第132話 聖女は盗み聞く
「来られたようです」
レティーナが促すように視線を隣の部屋へと続く扉に向けた。
同時に向こう側で扉が開く音がして、人が入ってくる音と気配がした。
一度に二組の結婚報告にあれやこれやと頭が忙しく動いたが、こちらにも集中しなければいけないので後でもうちょっとよく聞こうと思いながら意識を切り替える。
絵画が掛けられていた壁の一部に小さな穴が開いており、向こう側の絵の一部に紛れるようにして覗けるようになっている。
『視る』加護持ちの兄がそこから覗いていたのだが、うわ。と小さく声を漏らした。
「呼んだの地獄伯爵だったのか」
地獄伯爵?
兄はちらっとこちらを見て、私に穴を覗くように合図して下がった。
何だ?と思いつつ覗いてみれば、あまり見る事が無くなったロココな装いをしていらっしゃる頭髪が薄い、いかにも疲れていますという酷い顔をした四十代ぐらいの男性がびくびくしながらシャルの前に座っているところだった。シャルの方は一人ではなく大柄な男性、元辺境伯領騎士団の副団長だったフィリップさんが侍従のように後ろについている。
フィリップさんはシャルが団長を辞めるのに合わせて副団長を辞め、こちらに移り政務を手伝っている。見た目が完全に武人なのに結構細々としたところまで気を配れるサポートに特化した人だ。ただやっぱり表情は硬めで威圧感がある人なので伯爵と思われる男性は完全に萎縮して顔を悪くしている。
地獄伯爵というか、伯爵の今の状況が地獄っぽいっていうか……
「あれ、前に話した娘と息子が駆け落ちしそうになったってとこの父親」
ぶっ!
兄の小声に、反射的に壁から身を離して口を押える。
地獄伯爵って
目を剥いた私を無視して兄はどうだ?とレティーナに視線を送っていた。
「……どうやら。他意はなさそうです」
沈んだ意識も探っているのか目を閉じていたレティーナは小声で言った。
隣では回りくどい事はせず正面から何故あの計画書を持っていたのか、何故私にそれを送りつけたのか尋ねているところだ。
伯爵はしどろもどろという言葉がぴったりの様子で(まるでうちの父みたいだ)つっかえつっかえしながら、先代の伯爵がかつて計画に携わっておりどうしてもその計画が惜しくてこっそりと破棄される筈だったそれを盗んで隠し持っていた事、いつかこれが日の目を見る日が来るから絶対に守り通せと言われた事、そして今最大の壁だったミルネスト侯爵が居なくなり、上下水道に興味があるという私に目をつけた事を話している。
「何故、私の妃が上下水道に興味があると思ったのだ」
「そ、それは……が、学園に関係する本、を、寄贈しておりまして……その、それを借りた人物を、ちょっと、その、確認していた、と、申しますか……」
……あそこにあった本、この人が学園に入れていたのか。
「学園にも協力者がいるようです。同じく、先王陛下の時代に上下水道の計画に携わっていた技術者の息子です」
ティルナに頷き、レティーナの話す内容を伝えてもらう。
「それで……お名前を耳に、した時から、もしやと思いまし、て……た、たまたま、甥が話していたなと、思い出し……あの! 甥は何も知りません! どうぞ、何かお咎めがあるのでしたら私だけに!」
見なくとも、頭を下げて懇願しているのがわかった。声に必死さが滲んでいる。
「……ハーバード伯爵は、ミルネスト侯爵家に名を連ねる家から妻を娶りましたが、全てその計画書を守るためにミルネスト派についたように見せていたようです。
少々、気の毒と言いますか……妻の浪費に苦慮しながらなんとか家を存続させて疲弊しているところに外で子をもうけてしまったようで……ドミニク様のお話はその辺りの事でしょう」
レティーナの話に、うわぁ……と思う。
その話が本当なら伯爵は計画書のために結婚相手を選んで苦しい人生を歩む事になってしまったとも言える。
「伯爵。この計画書を知る者は他に誰がいる?」
「い、いいえ、……だ、れも」
レティーナは首を横に振った。
「計画書は写しがあり、他に三つ。ヴァレン男爵家、ノルデイン男爵家、カスティーノ子爵家にあるようです。今回妃殿下の目に留まり良い方向に行けば良し。万一の事があれば他の三家が未来に繋いで欲しいと願ったようです。ハーバード家はもう終わったからと」
「まぁ今回の政変が起きる前に離縁されて慰謝料だとか言って金目のものは全部取られてるって話だし、娘も息子も呆然自失で跡取りがとか話が出来る状況じゃないみたいだからなぁ……確かに家は断絶まっしぐらか」
追い打ちがえぐい……
「伯爵。私の問いに答えられないのか?」
あぁシャルも追い打ち掛けてる……
「い、いいいいえ! そのような事は! ほ、本当に居ないのです!」
言い募る伯爵の声に、シャルは大きな溜息をついた。
「そこまで言うのなら仕方がない。リーン」
ん?
呼ばれた?と、顔を他の面々に向ければ頷かれた。
来いという事だろうかと、ちょっと恐る恐る隣への扉に近づくとドロシーさんが先に前に出て扉をノックした。
「入れ」
ドロシーさんはこちらを見て頷き、どうぞと扉を開いてくれた。
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