第91話 知らせと明るみになる事実①

 定時連絡では今日予定通り王都では園遊会が開かれるという事だった。

 事前に聞いた話ではそこでリーンが拐われた事を話して多くの者に聞かせる予定だ。無事に逃げてくれればいいが……


 騎士団の詰め所の一室、団長用の執務室に座り一人溜息をつく。


 リーンがいなくなってからというもの、一人で横になっていてもなかなか眠れない事が多くなった。

 横になるとどうしてもあの穏やかな寝顔が思い出されて、どうしているだろうかと気になって仕方がなかった。

 さらに言えば、ディートハルトからある話をされて酷くなり、寝ていても嫌な夢を見るようになって夜中に飛び起きる事もしばしば……

 顔には出さないようにしているがフィリップには心配されてしまう始末。極め付けはここ数日の部下からの突き上げだ。

 リーンの警護を担当した者や、元々リーンを知っていた者達が絶対に宰相の仕業だと息まいて抑えるのが大変で……


 命を救われたくせに、リーンが文句を言わないのをいい事に好きなように使って、今度は何に利用する気だと罵倒までされた。

 面と向かって罵倒されたのは初めてかもしれない。

 言ったのは一人だけだが、ちらほらとディートハルトの計画を察して同様の事を思っているだろう団員の顔が思い浮かびまた溜息が出た。


 フィリップが叱責しても収まらなかったのは初めてだったな……隊長達も抑えてはくれているが本心はどうなのか……


 それに思いの他リーンの知り合いだと言う者も多くてそれにも驚いた。

 聞けば、本人と直接言葉を交わしていないが弟妹が学園で世話になり、自身も加護の使い方で助言を受けたと明かす者の多い事多い事……そんな事リーンから何も聞いていない。

 

 何度目になるかわからない溜息をついたとき、ドアをノックする音と「ティルナとレティーナです」と声がした。


 私を罵倒した一人とそれを冷静に見ていた一人がやってきた……


 数日の謹慎をものともしない二人に今度は何を言われるのだろうと気が重くなりながら応答すれば二人連れだって入ってきた。表情は……無表情で何を思っているのかわからない。この二人は元々感情を読ませなかったが、今は余計にだ。


「団長。そろそろお話になってはいかがですか」

「なにをだ?」


 口火を切ったのはレティーナだった。小柄な体格と部隊では可憐だと言われる容姿をしているがその中身はかなり強靭だと訓練中に気づいた。男でも音を上げる新人訓練で一切の弱音を吐かず、表情すらずっと涼しいものだった。


 レティーナは横に立つティルナに視線を移すと、ティルナは引き結んでいた口を開いた。


「昨夜、リーンスノー様がラウレンスのお手付きになったのは本当かと王都にいる知人が『伝える』で尋ねてきました」


 ぎっと胃が引き攣るような感覚がした。


 はぁ……今は出来れば聞きたくなかった。


 その可能性があるとディートハルトに言われてから見た悪夢が甦る。


 夢の中でリーンは、ラウレンス――会った事は無いが、噂に聞いた青い目の綺麗な若者だった――に迫られて、まぁ状況的に仕方ないですねとあっさり応じていた。

 ちょっと待て!と叫んでしまった。

 しかもリーンは詰め寄る私にけろりとした顔で、必要な事なら仕方ないですよと手をひらひらさせて……夢の中の私は、それでいいのかと唖然としていた。

 そのままリーンはラウレンスの腕の中に納まり――そこでハッと目が覚めて……自分のものが取られたような気持ちになって、そんな気持ちになっている自分に愕然とした。


 取られたって……子供か。


 いや、そもそもただの夢で、さすがに現実のリーンがそんな思考をしているとは思わないし……ディートハルトから決定的な事は何も聞いていない。

 だが聞いたら……そうだとしたら、取られた……とは言わないが、何か、自分の中にあったものが崩れていきそうな気がした……

 いつの間にかそこにいるのが当たり前で、あの心地いい空気は自分のもとにあるものだと思っていて、なくなる未来など考えもしなくなっていた……から。


「知人は噂を調べてくれましたが、こちらからの情報とあちらからの情報で錯綜しているようです。

 一部ではここ辺境伯領で見つかった聖女を宰相が無理やりに奪ったのではないかという話がありますが、大部分ではミルネスト領で見つかった聖女を王子の妃にするのだという話で盛り上がっているようです」


