第152話 聖女は悪阻の終わりを迎える②

「誰だ。そんな事を言った者は」


 くるりと向きを変えられると、微笑を浮かべたまま大変据わった目が待ち構えておりました。

 というか、軽く瞳孔開いてた。

 空色の瞳の中にある暗い深淵を覗いてしまったような、まるで地獄の蓋を間違えて開けてしまったような心地がして、冷や汗が出た。


「い、いえ、言われたわけではありませんが、そういうものなのかなぁ…と」


 これは兄から社交の時の話を聞いて連想したと言ってはいけない奴だと直感した。


「政略的にバランスを取らなければならないような状況ではない」


 一見すると冷静そうに見えるし、微笑んでいるように見える。だがしかし、めきょっと開いた瞳孔が全てを覆してしまっている。


「そ、そうですか?」

「で、誰だ」

「いえいえ、本当に単純にそう思っただけで。ラシェル様の心得でも他の妃達を取りまとめる必要があると習いましたし」

「必要ない。誰だ」


 間が……間が、一切無いんですが、被り気味に否定してきてるんですが…!


「いえいえいえ、本当に、本当にどうなんだろうなと思っただけですよ。本当に」

「そうか。誰か言えないのか」


 嫣然と笑うシャル。


 こわっ…!

 まじで怖いんですけど!?

 これか?!キレたシャルってこれか?!


 こらぁあかん!と必死こいて頭を回転させる。

 適当な事を言って誤魔化す、というのもありだと思った。だが、瞳孔開いちゃってるこれをこのままにしておいていいのかという思いもあって、ええいままよ!とシャルの顔を両手でがしっと掴む。


「シャル。聞いてます? 誰にも、何も、言われてません」


 一瞬怯んだような顔をしたシャルに畳みかける。


「今私はこんな状態だから気を遣ってもらっているのかもしれませんけど、それを知ったところでそんなに柔な精神してませんから大丈夫です。むしろ私に後ろめたいとか気に病むような事があったら心配だったから訊いたんです」

「だが……この間までずっと泣いていただろ」

「それはっ……その、お恥ずかしながら、ホルモンの変化には勝てないと言いますか……! あー! もうしょうがないんですよ! エストロゲンとプロゲステロンがバンバン出てるんですから! 情緒不安定になるし子宮だって大きくなって便秘や頻尿にだってなるし胸も張ってなんかちょっと大きくなってきてブラが痛いし、ってそれは別にいいんですけど!」

「そ、そうなの、か?」


 視線が下に動こうとするのをぐいっと顔を持ち上げて視線を合わせる。真面目な話をしてるのにどこ見る気だ。


「そうなんです! いたって普通の事なんですよ! 

 それに多少ダメージ受けてもみんなが居てくれますから倒れる事は無いんです!

 それに比べてシャルはどうなんですか!? 自分一人で悩んでたりしてないですよね!? さっき自分がどんな顔をしてたかわかります?! 瞳孔開いて相当怖い顔してたんですよ!?」


 あ……とシャルは呟いて、その目から力が抜けた。

 いやまぁ、捲し立てたあたりからもう瞳孔は収縮していつもの様子にはなっていたけど、今は叱られた子供のような目をしている。


「すまない……」

「謝ってほしいわけじゃないんですよ……というか、そんな顔をさせるまでほっといてすみませんと謝らないといけないのは私の方で」

「いや……違うんだ。そうじゃない……これはそうじゃないんだ……」


 顔を掴んでいる手に、大きな手が添えられる。


「………聞くに堪えない事を…聞いて……怒りがずっと燻っていたんだ……何も知らず好き勝手な事を言う輩が腹立たしくて……次から次へと湧いてくるのが鬱陶しくて……慣れなくてはならないとわかっている……」


 苦し気な様子で吐き出すシャルに、自然と眉が下がった。


 ……辺境伯領でも同じような事を言っていたもんな。元々シャルは言い寄られる事を好むタイプではないし、聞き流せるようなタイプでも無かったか。


「まさかリーンに接触した輩がいるのかと焦ったんだ……」

「……良くも悪くもシャルは真面目ですからね。辺境伯様あたりならどうでもいい話は耳を素通りするんでしょうけど、シャルは頭に入っちゃうんでしょう。

 大丈夫ですよ。何かあっても私、一人で悩むような事はしないですから。ちゃんと相談します。知ってます? 私、シャルの事はこの世界で一番信頼してるんですよ?」


 笑って言えば、シャルも泣き笑いのような顔になった。


 この顔ならもう大丈夫かなと、ほっとして顔から手を離した。が、シャルが手を離してくれない。


「……前に言った事を覚えているか?」

「前?」

「リーン以外は考えられないと言った事だ」


 ………あぁ、いきなり子作りの話をしてきた時の事か。

 思い出すとちょっと顔に熱が集まってきそうで、意識的に思考を逸らしてその熱を散らす。


「その考えは変わらない。ずっと」


 真剣な眼差しで、だけどどこか熱を帯びたような眼差しで見つめられ……そのまま顔が近づいてきて………って、ちょ、あの…いや、そういうつもりでは……だいたいほら、妊娠してからは熟年夫婦のような関係っていうか、そんな感じになってたじゃないですか……!そんな気起きないと思ってたんですけど!!


 内心あわあわとするが、いつかのごとく視線を外せずそのまま唇が重なった。

 久しぶり過ぎる柔らかな感触に心臓が飛び跳ねる。もう恐怖からほっとしたのも束の間、羞恥への上下が激しいのなんのって……心臓がびったんびったん暴れ回って苦しいぐらいなんだが……!


 その時、野次馬達が派手に出てきたのが見えて、これ幸いとアイコンタクトをして意識を逸らそうと試みた。が、大きな手が気にするなというように視界を覆ってしまった。そうなると余計に触れているとこの感触が鮮明で……


「まだ恥ずかしいのか?」


 目隠しされたまま少しだけ離れた唇から至近距離で囁かれ、咄嗟に声が出ない。というか何故わかる?!そっちも眩しくて見えないはずなのに!


「いつまでたっても可愛いな…」


 掠れた声に、ひぃーと内心では声が上がるが現実はさらに唇を深く合わされて羞恥が白旗を上げた。


 手で覆われていても光を感じるほど野次馬達が騒いでいたが、そこに意識を割く余裕はございませんでした。


 えー……一応、シャルは妊娠中の危険行為はしませんでしたが、私の心臓的にはだいぶん危険でした。シャルの色気に慣れる日って来るのだろうか……

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