第148話 聖女と王妹の顔合わせ④

 侯爵家嫡男と聞いてこちら基準の美男子を勝手に想像していたが、どちらかというと偉丈夫という言葉が似合いそうなお方だった。

 短く揃えられた髪は鮮やかなオレンジ色で、目の色は赤味の強い橙色。色味は似ているが顔はあまり侯爵様とは似ておらず、目つきの鋭さもあって全体的に威圧的な感じがする。

 ぐるぐるする頭で様子を窺っているとサイアス様は異様な部屋の状況に一瞬動きを止められたが、シャルに目を止めるとまずは挨拶と頭を下げられた。


「サイアス・クロヴァーラ・フォン・アイリアルでございます。目通りいただき感謝します」

「いや……こちらこそ姉上を助けてくれた事、感謝している」


 ハキハキと話すサイアス様に対してシャルの声は弱い。さっきの話が尾を引いているのだろう。


「当然の事です。本日はお願いがあって参ったのですが……」


 サイアス様の困惑が混じった視線が私に来る。

 ありえない格好をしているからそれも当然だろう。すいませんと心の中で謝罪。


「……姉上の身体の事か?」


 シャルの言葉にサイアス様はハッとしたように意識を戻された。


「……その通りです。二人が話しているとは思っていませんでしたが……お願いします。妃殿下のお力で――」

「サイアス様。何度も申しましたが、私はもう構わないのです。最後によい夢を見させていただきました」

「姫!」


 言葉を遮ったエリーゼ様に、我慢ならないという顔で声を荒げるサイアス様。やはりサイアス様は諦めていない。頭を冷やすとか言っていたのはそう言う事だ。

 じっとして横になっていたからか、少し吐き気も引いている。いける。


「あのっ!」


 今だと身体を起こして声を上げ、サイアス様とエリーゼ様だけを入れた防音魔法を張る。目の前のシャルが邪魔だったが、話したいのを察してくれたのかずれてくれてなんとか張れた。


「サイアス様はエリーゼ姫が他の人に触れらていたとしても嫌がらずに触れる事が出来ますか!?」

「リーンスノーさん!?」


 淑女にあるまじき事をいきなり大声で言った私に、エリーゼ様がギョッとした顔でこちらを見た。

 だけどこっちはそれどころじゃない。一瞬で憤怒のような形相になったサイアス様が吠えた。


「なんだ貴様は! 姫に対し無礼にも程があるぞ!!」


 ごもっともで!だけど答えてくださいよ!


 横のアイリアル侯爵様が動かれようとするのを、咄嗟にやめてくれと目で制止。声は聞こえずとも剣幕はさすがに伝わってしまう。


 怒れる偉丈夫に怯まないよう踏ん張って睨み返す。


「怒るって事は触れないって事ですか!?」

「そんなわけがあるか!!」

「美人だからエリーゼ姫が好きなんですか!? 見た目だけなんですね!!」

「なっ! 馬鹿にするな! そのお心が誰よりも気高く美しいからに決まっている!!」


 よっしゃ!もう一声!


