第90話 聖女(撒き餌)は今度は何にされているのかわからない⑤

 ちょっときた。やっぱりこういう使い方をするのは魔力消費が大きい。

 奥の手だったが、口の中に切り札である魔力回復薬を少し生み出して嚥下する。

 加護で魔力回復薬を出して魔力を確保するこの方法、消費した魔力と摂取する回復薬の量を調整しないと肉体的な負荷が大きいし、その癖簡単に回復出来てしまうからついつい限界を超えてしまいやすい。本当はあまりやらない方がいい方法だと思っているが四の五の言っていられない。


「言葉が通じる相手のようで良かった良かった」


 手を叩く男に、私は怯えた振りをしてせいぜい憐れに見えるように口を開いた。


「私を連れていくとの事ですが、その前に一つだけいいですか?」

「手短にどうぞ」

「ここで私の世話をしてくれた者に礼を言いたいのです。拐われてきて、全てが恐ろしく…怯えて拒絶した私にずっと寄り添って心を砕いてくれた者に、せめて礼を……」


 無理かと思ったが、男は肩を竦めて「それで満足するのなら」と手を広げた。


 私は靴を脱ぎ、下がジャージっぽい何かで上がごてごてのドレスという酷い恰好で園庭の端に居る兄に近づいた。

 等距離でついてくる男と武装した男達を意識しながら「これを少しだけ外していただけますか?」と、架空の誰かに向かって声を張り上げ自分の出した氷にほんの少しの穴を開けた。


 心配そうな顔でこちらを見ている兄は、たぶん演技している。親指を隠しているから。本当は勝手に氷を消した事を怒っているのだと思う。


 私は首からあのペンダントを取り出しその穴から兄に差し出した。差し出してから気づいたが、血濡れの手だった。王子の傷口思いっきり触っていたから……


「せわに……世話になりました。今の私には、貴女にあげられるものがこれしかありません」


 兄の顔を見て気が緩んだのか、声を出したら震えていて、これ以上兄を心配させないようなんとか頑張って抑えて言葉を出す。


「いけません、このようなものを貰うわけには!」


 兄は声を上げて血で汚れるのも構わず私の手を押し返そうとする。その中で風が動くのを感じた。


(それはお前が持ってないと意味がないんだよ!)


 指向性を持たせた小さな囁きが届いて、私も同じく囁く。


(王弟殿下に知らせて。学園に居るクリス・アーヴァインに手紙と一緒にティルナって子へ送るよう言えば一瞬で送ってくれるから)


 もしこの事態が辺境伯様の計画内の事だとしたら、私の命は保障されている――のかもしれないし、保証されていないのかもしれない。本当にもうわからない。

 でもとりあえず計画内の事だとして、たぶんシャルは知らされていない可能性が高い。全部終わった後に実はこんな事してましたと明かされるか、もしくは土壇場でいきなり言われて思うままに動かされるか。……不憫だ。このペンダントがあれば手紙でも信用してもらえると思うから、その情報を頼りにやりたいようにやってもらうとして……問題はこっちだ。


 逃げるだけならば――兄と私で逃げるだけならば、たぶん出来る。でもそうすると、椅子の上で倒れて(兄がアレを渡してくれていると信じれば)おそらく気を失っているのだろう陛下やここに居合わせたまだ年若い子息に御令嬢、城下の人たちまでどうなるかわからない。

 仮に沈黙を保っている影が動いたとしても陛下だけだろうし……


 そうだよ。影が沈黙してるからわからないんだよ。だいたい何で陛下を守らなかったんだよ!?


 こちとら自己犠牲の精神なんて持ち合わせていないが、いくらなんでも逃げた後皆殺しとか寝覚が悪すぎるだろ!


 落ち着け。すぐに思考が走ってしまう……


 冷静に考えれば私が欲しいというのなら、少なくともすぐに殺される事は無い筈だ。だから時間稼ぎという意味でいう事を聞き隙を見て逃げる。これしかない。


(一瞬って)


 兄の声に目まぐるしく回っていた思考を戻す。


(離れた所でも知り合いになら飛ばせる加護なの。だからお願い)


 これを渡せば少なくとも兄は、こう見えて私のお願いを無視出来ない優しい兄なので、一旦この場から離れざる得ないだろう。シャルに伝えるというより本当はこっちが狙いだ。ジェンス家の跡継ぎという以前に、私はこの一緒にいて楽しい兄を死なせたくない。

 でも、やっぱりほんのちょっとだけシャルが助けてくれないかなぁ…なんて思ったり。

 

「貴女はそれだけの事をしてくれました。受け取らないのなら置いていきます」

(氷は固定式に変えたから、持ってあと半刻ぐらいだから)


