、気を確かに生きなさい。決して、我を失い取り乱してはならない。生活には困らないし生きるのに不自由はない。あと、ここには何があっても絶対に戻ってきてはいけない。わかったかい。」

 意味が分からなかった。ものすごい胸騒ぎが加速のを覚えた。

 「わ、わかりました。」

 「元気でな。」

 それから数回振り返り、ロージ先生に挨拶しながら小道を進み始めた。

 

 もらったランプと月あかりを頼りに、言われた道らしき道を進んだ。虫がいっぱい近寄ってきた。体が少しかゆい気がする。

 真っ暗な山道を30分くらい歩いただろうか。大きな舗装された道に出た。真っ暗だ。大きな道の脇には何やら見たことのない鉄の棒があり、その上には明かりを照らすかのような形をしたものがついているが明かりは灯っていない。道の端に等間隔でこの棒が立っている。何なのだろう。しばらく道なりに歩いたが、他には誰もいないし、何も通る気配すらなかった。

 この暗い緩やかで曲がりくねった下り道をまた30分くらい歩くと、古い家らしきものが数軒建っていた。誰かいるのだろうか。まだそんなに夜遅くないし、誰かいるのなら起きていても不思議ではない。恐る恐る一軒の家に近づき周りの様子を探るが明かりはなく真っ暗だった。正面には扉らしきものがあり見たこともない記号が書かれている。

 「すみませーん。」

 小さめの声で何度か言うが何の反応もない。とても不気味だった。恐る恐る扉に手をかけると扉は横に移動して開いた。鍵はかかっていなかった。中にも誰もいる様子はない。何度声をかけても僕の声だけが不気味に響くだけだった。

 

 疲れたしもう今日は寝たかった。これ以上歩いても村に着くころには真夜中になってしまうし誰もいないだろう。怖かったがここで一晩休ませてもらうことにした。

 しばらくは胸騒ぎで眠れなかった。ロージ先生の最後に言った言葉が胸にこびりついていた。しばらく考え事をしていたが、体は疲れていたせいかいつの間にか夢の中に落ちていった。


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