第155話 聖女の活動再開③
それからレアンドル様と今後の治療活動についても話し合ったが、完全に気がそぞろだった。
帰りの静かに揺れる馬車の中(サスペンションが完成していた。祖父の馴染みの職人さんが成し遂げてくださったらしい。一番に納入してくれて大感謝。あと上下水道を引くついでに雨が降るごとにぬかるむ土の道も整備した。側溝を設置した若干弾力のあるコルクのような質感の道路は土魔法なしには出来なかっただろう。土魔法様々である)、悶々と考え続けているとレティーナが先ほどの申し出の事を考えられているのですかと訊いてきた。
馬車の中にはレティーナと私だけだ。兄は馬車の外、馬に乗って他の騎士と共に警護してくれている。
「……そうなんだけど、口で言うのは簡単だけど……すぐには直らないんじゃないかなと思って」
「そうですね。先ほど少し確認しましたが、聖女の恵みの水、または女神の水と言われているようですから、なかなかこちらが思うような用途では使われないかもしれません」
あかん。そんな御大層な名前までついてたらあかんわ。そしてさらっとレアンドル様を『読む』のは止めてくれレティーナ。ばれたら怖すぎる。
「……参ったな……まさかこういう方向で躓くとは思わなかった……もっと日常使いしてもらえるようになっておかないと……」
「また流行り病が起きた時が、という事ですか?」
「そう。そうじゃなくても日常的に衛生的な生活を送る事は病気になりにくくしてくれるからいい事なんだけど……事が起きてから言っても遅いからね……」
どうすれば日常使いのものだと思うのか。
一度ついた意識を覆すのは大変だ。インパクトがある事をしないと。
実際に私が洗濯してみせる?……ただのデモンストレーションだとしか思われないな。
じゃあ水浴びでもして見せる?……ストリッパーかよ……ないな…い………ありか?
「レティーナ、お風呂って普及していないのよね?」
「しておりませんね。辺境伯領では少しずつ広がっておりますけれど、王都では本当に珍しいものが好きな一部の貴族だけです」
作ってみるか?公衆浴場。
あれほど大量の水を使用して、しかも自分の身体を洗うのだ。インパクトはあるだろう。水量に関してはかなり余裕があるからいけるだろうし……だけど裸に対して抵抗があるか?
それに学校を立てる資金の目途もついてないのにそっちまで手を出せるかってのもあるし……うーん……
悩んでいると、お腹の中でこぽっと何かが動くような感覚があった。
腸の中を空気が動いているような感覚に近く、勘違いかもしれないが………今の、胎動かもしれない。
「妃殿下、いかがされました?」
「あ……うん。大丈夫、何でもない」
何となく、シャルに先に伝えたくて首を振る。
何か察知したのか、いつもの奴らが現れるが……精霊ってどうやって察知してるんだろ。
左様ですか?と言いながら、レティーナの表情は優しい。加護が無くてもレティーナは人の感情を読むのが上手いから、何かしら勘づかれたのかもしれない。それでも深く訊かないのは彼女の優しさだろう。きっと、昔から。
「レティーナ、いつもありがとう」
レティーナはにこりと微笑んで勿体無いお言葉ですと、わざとらしく恭しく騎士の仕草で頭を下げ、それから顔上げて悪戯っぽい笑みを浮かべた。
茶化して気を楽にしようとしてくれるレティーナに乗っかって笑えば、レティーナもふふふと笑って――ありがたい友人を持ったと本当に思う。
王宮に戻るとひとまずシャルの執務室へ。
戻ったら必ず顔を出すように言われているのだ。もはやちっちゃい子に対するオカン並みの心配症である。
執務室の扉をレティーナが叩くと側近さんの一人、ヘインズさんの応えが聞こえた。
私の存在が伝えられると内側から扉が開き、レティーナが横に下がった。
私は兄を振り返って職務中のその澄ました顔に、ありがと、お疲れ様、と口パクで伝え執務室に入る。兄の護衛はここまでだ。王宮内なので、レティーナと数名の騎士が担当してくれる。
「ただいま戻りました」
「おかえり。大事ないか?」
「この通りですよ。相談したい事はありましたが」
「うん?」
机から離れてこちらに来たシャルに、ちょいちょいと視線で隅に移動するよう要請。
察しのいいシャルは首を傾げながら移動してくれる。
「あの、相談は後でさせていただきたいのですが……」
「どうした」
小声で言う私にシャルも小声になる。
「実はさっき胎動、赤ちゃんの動きらしきものを感じたんです」
シャルは目を丸くして、私のはっきりと膨らんできたお腹に手を伸ばしかけハッとしたように引っ込めた。
私室なら触ってただろうが、ここは執務室だからな。側近の方々の目がある。
私はその反応にちょっと笑ってしまう。
「まだ触ってもわからないと思いますよ」
「そうなのか?」
「あと一ヶ月ぐらいすればもっとはっきりわかるようになります」
「そうか……ドミニクにはもう視えているんだよな?」
「そうみたいです。元気よく泳いでるそうですよ」
驚いた事に、おじいちゃん先生にもその形はぼんやりとしか診えないのに、兄の方はハッキリと視えるらしい。加護の特性の違いなのだろうと思う。
兄曰く、この子は男の子だそうだ。そこまで視れるのは『視る』の加護持ちでもそうそう居ないらしいので、公表はしていない。
「羨ましい……」
心底といった顔で言うから吹きそうになってしまった。
この国では珍しいぐらいにシャルは子供に関心がある人だ。
学園の頃、妊娠したら生まれるまでは興味が無いのが男親の基本姿勢だと聞いていた。別にそれは無視しているわけではなくて、女親の領分だからという認識だからだ。女性側もそれを当然と捉えているので、あれこれと干渉される方がむしろ嫌だという人もいるらしい。私は普通に気にしてもらえて嬉しいけど。
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