第141話 聖女は自分で仕事を増やす②
「すぐにというわけではありませんがいずれ学校を作りたいと思っているのです。
今ある貴族向けの学園ではなく、身分にかかわらず通えるようなところです」
ほうほうとレアンドル様は頷いて、首を傾げた。
「それは何故ですか?」
純粋な疑問は、実はシャルからも受けた。
レリレウスでは普通子供は親の仕事を継ぐのが基本なので、親の仕事を見て覚えていくうちにその職に必要な知識を蓄える。従って読み書きを必要としない農民ではかなりの割合で文字が読めない。
現状問題無いと言えば問題なく。それが当たり前の思想なのだが、人材育成の観点から一般教養は広めるべきだと思うのだ。貴族だけよりも全国民から頭のいい人を探し出す方が見つけ出す可能性は高いし、いずれこの国を支える礎にもなると思う。
「有能な人を見つけ出すためです。市井にも頭の良い方はおられますから、そういう方に国を支える一翼になっていただけたらと考えたのです」
早い話が青田買いだな。これが理由の一つ。
もう一つは、私が自由に自分がなりたいものになれる環境を作ってみたいというものだ。
前世、なりたいものになれる環境だったかと言われると性差による偏見もあって全てにおいてそうだったとは言えない。だけど、今世に比べれば遥かに自由度は高かった。今の環境で満足している人までどうこうするつもりはないが、不満を抱いている人は少なからずいると思うのだ。そういう人が自由になりたいものになれたら、たぶんそこに新しい発想や文化が生まれるのではないかと思う。そういうの、面白そうだし楽しそうじゃないか。むろんそこに軋轢や問題が生じる事は想像出来るが、そういうものはこれに限らずつきものだし、それに怯えてしまっては何も出来ない。
それに歴史から見れば停滞を起こすと活力は生まれず緩やかな衰退を辿る。
ならば何か新しいものを生むきっかけになる機能を作っておけばこの国の為になるのではないか。と、言い訳も添えておく。
この二つ目の理由に関しては、今はまだシャル以外に話す気はない。
話してもそもそも職業選択の自由がある世界というものを想像出来ないと思われるので、無駄に混乱させるだけだ。シャルだって最初は理解に苦しんでいるようだった。どういった世界なのか、そして私の世界がどういう歴史をたどってきたのかゆっくりと話し、何度も説明し具体的な例を出してみて、それでようやく朧気にぐらいで。
いくら私が違う世界から来た魂であると信じてくれていても、常識が違い過ぎる話を延々とされてシャルも大変だっただろう。それでも、忙しいし疲れているだろうに、根気強く付き合ってくれた彼には頭が下がる。
最近、思うのだが……私に彼は勿体ない人ではないのか、と。いや最初から釣り合っていないとは思っている。思っているし……釣り合えるように努力しようと思った……
地位も権力も持ち合わせ、人を動かす力を持ち、周囲からは信頼されて、優しくて、真面目で……これから王になる人に、どれだけの努力をすれば釣り合えるというのだろうか……
聖女なんてものは偶然持っていた加護が嵌っただけの所詮棚ぼただし、女神の再来なんてまやかしだし……
周囲は私を支えてくれるし、隣に立てるよう最大限協力してくれている。
ラシェル様も、アデリーナさんも、ドロシーさんも、友人達も、辺境伯領におられるネセリス様も、ずっと気に掛けてくださっている。
だけどそれが貴族社会の一部である事も理解している。
望まれたから、ではなく……周囲から認められてなったのならこんな事を考えはしなかっただろうかと……今もこうして出来そうな事を探して動いてしまうのは、その焦りが根底にあるのかもしれないな……と、分析している。
今更やっぱ無理ですとか言えるわけがないのはわかっているし、降りる気もないのだが。そういう不安定なところがあると自覚している。シャルの足を引っ張るわけにはいかないので、自覚して、うまくコントロールしていかないと。焦らず、落ち着いて。
「ふむふむ……しかし、それを何故教会に?」
レアンドル様の声に意識を戻す。
