第107話 奪還⑧
照明魔法によって照らされた姿は、髪はほつれて泥だらけで、右手は赤く爛れていて、左の手のひらを氷の刃で地面に縫い付けられ、両足に巻かれた布は血と泥にまみれていて、穏やかだった寝顔とは程遠い……酷い、姿だった。
「メティール」
「はっ」
無意識に命じるとメティールがドミニクと反対側、リーンの横にしゃがみ手を翳す。
「……なっ、んだ?」
翳してすぐに戸惑った声を上げるメティール。
「メティール?」
「あの……癒そうと思っても、うまく力が働かないのです」
メティールの言葉に、ドミニクがハッとした顔をした。
「リーン! 聞こえるか! 魔力を纏うな! もういい消せ! ―――くそっ! 耳がやられてる!」
焦った様子でリーンに呼びかけるドミニクの様子に、足元から静かに悪寒が這い上がってきた。
「ドミニク、どういう事だ、何が起きている」
「そこの野郎が『操る』って加護で、それを弾くために魔力を多く纏えって言ってたんだよ! 魔力を過剰に纏ったらなんもかんも効きづらくなる!」
捲し立てるドミニクに、では、それはどういう事かと頭が理解するのを拒む。
「……て」
小さな声がした。
「リーン! わかるか!?」
「……げて、ぁぶ…な……にいさ……にげ、て」
微かな呼吸の合間に、消えそうな言葉が吐き出される。
「大丈夫だ! もう大丈夫だぞ!」
ドミニクが必死に叫んでいる。
「俺が…お前の兄さんが! あんな奴に負けるわけないだろ!?」
ドミニクの声が聞こえないのか、にげてと繰り返すリーン。
リーンに呼びかけ続けるドミニクの声が、だんだん掠れていく。
……何故
巫女を欲しているというのなら、何故リーンはこんなことになっている
知らせを聞いて、確かに焦っていた
だがそれは、国境を越えられては手が出しづらいからであって
精神的には追い詰められる事があるかもしれないが、だが、それでも命の危険にさらされるという事ではなかった筈では
何故こんな事になっている?
沈めた筈の記憶が浮かび上がってくる。
幼い頃見た、血だまりの中で倒れている母の姿が。
また――私は取り残されてしまうのか
望みもしないものを押し付けられて、義務だからと心を押し殺して
一緒に悪態をついて、笑ってくれる相手が出来たと思ったら
また、なんでもない振りをして、一人で生きていかなくてはいけないのか
違う。
「ドミニク、過剰に纏っている魔力が邪魔なんだな?」
停止していた頭を動かす。
「あぁそうだよ! だけどこいつ最後まで解く気がないんだよ! まだあの野郎がいると思ってるから!」
今は何も出来ない子供ではない。
拳を握るドミニクの前で、ずっとうわ言のように逃げてと繰り返すリーンがごほっと咳き込んだ。
「リーンもうしゃべるな! 頼むから! 頼むから、もう……」
「ドミニクどいてくれ」
力を失い座り込むドミニクを押しのけ、うわ言を繰り返す口を塞いでその目を覗き込む。
少しでもいい、こちらに気づいてくれ
視線が合わないまま、だが微かにこちらの加護が働いた。
それを突破口に全力でリーンの魔力に干渉する。酷く歪に漂うそれを片っ端から整え、あるべき姿へと、リーンの中へと戻していく。
「通った! いけます!」
メティールの声と同時に、リーンがわずかに呻き声を上げた。
「耳を先に直せ!」
「はい!」
すぐさまドミニクの指示に従うメティール。
それに合わせてこちらも身体の中を整えていく。特に頭が今まで感じた事が無い程異常に活性化していて、本能的に危険だと優先的に鎮める。
「頑張れリーン! 大丈夫だから! 頑張れ! 諦めるな!」
背後で怒声やら爆音やら聞こえるが全てはケルンに任せた。ケルンならばどうにかする。それだけの実力がある。
そう信じて目の前の零れ落ちそうな命を必死に繋ぎとめる。
「よし耳が治った! 聞こえるか!? 魔力を解け! 纏うな! 力を抜け! リシャールの力に従え! 次は内臓だ!」
まだリーンの意識ははっきりしないのか、気を抜くと再び魔力を厚く纏ってしまいそうになる。互いに拮抗するように魔力を制御し抑え込む中、メティールの力が広がった。
グレイグに下手くそと言われて頭にきたらしいメティールはアヒム先生の元で訓練を重ね、今は団で一番治癒が早い。理由はどうあれその努力が今はありがたかった。
「よし、内臓はそこまででいい! 次は手だ! リーン抜くぞ!? いいか!?」
「頑張ってくださいリーンスノー様!」
いつの間にか追いついたらしいドロシーの声も聞こえた。
頭上に回ったドミニクが左手を串刺しにしていた氷の刃を引き抜くとリーンの身体が震えて先ほどよりもはっきりと呻いた。
戻ってきている感覚に涙が滲みそうになる。
まだだ……まだ…気を抜くな。
そうして永遠にも感じられる時間が過ぎて、気が付くとリーンと視線が合っていた。
「リシャール、もう大丈夫だ。安定した」
ドミニクに肩を叩かれ、恐る恐る口を離す。本当にもう大丈夫なのか?
リーンはぼんやりとこちらを見ていたが――ゆっくりと震える手をこちらに伸ばそうとしていて、
「ごめ…ん」
こんな状況でそんな事を呟いて、
「っ!」
思わずその手を取り小さな身体をかき抱いた。
何が、ごめんだ……
謝らなければならないのはこちらだ。
危機感が足りないなどと言っていた自分を殴りたい。危機感が足りないのは私の方だった。
もう一度「ごめん」と囁かれ、背中に手を添えられて……ただただ生きてくれたという安堵感に涙が零れた。
リーンがドミニクに何か言っているが安堵感が勝って離せなくて、気が付けばリーンの身体から力が抜けていた。
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