第98話 聖女は足掻く④

「驚いた。腕一本でも飛ばせば大人しくなるかと思ったが……」


 やばい。


 全く見えなかった。

 グレイグより早くないか?

 なんだよこいつ、魔法はレンジェル以上で剣はグレイグ以上って。化け物かよ。


 首に下げたあの家宝がなければ、本当に右腕を切り飛ばされていたかもしれない。正直この男相手にミスリルの服がどこまで通用するかもわからなくなってきた。なんて奴だよ。お前聖女が欲しいんじゃないのかよ。普通の御令嬢は腕一本切られたらショック死しかねないんだぞ。勘弁してくれよ。


「下に何か仕込んでいるのか……その割に腕を痛めた様子もないが」


 冷静にこちらを観察する男に拳を握る。


 どうする。反応出来ないぞ。拘束してもすぐに破られるかもだし……火系統ってあんまり使ってないから得意じゃないし……土?いや土だって氷と同じだ。じゃああれ……は、それこそ火以上に使った事ないし……


「試してみればわかるか」


 トライ&エラー。まるで何かのゲームのような気軽さで言ってくれる男に、咄嗟に氷の壁を張る。


「またそれか。確かに硬いことは硬いが、破れないわけではない。まあ多少の火傷はするだろうが」


 とやかくいう男を無視して今生で培ってきた魔法技術をつぎ込み、空気を間に挟んだ多重の層を形成。水分子を頭の血管切れるかと思うぐらい集中して固定、熱移動を起こさせないレベルで制御する。


 男の手に再び炎が揺らめき、直後視界は青い炎の渦に覆われた。


 動揺はしない。予想通りだから。


 希望としては、この派手な炎で誰か――シャルが気づいてくれないかと、近くにいるのかどうかもわからないのに、そんな淡い夢のような事を考えてみたり……あぁでも、こんな危険な人物に引き合わせるわけにはいかないか。ヘルプが望めないとか手詰まりだわ。


 もはややけくそだ。

 耐えれるところまで耐えて、一矢報いてやる。


 だが、覚悟を決めたもののさっきから握り込んだ手が震えて止まらない。

 手だけじゃない、足もがくがくだ。歯を食いしばって気を張っているが、本当は精神的にかなり苦しい。身体も全身痛みに侵されて悲鳴を上げている。些細な切っ掛けで制御が緩んでしまいそうだ。

 正直ギブアップしていいならすぐにしたい。ごめんなさいして、言う事聞いて、酷い事をしないでくださいと頭を垂れたい。でもこいつ嗜虐傾向があるのだ。そんな事したら余計に酷い事になるだろうし、私の存在を何に利用されるか判ったものじゃない。いくら追い詰められていたとしても、さすがにみんなの迷惑になるような事はしたくない……できない。


 ええい女は根性!

 大根だってアスファルトを割るのだ、私だって化け物の一つや二つやれなくてどうする!


 なぜか思い出したド根性大根を頭に浮かべ己を鼓舞し、食いしばった歯の隙間からふんぬうううと声を漏らしながら氷を維持していると、いきなりその氷に衝撃が走った。

 ガンッと上から感じた衝撃に見上げれば、炎渦巻く中とてつもなく巨大な石の槍が直上に出現して真っ直ぐ下に、こちらに射出されていた。


 おまっ……火傷どころかそれじゃ圧殺されるんだけど…… 


 しかもずっと使い続けている魔力がまた枯渇しそうになってきた。

 慌てて魔力回復薬を出して飲めば、鳩尾から全身にかけて今までの痛みを塗り替えるような激痛が走った。


 ピシッと氷にヒビが入って、射出された石の槍が外層を破壊するのが見える。

 

 上を向いていないのに何でそんな絵を見ているのかと無意識に思った私の身体は、仰向けに倒れていた。何故と思う前に起き上がろうとしたが、指先が微かに動くぐらいで腕がほとんど持ち上がらない。


 あ……これは、あかん。


 魔力の制御はまだかろうじて出来るものの、ここまで激しい痛みを抱えているとあの衝撃を耐える氷を維持している事が出来そうにもない。


 圧殺は痛いだろうなぁと思いながら目を閉じる。

 見るのは、さすがに怖かった。


「………やっとか。ここまで手古摺らせてくれたのはお前が初めてだよ」


 目を開ければいつの間にか炎も石の槍も消えていた。

 圧殺は回避されたらしい。でも真上から見降ろされているこの状況。どっちもどっちな気が。


「お前の敗因は人を傷つけられない事だな。

 最初の風魔法以外、殺傷する気が全く感じられなかった」


 ……知ってる。それ、兄にも言われてたから。試合はいいけど、本気でやり合うのは無理だって。だからそういう事態になったら防御に集中しろって言われてたんだよ。でもね……私だってやろうと思えば、やれるんですよ……


「幾度か追っ手をやれる機会があったが、そのいずれも碌な攻撃をしなかった。その結果が魔力切れ……」


 そんな可愛いものだったらいいんですけどね……動けえっ!!


 残っている全身の力をかき集めて右手で男の足を掴む。そして願う。


 

 青白い閃光と雷鳴が轟いた。



 至近距離の轟音に耳鳴りがする。

 本来自分の身体に影響は与えない筈なのに、右手の感覚が無い。制御出来ていなかったんだろう。







「まだそんな力を隠し持っていたか」


 …………駄目…か



 キーンとした耳鳴りの向こうから聞こえた声に、内心笑いが出てくる。

 どうやって避けたんだよと。 


 男は忌々しそうに私に近づいて跨ると目を覗き込んできた。そして顰めた。


「ここまで来ても操れないとは……この状態でも心が折れてないのか」


 あぁ、いえ。それは心の持ちようというよりは魔力を纏っているからだと思われます。兄の言葉からすればね。さっき魔力は回復したので身体は動かないけど、ただ纏うだけならそう難しいコントロールも要らないのでもう少しなら維持出来そうですよ。かなり歪だけど。


「俺を受け入れろ。でなければ死ぬぞ。手間をかけさせるな」


 いやいや、その後が怖いので遠慮します。もう野となれ山となれだ。

 はは――と、笑ったら頬を叩かれた。でもペンダントのおかげで叩かれた感触もない。


「……妙な手応えだな」


 男は何か呟いていきなり人の服を引っぺがし始めた。もうそんな事をされても何の情動も起きない。起こす余裕がない。


「これか?」


 ペンダントに気づいたのか、それを魔法で引きちぎられた。

 参ったな。うちの家宝なのに。


 阿呆な事を考えていたら右頬と耳に衝撃を感じた。頭が揺れて叩かれたのだと遅れて理解した。痛みは、あれだ、全身が痛すぎて頬が痛いとかどこが痛いとかの判別が出来ない。

 頭を掴まれもう一度目を覗き込まれたが、脳が揺さぶられたせいか焦点が定まらず私の方は何を見ているのかわからない。


「これ…も……か」


 声が聞き取りづらい。ひょっとして鼓膜もやられたか?

 とか考えていたら今度は反対側に衝撃を感じた。

 わりと死に体だと思うのだが、容赦ない。さすが嗜虐傾向がある男。

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