「こう申し上げては障りがあるかもしれませんが、一番手っ取り早いのです」
ぶっちゃけた私に、レアンドル様は小さな目を意外そうに大きくした。
「精霊教会の方々は元貴族です。一般教養も貴族に対する礼儀作法も心得ておられますから教師をしていただくのに十分な能力をお持ちで、そして貴族のように平民との間に明確な身分の差がありません」
「……平民に礼儀作法を学ばせるという事は、本当に平民を国の機関に受け入れるおつもりのようですね」
本人が望めばだけど、と頭の中では付け加えて頷く。
「反対も抵抗もあるでしょうけれど、今行われている官吏登用試験に平民枠を作る事で実績を作れば不可能ではないかと思います。場合によっては一代限りの仮爵位を用意しなければならないかもしれませんが」
「それは……破格の待遇でしょうね」
レアンドル様は一度目を閉じて、深く頷かれた。
「妃殿下のお話は理解致しました。
しかしながら教会はどこにも属さぬ組織です。此度の依頼で貴族が運営する学舎に教会の者が関わるとなると、貴族の指示に従った前例がついてしまいます」
……駄目か。そこがネックだろうとは思っていた。
「あの、でしたら今回限りでよいので、子供たちの世話を見るだけでもお願いできませんか」
「お待ちください。慌てずに」
目を開けたレアンドル様は穏やかに微笑まれ、手を上げられた。
「教会はどこにも属しません。ですが、個人的なご依頼であれば受けないという事はありません」
……という事は?
「お引き受けしましょう。ただし、この話は妃殿下とさせていただくという事で、妃殿下の手を離れた時点で教会は手を引きます」
「あ、ありがとうございます」
思わず喜びで大きな声になりそうなところを、ぐっと我慢して抑える。ラシェル様の教育を忘れてはならない。淑女は大声を出さない。
「事前にご連絡いただけましたら対応いたしましょう」
「よろしくお願いいたします」
頭を下げかけて、簡単に下げてはいけなかったと踏みとどまる。……元が日本人だからホイホイ下げる癖があってどうにも難しい。
さて、一つ目は無事に受けてもらえた。あともう一つだ。
「それからもう一つお願いがあるのですが、ここでさせていただきたい事があるのです」
「辺境伯領でされていた事ですか?」
切りだしたら先に言われてしまった。
「ハンネス様からお聞きに?」
「はい。涙もろい事まで教えてもらいましたよ」
ちょ……ハンネス様…なんでそんな事まで……
微笑ましそうにこちらを見るレアンドル様に表情を保つ。訓練の成果を出すところだ。
「出来れば、こちらでも同じように活動をしたいと思っておりますがどうでしょうか」
「教会としては願ってもない事ですが……本当にされるつもりですか?」
「不定期になるかもしれませんが、そうしたいと思っています。
もちろん、制限がありますので不満を抱く方もおられると承知しております」
「王弟殿下はご存知なのでしょうか」
「はい。許可はいただいております」
今までで一番渋られたけど。
今回はさすがに忙し過ぎてシャルが同行する事が出来ず、触れずに加護を施すという事が出来ない。その事も渋る理由だったし、どうもシャルは精霊教会と距離を置こうとしている節があった。ひょっとすると王家と精霊教会では何らかの不文律のようなものが敷かれているのかもしれない。
それでもやる意味があると説得して許してもらった。出向く時は絶対にレティーナか兄を付けるように言われたし、一日に三人までと制限を掛けられたし、魔力を半分以上消費しそうなものには手を出すなと禁止もされたが。
「左様ですか……であれば、こちらからもお願いいたします」
良かった。
これは打算を多分に含んでいるのだ。
もちろん助けになれればという気持ちもあるが、それと同時に上下水道を受け入れやすい下地を少しでも作っておきたいという気持ちがある。
人気のある聖女が主導しているのなら、と……そう簡単に人の意識が変わるとは思わないのだが、成功させられるのなら私が使えるものは何でも使いたい。
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