第151話 聖女は悪阻の終わりを迎える①

 結局私の悪阻は五か月頃まで続いた。

 なかなか長かった……体重もどんどん落ちて心配されてしまったが、赤ちゃんは問題なく成長してくれている。

 最初はおじいちゃん先生だけだったが、所謂助産師さんの年配の女性先生も一緒に診てもらうようになった。なんでもアイリアル侯爵家でお世話になっている先生らしく、取り上げてもらうのはこちらのエイシャ先生になる。ドロシーさんの方は同時に産気づいたら大変なのでまた別の方だ。


 さて、季節は既に春から始まった社交の時期を終えて初夏。


 社交では私が出席しないため、予想通りいろいろな憶測が飛んだようだ。

 不仲説や、本当に体調が悪い説、正解の妊娠説、中には死亡説なんてのもあったと友人に聞いた。もちろん本気で言っているというよりは、娯楽の一つとして話のネタにされているのだろうと思う。

 なんたって今まで辺境伯領に追いやられていた王弟殿下シャルが中央に戻って、尚且今年(春で新年を迎えた。ついでに私も十七になった)の末には王となるのだ。

 新たな王にお近づきになりたい貴族家は多いだろうが、アイリアル侯爵家と辺境伯家ががっちりと脇を固めているから、関係を作ろうとするのもなかなか大変だと思われる。

 内務長官とか外務長官とか法務長官とか財務長官とか典礼長官とか、主だった官職も主権を取り戻した時に諸々入れ替わっているし、貴族院の顔ぶれもがらっと変わったと聞く。貴族院に在籍する貴族家は簡単に変わったりしないのだが、罪を犯せばその限りではない。まぁあれだ、ちょっと粛清があったのだ。ミルネストが権勢を誇っていた時に甘い蜜を吸っていたところは、没落したり目に余るところは家が潰れたりした。

 という事でこれまで築かれていた力関係が大きく変わり、今までのやり方(賄賂、恐喝、仕事上の上下関係、縁戚関係などなど)が通用しなくなったのだ。そうなると中枢に近づくための手段として手っ取り早いのは社交の季節の色仕掛けとなるわけで。

 で、そうなると私の存在が邪魔になるわけで。そこにタイミングよく体調不良で欠席となれば、ねぇ。そりゃ格好のネタになりますわ。

 ラシェル様とネセリス様の影響範囲ではそういう事はないだろうが、それ以外はお祭り騒ぎみたいなものではないだろうか。


 王家主催の夜会や園遊会では実際どうなったかというと、私の代わりというわけではないがシャルはずっとエリーゼ様をエスコート(正式に王家に戻られて、改めてサイアス様に嫁ぐために期間を設けている所だった)していたらしく、私が不在なのを狙って接触を試みようとする相手を無視し続けたのだとか。仲良く姉弟で踊っていたと警備についていた兄が教えてくれた。

 辺境伯領に居た頃はかなり上手にあしらっていた記憶があるのだが……無視は駄目だろ無視は。と思った。

 というか、エリーゼ様はサイアス様と踊りたいだろうに拘束してどうする。


 溜息をついていたら兄は意味深に笑って腹に据えかねたんだろうと言った。

 どういう意味だと聞けば、どーしよーかなーと子供みたいな事を言い出したので、ドロシーさんに警備中女の子たちに迫られていた事を話そうかなーと言ったら舌打ちしてあっさり教えてくれた。私にだって侍女や友人を通じた情報網というものが構築されつつあるのだよ。ふはは。……私が凹みそうな事は頼み込まないと教えてくれなかったりするけど……もう泣きませんって。安定しましたから。


 兄曰く、シャルに近づこうとした御令嬢方は、虚弱な私では不安が残るとか、表に出れない妃ではこの先負担になるだけだとか、所詮低位の娘には務まらず無責任にも逃げたのではとか、教育に潰れて隠れたのだろうとか、自分は多産の家系なのでお力になれますよとか、噂で聞こえる程美しいわけではないのでしょう?拝見した事ごさいますよ(たぶんう◯こカツラかぶってたあの時だろう)とか、まあそういう感じの事を遠回しに言ったらしい。

