第121話 聖女は顔合わせをする③
日を変えて次に訪れたのはアイリアル侯爵家の御当主、アルト・クロヴァーラ・フォン・アイリアル様だ。御歳は五十二歳で現政権の中枢の中では最高齢の方だ。そしてここ数十年で一番の辛酸を嘗めさせられてきた方でもある。
若い頃は夕焼けに入る直前のような綺麗なオレンジ色をしていたそうだが、お会いした侯爵は随分と白くなった髪といくらか皺を刻んだお顔をされていた。それでも背筋はピンと伸びておりラシェル様と同じ温かみのある橙色の瞳は力強かった。髪さえ染めればとても五十代には見えないしっかりした壮年の男性という風だ。
「お初にお目にかかります妃殿下。アルト・クロヴァーラ・フォン・アイリアルでございます」
低い、少し掠れた声音は年輪を思わせる落ち着きがあって、辺境伯様とはまた別の重みを感じた。
「初めまして。リーンスノー・エモニエでございます。わざわざご足労いただき誠にありがとうございます」
立場的には本当はアイリアル侯爵様の方が上だ。まだ王位についていないシャルの伴侶というだけなので、侯爵家の当主を呼びつける事は本来礼儀に反する。辺境伯様の場合は義父という関係なのでセーフ。
「お気になさいますな。本日はお礼を申し上げるために参ったのです」
お礼……?
個人的にアイリアル侯爵家の方に何かをした覚えはない。
ラシェル様がそうであるように、陛下の命をあのミスリル製品で結果的に守った事を言われているのだろうかと思ったら、違った。
「愚息、サイアスに王妹殿下の居場所を伝えてくださり感謝のしようもありません」
エリーゼ姫?
「教えて頂けなければあの愚息は今もずっとミルネスト領を徘徊していたでしょう」
徘徊って……いや、それよりも――
「あの……申し訳ありません。私は最近まで寝ておりまして、ご子息にもお会いした事がなく……」
何か勘違いをされているのでは?と思ったら、横に座っていてくれるシャルが「あぁ」と声を出した。
「それはドミニクだ。ドミニクが自分の伝手を使って探し出して丁度ミルネスト領に入ったサイアス殿に知らせたのだ」
「兄が?」
何も聞いてない。初耳なんですけど、と驚く私にシャルは苦笑した。
「ドミニクはリーンが姉上の居場所を気にしていたから探したらしい。そういう話をしたのではないか?」
それは……たぶん、監禁されていた時にちょっと話したあれだと思うのだが……
「しましたが……ですが、兄はそんな素振りは……」
気の無い感じでさっさと部屋を出ていったし……
戸惑う私にシャルはさもあらんというように苦笑を浮かべた。
「ドミニクは感謝されるのが苦手みたいだからな。サイアス殿にもリーンがした事にしたんだろう。あの慌ただしい中でよく手を回したと感心するよ」
「左様でしたか……では改めてドミニク殿にも礼をせねばなりませんな」
落ち着いた声でそう話すアイリアル侯爵様をシャルは手を上げて止めた。
「侯爵、それは止めてやってほしい。本人はそんなつもりはないだろうから」
「しかし……」
「何も、というのが難しければ今後ドミニクが何か困るような事があれば手を貸してやってくれ。それまでは知らぬ振りを」
確かに……。兄はあんまり人に感謝されるのは得意ではない。
私がありがたやーと拝む事に関しては偉そうにしているのだが、真面目な空気で感謝するとそっぽを向いてしまう。ある意味恥ずかしがり屋なのかもしれない。
「……わかりました。ではそのように。
しかしきっかけを作ってくださった妃殿下にも感謝を」
「そんな、お礼を言われるような事では。
それよりも王妹殿下はご無事だったのですか?」
兄の話では冷遇されどこかに幽閉されているというものだった。
「はい。随分と食が細くなっておられましたが、今は私どもの領で静養いただいております」
アイリアル侯爵領におられるのか……