「じゃあ!! しわしわのお婆ちゃんになっても抱けるってことですか!!?」


 びびる心を抑えつけ、怒りをビシバシと感じながら負けじと声を張り上げれば、今度こそエリーゼ様から「何を言うの!?」と悲鳴が上がった。だがその直後、


「愚問だわ!!!」


 目をかっぴらいて怒鳴られて、鼓膜を破りそうなその声量にビリビリと空気が震え息が詰まった。


「サイアス殿!」


 その瞬間、防音魔法が破られてシャルに庇われていた。


「リーンが何か言ったのだろう。それはわかるが頼む、覇気をぶつけないでくれ。体調が良くないのだ」


 せり上がってきた嘔吐感に堪えきれず吐いたら、布か何かで受け止められた。続けて背中を摩られたが、逆に吐き気が増して何度もえずいてしまう。

 幸い、消化は終わっていたらしく胃液だけだが、酸っぱい匂いに吐き気が……


「阿呆。焚き付けるにしてもやり方があるだろ」


 ぼそっと聞こえた声に、視線だけ上げれば明らかに呆れた顔のいつもの兄が。

 私の嘔吐物を下に落とさないよう横から構えてくれていたのは兄だったようだ。


 た、助かります。下の絨毯に落としたら大変だ。だけど、あの、背中を摩るのはやめてほしい、余計に……


「ちょ…っ…手、やめ……ぉえっ」

「あ?」

「…て、やめっ……ぅっ」

「……摩るなって事か」


 摩るのを止めてくれたが、吐き気は治まらない。

 治まらないが、サイアス様がアイリアル侯爵様に取り押さえられているのが見えて焦った。悪いのは私だ。


「リーン、大丈夫か」

「だっ、だいっ…ぅっ…ぶ」

「摩るなって。摩ったら余計気持ち悪いらしい」

「そ、そうなのか?」


 手を伸ばそうとしたシャルを止める兄に感謝。シャルはどうしていいのかわからない様子で手を彷徨わせているが、そのままでお願いします。お気持ちだけで、はい。


「……あの、もしや……そちらの方が、妃殿下……ですか?」


 取り押さえられたまま、今更な事を言うサイアス様にアイリアル侯爵様が深い溜息をつかれた。


「あの銀の御髪を見て思い至らないお前の馬鹿さ加減に頭が痛くなる……」


 名乗って無かったし、誰も紹介しなかったから仕方がない……ここに集まっている人間の中でソファに横になってても許される人間ってそう多くないと思うけども。

 だが煽ったのは私なのでサイアス様は悪くない。シャルは焦った顔でおろおろしているので兄にどうにかしてくれないかと視線で訴える。と、兄は防音魔法を部屋全体に張り、はーーーと長い溜息をついた。

 それから小声で「もう少し耐えれるか?」と聞いてきたので小さく頷いて返す。

 兄は桶代わりの布をシャルに渡すと立ち上がり振り返った。


「誰か気づかないのは問題としても、今のはこいつが悪い。サイアス殿を離して貰えないか?」


 いつもの声と口調に戻った兄に、一瞬アイリアル侯爵様は目を細められたがすぐに戻し、何も言わず床に押さえつけていたサイアス様を離された。


「どうしたものかと窺ってはいたんだが………結論から言うと、こいつとリシャールが協力すれば王妹殿下を治療する事は可能だ」

「本当か!?」


 兄の言葉に飛び起きるサイアス様。そしてシャルも希望を見出したように表情を変えたのがわかった。


「ただし、一度に全てをというのは難しい。無理をさせられない状態だからな……

 アヒム殿が王妹殿下を確認して、俺がこいつの状態を確認している中で部分的に進めるならとしては許可できるだろう」

「……それは真か?」


 疑うような視線を向けるアイリアル侯爵様に、兄は軽く頷いた。


「こいつの加護はさんざん視てきた。俺を疑うって事は、この国に居る全ての『視る』加護持ちを疑うって事だ」


 自信満々な、そして偉そうな言いようにアイリアル侯爵様はあっけにとられたようだ。


「つっても、これは王妹殿下が受け入れる気持ちがなければどうにもならん」


 兄に水を向けられたエリーゼ姫は……動かない。

 顔を赤くし両手で頬を押さえたまま、何かを呟いておられる。耳を傾ければ、しわしわ…と、聞こえて………あの……その…咄嗟で焦っていたので、すみません。語彙力が無くて。


「……エリーゼ様」


 胃液で痛い喉を震わせてヘロヘロの声で呼びかけると、ようやくゆっくりとこちらを向いてくださった。


「お願い、します。やらせてください」


 エリーゼ様は、口を開かれるが――言葉が出てこない。


「姉上、私からもお願いします」


 シャルも頭を下げてお願いした。


「……私などがよいのでしょうか……ミルネストの横暴を止められなかったのに……」


 掠れた声で呟かれたエリーゼ様に、治療を拒む理由がまだあったのかと思った。

 そしてミルネストへと嫁いだ理由にも気づいた。

 一人で内側からミルネストの専横を止めようとした、のではないかと。 


「殿下、それは我々みな同じです」


 アイリアル侯爵様が徐にその場に膝をついて頭を下げられた。


「あの時、お助けする事が出来ず申し訳ありませんでした」

「やめてください侯爵、侯爵はずっと父のように私達を守ってくださっていました。私は私の意志で参ったのです」


 首を振るエリーゼ様にアイリアル侯爵は頭を上げないまま、それではと返された。


「そのようにおっしゃっていただけるのでしたら、どうぞお受けになられてください。生い先短い老いぼれのお願いでございます」


 父上…とサイアス様が驚いたような声を漏らされた。


 アイリアル侯爵様も本当はこちら側だったのか……

 そりゃそうだよな。妹のラシェル様の子供、姪っ子なんだよな。エリーゼ様は。

 先の流行り病の時には今の陛下と一緒に保護されていたんだから……大事に思われてる筈なんだよな……


 エリーゼ様はずっと頭を上げないアイリアル侯爵様の前に膝をついて、その手を取って小さく頷かれた。肩が小さく震えているのが見えて……声を殺して泣かれているのがわかった。

 サイアス様が横からそれを隠すように抱きしめられて、それを確認出来て力が抜けてソファに頭が落ちた。


 良かった……受け入れてもらえた………

 あー…自分が臭い。でも、なんか少し楽になってきた気がする……


「ところで……貴殿は誰だ? 妃殿下をこいつ呼ばわりするのも殿下を呼び捨てにするのも許されているようだが、褒められた事ではないぞ」


 視線だけを上げて見ればサイアス様が兄を見ていた。

 アイリアル侯爵様は再びため息をつきシャルは苦笑いを浮かべて、そういえば顔を合わせた事が無いのかと呟いていた。

 

 あれだな。サイアス様はエリーゼ様以外あんまり視界に入らないタイプの人かもしれない……どことなくグレイグに近いものを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る