第130話 夜半の懺悔
「寝れないのか?」
悶々としていると後ろから声を掛けられた。
ばれてーら。
じっと寝てるふりをしていたが、シャルは気配に聡い気がする。剣を扱う人はわりとそういう感じがするから戦いの中どこかで磨かれるのだろう。
「昼間に結構うとうととしてしまいましたから」
そうだ。それでだと自分にも言い聞かせる。
「今日は何もしないから怖がらなくていいぞ」
「あ、いえ。怖いとかそういうのはないんですが」
「そうなのか?」
「はい」
ちょっと意外そうに言うシャルに、昨日のアレは一応ちゃんと反省していたのだなと笑ってしまう。今朝はなんかぽわぽわしてたから反省してないんじゃないかと。
「………私は…少し怖かった」
吐息に混ぜて呟くように囁いたシャルに、何故に?と疑問符が浮かぶ。
どう考えても終始押されていたのは私の方だったと思うのだが。
「やり過ぎて嫌われるかと」
「……えー……と、ですね。私そこまで単純ではないつもりなのですが」
たとえ嫌な事をされたとしても、話も聞かずに嫌うという事はしないつもりだ。
特に真面目なシャルに限っては何か理由があっての事だと思うわけで。昨日のアレはまぁ、ちょっと許容量超えてはいたが、なんというかある意味女冥利に尽きるという事にもなるわけで……嫌というわけでもないのが自分でもアレだと思うが、まぁ……はい。嫌ではないです。はい。
「さすがに苦痛であれば私だって抗議しますし………それに」
怖いというのは――
ふっと脳裏にナイフを当てられる光景が過った。
「怖かった」という単語を聞いて気付いたが、本当に今更だが、私も怖かった――ようだ。
捕まっていた時、あの無遠慮な手で弄られていた時。血の気が引いて全身に鳥肌が立って……あの時は単純に根競べに負けたと思っただけだったが、今ならあれが純然たる恐怖だったのがわかる。たぶん、あの時にはもうシャルの事が好きだったから……余計に。
まずい。思い出したら手が震えてきた。
「それに?」
喉が変な音を立てそうで、そっと息を吐いて吸う。
「リーン?」
「あの……言う必要はないと思っていたんですが………いえ、違いますね。言って嫌われたくなかった……」
目が覚めてからシャルには何があったのか一度も尋ねられていない。だから何があったのか言わなかった。でもそれは果たして誠実と言えるだろうか?
「どうした」
シャルが身体を起こす気配を感じて慌てて布団を被る。
「すみません。見ないでください。見られると言えなくなるかもしれなくて……」
「………わかった。だが言いたくなければ言わなくてもいいんだぞ」
優しい言葉にちょっと笑う。そういうところ、シャルは甘い。辺境伯様あたりならさっさと話せと顎をしゃくって来そうなのに。
息を整えて腹に力を入れ、話す。
「ラーマルナに捕まって運ばれていた時、本当はもっと上手く逃げるつもりだったんです。あちらの気が緩む事はなかったかもしれませんが、それでも意識の隙をついて逃げようと考えていました。
そうしていれば、サリーさんが囮になったりしなくても済んだでしょうし、多分追いかけて来てくれたシャル達とも無事に合流出来たんじゃないかと、思うんです。でも、出来なかった」
震えそうになる息をゆっくりと吐いて整える。冷静に、冷静に。
「あの男、公子に服を着替えろと言われ……両手が縛られていたので、出来なかったんですけど……そしたらナイフで服を切られて、コルセットの紐も切られて……そこまでは平気なんですけどね、ほら私、前世でもっと薄着してましたし」
大丈夫だろうか……ちゃんと声は震えてないだろうか。変な声になってないだろうか。明るく言えているだろうか。
同情されたいわけではないのだ。ただ、知らない男に触れられたという事を話してなかったのが、不誠実だと思ったから……話して、嫌悪されたらきついけど、でも話さずにいるのはもっときつい気がして。でもどうなんだろう。シャル的には聞きたくない話なのだろうか。知らないなら知らないでいい話なのだろうか。話すという事は単に私の自己満足のための行為なのだろうか。それなら話さない方がいいのだろうか。だけど、ずっとそれを隠し続けるのは……私に出来るのだろうか。
出来ないんじゃないかと思った時には口から言葉が出ていた。
「でも、ふ…くの、下に手を入れられて、そんなの前世でいくらか記憶があるから平気でいろって話なんですけど、でもそ、れが…気持ちわるく…て」
「もういい」
布団の上から腕を回され抱きしめられた。
「もういい。その時の事は知っている。レティーナから尋問結果を聞いたときに、私だけに教えてくれたんだ」
知って……?
