第125話 聖女は自覚する②

 思ったよりも早くにシャルは現れた。

 そういえば辺境伯領を出て夜の時間帯に顔を合わせるのはこれが初めてかもしれない。部屋は別だしお互いなんやかんややる事あるので。


 向こうも黒いガウン姿で、いつもとは違う様子だ。で、こちらは不整脈寸前の頻脈が発生する。


 これだ。これなのだよ。問題は。


 チカチカとまたあれが出てくるが、今は無視しよう。観察している場合ではない。


「あの、ちょっと話があるんですが」


 声を掛ければ、シャルは私の横に座ってコトリと何かをテーブルに置いた。

 黒い、卵?みたいなもので、金色の台座の上にはまっているそれはインテリアの一種のようにも見えるが……なんだろう?


「どうした?」

「あ、はい」


 シャルの声で思考を戻す。気にはなるが、こっちの話も重要だと思うので。と、その前に、


「ええと……最初にまず、ありがとうございます。この世界でお風呂にこんなに早く入れるとは思っていませんでした」


 深々と頭を下げて戻すと、シャルは笑っていた。


「気に入ったか?」

「とても」


 即答する。この上なく気に入りました。

 たぶん、シャルに伝わらないぐらいに。


「それなら良かった。今まで何もしてやれなかったからな……」

「そんな事はないですよ」


 よく助けてもらっていたし気にかけてもらっていた。何もしてないなんて事はない。


「そうか?」

「はい」


 そうだったかなと首を傾げるシャルに苦笑する。


「えっとですね、それで話さないといけない事があるのですが……先に言っておきますが、行為そのものを拒否する気はありません。そこは同意していますからね?」


 ややこしい事にならないよう前置きする私に、シャルは面食らったような顔をした。


「どうしたんだ?」

「あのですね。前にもちょっと見てもらったじゃないですか、どこか変じゃないかって」


 言ったとたん、明らかにシャルの視線が宙を彷徨った。


「あ、あぁ」

「それでその時も今みたいに視線彷徨わせて何も問題ないとか言ったじゃないですか」

「………」


 指摘すると視線は固定されたが、その先はあらぬ虚空だ。どこを見ている。


「でもいろいろ自分で観察していたんですけど、やっぱり頻脈になる回数は多いし体温の上昇や発汗、胸部の圧迫感、精神の不安定――は、無いですけど、どうにも自律神経が乱れているような、もしくは喉の甲状腺という機能が不具合を起こしているような……あと、心臓に問題があるような症状がずっと続いているんです。

 ひょっとして体力が落ちているせいかと思って、兄に無理言って鍛え直してみたりとかしたんですけど、それでも落ち着かないですし……子供がと考えるとホルモンバランスは重要な問題ですし、心臓に問題があるとするといろいろ不都合が出るかもしれず、今一度先生に確認してもらった方がいいのかもしれないと思っているんです。こちらの世界ではまだホルモンが妊娠に影響すると知られてませんし循環器系の疾患についても――シャル?」


 途中からシャルは両手で顔を覆って俯いてしまった。

 それはどういう反応なんだ?バレてしまったか、的な?


「やっぱり私、どこか悪かったです?」

「違う」


 顔を覆った両手の隙間から否定の言葉が聞こえた。

 シャルは顔を覆っていた手を離すと、意を決したようにこちらを向いて私の手を取り自分の胸、しかもガウンの内側、素肌へと当てた。


 え……え? 大胸筋鍛えてますね――じゃなくて。思ったよりすべすべで体温高いんですね――でもなくて。これはどういう……?


「わかるか? 私も今は脈が速いと思うが」

「あ。確かに。頻脈気味ですね」


 手のひらに伝わる振動に言われてみればと頷き、え?と顔を見上げると真っ赤な顔があった。


 うわ。美人の真っ赤な顔ってなんかすごいな。


「私はリーンの事が好きだ。だからこうしていると緊張もするが、何より嬉しくて脈が速くなる」


 …………。


 …………。


 …………え。え?


