第84話 聖女は不確実な話に想像を巡らせる①
「ちょっと嫌な話が出てきた」
決行の日を明日に控え、昼食を持ってきた兄が深刻な顔をして言った。
「なに? どうしたの?」
カトラリーと食事を一緒に並べながら聞けば、兄も手早く料理を運んで椅子に座るよう促した。
この国では食前の挨拶は精霊への祈りが基本だ。意味合い的にはいただきますと一緒で、両手を組んで恵に感謝をとそれぞれ言って食べる。
とりあえず食べながら話すと言われて緑のソースが掛った温野菜を口に運び、牛肉を赤ワインか何かで煮込んだっぽいものを切り分ける。
「ラーマルナが関わっていたんだよ」
「――ラーマルナって、前に言ってたとこだよね。王子を唆したんじゃないかって」
野菜を飲み込み訊いて、肉を口に入れる。ほろりと解けるほどに柔らかく煮込んであるそれは、おいしいがバターが基本のこってり味だ。
「あぁ、だが唆しているのは王子じゃない。いや王子もだが宰相にも干渉していた」
「………んん? 辺境伯様と宰相をぶつけようとしていたんじゃないの?」
「どうも違う。いや、その点は違わないんだけどな」
「どういうこと?」
パンをぐいっとちぎり口に放り込む。ドイツパン的な固めでちょっと酸味があるパンだ。辺境伯領では白パンと呼ばれるふんわり小麦の甘味のあるパンだったので王都だなぁとこれを食べるたびにしみじみする。実家も一人暮らしも粗食だったのにすっかり前世並みに舌が肥えてしまった。
「どうも宰相と王子っつーか王妃のそれぞれに接触しているようなんだよ。
ほら、アイリアル侯爵家に宰相が盛大な喧嘩売っただろ? さすがに知ってるよな?」
「あぁ領地返還の話?」
さらっと言ったが、母から聞いてなければ危なかった。ありがとう母。兄に馬鹿にされるところだった。
「それ。で、アイリアル侯爵家って言ったら辺境伯家と懇意だろ?
辺境伯家は軍を解体されてるが武闘派一家だからな。絶対仕返しされると思って宰相が武力の後ろ盾としてラーマルナを利用しようとしてるみたいなんだよ」
「ははぁなるほどそれで宰相に接触。……で、それで王妃にも接触って? 二人は同じ派閥なんでしょ? なんで別々に接触するって話になるの?」
くるくるとジャガイモのスープをかき混ぜ、音を立てないようにスプーンで啜る。本当はかき混ぜたりもしないのだが、ついつい前世からの癖でとろみのあるスープはかき混ぜてしまう……別に粉の溶け残りとかないのに。習慣とは恐ろしいものだ。
「微妙に違うんだよな、そこ。
前に宰相が王妃にぎゃあぎゃあ言われてお前を浚ったって話しただろ?」
「あぁうん。言ってたね」
「あの兄妹仲が悪くてな。ミルネスト侯爵家ってのは紫紺が最上とされる家だってのは知ってるか?」
「………たしか?」
「知らないなら知らないでいーから」
知ったかぶりしたら即行でバレた。くそう。
「紫紺が最上っていう謎の意識があるんだよ。辺境伯家も元々は同じような意識があって緑がそれなんだが、今はもう身体に現れる色がどっちかっていうと赤に変わって来てるからどの色が優れているとかって変な思想はないんだけどな」
ははぁ……なるほど。宰相の目の色は茶色。王妃の目の色は菫、紫だった。
「嫡男の宰相よりも、妹の方が最上の目の色をしていたって事か」
「そーゆーこと。先代の侯爵の色を継いだのは妹だけだったんだよ。それで妹の方は事あるごとに兄を見下していたんだな。
でも結局ミルネスト家を継ぐのは兄で、そこが我慢ならなかったのか王妃の座についてからは露骨に宰相を顎で使うようになったって話だ」
なるほどなるほど。仲が悪いのは理解した。
じゃあ仲が悪いその二人にそれぞれ接触して、結局ラーマルナは何を狙ってるのかだな。
「ラーマルナの狙いはわかるの?」
「そこなんだよなぁ。宰相に近づいたのはラーマルナの軍をミルネスト領を使ってこの国の中に置くためっぽいんだ」
………。それ、侵略開始の合図では?
「王妃と王子に近づいたのはいまいち理由が判然としないんだがな……ひょっとして王子の父親がラーマルナ関係かもって線もある」
「ね、ねぇ、ミルネスト領をラーマルナの軍が通過って相当まずくない? 国境を越えられるって事でしょ?」
「既に超えられたぞ。今はミルネスト領の中程にある砦に留まっているんだったか。あそこ本当によそ者を受け付けない性質があって探るのが難しいんだよなぁ……」
………うそだろ。
「呑気にご飯食べてて平気なんでしょうかそれは」
思わず真顔になって訊けば、兄はパンを豪快にちぎってため息をついた。
「宰相としては辺境伯が寄こして来るだろう軍にぶつけるつもりなんだろうが」
「辺境伯様ってその事に気づいてると思う?」
「さあ? でも気にはかけてるんじゃないのか? 国境にそれらしい人間を配置してるみたいだからな」
……じゃあ、辺境伯様の頭の中ではラーマルナが来るのは想定内って事か。それならまぁ大丈夫……か?
「お前は? 辺境伯からラーマルナに関して何か聞いてるか?」
「何も。聞いてたら先に話してるって」
「だよな。王子の狂薬の件はすっとぼけてたとしても、ラーマルナの話があればさすがにお前も話してるよな」
「狂薬の事は悪かったって。蒸し返さないでよ」
不貞腐れて言えば、くくくと兄は笑う。
侵略云々の話になってるのに笑ってられる兄の肝はすごいわ。
「単純にラーマルナが宰相を通じて手を伸ばしてきたって言う話ならいいんだけどなぁ……」
「いやよくないでしょ」
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