第131話 聖女はまさかの報告を受ける

 翌朝、目元が腫れた私を見たドロシーさんがシャルに凍てついた視線を送り始めたので慌てて違うと止めて、けれど詳細は言えずもごもごしていたらシャルが苦笑して自分のせいだから構わないと言って行ってしまって。


 なんというか、非常に情けない。

 ここのところ精神が随分と退行しているというか弱くなっているというか……しっかりしなければ。


 午前中はなんとか目を冷やしてラシェル様のところへ行き、昨日休んだ事を謝罪したところ、とても暖かな眼差しをいただいてしまって部屋に逃げ帰りたくなった……いや、しないけども。ちゃんとそのまま王妃として知っておかなければならない知識を口頭で聞いたけど。心頭滅却して無の心地で必死に頭に叩き込んだけど……


 昼前に一度部屋に戻って精神的にちょっとぐったりしながら食事をとって、少々早いがスケジュールが開いたので言われていた部屋へ向かう。

 で。私、ドロシーさん、レティーナ、ティルナ、そして何故か兄の五名で待機している。


 何故居るのだと兄に小声で訊いたら、気にするなと無理な事を返してきた。

 仕事は?と突っ込んだら、これ護衛と嘯く始末。いやいや騎士団長の仕事って基本的に事務仕事が多いはずだから。シャルがそうみたいだったし。そもそもティルナとレティーナが護衛なのだが。

 ジト目で見ていたら固いこと言うなよと小突かれてため息が出た。


 そういえば、ドロシーさんとはどうなったんだ?


 あんまり煩く訊くのもなぁとあれから触れないようにしてきたが……

 ちらっとドロシーさんを見るが、彼女は職務中のキリッとした顔をしている。凛々しい。


 うちの家の方に話は……いってるのが普通だけどこの兄だしなぁ……あんまり追い詰めないようにねって言った時も余計なお世話だとごもっともな事を言われてしまい、それ以上は何も言わないでいるんだが……ってそうか。ドロシーさん身分を気にしてる?


 彼女の父親である伯爵はあの後、首謀者ではないという事で一応赦されたが、それでも賠償は背負う事になりあまり良い状態ではないと聞いている。ドロシーさんはといえば家名を外され完全に伯爵家から見放された。あの記憶にある父親なら原因となったドロシーさんを辺境伯家に差し出して減刑を図ったのだろうなぁと想像つくが……

 今は身分的には平民と変わらない状態で、しかも前科ありでそこだけで考えればかなり微妙な立ち位置だ。

 ただ、彼女が私の侍女で兄に求婚されていると伯爵が知ったらどうなるだろうか。もしやすでに耳に入っている可能性もあるか?


「妃殿下、このような場で報告する事ではございませんが宜しいでしょうか」


 職務中の口調でレティーナに小声で言われ意識を戻す。


「なんでしょう?」


 こちらもレティーナに合わせて外面用の顔で訊き返す。


「私事で大変恐縮なのですが、この度レンジェル・アーヴァインとの婚姻が成立致しました事を報告させていただきます」


 …………は!??


 ぱくんと自分の口を閉じる。危ない。声が出るとこだった。

 ティルナに思わず視線を向ければ、既に知っていたのかちょっと面白がるような顔をしていた。


「家の方から相手を選べと釣書を送られて来ておりましたので、余計な紐付きを付けられるぐらいならばとレンジェルに打診したところ、合意がいただけました」


 ものすごく事務的に話すレティーナに、思わず眉をひそめる。


「紐付きを付けられるとはどういう事です」


 不穏な内容に問えば、レティーナは顔色を変えず答えた。


「妃殿下と近しい場に居る事が家の者に知られまして、そこからどうにか殿下に近づこうとしているのです。あちらで相手にしようともせず辺境伯様の思惑にも気づかなかった愚鈍さが片腹痛い事ですけれど」


 おっとりとした顔で冷めたように笑うレティーナ。


「……そうでしたか」


 という事は、レティーナの父親かその親族?はシャルを王位につけるという計画を知らない立ち位置に居たというわけか。それはあんまり辺境伯様に信用されていなかったという事だろう。たしか縁戚関係にあった筈だから結構近い家の人の筈だが……いやでも、あの計画は余程口の堅い腹心とも言える人で固めていたか。バレたらやばいなんてもんじゃない。そう考えれば、レティーナがあげつらうように言う程ではないと思うが……まぁレティーナを足掛かりに私に、そしてシャルに近づこうとするのは何とも貴族らしいとは思うが……

