第156話 聖女の活動再開④
ちらちらと現れ出した精霊に、側近の方々は特別大きな反応はせず軽く目を閉じて祈るような仕草をされ、すぐに仕事に戻られた。最初の頃は目を大きく開いて固まっている事が多かったが慣れたらしい。日常の風景になれば精霊と言えどそんなものである。
「この後は?」
「休憩です。ラシェル様からそれも責務だと言われてしまって」
「……私が言うより素直じゃないか?」
「いやぁ……なんかラシェル様って人を動かす力ありますよねぇ」
じとーっと見られたので、しれーっと視線を逸らす。
だってお世話になっている上に私の教師ですから。ついつい言う事聞いてしまうのは仕方がないと思いませんか。
「まぁいい。それならそれを利用するまでだ」
「……辺境伯様みたいな事を言いますね」
「ずっと近くに居たからな。言動の一つや二つ似るだろう」
そりゃそうかもしれないけど。あの方に似るのはちょっとやだなぁ。
「休むならもう戻れ」
「はーい。じゃあ戻ります。あ、その前に――ミュラ子爵」
仕事の顔でミュラさんに声を掛ければ、彼は顔を上げた。
「水道の使い方について市井で誤解が広がっている可能性があります。こちら側にも使い方を誤認している者がいないか意識調査と、市井への伝達内容について確認させてください」
ミュラさんは椅子から立ち上がると、承知致しましたと綺麗に礼を取られた。
「お願いします。それでは皆様お邪魔いたしました」
最後の言葉は側近の方々に向けて。軽くカーテシーをしてレティーナが待っている扉へと向かう。
「リーン」
呼ばれて振り向いた瞬間、額にキスをされて固まる。
「気をつけて」
いつも通りの微笑んだ顔のシャルにこちらも澄ました顔で「はい」と返事して、野次馬精霊も無視して、シャルの後ろで目を見開いている幾人かの側近の方々の視線も無視して、何事も無かったように出る。
が、内心は大荒れである。
あなたさっきお腹に触るの躊躇ったくせに何故にでこちゅーするのか。腹は駄目ででこはいいのか。どういう基準なんだ。意味がわからん。というか、あの日からやけに接触増えたっていうか戻ったっていうか、むしろ前より増えていっているっていうか、私室以外でもやってくるとかどうなんだっていうか、普通妊婦に対しては減るんじゃないのかっていうか……
「いかがされました?」
そっとレティーナに囁かれて、無意識に歩いていた私は我に返った。
「なんでも――」
そういえば、レティーナは既婚者である。
だが相手は
「ないです」
参考には出来ないなと諦めた。
諦めて、ドロシーさんの顔が浮かぶ。そうだ。彼女なら参考になるのでは。でも相手兄だしな……そんな情報聞いても微妙な気持ちになる事請け合いだろうし、ドロシーさんも話したくはないだろう……
次に思い浮かんだのはラシェル様のお茶会に参加される御夫人方のお話だが……下ネタ方向にぶっ飛んでいるので、逆に参考になるような手前の情報がない。
かといって母に聞くのも恥ずかしい気がするし……あぁ……今こそ前世の妹にいろいろ聞きたい。いろいろ聞いておけば良かった……でも文化が違うから比較は出来ないのか……
グダグダ考えているうちに部屋に戻っていて、気が付いたら外出用の外着から楽な室内着に着替えさせてもらっていた。鮮やかな手並みだ。
しみじみしていると、クリスさんが私宛の手紙を持ってきてくれた。
仕事上のものもあるし、私信もある。私信と見せかけて仕事のものも。ごっちゃになったそれをわけていると、母からの手紙があったので仕分け終わって最初に開けた。
母は特段の用が無ければこんな風に手紙を寄こしてこない。
何かあったか祖父の手紙が入っているのだろうと思い見れば、案の定祖父から報告が入っていた。
どこの開発がどの程度進んでいるのかとか、売り上げ状況とか、出資者に対する還元率から計算したそれぞれのざっとした利益だとか。
そこまで見て、ん?となった。
全ての開発に対して同じ名前の出資者が一人居るのだ。
利益を各地に分配させるためにそうならないよういくつもの貴族家に任せている筈なのに、だ。しかもその名前がサクラときた。
シャルだ。
桜の名を知っているのは彼しかいない。
全ての開発に対して出資しているせいで、利益がえらい事になっている。
何を考えているんだと思っていると、報告書の後ろの方にサクラは私の別名義だと書かれていた。
シャルが私の家に対して結納(女性貴族は基本的に家の財産という扱いだから、結婚するときに家に対してお金が支払われる。養子縁組は場合によるが私の場合両親は金銭授受を断ったと後で聞いた)する事が出来なかったから、ジェンス家に対して密かに褒章の形で贈っていたらしい。そしてそれを父が祖父に、私の助けになるよう託したそうだ。それを受けた祖父がシャルに提案して、別名義を作ったと書かれている。しかも、今回の開発全てを持ちかけた人物として。
