第120話 聖女は顔合わせをする②
陛下とラシェル様との挨拶が終わった翌日には、辺境伯様が私にあてがわれた部屋に来られて出迎えると驚いた。
いつも泰然と構えており余裕を崩さない辺境伯様が、妙に緊張した顔で頭を下げられたのだ。
「御身を危険に晒した事、誠に申し訳ありませんでした」
椅子にも座らずそういきなり口にしたきり頭を上げない辺境伯様に戸惑った。
「頭をお上げください。危険に関しては私も承知しておりました。想定外の事については……仕方がなかったかと」
「いいえ。仕方がないでは済まされない事態を引き起こすところでした。今後一切御身を危険に晒す事がないよう身命を賭す所存です」
……いや、身命って……逆に怖いんですけど……
私が引いていると、今日も時間を取って一緒に居てくれたシャルがため息をついた。
「ディートハルト。お前がそんな態度だとリーンが怯えるから止めてくれ」
「だが」
「いいから。もうその話は終わっただろ」
「………」
顔を上げた辺境伯様は、どうにも強張った顔だ。
いいから座れというシャルに従う形で辺境伯様は座られたが……固い。そりゃもう空気が固い。こちらも座って向かい合うが、全く視線が合わない。
「リーンは別にお前に蟄居して欲しいなどと思っていないし、現実的に考えればこのまま継続して王家を支援してもらう方がありがたい。そう話しただろ」
辺境伯様は難しい顔をしたままシャルを見ていたが、やがてはぁと息を吐いて肩を落とした。
「……今回の件で、自分が奢っていたと気づいたよ。大抵の事は把握できていると思っていたが……」
力なく呟かれた言葉に、はて?と首を傾げる。
辺境伯様は確かに自信家で秘密主義者的な部分がある人だとは思っているが、奢っているというのとは違う気がする。
今回は情報戦で競り負けたというようなものであって、それ以上でもそれ以下でもないと思うのだ。そして辺境伯様であれば、次は競り負けないのではないかとも思う。なんとなくだけど、このお人負けず嫌いな感じがするから。
「……ミルネスト家が権勢を誇る状勢下でここまで殿下を守り切り、その上戦力を確保して王都まで布陣を進められたのは十分凄い事だと思いますが」
何が凄いって、それを成すだけの金銭的余裕を生み出していた事だ。
相当な重税を課せられていた筈なのに、その上で金食い虫の軍という組織を作り上げたのは脱帽に値すると思う。
「それに一度の失敗で全てを決めるのは時期尚早かと思います」
貴族にとってはその一度の失敗で全てを失う事も珍しくないとは思うが、でも今回はセーフだろう。私生きてるしな。
「……妃殿下はそれでよろしいのでしょうか」
妃殿下か……。辺境伯領ではリーンスノー嬢と軽く呼ばれていたのだが……
さすがにシャルが王位につくとなると立場もはっきりさせないといけないという事なんだろうが、なんか微妙だ。
態度は硬いし、視線は微妙に合わないし……うーん。何て言えばいいかな……あぁ、これは?
「よろしいですよ。お義父様?」
驚いた顔をする辺境伯様ににやっと笑えば、束の間放心されたようななんとも珍しい顔を見せてくださった後、くっと口元を歪めて笑われた。
「参ったな……娘御殿は随分と頑丈であるようだ」
どこか泣き笑いにも見えるそれに、私も合わせるように笑う。
「うふふ。私、捕まっている時にこれがお義父様の計画内の事であれば絶対に仕返ししてやると息巻いておりました」
「ほお? それはどんな?」
「腹に墨で顔を描いてネセリス様の前で腹踊りをしてもらおうと」
なんだそれは。と言う顔をするシャルと、ニヤッと笑う辺境伯様。
「そんな事でいいのならいくらでも」
余裕たっぷりの態度に、私は横のシャルに視線を向けた。
「……何か弱み知りません?」
「あぁ…弱みな……こいつにそういうものは………いや、そうだな。夫人に相談してみるか」
「おいリシャール」
「いいですね。やっぱりお義母様に尋ねてみて効果的なのを選ぶべきですよね」
「……勘弁してくれ」
白旗をあげる辺境伯様に笑えば、辺境伯様も苦笑した。
シャルも苦笑して、やっと張りつめていた空気が緩んでほっとした。
「今後はもう少し話す機会を増やしていただけませんか?」
今回の件は、私も辺境伯様を信用しきれていなかったのが良くなかった。もう少し相互理解出来ていれば、兄の言葉ではないが結果は違ったのではないかと思う。
「娘御殿の希望通りに」
苦笑しながらも余裕を取り戻した辺境伯様は優雅に頭を下げて見せた。
そこからは普通に今の派閥状勢の話だとか、ミルネスト側についていた貴族の処遇についてだとか現実的な政治の話を聞かせてもらった。
眉間に皺を作りながら頭に叩き込もうとしていたら、シャルにそんなに必死に覚えなくても後で何度でも教えるからと言われてしまった……
そういえばシャルは一緒に軟禁されてたから、私がアデリーナさんを教師にして必死に貴族の名前をぶつぶつ言って頭に叩き込んでいたのを知ってるんだった。
それでも覚える気で話を聞いた方がいいのは間違いないので重要そうな事を優先的に教えてもらって記憶のメモに書けるだけ書き込んでおく。
半刻程の時間だったが結構それで疲れた。
見送ってドロシーさんが淹れてくれたお茶で一息ついたところで、ふと気づいた。
「そういえば私、この顔で辺境伯様に会うの初めてでしたけど、よく私だってわかりましたね」
「リーンは寝ている時から既にその状態だったからな。ディートハルトも最初は戸惑っていたが、ドミニクが加護を実際に使って見せて納得していたぞ」
「なるほど……」
寝顔見られるとかちょっとアレだな。仕方がないけど。涎とか垂らして無かっただろうか。揶揄ってこなかったからセーフか?
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