第149話 聖女はボロを出す

 それから私はエリーゼ様とサイアス様に暴言の謝罪をする間もなくシャルに抱えられて部屋に戻された。

 連絡を受けたらしいネラーが私の寝室とベッドを温めてくれて(新しく侍女として入ってきたネラーの妹のアイラが『温める』の加護持ちだ)そこに横たえられて随分と身体が冷えていた事を自覚した。


 それからすぐに先生が来てくださって診察を受け五巡り程でしょうと言われたので、前世の換算で妊娠十二週前後(こちらの妊娠の数え方で、一巡りが十日、妊娠ゼロ日が着床日あたりを指し示し、臨月が二十六巡りとなる)だという事が判明した。

 奇しくも、ドロシーさんとそう変わらないという……


 気づけよと突っ込まれると弱いのだが、言い訳をすると生理みたいなのがちょっとだけどあったのだ。

 先生に聞いたら初期に出血する事がありますからと言われて、もしや着床出血だった?と思い至った。


 そして急に来た吐き気の理由なのだが、食べたのが重たいチーズ系だったからというのもあるが、エリーゼ様と会う事で極度に緊張したためだろうと言われた。

 確かに……どうやって二人きりに持ち込もうかと悩みまくっていたからな……話が纏まったら楽になってきたし。今のところ胃がむかむかするぐらいにまで落ち着いた。


 そうして問題はないと言われて先生は退室され、残された私はベッドの上でベッド脇の椅子に座って疲れ切った顔のシャルから説教を受けている。

 いったいサイアス殿に何を言ったんだとか、興奮するのは良くないだろとか、兆候は感じなかったのかとか、食事が減っていたのがそれかとか、何故あの者達は気づかないんだとか、自分も気づかなかったんだがとか。

 説教だったはずがだんだんと方向がずれだして終いには指折り数え、もしや妊娠中にしてなかったかと青い顔をし始めた。


「……ぎりぎり…か? 先月あたりから調子が悪そうだったから控えていたが…」


 あ、そうだったんだ。忙しくて疲れてるのかと思ってた。


「あの、とりあえず今のところ問題ないですから、大丈夫ですよ」

「だが重なっていたら」

「大丈夫じゃないなら既に大丈夫じゃないですよ」

「……大丈夫じゃない」


 青い顔のまま呟くシャル。


「いやだから、大丈夫だって事で」


 そうだった。この人繊細なんだった。想像以上にナイーブになってらっしゃる。

 子供が出来て嬉しいというより、ものすごく怖がっている様子にふとこちらも不安がもたげた。


「あの……嬉しくないです?」


 そう訊いた瞬間、シャルはハッとした顔で首を横に振った。


「いや! そう言う事ではないんだ。嬉しいが、だが……いきなりあんな吐いたから……」


 あんなって……胃液をちょろっと吐いただけじゃないか。もう治まってるし。


「悪阻は重かったり軽かったり人それぞれですけど、まぁ大抵の人は吐くんじゃないですか? ドロシーさんも調子悪い時は気持ち悪そうにしているそうですし」

「……いや、まぁ……それはさすがに知っているが」


 実際目にするのは初めて、という事か?

 まぁ普通貴族女性でなくとも妊娠したら初期は家に籠って安静するのが普通だしな。独身の男性の目に着く事はまず無いだろう。家族がそうならばまだ可能性はあるが……ネセリス様が妊娠された時でもさすがにシャルに会ったりしてなかっただろうし……無いんだろうな。


 しかし……妊娠したとなると……


「あの、仕事とかは……」


 上下水道とか、城下の経済活性化の事業とか、保育機能の安定化とか……


「許可できない。教育の方もラシェル様と相談するが、中断するものと思っていてくれ」


 キッパリと言われてしまった。

 だよなぁ……そのぐらいは私でもわかる。


「だが、手掛けている事業から外さずに名前を残しておくことは出来る」


 無念と目を閉じていたら、そんな事をシャルは言った。


「特に教会が関係しているところはリーンの名が無ければ動いてもらえないのだろう?」

「あ……はい。そうでした……はい」


 恙無く進んでいたので忘れていたが、教会とのやりとりだけは私個人で依頼している形だったのだ。


「だからリーンの名前は残して、安定してから復帰できるようにしておいたらどうだ?」

「……そんな美味しいとこどり、ありですかね?」

「美味しいかはわからないが……何かあれば責任を問われる位置でもあるからな……」

「それは全然いいんですけど……あの、だったら報告だけでも読ませてもらえませんか? それだけならそう時間は掛からないと思うので」

「……何もやらせないとなると、逆に溜め込みそうだからな……仕方がない」


 よっしゃ! 


