第96話 聖女は足掻く②

 じりじりとした焦りと、じわじわと今更広がってくる恐怖を耐えて、ぼんやりしそうになる頭を思考を続ける事で保たせて待つ。

 考えてないと本当に気を失いそうだ。どうにか助かったら辺境伯様に絶対文句を言ってやる。腹踊りでもやってもらわなければ割に合わん。腹踊りで割に合うのかと言われると違う気がするが、他に思いつかないし……あぁでも一発芸でもいいな。宴会芸的な。ネセリス様の前で盛大に滑って冷たい目で見られて欲しい。いいな、ダメージでかそうだ。


 くだらない事を考えていると、馬を代えたばかりなのに速度が遅くなった。


 その時、不意に手の中に固いを物を感じた。

 両手を縛られたまま手の中にいきなり現れたそれを見て――唇がわなないた。


 兄に託したはずのペンダントが、あった。

 それはつまり、シャルに届いたという事で。

 しかも、わざわざ送り返してくれたという事は、そう言う事……だと、思っていいでしょうか?というか、思ってしまうぞ?結構極限の状態だからな。思ってしまうぞ?いいよな?自意識過剰とかないよな??


 どくどくと、鼓動が別の意味で早くなる。


 急いでペンダントを首にかけて服の下に隠す。

 恐怖でか凍えていた指先に温もりが満ちるような気がした。


 見捨てられていなかった。気に掛けてくれていた。助けてくれる気が、あるのだ。


 それがわかって目頭が熱くなった。鼻の奥がツンとして、慌てて息を吐く。

 一度泣いてしまうと止まらない気がした。


 と、馬車のドアがいきなり開いてびくっと肩が震えた。


 た、タイミングが悪い……


「気分はどうかな? まぁ最悪だろうが」


 笑いながら、あの男が床に倒れたままの私を跨いで入ってきた。


「本当はこのまま平地をまっすぐラーマルナに抜ける予定だったが、少々邪魔が入ったようでな。山越えにルートを変える事になった。という事で山越えでその恰好はさすがに辛い。手伝いに来てやったというわけだ。あと、足の様子見だな」


 言いながら狭い馬車の中器用に膝をついて私の足を掴んだ。

 ひざ下から感覚の無い状態なので、何をされているのかわからないが手つきからして包帯を代えているか追加で巻いているようだ。


 ぶっちゃけ、そんな事をしてもすっぱり切ったところは良くならないだろうし応急処置にもなっていないと思う。縫合されていないのだから固定をしっかりしないと血はいくらでも滲むと思うし包帯そのままは傷口に繊維が残るのであんまり良くないと思う。あと、感覚があれば血が渇いたときに張り付いて剥すとめちゃくちゃ痛いと思う。総じて勘弁してくれという気持ちだ。


「大したものだ。大の男でもうめき声の一つでも上げるものを」


 麻酔で事なきを得ていますからね。しかめっ面は継続しているが、正直これ以上の演技は逆に不自然になりそうなので目を瞑って頂きたい。


「その服を脱げ……と言ってもそれじゃあ脱げんか」


 ごてごてのドレス(上部のみ)の事を言っているのだろうが。ええはい。脱げませんとも。こう両手を縛られているとね。


 どうするのかと見ていたら、短剣を取り出したので両手を縛る縄を切るのかと思えば、服の方を切り裂きやがった。

 わざわざこちらの様子を見ながらコルセットと服の間に短剣を入れて腹側から胸へとゆっくり刃を上らせるあたり非常に嫌な性格をしている。この男はあれだ、絶対に嗜虐趣味があるに違いない。

 こういう奴は泣いても、逆に強がっても刺激する。極力反応しないように表情を変えずにいれば無造作に転がされうつ伏せにされた。


「どこまでその態度でいられるかな」


 楽し気な声と、ぷつりぷつりと紐が切られていく音。そして少しずつ圧迫が緩んでいくコルセット。


 あー…そうだな。普通のお嬢さんならこの段階でかなりの羞恥心だと思う。でも個人的にコルセット外した状態でも平気なんだよな。むしろ圧迫から解放されて少し息が楽だな、ぐらいで。


 最後の紐が切られてコルセットが外れると、腰の合わせから素肌にかさついた手が触れた。まさかと思う前にそのまま背中へと滑り、ぶわっと全身に鳥肌が立つ。

 が、表情は変えない。反応しない。いつだったか、何かの雑誌で見た。男はマグロを嫌がると。私はマグロ。マグロ。冷凍マグロです。養殖ものです。希少価値はありません。


「……生娘ではないのだったな。そこは少しつまらんか」


 生娘です。精神的には違うけど。

 

「だが、それはそれで手間が省けるというものだ。なあ?」


 耳元で囁かれたかと思ったら仰向けにされ、至近距離で目を覗き込まれた。同時に脇腹から侵入した手がゆっくりと這い上がる。


 こいつ正気か?

 普通なら痛みで絶叫しているような相手にやるか?


 こちらの変化を逃さないようにニヤついた笑いを張り付けたまま目を覗き込んでくる男に吐き気がしてきた。それでも反応を殺していると、無遠慮に這いまわる手は下へと下がりジャージもどきの下へと潜り込んで――言い知れない嫌悪感と悪寒が膨れあがり、破裂した。


ドバンッ


 派手な音がして気がつけば、馬車の壁も天井も跡形もなかった。かろうじて座席だったものの名残があるぐらいで綺麗に土台だけが残っている。

 あの男は馬車の土台から離れたところで両腕を顔の前で交差させ片膝をついていた。


 あ……やば。


 何をやったのか悟り、咄嗟に口の中に魔力回復薬を作って足を治し麻酔の効果を消す。思った通り魔力を持っていかれたのでごくんと飲む。ついでに手首の縄を切る。


「まさかあの足で魔法を使うとは……しかも無詠唱」


 何やら言っている男も他に目に付いた武装している男達も一切合切氷に閉し、手をついて起き上がり馬車だったものから飛び降りた。 


 あたりは夜になり、かなり暗いが山越えの準備のためか明かりが灯され、想像以上の人間が周囲にいるのがわかった。


 驚いた彼らの横をすり抜けようと駆け出すと、背後から「捕らえろ!」と怒声が轟いた。

 命令に即座に従い前方を塞ごうとする彼らを丸ごと氷のドームで覆って、土魔法で重力を操作、ジャンプして氷のドームに着地、さらにそこからジャンプして飛び降り生い茂る木々の中へと突っ込んだ。

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