 虚弱に関してはもっともな事なので言われても別段おかしくないし、後半は売り込む言葉だったのだろうなとそんなに反応する事でもないと思った。そもそもそういう相手はこちらの派閥ではないので攻撃よりの発言になるものだ。


 実際、そこまではシャルも普通に受け流していたらしい。

 シャルの対応を変えさせたのは、私がラウレンスのお手付きになっていたのに良いのか、ましてラーマルナに攫われた時にどんな事をされていたのか想像もつきませんよと心配する振りして言った言葉だったようだ。

 これも噂の一つで、監禁されていた時に流れた噂を再燃させたり、ラーマルナの急襲から勝手に想像して噂を広げようとしている誰かさんがいるのだろう。

 その人は、要は噂で流れている妊娠説の子供が他人の子供じゃないですかと言ってるわけだ。

 もちろんそのまま言ってしまうと不敬罪に当たるので、幾重にもオブラートに包まれ遠回しに言われた言葉だったようだが、一瞬でキレたのが分かったと兄は言った。

 笑顔のままそれは無いとだけ答え、ばっさり会話を断ち切ったらしい。しかもだ、エリーゼ様もうふふと笑いながら遠まわしに頭の弱い方は困るわと毒を吐かれたのだとか……あの穏やかを体現したような方が毒を吐かれるとか、全く想像出来ない。

 それ以降シャルの機嫌が下降してピリピリしだしたらしく、表面上怒っているようには見せていなかったらしいが、仕事でも機嫌が悪いのが滲み出てかなり執務室が固い空気に包まれていたのだと。


 私が悪阻から復活してからは緩和されてきたらしいが……未だに少し固いらしい。側近の皆さんはとんだとばっちりである。


 その頃はずっと吐いてた頃だからしょうがないとはいえ、復活してきてからはまた一緒に寝るようになっていたのだ……シャルの方も落ち着いて来た頃だったのかもしれないが、全く気が付かなかった。


 昨日なんかおずおずとお腹を見たいと言われて、ちょっと膨らんできたかな?ぐらいのお腹を見せたら触ってもいいかと確認されて。相変わらずいちいち許可取るところが真面目だなぁと思いながら、どうぞどうぞと触りやすいようベッドの上で膝立ち(下は冷やさないようにドロワーズを履いている)になれば、恐る恐る触っていた。本当にそっと触るから擽ったいぐらいだった。

 胎動なんてまだまだ感じられる時期じゃないのに、それだけで花が綻ぶように笑うのだからこちらもつられてしまって、ついでに野次馬もちらちら出て来て久しぶりに見る精霊に二人してわけもなくくすくすと笑って。


 そんな呑気な頭だったので、兄からの情報になるほどなぁと結構活発な動きがある事について考えさせられた。


 たぶん、辺境伯様もアイリアル侯爵様も事情が変われば側妃を受け入れるだろう。あの方々は紛れもない為政者側の人たちだ。そしてシャルも腐ってもそちら側だ。望もうが望むまいが、必要とあらば据えなければならないのだ。

 そう考えると、誰かしら裏で候補は探られている可能性はある。私に知らされていないのは、お腹に子供がいるからいろいろと気を遣ってもらっているのだろう。


 だからシャルが帰ってきていつものように寝ようかという時に、なんとなく訊いていたのだ。側妃を迎える予定はあるのかと。迎えるならどこの娘さんかと。

 意図としてはあまり深く考えておらず、シャルの意思とは別にそういう可能性は十分あるし、たぶん候補はいるんだろう事は想像ついているからあんまり気を遣わなくてもいいよと、それは一緒に寝る事に慣れて夢現の状態でぽろっと出た寝言のような言葉だった。


 だったのだが……私はもう少し、シャルがキレたという話をきちんと考えるべきだった。彼が本気で怒ったところを私は見たことが無かったのだから。


 後ろから抱えられて、服の上からお腹を撫でていた手が、その時ぴたりと動きを止めた。


「………何故、そんな話をするんだ」


 それまでゆったりしていた空気が、ものすごく固くなった瞬間だった。

 低ーい声に、あれ…なんかまずい事言ったか?と一瞬で眠気が飛んだが後の祭りだった。


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