第80話 聖女と真夜中の訪問者①
夜。コトリという音がして目が覚めた。
暗闇の中、掛布団の下でゆっくりと足を身体に引き付けてすぐに起きれるように準備する。それと同時に風魔法で空気を動かし侵入者を探る。
影かと思ったが、何やら様子が違う。
窓もない壁際から出てきたと思われるのだが、そこから動こうとしない。
………。
ちょっと待ってみても、動く気配がない。
え、心霊現象とかじゃないよな?
物体として存在してるから違うよな?
「……どなたですか?」
仕方がなく、身体を起こしてなんとなく大柄っぽい黒い塊に小声で問いかける。
黒い塊は一瞬動揺したように揺れたが、意を決したようにゆっくりとこちらに歩いてきた。
そしてぼんやりとした弱い明かりがその人物の手あたりに生まれ、その姿を照らし出した。
シルバーブロンドを後ろで括った、澄んだ空色の穏やかそうな目をした男性が弱い明かりに浮かび上がり――
「っ!?」
あまりにも知っている人物に似ていたためその正体を悟った瞬間声が漏れそうになった。それをしっと口元に指を当てて静かにと制される。
咄嗟に隣の部屋で寝泊まりしてくれている兄に気づかれないよう防音魔法を張った。たぶん、誰にも知られたくないのだろうと思い。
「音が外に出ないようにしました。大声でなければ大丈夫です」
驚き過ぎて心臓が早鐘を打っていたが、冷静な声を心がけて言えば男性——国王陛下は心持ちほっとしたような顔をされて微笑まれた。
四十手前の筈の陛下は、シャルによく似ていた。髪色はどちらかというとシャルの方が明るく、陛下の方が暗めであるが全体的な雰囲気は陛下の方が線が細く柔和な感じがする。シャルの方が若干怜悧な感じだ。
「君がリーンスノーだね?」
「申し遅れました。リーンスノー・エモニエでございます」
ベッドの上で正座して頭を下げる。本当はカーテシーをしなければならないが、ベッドの淵に座られてしまって、不格好であるがそうした。
私がエモニエの姓を名乗ると、陛下は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「ディートハルトから聞いているよ。巻き込んでしまってすまないね」
「いえ……」
何と答えるのが正解なのかわからず答えにつまる。
実際大変な目にあっているので、全くその通りですねという気持ちもあるがそんな事を馬鹿正直に言うわけにもいかないし、それに自分で振り返ってみても不思議とあまり後悔というものが無いのだ。家族には迷惑かけて申し訳ないなとは思うのだが。
「もはや私には何の力もないのだが、それでもどうかシャルを頼みたい。
一度も顔を合わせた事がない情けない兄だが、手紙からあの子が実直に頑張っている事は知っているんだ」
不甲斐ないと言わんばかりに肩を落とす陛下にどう返答したものかと思ったが、暗闇を見つめる横顔を見ていると王としてここに来たのではないのだろうなぁとなんとなくわかった。
「確かに、殿下はとても真面目ですね」
「君からもそう見えるかい?」
「はい。私どもの婚姻のお披露目で仲の良さをアピールするために猛特訓されていました。夜中魘される程」
陛下はこちらを見てくすりと笑った。
「今まで御令嬢と浮いた話の一つも出てこなかったから、そんな事だろうとは思っていたよ。君も、最初はかなり冷たくされたんじゃないか?」
冷たく?
「いえ、特にそういう事は。いろいろと気遣っていただきましたよ」
私の言葉に意外そうな顔になった。この顔はあれだ、お披露目の時にシャルを見ていた人の顔だ。
「そうなのかい? ディートハルトからは御令嬢たちと会話をするのも億劫だという顔を隠しもしないと聞いていたんだけどね」
「おそらく出会いが出会いだったので、それでかと」
「出会い……」
空色の目に、弟の恋路を面白がるような色が浮かんだ。やはりどこの世も身内のそういう話は面白いのだろう。
残念ながらそういう類のものではないんですけどねと思いつつ、口を開く。
「最初に会った時、殿下は片腕がなく意識が無い状態でした。それを無理やりなんとか腕を生やしたのですが、魔力回復薬を飲み過ぎて私が寝込んでしまいまして。その負い目のようなものがあったのではないでしょうか」
「……その話は、ディートハルトから聞いてないね」
面白がっていた顔が真顔になった。だがすぐに柔和な笑みに覆われる。
……一瞬、為政者の顔を見た気が。
「でもそうか……自分の危険を顧みず助けてくれたんだね」
「いやぁ……無我夢中だったのでそこまで考えてはいなかったです。起きたら辺境伯領で、助けた相手が殿下だったと知って、正直これはもしかしなくとも平穏な生活には戻れないのではと途方に暮れました」
はははと頭を掻くと破顔された。
「なるほど……そういう君だからシャルは受け入れたのか」
興味深そうに言う陛下に、さあどうでしょうと首を傾げておいたが脳裏にはシャルの言葉が蘇っていた。
―—実はさっきリーンに殿下と言われてちょっと傷ついた
―—私は結構リーンに対して気を許していると思っていたのだが、リーンは全く私に気を許してはいないのだなと思って
唐突に蘇ったそれに、何となく落ち着かない気持ちになる。何がどうというわけではないのだが……
「……最初聞いた時は、ディートハルトも無理矢理なと思ったんだけど、そうでもなさそうで安心したよ」
穏やかな――というより、もっと微笑ましいものを見る顔で呟かれ、妙な居心地の悪さを感じる。
なんか……誤解を受けているような……
さりとて、違いますと言うのも違うような気がして押し黙る。
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