第146話 聖女と王妹の顔合わせ②

「姫は昔から頑固でしたからな。承知致しました。殿下参りましょうか」

「……大丈夫か?」


 こそっと聞いてくるシャルに頷く。どういう状況なのか掴めないが、願ってもない展開だ。

 不安要素があるとしたら、この気持ち悪さを耐えられるかだけで。

 だんだんと頭の裏から血が下がっていくような感覚がしてきており悪化している気がするが……いや、耐えなければ。こんな機会二度と巡って来ないかもしれない。


 立ち上がって部屋を退室されるのを見送ろうとしたら、エリーゼ様がやんわりと私の肩に手を置いて押さえられた。


 立つな、という事ですか?


 意味が分からず、しかし抵抗するのも難なのでそのまま座っていると二人が部屋を出て、本当に二人きりとなった。


「リーンスノーさん、気分が悪いのではなくて?」

「……え…っ」


 口を開いたら気持ち悪さが込み上がって咄嗟に閉じてしまった。

 まともに返答できず、申し訳ありませんと頭を少し下げるしかできない。

 というか何故わかったのか……いい加減表情を取り繕う訓練も回を重ねて安定してきたと思っていたのに。


「大丈夫ですよ。横になれますか? マナーなど気にしないでください、それより身体を休めて」


 止める間もなく髪の飾りを外され髪を解かれた。あの、と小さく声を出すがやんわりと押されてソファに横にされ足を持たれて靴を脱がされソファの上に――止める隙が無い程鮮やかな手並みだった。

 だが何故エリーゼ様が御自らそんな事をするのか理解出来ず疑問符が頭を占める。


「貧血が少し。身体も冷えていますね。あぁそのまま動かないで楽にしてください」

「あの……」

「私の加護は『視る』なのですが……もしかしてまだ気づいてなかったのかしら」


 エリーゼ様は小首を傾げ「妊娠していますよ」と、言われた。


「………え」

「まだ初期ですから、無理は禁物です。リシャールに話して良いなら今から呼びますが」


 どうしますか?と問われて我に帰った。

 耳鳴りがする直前のような、サアアという音が耳の裏から聞こえてくるような感覚があるが、まだ大丈夫だ。


「あ、あの、まって……くだ、さい」

「まだ言いたくありませんか? 確かに落ち着くまでは不安定ですから黙っていたい気持ちはわかります。でもそう長くは隠せないと思いますよ」

「いえ、そうではなく」


 マナーもへったくれもないが、ふーと息を吐いて気持ち悪さをやり過ごす。

 妊娠には驚いたが、一旦それはそれで置いといて。今ここで確認しなければならない事を尋ねなければ。お怒りになられるかもしれないけど……

 頭の奥が鈍く冷え始めるのを感じながら、呼吸を整えて尋ねる。


「教会に行かれるのは、お身体の事が原因ですか?」


 エリーゼ様は表情を変えず、少しだけ首を傾げられた。


「数ヶ月前までは弱っておりましたが、今はこうして元気になりましたよ」

「そうではなく……」


 妊娠してますよと伝えられたその人に、子供が出来ないからですかと聞こうとしている自分を、改めて考えてしまって……口の中で言葉が掠れてしまった。それでも、今しかないのだからと言葉を振り絞る。


「……ミルネストに行かれる前、毒を飲まれたと」

「……どなたからその話を?」


 微笑みのまま静かに尋ねられるエリーゼ様は、感情が読めなかった。


「それは……お許しください。ただ、毒ならば、私の加護でどうにか出来る可能性があるのではないかと――」


 それ以上はとエリーゼ様に首を横に振られた。


「リーンスノーさんの加護が稀有なものである事は聞き及んでおります。

 サイアス様も……提案くださいました」


 小さく息を吐いて、エリーゼ様は儚い笑みを浮かべられた。


「本当の事を申しましょう。

 私の身体はもう長く持たないのです。長年置かれていた環境で毒など関係なく内臓がどこも弱りきってしまって、年老いた者のそれと同じなのです。

 手足の欠損や眼球を治すという話とは違いますでしょう?

