第82話 聖女(撒き餌)は咄嗟に撃退してしまう

 えー、五日後——もう四日後か。に計画を控えている身としては今騒ぎを起こすのは得策ではないと理解しております。


 ですので絨毯に転がり股間を押さえて悶絶しているキャラメル色の癖毛の王子を前に、やっちまったなーと思っているわけでして…………


 いや、私は普通に対応していたと思うのだよ。


 兄が不在のタイミングで突撃してきたこの王子に、確かに陛下ともシャルとも目の色全然違うわと青灰色のそれを観察しながら、猫かぶって怯えた振りして丁寧にカーテシーをした。

 目の形は王妃に似ていて垂れ目なのだが、人を下に見ている――もっと言えば、人を品定めする物のように見ている節があって、垂れ目から連想しやすい筈の優しさや穏やかさやそういった温かみのあるものとは真逆の印象を受ける。その辺は王妃と親子なんだなと納得させられた。

 全体的に見れば整った顔立ちで、宰相と同じようなロココ調の服装でも見事に着こなしているのだが、母や兄、シャルを見慣れてしまっていると、あぁ綺麗ですねぐらいで終わってしまうのがちょっと申し訳ない。


 ちなみに私は突撃訪問だった為、着替えることも出来ず部屋着用のストンとした簡易ドレスだったので拝謁には相応しくない格好であったが、そこはあちらが連絡してこないのだから致し方ない。一般的なマナーとしては先触れがあってしかるべきなのだが、彼の方々には関係ないようだ。


 で、問題はというと、カーテシーをしていたらなんの前触れもなく人の顎を鷲掴みにして上げさせた挙句、「見てくれはいまいちだな」と言ってさらに人の胸を掴んで「小さいな」とのたまい、人の服に手を掛けたこの王子である。


 反射的に膝蹴りかましてしまいましたとさ。


 いやさぁ、別に胸掴まれるぐらいはいいんだよ。姉妹ではよくやったし、女友達でもやったし、よっぱらった上司とかもね……(セクハラなんて言葉が流行り出した頃にはもうセクハラされるような年代ではなかったんだよなぁ)

 でも服はあかんだろう。ほら、それやるって事はやるって事でしょ。他にないでしょ。条件反射で足が出てしまったじゃないか。

 電撃とか眠らせるとか、そんなのやるより先に足が出たのはごめんだけどもさ。手を出した方が悪いと思いませんか?


 クリーンヒットしてぐぅぅ……と脂汗浮かべて呻いている王子を助けるのもなにか違う気がするし、さりとてこのままにしておくのもいろいろとまずいのはわかる。


 どういうつもりだったか聞くまでもないが、一人で来ていたのは幸いだ。

 膝蹴りかました瞬間、あ。やべ。と思って防音魔法を使ったから外にも物音は漏れてないはず。

 とりあえず寝てもらおうと、王子の頭を包むように薄い風魔法で覆ってその中に指を突っ込んで吸入麻酔薬を生み出す。

 しばらくすると、だんだんと王子の体から力が抜けてパタリと倒れ込んだまま動かなくなった。


 思ったより寝るまでに時間かかるな……静注タイプなら早いんだろうけど、それはさすがにシャルが居ないと無理だしな。


 しかし……十七歳か。寝てるとあどけない顔してるんだけどなぁ……環境なのかねぇ……生まれが違えば全然違う人生を送っただろうに………平気で女性に手を出すとか何を教えられて何を教えられずにきたのか……偏っている事は確かだろうけど、ある意味被害者でもあるよなぁ……


 思考が逸れた。しみじみしている場合ではないな。できることをしよう。


 呼吸をきちんとしているか確認し、王子の上半身を起こして後ろから腕の下に手を入れて胸の前で手を組んで後ろ向きにずるずると引きずる。うっ……香油の匂いが……。

 それから下半身にしっかりと力を入れてふんぬっとソファの上に持ち上げて座らせた。背は私よりもあるがシャルみたいに高くないし筋肉も多く無くて良かった。ぎりぎり持ち上がった。


 ……重力魔法って自分にしかかけられないのが難点だよなぁ……


 手首に触れて――脈に異常なし。呼吸もしてる。

 あとは、兄が戻ってくるまでこれを維持して……と。


 で……どういう風に話を持っていくかだよな。この状況。

 これいっそ、やられましたって事にしたらこの王子もう来ないとかないかな?

 そもそもさして興味がある風でもなかったし、それなら一回やった相手にさらに行くとかなかなか無いのではないか?


 ………あと四日しのげればいいんだから、ありだな。


 デメリットとしてはその事を吹聴される事だが、どうせ事実だろうと事実でなかろうと好きなように向こうは言うんだろうから関係ないって気もする……むしろ利用しない手はない的な?


 そっち方面で話つけるかと考えて、吸入麻酔薬を調整しながら早く帰ってきてくれないかな〜と防音魔法を解いて待つこと半刻程。


 ガチャとドアのノブが回る音に咄嗟に兄以外でも対処出来る様に王子から距離を取り、強ばった表情を浮かべてその場にしゃがみ込み自分の身体を抱きしめるようにする。


 ドアから姿を見せたのは兄だった。


「あ、おかえり」


 一瞬王子と私を見て顔を強ばらせた兄だったが、普通に立ち上がって出迎える私に脱力した。


「お前……焦るだろ……っち、早速仕掛けて来やがったかあの女狐。露骨な足止めしやがって」


 ものすごいガン垂れた顔つきになる兄をまぁまぁと宥め、かくかくしかじかと王子の突撃訪問から意識を失うに至った経緯まで説明し、ついでにこの状況を利用しないかと提案してみる。


「そりゃまーそれならあと四日は絶対仕掛けて来ないと思うが……お前、いいの?」

「いいも悪いも、向こうはそう吹聴すると思わない? そういう目的できたんでしょこれ」

「そりゃそうだが、お前がそれを認めるような事をしていいのかって話だ。辺境伯側にも事実として伝わるんじゃないか? お前から辺境伯のとこの影に接触する手段は無いんだろ?」

「あーまぁ大丈夫じゃない?

 噂が出回るまで数日かかるだろうし、もし伝わっても辺境伯様なら笑いながらその情報を握りつぶして別の話で上書きしそうだし」

「旦那はどーすんだよ」

「後で何もなかったって言えばいいんじゃない?」


 兄はものすごく残念なものを見る目で見てきた。


「お前がそれでいいならいいけどな……まぁ、それで愛想つかされてもその方がお前——だろうしこっちも――しやすいか」

「え、なに?」


 急に独り言みたいに声が小さくなるので聞き取れない。

 聞き返せば兄は大きく息を吐いて首を横に振った。


「いーや。それじゃお前は寝室に篭っとけ。そういう話でそこのくそ王子を丸め込んでおくから」

「あ、うん。よろしくお願いします」


 しっしっと払われたのでそそくさと寝室の方へと戻る。そしてピタリとドアに耳をくっつける。


「ベッドに布団かぶって丸まってろ」


 ドア越しに呆れた声がかかってすごすごと言う通りにした。


 どうやって丸め込むのか聞いてみたかったんだけどな……ひょっとして『惑わす』使うのかな、とか。

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