なにやってるんだ……シャルも、父も、祖父も……
だいたい褒章って、なんの褒章なのか…………
実家に褒章とかばれたらやばいのではとちょっと冷や汗が出る。これは職権乱用ではないのか。
どこにも後ろ暗いところのない金だと書かれているが、出だしのところが不安でしかない。でも祖父が言い切るという事は大丈夫なのだろうと思う。お金に関しては厳しい人なので。
「…………」
もう一度、利益のところを見て気が遠くなる。
ネセリス様のところからも継続して売り上げの一部が私名義に入ってきているが、その比ではない。
特に、祖父が絶対に王家でやった方がいいと言った人工の青色の顔料(絵の具や色鉛筆を見て再現は難しいと言われたので何故か聞いたら原料が高過ぎて利益が出ないと言われたものだ。前世でも言われていた海を越えた希少な青ウルトラマリンと同じかと気づき、人工的に作れると言ったら目の色を変えられた)が、とんでもない値になっている。
他にガラス系、陶器系の伸びもすごいし、それ以外も想像以上に売れている。
これはどこまで販路を伸ばしているのか……国外も視野に入れて話を持っていったし、外務省とも繋いで貰ったが……確実に国外、しかも複数を相手しているとしか思えない。東のヒルタイト、南のシャス、西のラーマルナを通り越してシャス経由でガルガナスとかその向こうのファウストまで伸ばしていたりして……
祖父は最後に、今後も増えるだろうから好きに使うようにと書いて終わっていた。
おそろしい。
この金額を小娘に対して好きに使えという神経がおそろしい。
私はそっと報告書を仕舞った。
一瞬これで学校も公衆浴場も出来るんでは?とか考えてしまった。金があるから作ろうって単純に考えていいものではない。ないが……目途は立ったかもと思ってしまう。金銭感覚狂いそう……
続けてネセリス様からの手紙を開けると、あちらで開発途中だったゴムが完成に近づいてきているとの事だった。
すごいな。シャンプーとかでも思ったが、どうやったら作り方がわかるんだ。というかゴムの木みたいなのがあったんだな。
ゴムが出来るのは有り難い。衣服系だけでなくゴムはいろいろな用途に使えるから。タイヤとかに使えばサスペンションと合わせてさらに振動が少なくなるだろう。
「……採寸?」
読み進めていくと、手紙の後ろの方に採寸のためデリアさんを派遣すると書かれてあり首を傾げる。
今私が着ているものは基本的にネセリス様が送ってくださっているものがほとんどだ。こちらから最近採寸結果を送ったし、わざわざデリアさんを派遣する必要は無いと思うのだが……これは何かあるな。またデザインとか聞かれたりして……もう出がらし状態で何も出ないんだけど……
以前デリアさんに迫られた時の事を思い出して乾いた笑いが出た。
控えてくれているネラーと視線が合って、ちょっとねと言葉を濁しお茶を淹れてもらう。最近はもっぱらジャスミンの香りに似た、こちらで妊婦が良く飲むお茶を飲んでいる。
あ……
お腹が軽く張るような感覚があり、反射的に手を当てるとネラーがお茶を淹れる手を止めた。
「大丈夫。少し張っただけだから。この時期ならおかしくないから心配しないで」
「エイシャ先生をお呼びしましょうか?」
「もう治まったから平気。それよりお茶をもらってもいい?」
すぐに治まる張りなら大丈夫。頻回でもないしな。平気だと手を振ると、ネラーはしょうがないなという顔でお茶を淹れてくれた。
「そうやって後手に回る事もあるのですからね?」
しっかり釘を刺してくるネラーに、はぁいと返事をして、そういえば腹帯とかないんだよなと気がついた。冷やさないようにお腹に毛糸の腹巻のようなものを巻く事はあるが、下から支えるという発想のものではない。
戌の日参りは本来五ヶ月ぐらいの時ですっかり過ぎているが……今からやったとしても問題はないか。骨盤ベルトもしといた方がいいし。
「……周産期の医療も聞いてみたいな」
妊娠悪阻、最近では妊娠高血圧症候群と呼ばれていたが、その辺についてどうされているのか聞いてみたいし、切迫だとか早産だとかその辺の対応もどうなっているのか確認してみたい。
産後の対応も、前世では時代によってとんでもない対応をしていたりするのだ。確か江戸あたりでは産後七日寝てはいけないとかで碌な食べ物も食べれず耐えた筈。苦行を終えたばかりの産婦に酷い仕打ちである。この国がそういう事をしているとは思わないが、何事も確認だ。先生方に聞いてみよう。
やる事を付箋に書いて貼っているノートを取り出して追加し、ついでに整理していく。ネラーがため息をついているのが視界に見えたが、まぁまぁ。精神的にはちゃんと休んでますから。
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