第88話 聖女(撒き餌)は今度は何にされているのかわからない③
王妃の自己満足的マウントは聞き流し(さすがに園遊会を前に手を出す気はないらしい)ギリギリの時間にやってきた王子に王妃そっくりの顔で一瞥されて(俺に落ちた女か、とか思っていそう。兄の丸め込み術がすごすぎて怖い)、私達は会場へと移動した。
尚、ここからは王子がエスコートされる事になったのだが、まあ歩きにくい。エスコートっていうのは基本的に女性側を歩きやすいようにしてくれるものなのだが、この王子は形だけで自分のペースでいくものだからこっちは必至だ。
それでも秋晴れの爽やかな整えられた園庭へと出るとちょっと気分が上向く。
かと思ったが、やっぱり無理だった。
そもそも匂いがきついのだ。これだけ解放された会場だというのに空気が淀んで見えるほど。
園庭自体は美しく整えられており、今日の日のためか下系のやばい匂いもしてこないのだが、集まった人が身に付けている匂いが混ざり合ってそれはそれは素晴らしい事になっている。辺境伯領でのお披露目何て可愛いものと言えるぐらいに。
これ何人ぐらい参加してるんだろうか。広い園庭に軽く二、三百人いそうだが。ドレスもカツラも見事なまでに派手で、他人事のようにすごいわーと眺めてしまう。
いざという時魔法が使える事は隠しておきたいので、万全を期して防臭魔法を使う事は避けねばならない。辛い。涙出そう。
王妃と王子のお出ましに着飾った人々(カツラ標準装備のロココな方々)は道を開けて頭を垂れ、そこを二人は気分良さそうに、そして私は心頭滅却して進みゆく。
がんばれ、ファイト、意志表明すればお役御免だ。鼻よもげるな。
念仏のように唱えながら既に会場に入り椅子に座っている陛下の横に王妃が座るのを眺めていると、王子は陛下の前に立って私をぐっと引っ張り腰を引こうとした。が、クリノリンに阻まれて上手く行かなかった。ありがとうクリノリン。今初めてあなたに感謝します。
ちっと王子は行儀悪く舌打ちをすると諦めて陛下に向き直った。
尚、ここまで陛下とは全く目が合っていない。完全な無表情の陛下は、穏やかな顔を知っている分余計に怖かった。と同時に、ずっとこの環境で耐え続けてきたのが伺えて何とも言えない気分になる。
そもそも陛下が王妃と一緒に入場していない事も変なのだが、その王妃や王子よりも先に入場している事がさらにおかしい。普通は王家で最後に出てくる立場の人なのだ。それだけでも軽んじられているのが透けて見える。
「父上、お話があります」
「話の前に言う事があるのではないか」
陛下の温度のない平坦な声に、一瞬王子が怯んだのがわかった。
だがすぐに反発するように目を鋭くさせると、傍らに控えていた宰相に目配せした。
「陛下、みなへの言葉よりも隣の御令嬢についてのお話の方が重要かと。みなも気になっておりますし」
そう。噂は既にばらまかれているが、実際に姿を現した私に御夫人や御令嬢がたは「あのカツラは」と囁いて反応していたのだ。「本当でしたの?」とか「ということはあの方が聖女様?」とか、まじでカツラで判断されている事にちょっと驚愕している私です。
陛下は宰相の言葉に気だるげに溜息をついて、話があるなら述べよと応えた。
王子はその言葉を待っていたかのようにニヤリと笑うと楽し気に声を張り上げた。
「ここに居る聖女を私の妃としたいのです。もちろん、祝福していただけますよね?」
王子が聖女と公言したためか、周囲のざわめきは大きくなった。次々に値踏みされる視線に、すみませんねこんな貧相な聖女でと思いつつどのタイミングで割って入るかなと様子を窺う。
「……名は」
「リーンスノー・ジェンスです」
「私はその娘に聞いている」
ぐっと王子の眉間に皺が寄り、こちらを睨んできた。
いや、睨むの陛下にじゃないですか?私を睨んでどうする。
そう思うも、陛下のアシストに感謝しつつ一歩下がって王子から離れその場でカーテシーを。
「国王陛下におかれましてはご健勝のこととお慶び申し上げます。
お初にお目にかかります。リーンスノー・エモニエでございます」
一音一音、ハッキリと違える事のないように大きな声で発する。
「なっ!」
エモニエ……と、囁く声に王弟殿下の?という声が混じる。
「貴様!俺に惚れているのではないのか!」
いきなり人の襟首掴みあげてくる王子の手首を掴んで捻り上げる。あぁ動きづらい。踏ん張りが効かない。
「いつ、誰が、誰に、惚れていると申しました?
私の夫はリシャール・エモニエ・フォン・レリレウス様ただお一人です。
夜中にいきなり人を拐って監禁しておいて、いったいどうやったら惚れるのかぜひとも教えていただきたいところですね?」
ギリギリと背に回した手を捻り上げながら声を張り上げ、行儀悪く左手の手袋を咥えて外しその場に掲げる。
「そもそも! 御覧の通り、精霊の許しを得て既に婚姻を結んでおります!」
ぺっと手袋を吐き捨て啖呵をきれば、唖然とした顔を居並ぶ人々が晒しているのが見えた。
「お、お前達! 何をしている王子を助けよ!」
遅まきながらに宰相が声を荒げ、弾かれるように会場警備にあたっていた騎士達が動き出したので、私はここまでだなと王子を前方に押し出して手を離した。
王子はよろめき一歩、二歩と前にたたらを踏んで近くにいた男性に支えられるが腹立ちが強いのかその男性を突き飛ばしてこちらを振り向いた。
その瞬間、
ドッ
重たいような軽いような、そんな変な音がして目の前の王子の胸に
———え。
一瞬誰もの動きが止まり音が消えた後、空気を切り裂くような悲鳴が轟いて王妃がドレスの裾をからげながら、その場に崩れ落ちた王子に駆け寄った。
それを見て反射的に私は前に出て王妃を押しのけ、膝をつきうつ伏せになった王子の身体の下に手を入れて探り、鏃の部分を風魔法で切断、背中から生えている矢羽根の方を掴む。そして片手を首すじに押し当てるが脈が触れない。胸の動きもない。意識は当然ながらない。
悪態をつきたいのを堪えて全力で引き抜くと傷口から血が溢れた。
悲鳴が不協和音のように方々から上がるのを無視し、横から邪魔するように伸びてきた長い爪の手を振り払う。
「邪魔しないで!」
抜いた矢を投げ捨てて叫んだ私にヒッと怯む王妃。
だがそんなものに構っていられない。
肺は確実に貫通している。心臓はわからない。でも場所的に傷つけていてもおかしくないし、意識が無く脈も無い事から達している可能性の方が高い。
血があふれ出るその傷に手を押し当て願う。内臓の損傷個所に元あったように組織を生じさせ、流れ出て間隙に入ってしまっただろう血液を無かったという現象を生じさせ消し、心臓の鼓動を生じさせる。
ぐっと魔力を持っていかれたが、初めて腕一本生やしたシャル程ではない。加護の力を理解して随分と慣れてきているし、あれから魔力も増えたのでだいたい三割ぐらいか。一番もっていかれるのはやっぱり現象を生じさせる行程だな。
上着をはぎとって傷口が無い事、脈と呼吸が正常である事を確認して息を吐く。
それからハッとした。
思わずやってしまったが、もしかしてこれ辺境伯様の仕業の可能性があるのでは?
というか、生える以上の加護の力はバレるなと言われていたのにやってしまった。
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