そうか……レティーナなら読めるから……
「はは……呆れました? 逃げるからとか言っておいて、そんな事も耐えられなくて。あ、逆に手垢がついてるみたいで嫌になり――」
「リーン」
強い声で遮られ、言葉が掠れて消える。
「悪かった。すぐに助けてやれなくて……行かせるべきでは無かった。公子だけじゃない、ラウレンスの事も。ドミニクが守ってくれたが、その可能性があると聞いたときにすぐに中断させるべきだった。私の落ち度だ」
言葉が、上手く出ない。
目が覚めた時にも謝られたが……あの時は自分でもわけがわからないほど笑えたのに。
なのに今は思考がままならなくて、言葉の代わりに目の奥が熱くなって押し出されるように目尻から横に伝った。
甘く考えていた。
強姦事件とか、前世で耳にしても気の毒とは思いはすれども、どれだけ苦痛だとか怖いだとか想像なんてつかなくて、わからなくて……
あの時の事がここまで嫌な記憶になるとは思いもしなかった。
シャルの事が好きだと自覚して、シャルにも想われていると知って、それからようやくわかった。
好きでもない、むしろ嫌な人に触れられる事の恐怖。触れる事を許してしまった罪悪感。自分に対する腹立たしさ。いろいろなものが混ざって自分でもわからなくなるほどぐちゃぐちゃになる。息が浅くなって、喉が狭まって、
「ご…めんなさ、い」
「リーンは悪くない」
「き、危機感がっ足りないって」
「それは私だった」
布団を取られ反転させられて、気づけばシャルの腕の中にいた。
「怖い思いをさせてすまなかった」
安心できる場所に囲われて、そんな優しい事を言われて、背中を撫でる温かい手に――涙が溢れた。
自分でも信じられないぐらいぼろぼろと出てくる
大人になってから、二度の人生の中でここまで涙が出た事は無かった。
泣いていいと許された事も、無かった。
面倒くさい女の自覚はあったけれど止まらなくて、それでもシャルはずっと背中を撫でてくれて。申し訳なかったが、甘えてしまった。
◇◇◇
泣きつかれて眠ってしまったリーンの頬を撫でる。
声を詰まらせて謝っていた姿が痛々しくて、少し腫れた目元に胸が痛み罪悪感が
それと同時にずっと辺りで現われては消えていった精霊が、リーンがそこまで傷ついた理由を教えてくれているようで……悪いと思いつつも嬉しさが否めない。
あの公子に対する怒りはあれど、それはそれという都合のいい受け取り方をする自分が情けない。
こんな事、知られたらどう思われるか……
リーンには真面目だとか優しいとか言われるが、私はそんなにいい人間ではない。
若い頃にかなり人に言えない事もしたし、荒れた時期もあった。周囲から落ち着いたように見えるのは、ただ自分の歩む道が自分の思い通りにはならないと諦めたからだ。
それでも涙が出ている事にも戸惑う有様で、胸に押し付けても声を殺して泣く事しか出来ない不器用な姿を見れば、どうにか守ってやりたいと思う。
ディートハルトに王になれと言われた時は、王族に生まれてしまった宿命かと諦めと共に仕方なく受け入れた。が、今となってはリーンを守る力としてこれ以上のものは無いだろう。そのためなら面倒な事だろうとなんだろうとやってやろう。
それでこの愛おしい存在を手にできるのなら安いものだ。
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