 そしてその面倒な干渉を跳ね除けるために自分で相手を探し、それがレンジェルだったという事だろう。


 確かにアーヴァインならネームバリューもあるし、家も古く元々中立の立場だった事から現時点で新政権からそれなりの扱いを受けている。そのアーヴァイン家の嫡男であるレンジェルを普通は否となかなか言えないだろう。


 選んだ理由はわかるのだが……いいの?あれで?と思わずにはいられない。


「ご心配には及びません。あれの思考はそれなりに読めますので」


 いや、まぁ確かにそうだろうけど……私達の中で一番レティーナがレンジェルの話を理解して返していたのだ。

 奴は魔法の威力やら精度やらを独自に設定している階層で話したり、各魔法の理論を提唱した人物(学園の教師陣でも把握しきれていない数)の名前を取って行動方針を伝えてきたり、感情を表してみたり、魔法を放出するときの珍しい現象だったりを人にあてはめて言ってみたり……ある程度何度も出てくる単語は覚えていられるのだが、新手のものはそれが何を意味しているのかさっぱりわからない。

 それをある程度『読ん』でいるとはいえ理解出来るレティーナの頭がすごい。あいつポンポン話が飛ぶからついていけなくなるのだ。


 しかしながら、だからといってあれを旦那にしてしまってレティーナは本当にいいのだろうかと……

 レティーナが自分で決めた事ならとやかく言う事ではないとは思うのだが、何やら巻き込んでしまった感があって申し訳ないというか……それに普通は婚姻期間を設けて周知してからお披露目をやって婚姻を結ぶという手順なのだが……


「式はどうしたのです? ずっと私の護衛についていてそんな暇はなかったと思うのですが」

「それについてはアーヴァイン家とも相談し、書面で済ませました」

「書面……」


 夢も何もない事務手続きじゃないか……


「余計な邪魔が入らないうちにと先方からも強く望まれましたので」


 邪魔? レンジェル側かレティーナ側か。どちらもかもしれないが……そういえばミルネスト派閥の家の御令嬢がレンジェルの相手として有力視されていたんだっけ? という事はアーヴァイン家としては辺境伯家とも繋がれるレティーナを娶る事で立場を表明するという事か?


「同時にアーヴァイン伯爵が爵位をレンジェルに譲られましたので、それに合わせてドロシーを養女に迎え入れました」


 ……は? はい?


「で、俺が貰う。七日後のこいつの休み、動かすなよ」


 ポン。といきなり会話に入ってくる兄に、口が開いた。開いたまま、ドロシーさんを見れば、彼女はきりっとした顔を――いや、目元がちょっと赤い。耳も赤い。


 え。え?……え??


 ぽんぽんぽんと新しい話が出てきて、それが全部繋がって……


「じゃ、じゃあ……」


 ドロシーさんは微妙に視線が明後日の方を向きながら、私に頭を下げた。


「ご報告が遅くなり、申し訳ありません」


 う……うぉおお!まじですか!


 思わず兄を見れば、何故か偉そうに腕を組んでしてやったりという顔をしていた。


「ったく、家がどうの身分がどうの過去がどうのとごちゃごちゃ言うから時間かかったわ」

「ごちゃごちゃって、そこは兄さんと違ってドロシーさんはちゃんとした御令嬢なんだから普通の考えでしょ」

「ああ? 俺は家だの身分だのが欲しくて言ってるんじゃないっての」

「それはそうだろうけど、体裁を気にするのが普通だって事。

 いやでもまぁ、そう言いながらちゃんと根回ししたって事なのか……あ、でもレティーナは? それもあって、という事?」

「いいえ。そちらの話はこちらの婚姻が整った後に伺いました」


 首を横に振るレティーナにちょっとほっとする。まさか兄が自分の為にレティーナを使うとかそういう事を考えるとは思っていないが。でもほっとした。


「って事は普通にレンジェル選んだんだ……」

「案外、あれはあれで使い勝手がありますので」


 衝撃的すぎて外面が崩れていた私にレティーナも苦笑した。


「……まぁ、困った事があったら相談して。あれを相手に何が出来るかわからないけど……」

「ありがとうございます」


 ふふふとレティーナはいつものように笑うので、無理はしていないのだろうなとなんとなくわかる。


 うーん。レンジェルの頭に夫婦という二文字が存在しているのかかなり怪しいが、少なくともアーヴァイン家にとってはレンジェルと普通に会話出来るレティーナは得難い存在だったと思う。下手したら妹のクリスさんが家を背負う事になる未来もあったのだ。クリスさんはそれを恐れていたからほっとしているだろう。

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