 思わずガッツポーズをしたら苦笑された。


「リーン、何度も言うが無理はしてくれるなよ」

「はい。今回ばかりは大人しくします。たぶん」

「たぶん……」

「大丈夫ですよ」

「どうしてそう気楽なのか……前も子供はいなかったんだろ?」

「いないですよ。でも姪っ子と甥っ子の話をしたじゃないですか。

 妹が妊娠している間、母の都合が悪い時は私も手伝っていたんです。どんな症状が出るのかとか、悪阻の時の対処方だとか結構詳しいんですよ」


 妊娠しているとわかって納得したが、涙腺が壊れていたのはあれだ、情緒不安定。ホルモンのバランスが急激に変わって影響が出ているのだ。妹も悲しくもないのに涙が出ると言っていた覚えがある。


「だが自分では初めてだろう?」

「そうですけど……まぁ、なんとかなりますよ」


 これだけ心配してくれる人がいれば。


 ちらちらとお馴染みの野次馬が現れて茶化してくる(と、勝手に思っている)が、しっしと手で払う。


「……精霊を邪険にするのはリーンぐらいだろうな」


 遠い目をして言ってるが、シャルだってそんなに敬ってないじゃないか。


「意思疎通出来ないかとやってみたんですけど、全然だめだったんですよ。だからたぶん気ままな存在なんだろうなって。こうやっても怒るような気配ないですし」

「あぁ、ある程度格が上がらないと精神構造が人と疎通するまでに……ならないそうだ」

「へーそうなんですか。やっぱり王家には精霊に関して言い伝えみたいなものがあるんですね」

「あ、あぁそうだな」


 ところで、とシャルは話を変えた。


「リーンは姉上の事をドミニクに聞いたと言っていたが」

「はい。こっちで監禁されている時に兄から」


 そういえば……聞いたのは兄だが、兄は父が話していたというような事を言っていた。今考えるとあの父がそんな重大な事を知っていたという事が不自然に思える。兄は顔が広いと言っていたが……それにしたってシャルだって知らなかったのだ。敢えて知らされていなかったとも考えられるが、辺境伯様も知らないような感じだったし……でもあの父ハンネス様と知り合いだったしな。実際顔が広いのは確かかもしれないけど。


「疑問があるのだが、その時は姉上の居場所すらわかっていなかったのではないのか? その時点で身体の事を知っていたというのは辻褄が合わない気がするんだが」

「………」


 はっとした。というか、しまった。


 先ほどエリーゼ様はご自分で説明されたが、その時毒の事は伏せてこの先長くないという事だけ話されたのだ。気が抜けてやってしまった。


「えーっと……最近、兄から聞いて」

「ドミニクはここのところ王都外で動いているから会っていない筈だろ?」


 墓穴を掘りました。駄目だな。咄嗟の嘘は。


「姉上が話さなかった事があるんだな?」

「………………エリーゼ姫には言わないでくださいね」


 じっと見つめてくる青い目に負けて口を開く。


「ミルネストへと嫁がれる時に、子供が出来ないよう毒を飲まれたそうです。それを兄から聞いていたので、お会いするときにどうにか出来ないかと思っていました」

「……毒……………そうか」


 肩を落として息を吐いたシャルは、随分と落ち込んでいるように見えた。


「兄もわかっている筈です。その兄が可能だと言ったからには、そこも問題ない筈です」

「……そうだな……そうだろう………」


 頷いて、そのまま溜息をつき自嘲するような笑みを浮かべていた。


「………当時、姉上がミルネストに行くと聞いた時にな……ひょっとしてそちらにつくのかと疑った事があるんだ……そうすれば身の安全は図れるし、権力を手に出来ると……」


 シャルは弱く頭を振った。


「……すぐに違うと、境遇が聞こえてわかったがな。

 …………何も知らなかった………兄上の事もそうだ…………私が……一番安全な場所にて、何もしてこなかった……」


 苦りきった顔で呟き俯いて手で顔を隠すシャル。


 思わず顔を隠した手を握ると冷たかった。

 覗いた顔は、泣いては無かったが迷い子のように頼りなく揺れている。


「何もしてこなかったなら、今ここにシャルは居ませんよ。

 友人がシャルは自分に出来る事を探す真面目な団長だと話していました。辺境伯領で騎士団の団長になっていなかったら私も会う事はなかったでしょうし。

 それに、シャルの存在は希望だったのだと思います。

 シャルが安全なところにいたから、お二人とも頑張れたんじゃないでしょうか。何もなかったら耐え続ける意味がないですから」


 あの夜、シャルの話を聞いて楽しそうにされていた陛下が思い出される。そう思われていた事は間違いないと思うのだ。だから目を見てそう伝える。


「………希望、か」


 私を見てどこか懐かしそうに呟くシャル。


「そうだとしたら、頑張らないとな……」

「心強い協力者はいますからね、バンバンこき使ってやればいいんです」

「……それはディートハルトの事だけを言ってないか?」


 吹き出して言うシャルに、さあ?と首を傾げておいた。


「……リーン。姉上を引き留めてくれて、ありがとう」


 握り返された手は、少しだけど熱が戻っていてほっとした。


「おいしいところは兄に持っていかれちゃいましたけどね」


 肩を竦めて言えば、また借りが増えたとシャルはぼやきながら笑った。

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