第86話 聖女(撒き餌)は今度は何にされているのかわからない①

 園遊会は昼過ぎ、大体午後の鐘二つ(三時)ぐらいから始まるのだが、支度は昼前から始まった。

 本来なら香油を垂らした布で身体を拭いて、というところから始まるがそこは兄に懇願して勘弁してもらった。変わりにドレスの方につけるという事で結果的に匂い塗れの刑は免れてないが、なんとなく気分的に自分の身体が臭いというのは避けられたので良い――と、思う事にする。


 そうして今回も兄が一人で頑張って着つけてくれるのだが、うす紫色のずしっとした質感の厚手のドレスはとても大がかりな楕円形のクリノリンが用意されており、目の前のそれになんだこれはと私は気が遠くなっていた。


 両手広げたよりでかい輪っかがあるんですが……


 総重量を聞きたいような聞きたくないような。いや、聞いたらあかん奴だなこれは。楕円形だから……まぁ、まだ前後には動きやすい、か?


「言いたい事はわかるが、これでも金をつぎ込んで軽くて丈夫な材質を使ってるからまだましだぞ」

「そ、そっか……」


 そういうところにもお金が使われてるんだなと感心したところで、でも結局重いんだろうなぁと諦める。

 もぞもぞとベッドの影でミスリルで出来た服を肌着の上に着て、八分丈のジャージにドロワーズから履き替える。ドロワーズが下着なので、ジャージだけだとノーパンという心もとない事態に……さすがに落ち着かないとパンツ出して履いた。そういや兄は……?


「ねぇ、これもう着てるの?」


 ベッドの影から出てミスリルで出来た服を摘まんで聞いてみれば頷かれた。つまりそれはノー………考えない方向でいこう。ほら兄はドロワーズとジャージが同じものだと思ってるから。うん。この国ではそれが一般的だから。


「着替える暇なんてこっちには無いからな」


 くるりと私の向きを変えて、後ろからほらと胸腹部一体型の固いコルセットを前に出してくる兄。

 受け取って腹部から胸元にかけて身にあてると後ろでシュルシュルと紐を通していく音がした。


 あー……ちょっと緊張してきた。


 辺境伯領で経験したお披露目とは違う。

 こちらは完全にアウェーだし、表立って助けてくれる人もいない。突発的な何かが起きたら自分で何とかしなければならないのだ。


 グッとコルセットを締められると、胸の底でちらちらと顔を覗かせていた不安ごと覚悟で引き締められるような気持ちになる。


 大丈夫。やる事をやるだけ。いざとなれば兄は助けてくれるだろうし、兄となら最悪逃げるだけは出来る。大丈夫。大丈夫。

 プレゼンだプレゼン。しかも納得させる必要もない、ただ意志表明すればいいだけの簡単な発表。


「俺はお前付きで会場の隅に控えてるから心配すんな」


 ちょっと、兄。そういう事を言うのはやめてくれ。ほろりと来そうだから。

 こちとら七十オーバーなんだからな。人生経験は私の方が多いんだぞ。でも前世経験より兄のこれまでの来歴の方が凄そうな気がしないでもないような……いやいや弱気になるな。こういうのは気の持ちようだ。


「ありがと。大丈夫だから。私、本番には強い方だから」


 クリノリンを括りつけてある腰帯を持ち上げ装着を開始する兄ににやりと笑って言ったら苦笑された。


「そーいう事にしといてやるよ」


 薄い紫色のスカート部分を上から被せるように広げていき、綺麗にクリノリンの形が出るように合わせていく兄。

 細かな作業を真面目な顔をして手早くしていく姿に、やっぱりこの兄能力は高いのに勿体ないなと思う。

 

 やる気があれば領地経営は父以上にうまくやるだろうし、この顔と回る頭を使えば人脈を作る事も容易いだろう。なのにやる気がないというのは、なんだか頑張っている父に喧嘩を売っているようでもある。


「………もし、もしもがあったら父さんと母さんをお願いね」


 言った瞬間、ぺしっと後頭部を叩かれた。


「阿呆な事を言ってないで言うべきセリフでも考えとけ」

「……考えてるよ。それに真面目な話そういう可能性がゼロってわけじゃないでしょ」


 薄い紫色のスカート部分の上に、少し色味が強い紫のドレープをたっぷりと作った飾りを乗せて合わせていく兄。


「そのもしもはねぇよ」

「可能性の話だって」

「可能性だとしても、ねぇよ。この俺がついてんだぞ? そんな事を許すとでも思ってんのか?」


 下からギロリと睨みつけられて、言葉に詰まる。

 その強い視線に反論が出来なかった。


 兄は上半身に身に着ける身頃を持ってくると腕を通して後ろでコルセットと同じように紐を通した。


「何のために母上殿が俺を寄こしたと思ってるんだ。俺だけじゃない。他にもお前を守ろうと動いている人間はいるんだぞ」

「他……」

「辺境伯のとこじゃない。それに王宮内にも個人的にお前の味方をする奴はいる。お前、学園で相談を受けてたんだろ」


 相談……。……いや、そんな記憶はないが……


「その顔は身に覚えがないって顔だな。らしいっちゃらしいが、もう少し覚えといてやれよ。向こうはお前に加護の使い方を教えてもらって泣いて喜んでるってのに」


 加護?……あ、加護。あれか、碌な加護じゃないって嘆いていた子とか?


「しかもその兄弟の加護まで使い方やコツなんかを一緒に考えてやってたんだろ? そいつらがお前の境遇に疑問を抱いてこそこそ動き回ってるんだよ。もし宰相に無理やり連れて来られたって話なら何とか逃がしてやれないかって」

「そう…なんだ……」


 それは有り難いし嬉しいが、大丈夫なのだろうか。ここは宰相の根城のようなものだと言ったのは兄だ。そんなところで思惑に反するような事をしてしまっては危ないのではないだろうか。

 

「とはいえ、所詮まだまだガキが考える事だ。余計な事をしないように抑えといたけどな」

「そっか。良かった」


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