 初めてその加護でリシャールの腕を治した時、死にかけたという話も伺いました。このような……全身を治すとなると、相当な負担を掛けてしまう事は想像に難くありません。まして貴女は今一人だけの身体ではないのです。

 それに私は一度ミルネストに嫁いだ身です。今更あの方と一緒になる事など出来ませんから」

「………そん…」


 声が詰まった。


 そんなの……あんまりではないか……


 望まぬ相手に嫁がされ、ボロボロにされて、ようやく好きな人に会えたのに……


「あぁ泣かないで、リシャールに怒られてしまいます」

「す、すみま、せんっ」


 駄目だ、涙腺が壊れたままだ。止まらない。

 嫌な相手に触れられる恐怖まで思い出して、身体が震える。私は途中で逃げ出せたけど、エリーゼ様はそうでは無かったのだ。どれだけ苦しかっただろうか。嫌だったろうか。

 

「だ、だめです、そんなの、だめです」

「リーンスノーさん。大丈夫ですよ。サイアス様には申し訳ないと思っていますけれど、今までずっと想っていてくださったという事だけで私はもう幸せなのです」


 本当に幸せそうに、柔らかな笑みを浮かべられて話すエリーゼ様が綺麗で。悔いなど無いと胸を張られていて……でも、でもと思ってしまうのは、私のエゴだ。


「シャルに、手伝ってもらったら、出来ます、今までも、それで、出来ました、から」

「リシャールに?」

「だからっ、諦めないでください」


 ずびっと鼻をすすり増してくる吐き気に息を荒げてみっともない姿を晒していると、エリーゼ様は苦笑して私の頭を撫でた。幼児をあやすその仕草に、聞き入れる気がないのがわかって焦る。


「本当に、シャルの加護で、補強、されるんです、だからせめて、やらせてください、少しずつなら負担、も、大きくないです」


 エリーゼ様の手を握りしめて、お願いですと祈りを込め見つめる。でも途中で吐き気に襲われて耐えきれずソファに沈んでしまった。


「どうしてそこまで願われるのですか?」

「は、腹が、立つから」

「……はら?」


 感情が昂ったまま本音を言えば、エリーゼ様は何とも言えない顔をされた。その顔はシャルによく似ていた。


「だって、役目だとか立場とか、そんなもののせいでっ、そんなの……」


 もしシャルがそんな事になっとしたら――と、似ている顔を見て思った瞬間ダバーと涙とついでに鼻水も溢れた。

 絶対にそんなの嫌だし、無理だ。サイアス様がどんな気持ちだったかと思うと吐き気の間に嗚咽が漏れてきた。駄目だ、本格的に感情が自分の手を離れていく。


「貴女は……なんというか、素直な方ね」

「すっみませ、ん…失礼をっ……ぅ…男爵、家なっもので」

「いえ、そういう事ではないのですけれど……」


 困ったような顔で微笑まれ、ハンカチで丁寧に涙と鼻水を拭かれた。あぁすみません、そんな、王女様に鼻水拭かせるなんて。


「あの…私っ、教会でも……ぅっ…かつどう、してま……す」


 吐き気を堪えながら諦めきれなくて訴える。


「だから、教会にいって、も、絶対、追いかけ、ます」

「……ここまで話すつもりはなかったのですけれど」


 諦めたようにエリーゼ様は口を開かれた。


「あの方に見られたく無いのですよ。今の私を……若かった頃の私では無いのです」


 ……それは…それは、私がシャルに抱いた罪悪感と同じもの?

 それだけじゃなくて、衰えてしまった事に対する不安?


 うまく言葉に出来なくて、だけど衰えを知っている私は共感出来てしまって、ぼろぼろと涙が馬鹿みたいに溢れる。


 本当に泣きたいのはエリーゼ様だろうに……

 隠していたかっただろう本音まで引きずり出してしまって……


 申し訳なくて、謝る事さえも許しを強いるようで出来なくて……何も出来なかった。

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