少し違和感を感じるが、まぁ長年離されていた相手だから近くに居て欲しいのかもしれない。状況的に心が離れてもおかしくないと思うが、それでもという事はよっぽど愛しておられたのだろう。
順序的には一度王家に戻って、それから改めてアイリアル侯爵家へと行かれる方がしっくりくるが。その辺どういう筋書きにする予定なのだろう。
「姉上の事、よろしく頼む」
「はっ。ご回復されましたら愚息と共に改めて」
シャルが頷く横で、エリーゼ姫って服毒されたんだったよなと思い出す。
お歳的にはまだお子を望めると思うが……侯爵家の跡継ぎを望まれるのだろうか……いや、そういう話でなくともどうにか出来ないかと……姫がどうお考えになられているのかも重要だが……
あまり長居しても私の身体に障るからと早めに帰られるアイリアル侯爵様を見送り、どうしたものかと考える。
服毒の件をシャルが知っているのか知らないのかわからない。勝手に話して暴露する事になったらあれだ……
「どうした?」
考え込んでいたせいか、シャルに訊かれた。
「アイリアル侯爵様の御子息はお歳はシャルと同じぐらいですか?」
「ん? あぁ、三つ上だから三十三だな。それが?」
子供の一人ぐらいいてもおかしくない年齢だが……
「いえ、侯爵家の跡継ぎはサイアス様お一人かと思いまして」
「いや、サイアス殿には弟が一人いてそちらは結婚して子供がいる」
「という事はサイアス様が継がれた後はそちらのお子様にという事でしょうか」
そこまで訊くと、私が考えている事がわかったのかシャルは納得した顔になった。
「サイアス殿と姉上が子を授かった場合の事か」
「……はい」
少し違うが、頷く。
そうだな…とシャルは腕を組んで視線を上げた。
「血筋から言えばそちらが優先される可能性はあるが………場合によっては一代限りの公爵家を立てるかもしれないな」
「公爵家?」
「ミルネスト侯爵家は今回家を取り潰す事になっただろ?」
「あ、はい」
辺境伯様との話で一番大きかったのがこれだ。
停戦していたとはいえ、敵国であるラーマルナの兵を国内に引き入れていた事は立派な反逆行為である。その他にも罪状を並べられミルネスト侯爵家は元王子のラウレンスが最後の当主として、長い歴史に幕を下ろす事になった。
「ミルネスト領は一度王家が接収する形になるが、さすがにそのままというわけにはいかない。王家の力が著しく増すと危惧する者達も出てくる」
「まさか……ミルネスト領を元にして新たな公家を立て、そこに王妹殿下を据えるのですか?」
嫌な思い出しかないだろう領に据えるという話に、ちょっと戸惑う。
「形としてな。実際はサイアス殿に治めてもらい、その子をもう一つの侯爵家として立てるのもありかと思う」
「それは……大丈夫ですか? それはそれでアイリアル侯爵家の力が強くなると言われるのでは」
「そうだろうな。だからその子の相手は別の派閥から招く事になるだろう」
それでパワーバランスを図ると……別の派閥がどこなのかはいまいちわからないが、生まれる前から道筋つけられるとかロイヤルは怖い……
「まぁ、まだ先の事はわからないからそれはこれから考えていく必要がある。
場合によってはこちらの子から公爵を立ててという可能性もあるからな」
こちらの子……あぁ、私達の方から出すという事か……その場合私は少なくとも二人以上生まねばならないという事か……二人……子供か……可愛いだろうな……
ボンヤリ考えているとあのピカピカがやってきた。
またかと思っているとすぐに収まったが、本当に多い。
横のシャルは口元を抑えて向こうを向いているし。言いたい事があるならハッキリ言ってくれないかな。
私の視線に気づいたのか、わざとらしい咳払いをして、仕事に戻らねばとかなんとか言って出て行くシャル。逃げたな。
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