第89話 聖女(撒き餌)は今度は何にされているのかわからない④

「聖女様! 陛下も早く!」


 余計な事をやってしまったのかも、でも放置出来なかったし、どうすれば…と冷や汗をかいていたら知らない紳士に促され、後ろを見れば王子と同じく矢を胸から生やした陛下が椅子の上で崩れ落ちていた。

 

 って、辺境伯様じゃない?!


 慌てて立ち上がろうとした瞬間、横に膨らんだスカートの部分を上から何かが突き刺した。


「動かないでもらおうか、聖女殿?」


 見上げた逆光の中、背の高い男から低い声が発せられた。スカートを突き刺し地面に縫い付けたのは厚みのある剣だった。


「――公子!? 何故ここに!!?」


 驚いたような、信じられないという顔で叫ぶ宰相は低い声のその人物に近づこうとして――首が、落ちた……


 王子を助けようと動いていた筈の、青いマントをした騎士が無造作に振った剣が前置きも無く宰相の首を刎ねていた。


 一瞬の血しぶきの後、人形のように身体が地面に倒れ込み痙攣を繰り返した後動かなくなった。そして一拍を置いて女も男も関係なくギャー!と叫び声が上がった。


 逃げ出そうと蜘蛛の子を散らす様に動き出した人の群れの向こうに、帯剣した異国風の男達が園庭に流れこんでくるのが視界の端に見えた。と、同時に私を包むようにドーム状の氷の壁が出現した。

 それを見て我に返り私も居合わせた人々を氷に包む。身を寄せ合っている人はまとめて、そうでない人は個々で。広すぎる園庭で全てを包めたのかわからないが、雪崩れ込んできた男たちが飛ばしたと思われる百を超える土魔法の石の槍を受け止める。


 あ…あ、兄よ、守ろうとしてくれたのは嬉しいけど自分も守れる状況を作ってくれ!


「はははっ! 魔法省の連中を遠ざけておいた筈だったが、この国にもまだまだそれなりな使い手がいるじゃないか!」


 笑いながら背の高い男は私の横、王妃と王子を囲った氷を指さした。

 男に指示された騎士(の、筈だったが中身はおそらく別物?)は王妃と王子を囲う氷に血のついた剣を思い切り振り下ろした。


ガッガッガッ


 何度も振り下ろされる剣に、王妃は王子を抱きかかえたまま白目を剥いて失神した。

 その様子に男はさらに笑い声を上げて楽し気に肩を震わせる。


「これはなかなか強固じゃないか、全力でやっては中の聖女ごと焼き殺してしまいそうだ。

 参ったなぁ。聖女殿さえ確保できれば我々は速やかに立ち去る予定だったのだが、こう邪魔をされては術者を探し出して殺さねばならない」


 そう言う男の手に燃え上がる青い炎が出現して、顔が引き攣った。

 一瞬にして出現、しかも色からして高温。なのに手のひらに熱を受けないよう制御している事から、かなりのコントロールだ。張っている氷の壁は水分子の動きを可能な限り止めて強度を高めているが、これだけの使い手に熱をぶつけられると競り負ける可能性がある。


「待ってください!」


 咄嗟に氷の向こうにも声が届くように声を張り上げる。


 男がもう一度私を見降ろすと、雲で陰った中今度は男の顔がはっきりと見えた。


 目つきは鋭くその色は深い海の底を思わせる黒に近い青。太い眉は彫りの深さで余計に陰影がついて厳めしく、高い背と広い肩幅、筋肉がついている身体つきからして生粋の軍人、いや傭兵のように見える。綺麗というより、野性味のある男は大きな口を愉快そうに歪めて私を見ていた。


 園庭を警備していた筈の騎士は――倒れている。遠目に身体から石の槍が生えているのが見え……初撃を防げなかったものと思われる。本職の邪魔をしてはならないと彼らには何もしなかったのだが……間違えた。

 さらに悪いことに騒ぎが起きているのに外から騎士が誰一人駆け付けないというこの事実。騎士に扮していた何者かが宰相を殺した事からしても、宰相の企などではない事は明白だ。


 問題は辺境伯様の計画にこれが含まれているのかという点だが、ハッキリ言って今私が持っている情報では全くわからない。あのお人、全ての情報を共有するタイプではないし。


 あー…ばくばくと心臓が煩い。浅くなりそうな息を意識して緩め、呼吸を整える。


 これは辺境伯様の予想外の事か。それとも予想内の事なのか。どういう状況だ。公子って誰だ。いや十中八九公子と言ってたからラーマルナ公国の人なんだろうと予想してるけども!だけど何でその人が今ここで動いてるんだって事で!


「私に御用のようですが、頷けば他の方々には手は出さないとおっしゃる?」


 混乱し乱れそうになる思考を必死で宥めて脳内にセロトニンを少しだけ放出する。精神的に冷静であらねば。


 そっと腰元の金具に手を掛けてスカート部分を分離し、どでかいカツラを頭から引っぺがす。ぶちぶちと止めている髪が抜ける音がしたが痛みを気にする余裕が無い。


「聖女殿は我々と共に来ていただけると?」


 男の周りには武装した異国風(裾まである上の衣を腰で縛った上に胸当てと小手、脛当てのみの防具を身に着け少し反った剣を持つ)の人間が固めている。

 この場に居る彼らを全て拘束したとして、事態は解決するだろうか……いや、この男は拘束自体が難しいか?……他は出来るだろうがこの男には逃げられそうだ……それに他にも仲間がいる可能性がある……


「理解が早い女性でありがたい。これをやった術者も早く理解していただけるといいのだが?

 このままだと配下に命じて城下を火の海にしなければならないかなぁ」


 わざとらしく困ったような顔をして、私を覆う氷の壁を拳で叩き、辺りを見回す男。

 誰がやったのかもわからない居合わせた人々は、威圧する男に怯えた顔を見せ、互いに自分ではないと首を振っている。


 私は覚悟を決めて足に力を込め、氷に手を当てた。


「どなたか存じませんが、この魔法を解いていただけますか?」


 氷を解くように言うが、兄は拒否の姿勢なのか全く変化がない。

 そうなると破壊しなければならないが、私が魔法を使える事はまだ伏せておきたいし……


「聖女殿もこう言っているのだが、なかなか融通の利かない輩だな」

 

 男の声に苛立ちが混じるのを感じて、くそったれと加護の力を使って無理やり氷を無かった事にして立ち上がる。これならば見た目は魔法を解いただけのように見えるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る