 淡々と告げるティルナの声音が冷ややかでその下に怒りが渦巻いているのが感じられた。


「団長。私の加護をお忘れでしょうか」


 何も言わない私にレティーナがことさらゆっくりと語りかける。


「実は私、辺境伯様をずっと『読ん』でおりました」


 読んで……ってお前!


「そう長くは『読む』事は出来ないと申しましたが……申し訳ありません。あれ、嘘です。本当は長時間読む事も可能ですし、他の事を考えていれば読めないと申しましたのも嘘です。多少ですが無意識に沈めた思考も読めますの」


 何でもない事のように話す姿に、開いた口が塞がらなかった。


 レティーナ、それはつまり全部知っているという事では。

 

「聖女を取り戻すという大義名分を作るためにリーンスノー様を囮にしましたね?」

「………」

「答えていただかなくて結構です。団長が聞かされていなかった事も、リーンの手紙で知った事も今確実にわかりましたから。あと、非常に後悔されている事も」

「……レティーナ、無断でその加護を使用するのは禁止した筈だが」


 呻くように咎めれば小首を傾げて見せるレティーナ。


「処罰なさいますか? でも、秘密主義者の伯相手にはこの加護はとても有効だと思いませんか?」

「お前……どこに通じている?」


 視線を鋭くすれば、レティーナはおっとりと笑った。


「どこにも。強いて言えば私はリーンスノー様の味方です。伯に伝わるように学園でやっていた仕組みを伝えたのもリーンスノー様の為ですし、私がこの騎士団に入って伯に近づいたのも、リーンスノー様の本をこちらで広めたのもリーンスノー様の為です。いずれリーンスノー様がこちらに来てくれればいいなと思って、環境を整えておりましたの」

「……どういう意味だ?」

「リーンスノー……リーンはずっと不衛生な環境を嘆いていましたからね。衛生的な環境があって働く先があれば彼女はきっとこちらに来てくれると思っておりました」

「……何故そんなことを」


 レティーナに一瞬自嘲するような笑みが浮かんだ。


「私は学園に行くまで――リーンに出会うまでは碌な加護を持たないと家族にも蔑まれて生きてきました。

 加護があるだけでも素晴らしい事だ?

 本心でそう思っているのは本当にごく少数なのですよ。団長だって自分の加護に対して劣等感をお持ちだったでしょう? 他者のおためごかしの言葉の裏に嗤う気配があったのは感じてらしたのでしょう?」


 だから勝手に読むのは止めるよう言っているのだが。


「交渉時に力を使わないなんてあり得ないですわ。

 それにリーンは自分から私の加護の実験台になってくれたのですよ?

 普通どんなに下級の貴族といっても他人に心を覗かれるなんて嫌がる事をリーンは笑って許してくれて根気強く付き合ってくれました。そのおかげで今の私があるのです。生き抜く術と自負を与えてくれたのはリーンなのです」

「だからリーンの味方——リーンだけの味方だと言いたいのか」

「ご理解いただけて幸いです。

 ティルナからの話も聞いて、そろそろあちらから連絡がくる頃合いではないかと思ったのです。ですからこちらも向こうに駆け付ける準備に入った方が良いのではないかと。準備にも時間が掛かるのですから。それに――」

「っ!?」


 唐突に耳を押さえたティルナに、レティーナの声が途切れる。だが訝しがる顔が何かに気づいたのか珍しく焦ったものに変わった。


「ティルナ、何かあったのですね?」


 虚空を見上げたティルナは自分の耳に手を当てたまま呆然と言葉を呟いた。


「今、園遊会で襲撃があって、武装集団にリーンが連れていかれたって」


 な!?


 立ち上がった拍子に、椅子が音を立てて倒れた。

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