 じんわりとシャルの言葉が頭に入ってきて、理解できてきたところで、ドクドクとこちらの心臓も煩いほど主張しだした。


 ………嫌われていないとは思っていた。なんというか、共闘関係にある仲間のような……それ以上だと言われているわけで……

 顔を真っ赤にする程想われていたという事実に胸の内にうまく言えないが、走りたくなるような衝動が……


 まて、ちょい待とう。冷静になれ。

 なんでわざわざシャルが自分の脈をわかるようにしたのかだ。


 今まで不整脈を起こしそうな程頻脈になった場面を思い返してみる。


 ………。


 ……………。




 一旦否定していろいろと可能性を上げてみたが……しかし……もろに当てはまるというか……


 ………誰かがいたというか………


 ……シャル、いましたね。

 もしくはシャルの事を考えてました、か?




 …………。


 ……まじですか?!


 っていうか、私こんな心拍数になったの前世でもないんですけど?!

 そりゃ走った後とか、階段駆け上った後とか、仕事でやばいやらかしやった時とか、そう言う時はばっくんばっくんだったけど!


 と、考えてふと思い出す。

 妹に言われた「姉さんって恋愛の感性皆無だよね」という一言。

 それは恋愛ものの映画とかを見ていても、ヒロインとヒーローがあっという間に盛り上がって好きになるなぁ、ドキドキってなんだそら?って感じで見てて全然共感出来なくて……鑑賞後に妹と感想を言い合う時に決まってそれを言われた。

 正直、手に汗握るスリリングな映画の方が好きだったので、単に趣味趣向の問題だと思っていたのだが……


 ……って事はなにか?私は前世含めて本当に好きになった相手が今まで居なかったって事??


 そしてその初めての相手が……


 顔を赤くして、けれど真摯な様子で私を見ているシャルに――血が沸騰したように全身が熱くなる。同時に猛烈な羞恥に見舞われた。


 真顔で兄や先生にどこかおかしいのではないかと尋ねまくった。事細かに症状を伝えて。当のシャルにまで確認してもらった。

 笑う兄の顔や、安心させるように微笑む先生の顔、視線を彷徨わせるシャルの反応を全て思い出し――いたたまれなさ過ぎて顔を覆い縮こまる。


「………死にたい」

「なっ! 駄目だ!」


 真面目に返すシャルに、いや死にたくないけどねと思いつつ顔をあげられない。これで上げられる人が居るなら見てみたい。

 人生二回目のくせに恋愛一つやってきた事がないという事実がものすごく情けなかった。そして何故にか皆様には私のこの反応がどういうものなのか把握されていたという事実――穴があったら入りたい。そのまま埋まりたい。地の底までめり込みたい。


「リーン、顔を見せてくれ」

「あともうちょっと待ってください。立て直します」


 と言ったそばから腕を取られて顔を見られた。


「真っ赤だ…」


 そうですよ!わかってますよ!いえ、わかりましたよついさっき!


 恥ずかしいやら情けないやら顔を見られて悔しいやら訳が分からなくなって視界がぼやけた瞬間、その大きな胸に抱き込まれた。


「すまない、泣かせるつもりは無かった」


 こちらも無かったですよ!

 すみませんね、制御出来なくて!


 頭の中は悪態をついているのに、口からは何も出せなかった。力強い腕に包まれて安心するような、それでいて活魚かってぐらいビッチビチに跳ねまくっている心臓に痛みさえ覚えそうで怖くて――でもシャルの心臓もバクバクとすごい速さなのがちょっと嬉しくて――


「なぁリーン。リーンも想ってくれていると考えてもいいのか?」


 どこか期待するように囁くシャルに、身体が固まる。


 これは……答えろってことですよね。私の口からちゃんと言えって、そういう事ですよね……


 口を開けばハクハクと空気しか漏れないという恐ろしいまでの身体の制御不能に慄きながら、なんとか頑張って音を紡ぐ。

 アホな事を言った私にちゃんと付き合ってくれたシャルに対して、そうする事が最低限の礼儀だと思ったから。


「た、たいへん……いま、さらですがっ………どう、やら……好きだったようですっ」


 緊張しまくって声が震えて裏返ってしまった。余計に恥ずかしい。死ねる。













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お知らせ

125話と126話の間に一本か二本話があります。詳しくは近況ノートに記載いたします。

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