 ペンダントを落とし手を引いて氷を元に戻そうとした間際、


(あいつは『操る』加護持ちだ、魔力を多めに纏え、扱いが難しいやつだからそれで防げる。必ず助ける、待ってろ)


 本当は欲しかった言葉をくれる兄に、こみ上げそうになる。


 まったく、必死に取り繕っているのに――兄が他人だったら、絶対惚れてるぞ。


 目の熱を瞬きで払って唾を飲み込み、振り返る。

 そうして待っている男のところへと歩いていくと男に腕を取られた。


「やれ」


 短い男の言葉に、武装していた男の一人が私の後ろに回って――


「いっ!」


 足首に激痛を感じた直後、男に担がれる。


「逃げる足は要らんからな。それにその痛みがあればいくら聖女といえどまともに加護も魔法も使えまい?」


 あまりの痛みに全身が強張り震えた。

 なんとか聞き取った男の言葉で足の腱を切られたのだと理解して、理解したと同時に足に麻酔をかける。


 だが息がちょっと、出来ない。

 頭が痛みの許容を超えて、加護が働いているのかどうかもわからない。


 はっ……と、息が吐けたときようやく痛みがない事を頭が知覚して、けれど身体の震えがおさまらない。何度も短く息を吐き、なんとか呼吸を整える。


 あ、危なかった……あの場を離れるからと氷を固定式に変えていなければ全て解けていた。

 それに男が加護についてちょっと勘違いしているのが救いだ。加護の力と言うのは複雑な事を考えなければ反復訓練で痛みがあろうが寝ぼけていようが使えてしまう。ということは、この男、おそらく加護の使い方に慣れていない。


 それでも兄が言っていた『操る』という加護の響きの不穏さに、助言通り普段なら無意識に纏っている魔力を意識的に増やした。


「それにしてもレリレウスの連中は馬鹿だな。聖女だなんだと言ってるが、こいつの真価を何もわかっちゃいない。お前ら全員の命よりもこいつの方が重要だというのにな。せいぜい後で悔やんで大いに後悔するがいいさ」


 男はわけの分からない事を言いながら歩き出した。武装した男達もそれに従う。


 完全に怯えた顔をする人々の間をすり抜け、足早に進む男の背から見える王宮の姿は、異様に静かだった。まるで不要なものを全て排除したかのような様子だ。

 そのまま誰にも止められる事無く王宮を出たところで複数の足音が駆けてきた。


「閣下、辺境伯が動きました。お早く」

「予想より早いな…-」


 誰かの声に走り出す男たち。私は担がれたまま無言で耐える。麻酔が効いてる足よりも腹を絞めてるコルセットを圧迫されてるほうが今はきついぐらいだ。


「足を切られたので?」

「馬鹿王子を捻りあげていたからな。深窓の令嬢ではないようだぞ」


 左様ですかと応える男の声にあれが原因だったかとほぞを噛む。


「代わります」

「いやいい。身体が薄いのはいまいちだが、気丈な所は気に入った」


 走っているくせに息の一つも乱さず挙句の果てに人の尻を撫でてきやがった。

 払い除けそうになるのを耐えていると笑っているのが担がれてる肩越しに伝わる。


「おまけにこれは馬鹿じゃない」

「……手を出されるので?」

「それも悪くないな」


 悪いわ。

 心底嫌な会話をされて精神がガリガリ削れていくのがわかる。


「抜けたら予定通り火を放て」


 !?


「うまくいけば辺境伯ものまれてくれますかね」

「そんな玉じゃないだろうが見過ごせないだろ。こちらに足止めできれば十分だ。気づかなければ尚いいが」


 こいつら……!

 

 言うこと聞いたところでそんな事だろうとは思っていた。


 咄嗟に口の中に魔力回復薬を準備して、ハタと止まる。


 私が全魔力で作れる水の量はジェンス領に居た時で五十メートルプール二杯ぐらい。だいたい二千トンくらいだが、それで雨を作ろうとすると単純に水を出すのではなくまずは水蒸気に変化させるのでそれより少なくなるだろう。あれから魔力が増えているとはいえ、冷静に考えて精神状況が万全とは言えないので効率が悪くなると予想され……全力でやったとしても雨にまでなってくれるかはわからない。というか量的に到底足りない気が……そもそもエアロゾルが無ければ雨にはならなかったような気もするし……


 では加護で雲を作るかと考えるが、それは駄目だ。やったが最後私の周囲にいきなり煙幕状態に雲が出来てしまうのでもろバレだ。


 あぁもう……なんで触れてないと出来ないんだよ……本当に嫌になる……!


 別の方法を急いで考えて、本当に出来るのかなと思いつつそれぐらいしか思いつかなくてやけくそで加護と水魔法を合わせ、魔力をごっそり持っていかれながら作った透明な種を一粒地面に落とした。

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